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2011年3月31日木曜日

断捨離しなかった食器が役に立ったかも

福島の原発避難民が大勢着の身着のままで関東圏に来ている。会社の人の知人の家族が千葉の公団に定住することになったが、食器も布団も衣類も何もないとのこと。お金よりも、物が直ぐに必要というので、家の中の使っていない食器類をスーツケースに詰めて、会社に持っていった。重い。がさばる。満員電車では迷惑だったろうが、朝いつもより早く出て、2時間もかかったけれど、何とか会社まで持って行った。10キロ分くらいあったかな。どうしてこんなに食器を溜めたのか。益子、笠間、美濃。ノリタケ。今はこうしたものは趣味じゃない。今は殆どが有田の磁器。

しかし、自分が被災して同じ目にあったなら、どうするんだろう。他人に貰った食器は趣味じゃないなあ、と毎日思いながら暮らすんだろうか。難民生活は贅沢は言えないにせよ、仮の宿りで一生を過ごすのは辛い。

福島の人たちが幸せでありますように。

2011年3月30日水曜日

エストラサイトの副作用

エストラサイトにオダインから切り替えて約2週間。4日目から、気分が悪くなり、これが悪心というものか、と思った。食後2時間くらいから(ということは服用後ということだが)、気持ちが悪くなる。食事があまり食べたくなくなる。今まで平気だった玄米の匂いがたまらなく嫌、切干大根も嫌、焼さばも嫌と、匂いのするものが食べたくない。ただ胃がもたれている訳ではないので、食欲はあり、食事が困難ということではないが、メニューに困る。結局、うどんとか蕎麦とかばかり食べている。

頻尿は、オダインの時より良くなった。オダインの時は、夜2時間おきに起きてトイレに行っていたが、今は大丈夫。駅では必ずトイレには行くけれど、オダインの時は電車を降りてトイレに行き、通勤途上で3回も行ったこともあるから、頻度は大きく減った。オダインの時はバス旅行は無理。今も自信がないけれども。

女性ホルモンのせいか、血圧が上がっているのか、耳鳴りがする。また乳首が腫れて痛い。女性みたいに乳首が立っている。これが結構触ると痛い。

薬が効いてくれれば、こんな程度の副作用はどうってことないんだが。

2011年3月25日金曜日

気落ちしたら、湯治

医学的な効果は無さそうだが、精神的な効果を期待して、又もや新潟の栃尾又温泉に湯治に。温いため、寝てばかりで死を忘れる。ぼんやりしている。痛みも和らぐし。癌には効かなくても、精神には良さそう。ただ、食事が単調で飽きるのと、雪でどこへも行けないため、運動不足でフラストレーションがたまる。おばあさんばかりなのは、おばあさんに効く何かがあるのかな。体にラジウムの泡がつくので、細胞の活性化には良い影響があるらしいが。

花粉症の緩和を期待したが、花粉は雪国の上空も覆っているらしく、喘息症状は改善せず。

前回、マーラーの交響曲全集を持っていって退屈したので、今回は、そうでもしないと聞かないブルックナーとベートーベン。前者は眠くなるので正解。次回は指輪の全曲かな。

2011年3月18日金曜日

PSA再上昇でオダインからエストラサイトに切り替え

とうとう、オダインも効かなかった。特に自覚症状はないのだが、今日の検診でPSAが5.45に上昇してしまい、オダインも効いていないことが明らかになった。となると、次は主治医はプロスタールはもっと効き目が弱いから、エストラサイトにしますとの予告どおり、女性ホルモン剤であるエストラサイトに切り替えることになった。

副作用が強いので心配で、特に循環器系に影響があるかもしれない。肝臓の調子は良いのだが、悪影響があるかもしれない。女性化は、死と比べるならばたいした問題ではないけれど、更年期障害は、結構生きる勇気や元気を阻害するもので、やるきが無くなるかもしれない。

「生きようとする意志が萎れている」とは診断の際に同席していた姉の言葉。確かに、意気消沈しているかもしれない。元気を出そうというより、挫けないようにしているので今や精一杯。泣かない、悲しまない。でも笑うことはまだできない。

