発病時年齢 63歳(94年) (自分の場合 55歳、2010年)
グリソンスコア 7(中分化がん) (9 低分化がんでより悪質)
PSA 118 (35)
転移 リンパ節(D1) (骨盤、D2)
癌そのものはぼくのものの方がたちが悪い。
63歳で、LH-RHの注射を開始 (55歳でLH-RHの注射を開始)
プロスタールL錠を飲む (カソデックス80mgを飲む)
64歳(95年) PSA 1台に低下
67歳(98年) PSA上昇で再燃
京大で放射線照射70グレイ
副作用で入院
PSA0.02に低下
68歳(99年)カソデックスの輸入使用が解禁、服用
PSA0.2から0.5で推移
71歳(2002年)PSA再上昇、2から3に
東海大八王子病院で超音波治療
72歳(2003年)PSA1に低下したが再上昇のため、再度東海大八王子病院で超音波治療
閉尿になる、5ヶ月間入院
人工肛門をつける
カソデックス服用を中止(2年服用とあり、服用開始は70歳?)