「来月、エストラサイトが効いているか、確かめましょう、でも効かない可能性が大きいと思う」と主治医は言っていた。抗がん剤が効く場合もあり、5年程度生きている方もいるらしい。どんな人に効くかは分かっていないとのこと。全てはトライアンドエラー。

2011年3月17日木曜日

暖房の無い会社

節電のため、会社が暖房を切っている。寒い。とはいえ、状況が状況なだけに、我慢の毎日。

以前、知り合いの原子力学者から、福島第一原発のリスク、特に大津波が来た時の脆弱性について何度か聞いた。恐らく東電の幹部もこのことは認識していた筈だが、残念ながら、コストダウン優先だったようだ。外部電源が万一の時に機能しないリスクについては、広瀬隆氏も指摘していたが、反対派と同じ意見ということで、顧みられなかったのだろうか。

2011年3月13日日曜日

歩いて友人宅に避難

会社で地震に会い、家には帰れないので、比較的近くの知人宅に避難した。徒歩で2時間。癌のせいなのか、体力の衰えを感じた。歩く早さが遅く、どんどん追い抜かれる。エレベーターが動かないため、7階の知人の部屋まで登るのが一番辛かった。手すりがあったから良かったけれど、無かったら、休み休みだっただろう。

翌朝、動き出した電車で家に戻るが、気力が衰えている。TVを見て、生きているだけ幸せだと思った。しかし、もし病院が被災したら、癌患者はどうなるのだろう。トリアージュ上は後回しだろうなあ。

これから東京は計画停電になるらしい。日本経済の行く末と、病院の電源が心配。

2011年3月11日金曜日

オダイン錠の副作用

ホルモン療法を始めて、カソデックスはたった半年で効かなくなったため、2月からオダインに切り替えている。飲む回数が一日三回なので、昼の分が飲めなかったり、飲むのを忘れたりして、苦労している。薬を飲むのを忘れることは多い。

薬を貰うと、尿が黄色くなると注意書き。確かに白いパンツが黄色く汚れている。カソデックスではそうしたことはなかった。何のせいだろう。オダインの包装もオレンジ色をしている。

問題は頻尿。夜はほぼ1時間か2時間おきに起きないといけない。熟睡できない。花粉もひどいので、熟睡出来ない度はすごい。

でも、薬が効かないと分かったときの衝撃に比べれば、何の問題もない。効いてくれることを祈るばかり。抗癌剤の副作用に比べれば、どうってことないだろう。

カソデックスの副作用より、頻尿を除けば、副作用の程度は弱いと思う。

2011年2月28日月曜日

気分転換に箱根へ

湯治が癌に効かないことは承知だが、気分が余りにも鬱々としたため、会社の補助金(カフェテリアプラン)を使って、箱根の高級旅館へ行ってきた。一泊3万円もする。一生もう行くことはないだろう旅館。昭和天皇が泊った旅館として有名で、昔岩崎家の別荘だったもの。今はファン○ルの会長がやっているらしい。

広大な庭の手入れと建物の手入れにお金が掛かるし、人件費も嵩むし、余り儲からないだろうと思う。部屋に鍵もなく、トイレもなく、それでいて3万円。夢のような旅館。とはいえ、料理は最高の部類で、他の部屋の客に殆ど会わず、静かで、のんびりして、建物も懐かしさに溢れていて、静養にはとても良かった。しかし、三泊で10万円も使ってしまった。

食事には牛、豚は避けてもらい、玄米も出してもらった。コーヒーも、みかんも飲み放題。ゆっくりできたので、精神が病む寸前だったのが、何とか持ち直したような気がする。

いわゆる冥土の土産かな。

再燃、ホルモン療法の薬を変更

1月末のPSAが0.46に上昇し、不安に苛まれていたが、2月末のPSAは急上昇し、2.86になってしまった。主治医は、再燃だよ、とのこと。こうしば場合には、普通であれば一度カソデックスを止める中止療法を行うが、上昇幅が大きいので、危険なため、即時にオダイン錠に変更するとのこと。カソデックスの増量も効果は無く、カソデックスが悪い作用をしている可能性があるとのことなので、まだ錠剤は沢山あるが、中止。

オダインが効かない場合には、標準治療では、昔の薬のプロスタールにさらに変える手があるが、効かないだろうから、プロスタールでなく、即抗癌剤の使用を検討することになるだろうと言う。

半年しかカソデックスは効かなかった。となると、それより弱いオダインの命も半年がせいぜいか。抗癌剤も長くは効かない。効いている人もいるが、低分化、Gスコア9の悪性ながん細胞には効力の程は分からない。

不安で、この日はとても気がめいってしまった。

2011年2月13日日曜日

雪の中、一日湯治へ

湯治で癌が良くなるかどうかは不明。玉川温泉は効くというが、何が効いているのか不明。放射線なのか、強酸性の湯なのか。前者だろうと思うが、証明はされていない。長岡温泉の弘法の湯は、北投石を配置して、ラドンを発生させているとしているが、これも見えないものだから、良く分からない。

今回は、一泊で伊東へ。ここの湯量は豊富なこと、熱いことから、湯治向きではないのだけれど(熱いと長く入れず、芯まで温まらない。汗は沢山でるが)。一泊一人、土日でも7,200円の旅館を発見し、試しに行ってみる。近くて、楽だったが、湯が熱く、部屋は寒く、風情はなく、長居は難しいと感じた。湯治は最低でも三泊はしたいので、伊東では無理っぽかった。食事は満足したが、食べすぎてしまった。

今まで関東周辺で、湯治目的で行った温泉場の良し悪しを比較。

伊東  良いところ 安い(一泊一万円以下)。近い(片道2時間)。暖かい。庶民的。便利。
悪いところ 湯が熱い。市街地なので、気分転換に余りならない。

箱根  良いところ 近い(片道1時間強)、山の中なので気分転換になる。買物に不便。
悪いところ 湯が熱い。高い(一泊一万円以下は殆どない)。寒い。湯治場の風情なし。

湯河原 良いところ 安い(一万円以下もある)。近い(1時間半程度)。便利。
悪いところ 湯が熱い。

長岡  良いところ 近い(2時間半程度)。安い(一泊一万円以下あり)。スーパーあり、便利。
悪いところ 湯が熱い。市街地。

湯本  良いところ 近い(2時間)。便利。
悪いところ 湯が熱い。市街地で風情がない。高い(一泊一万円以下は平日だけ)。


とどれも似たりよったり。結局のところ、湯が熱いのが難点。癌に効くかもしれないラジウム温泉の増富は温すぎ。35度だと、冬場は厳しい。
湯の温度的には、同じくラジウム温泉の栃尾又が長湯向きの温泉で良いかも。川治も同じく、温くて結構だけれども、湯治向きの旅館が無いのが難点か。

次に試すべきは、どこの温泉かな。姉は玉川を勧めるが、遠くて高いので、勤めていては無理と思う。

2011年2月12日土曜日

「切らずに治すがん治療」中川恵一著を読む

東大の放射線科の中川先生が書いた本を読む。癌に対する放射線治療の効果は、悪質とされる低分化癌に良く効き、上皮癌、腺癌の順で効くとのこと。ちなみに、前立腺癌は腺癌なので、まあまあ効くらしい。僕は低分化癌で、グリソンスコアが9なので、まさにぴったりなのだが、癌細胞が既に全身に転移しているD2なので、標準治療では、放射線はまず受けられないのかと思っていた。

実はそうでもないようで、癌細胞は全身に散っているため、根治はできないが、大きな腫瘍は抑えられるらしい。でもなぜ、D2では放射線治療をしてくれないのだろう。治らないのだから、治る人を優先したいということか。それも理屈として分るが、大きくなった病巣を小さくできるのであれば、試みるべきとも思うのだが。医療費抑制の面の問題なのだろうか。

良く分からない。一度放射線医のセカンドオピニオンを貰って見たいと思った。

2011年1月25日火曜日

元気を出すには

他の癌患者の書いた闘病記を、姉から貰い読んでいる。彼女が膨大なブログを整理し、焼いて届けてくれる。他の方がどう悩んでいるのか、特に余命がどうなのか、知りたい。参考になるものは少ないと思っていたが、それは検索が不十分だったせいかもしれない。

紅葉さんのブログによれば、病期D2(リンパ腺ではない、他の臓器への転移癌あり)の方のブログは少なく、またあっても途中で終わっていることが多い(亡くなられたのだろう)らしい。

色々読み進むうちに、病期Dでも結構長く生きていられる方もあり、今拝見している四国の方のブログなどは、奥様が不幸にして急性の白血病で先立たれるなど、病期発見当初予想していたのとは全く異なる展開に、戸惑われている例もあり、様々。一般化は難しいと思った。当然ながら、グリソンスコア9でD2 の僕の余命も、どうなるかは治療して見ないと分らないのだけれど。

悩んでもしょうがないので、楽しいことを考える。旅行は海外は諦め、国内もバスツアーはトイレが心配で諦め、最近は湯治ばかりだけれども。湯治は、一時でも癌のことを忘れさせてくれる(そもそも湯治に行く理由が癌なので変ですね)。また、水泳教室でも、自分が癌ということを忘れられる。でも、一番は、最近は仕事かも、と思えるようになってきた。ストレスのあまりない職場なら、仕事を続けた方が良いのではないか、と最近思っている。収入面の不安もあり、健康(とはいえないが、頻繁に病院とトイレに行くことを除けば、今の状態ならば普通に通勤、勤務はできるので)が許せば、仕事を続けたい。

先月までは、早く退職して治療に専念と思ったり、母親の介護を、とか考えたが、暇だと癌のことばかり考えてしまうし、所得ゼロも困る。年金は出ないし。母親は、気が会わない、同居は苦痛だし、転居も治療を考えると難しい、今のところ母親も一人でなんとかなっている、などで今は諦めつつある。

2011年1月24日月曜日

PSAが上昇、湯治へ

1月21日は、癌が告知される以前に申し込んでいた人間ドックの日だった。半年前から予約が必要なところだったので、今頃になった。PSAも検査項目に含まれている。結果について、医師から説明を受けている際、データを見ると、PSAが0.45に跳ね上がっている。0.1台かと思っていたので、びっくりした。慌てて、同じ病院内で癌治療を受けているため、主治医に走り、どうしたことかと聞くと、「ホルモン療法をやっていて、手術て前立腺を切ったわけではないから、PSAが出ることはある」とのこと。しかし、3ヶ月後の検査では不十分ということで、2月にももう一度検査をすることになった。

この日は完全にパニック。もしカソデックスが効かないということになったら、余命は確実に減ってしまう。セカンドラインの薬が効く可能性はファーストより小さい。泣きそうになった。(というか、電車では泣いていた。)

悩んでいても仕方が無いので、予定通り、伊豆長岡の「弘法の湯」へ湯治に出かけた。ここのメリットは安いこと。一人でも泊れること。湯は熱くてあんまり好みじゃないのだけれど、岩盤浴があり、岩盤浴+ミストシャワー+北投石のストーンセラピー(弱い放射線被爆?)の三点セットをこなしていると、時間が潰れ、あまり退屈しない。食事も安い(朝食850円、夕食1050円)、野菜ジュースも売っている、玄米が食べ放題(とはいってもそれ程食べないけれど)、などなど。

湯治で癌が良くなるとすれば、精神面で参っていると、免疫機能も落ちるだろうから、風呂の力で、リラックスし、その副次的な効果で、免疫力の増進、癌細胞の増加抑制という効果だろうか。全く証明されていないけれど、効くと信じて湯治に行くことにしている。家にいて、泣いたり、鬱になるより、風呂で癌と格闘している自分の方が好きだし。

この宿に、普通の客も結構いて、食事も豪華でないし、家族向きじゃないし、健康な人には雰囲気暗いだろうけれど、と思うのだが、割安なのが受けている理由らしい。湯治2泊で13,500円。東京からは、2時間半程度で着くし、特急で往復しても、2万円ちょっとで済む。

有難い宿だ。またよろしくお願いします。

2011年1月20日木曜日

人参ジュースの絞りかすでふりかけもどきを作るが失敗

一回に人参を二本か、三本ジュースにするので、毎日二回ジュースを飲むと大変なことになる。最近はカスの量にまいったので、冷凍ジュースで誤魔化したり、ペットボトル入りの人参ジュースで代用する日々。

今日は会社を休んだので(休養じゃ!)、折角なので人参ジュースを絞り、カスを利用した料理を作ることにしたが、カレーはまだ冷凍してあるし、パンケーキもまだ余裕があるけれど、一番自分で好評なのはパンケーキだったので、パンケーキを作り、余った分で人参ふりかけを作ってみた。人参を乾煎りし、小さくなったところに、醤油、みりん、酒、日本酒を加えてみた。まずい。多分もっと砂糖と塩を入れるべきなんだろうけれど、試しに作っただけなので、よしとする。納豆に混ぜてみようか。

家には有線が入っている。オペラチャンネルに会わせきりなので、勝手に色々なオペラがかかる。今朝は、プーランクの「カルメル修道女との対話」。陰惨なオペラで、出演者の全員が断頭台行きとなる、フランス革命の話。フランス語は聞き取れないので、ぼんやり聞いていた。内容が分ったら、朝から悲惨すぎるかも。ベルクのような音楽かと思っていたら、そうでもなく、聞きやすかったのが意外な感じ。とはいえ、朝から料理しながら聞く音楽かね。

2011年1月18日火曜日

山田元京大教授の前立腺癌闘病記「ある科学者の闘病の軌跡」を読む

元京大教授で、奈良先端科学技術大の元学長だった山田康之氏の闘病記を読んだ。自分の病歴と比較してみると、なかなかすごい人生を送られている。

発病時年齢 63歳(94年)      (自分の場合 55歳、2010年)
グリソンスコア 7(中分化がん)  (9 低分化がんでより悪質)
PSA     118              (35)
転移 リンパ節(D1)         (骨盤、D2)

癌そのものはぼくのものの方がたちが悪い。

63歳で、LH-RHの注射を開始  (55歳でLH-RHの注射を開始)
プロスタールL錠を飲む  (カソデックス80mgを飲む)
64歳(95年) PSA 1台に低下
67歳(98年) PSA上昇で再燃
京大で放射線照射70グレイ
副作用で入院
PSA0.02に低下
68歳(99年)カソデックスの輸入使用が解禁、服用
PSA0.2から0.5で推移
71歳(2002年)PSA再上昇、2から3に
東海大八王子病院で超音波治療
72歳(2003年)PSA1に低下したが再上昇のため、再度東海大八王子病院で超音波治療
閉尿になる、5ヶ月間入院
人工肛門をつける
カソデックス服用を中止(2年服用とあり、服用開始は70歳?)
73歳(2004年)入退院を繰り返す
75歳(2006年)PSA再上昇、30に
抗癌剤エクストラサイト服用開始
PSA10台に、現在に至る(2009年時点)

一般に、病期がDの前立腺癌患者の平均余命は、5年生存率が2から3割、10年が6%程度というデータがある(伊藤晴夫、メデイカルビュー、2004年)ので、長生きをされている。それも、その間に、京大教授だけでなく、新たな大学の学長、日本の学士院会員、アメリカの科学アカデミーの会員も勤め、今上天皇への進講もされるなど、活躍されている。ある程度の責任を持っていたほうが癌に良い、との主治医のアドバイスがあったようだ。普通ならば60過ぎて末期癌になれば、仕事は辞めるだろう。余人に代えがたいという状況があり、また教授は時間的な制約がサラリーマンと違い、治療と両立しやすい環境にあり、またかかっていた病院が京大でもあり、環境が良かったのかもしれない。

骨に転移がなかったことが幸いをしているのかもしれない。骨転移は痛みが激しく、活動もできなくなるから、状況が良かったのかもしれない。

カソデックスが良く効くらしい。新しい薬の効果というのがあるのかもしれない。

人工肛門をつける時には、家族は自殺を心配したらしい。それだけ、危機的だったということのようだ。本書では淡々と語られているため、見過ごしそうになったが。

支えは、家族、友人、知人だそうだ。僕の場合、家族は兄弟だけ、子供も妻もない。友人も心許ない。

2011年1月17日月曜日

副作用

今飲んでいる薬。前立腺癌では、カソデックス80mgを毎日一錠、毎朝。(他に、リューブリンを3ヶ月に一回注射している。)副作用として、肝機能が落ちているため、ウルソ50を一日三回、一回1錠。更に、胃腸が悪化したため、主治医にお願いして、タケプロンOD15を一日一錠、夜飲んでいる。

他に、花粉症のため、クラリチン10mgを一日一錠、毎朝。

肝臓の機能はどんどん落ちており、機能の夜、日本酒を1号程度飲んだら、夜気持ちが悪く、起きてしまった。手は黄疸気味で黄色い。大丈夫か。今度主治医に会ったら、聞いて見よう。あまり関心ないかもしれないけれど。

更年期症状と同じ、つまり、気分が重い、ホットフラッシュが出る、だるい、頭痛、疲れやすい、などに加えて、最近は前身が痒い。花粉で同じ症状が出る。そのために、クラリチンを飲んでおり、鼻水や目、喉の症状は今のところ治まっている(飲まないと鼻水はすごい)。本格的な花粉症の季節前なのだけれど、痒い。カソデックスの副作用にもこういうのがある模様。3日ほど寝られず。これも主治医に聞いて見よう(会うのは三月末だが)。

頻尿も、カソデックス、リューブリンの副作用だった可能性がある。副作用の項を目をさらにして見ると小さく書いてあった。しかし、今では余り気にならなくなった。どうしてだろう。やはり精神的なものだったのだろうか。

リューブリンによる腕の腫れ、肉芽症状は続いており、少々憂鬱。生きている限り打たなければいけない注射なので、そのたびに肉芽になるのでは、銭湯とか、公衆の風呂に入れないなあ。もっとも、効かなくなれば(それは死を意味するけれど)、打たなくても良くなるのだが。別の注射を打っても同じだろうか。ペプチドワクチンを打っても、同じらしいけれど。

2011年1月10日月曜日

休日は料理

恐らく科学的には全く証明されていない食と癌。済陽先生は、食が癌の最大の原因のひとつであって、その改善があれば治らない癌も治癒する可能性があるかもしれない、と楽観的なことを仰っている。とはいえ、そのメソッドは一日に野菜ジュースを2リットル飲むというものだったりするから、大変なのだが。

帯津先生は、もっと気楽な方法を提唱されている。

主治医に、食事について聞くと、「好きなものを好きなだけ食べなさい」という、極めて科学的なもの。でも、アメリカでも、日本でも、癌が好転あるいは延命している人に、食事療法をやっている人が多いらしい(とはいえ、統計的な証明はない)ので、玄米、全粒粉、塩分控えめ、牛肉、豚肉は家では食べない(外食だとどうしても入っていることがあるからそれは受け入れる)、鳥は少し、魚は赤身は鮭だけ、あとは白身魚、カロリー控えめ、根菜、トマト、にんにく、ゴマ油、オリーブ油は多く取るなどの、済陽式を楽にしたものでやっている。人参ジュースは作って飲むが、野菜ジュースは作るのが大変なので、スーパーで買ったパック品。でも1リットルも飲めません。

人参ジュースのカスが大量に生産される。捨てていたが、もったいないので、休日は大量に調理し、冷凍して貯蔵し、毎日食べている。昼も弁当持参。今日は人参パンケーキと、人参カレー、かぼちゃ、サツマイモ、金柑のはちみつ漬けなどを作った。

でも半日調理しているっていうのも、それも50代の初老の男が、ひとりでね。わびしいかも。

2011年1月7日金曜日

リューブリンで腕が腫れた

右腕に12月末にしたリューブリンの注射の跡が痛い。赤く腫れている。我慢出来るが、化膿している可能性がある。副作用でこういうことがあるらしい。また肉芽になってしまうのだろうか。

2011年1月6日木曜日

紅葉さんのHPでは前立腺癌はD2でも5年生存率は100%と言っているが

姉に勧められ、紅葉さんが旦那さん(前立腺癌D2で長らく闘病されていたが、残念ながら最近逝去された)について書かれたブログのコピーを貰い、読んでいる。その中に、薬の改善により、今では5年生存率はほぼ100%になった、と書かれている。根拠となっているデータが言及されていないので、本当かどうかわからない。国立癌センター等の統計では、昔のもので、余命が短いため治療をしない老人も含むとはいえ、D2の中央値は3年、5年生存率は1、2割程度、若年の患者の予後は悪いとされていたので、本当であれば、とても嬉しい。

でも、根拠は何なのだろう。前立腺癌についての最新の教科書を読むと、より早く死ぬ人の症例ばかりが紹介されており、それほど薬が改善されたとは考えにくいのだが。

とはいえ、データではなくて、実感としてであっても、D2でも5年は殆どの患者が生きているのであれば、僕も60歳までは生きられそうだということでもあるので、嬉しい。

2011年1月4日火曜日

母親に癌のことを告げる

48歳の時のPSA検査は、0.1となっており、全く問題がなかったのに、54歳のPSAは35である。その間は、PSA検査はやっていない。毎年検査すべきものと知らなかったし、48歳で0.1なので、その必要は当分ないと勘違いしていた。だから肺癌、膵臓癌の検査ばかりやっていた。実は伯父に前立腺癌を患って死んだものがいるのだが、82歳でなくなったため、癌での死というより、老衰に近かった印象であり、身近な癌と思っていなかった。

しかし、癌の勉強をすると、癌は、遺伝子が要因として一番重要で、次に生活習慣とストレスのようだ。ストレスには化学物質も含まれるのだろうが、精神的ストレスが一番重要だろう。

僕は50歳の時に大きな試練があり、公私ともに辛い日々を送っていた。今にして思えば、それが発病の引き金となったストレスだろうと思う。会社で孤立し、プロジェクトが進展せず、挫折した。プロジェクトはその後曲折を経て、上手くいっているが、今や僕との関係は全くない。パートナーとの関係も危機を迎えていた。そして父が死に、母親が精神的に異常な行動を示していた。ごみ屋敷と化していた実家を母親の介護用に改造したが、母親の妨害に会い、精神的に参った。実家が遠かったこともきつく、疲れから、運転していて高速を何度も間違えた。母親が父親の死を受け入れられず、子供のせいにしたことも辛かった。こうしたことが同時に進展し、死にたいと思った。体は正直に、死へのスイッチを押したのだろうか。今では死にたくないのだが、当時は、死にたいと本気で思っていた。

癌を治すには(病期D2では治癒の可能性はないが)、癌のストレスと向き合い、許し、受け入れる必要があると思っている。でないと、いつ悪化するか分らないから。しかし、ストレスの原因が母親だったり、パートナーだったりする訳で、なかなか問題解決ができない。母親とは以後会話が直接できず、姉を通じた会話しか成立していない。和解をどうやってするのか、ずっと悩んでいた。そうしたこともあって、癌のことを言えずにいた。姉夫婦は、僕の意思を尊重すると言ってくれたが、いつかは伝えなければいけないから、早く告知した方が良いとアドバイスをくれた。

余計な心配をさせて、頭がまたおかしくなるのじゃないか、癌になったのは、自業自得だと責めるんじゃないか、とか不安だったが、正月休みを利用した家族旅行の際に、二人だけになった夜、癌であること、予後が良くないとされており、数年で死ぬ可能せいがあること、母親の老後の面倒を見ることはできそうもないこと、等を告げると、あまり深刻な反応もなく、翌日も何も言うことはなく、淡々と旅行は終わった。

83歳の母親と55歳の僕のどちらが先に死ぬのだろうか。5年の余命ならばほぼ同時期という可能性もある。

ずっと親不孝だったとの負い目があるので、癌になったのを機会に会社を辞め、田舎に戻り、親と同居し、面倒を見るのも良いかと考えることはあるが、治療を考えると東京に居たいし、母親との同居は苦痛で(会話も成立しない相手と生活するのかと思うだけで辛い)、ストレスから癌の進行を早めるだけのような気もする。だから、ひどい息子だと思うけれど、面倒を見ることはできない、と正直に告げた。母親が僕の面倒を見ることも当然できない。誰が僕の面倒を見るのか、僕は末期癌の独居老人になるのだ。先のことは分らない。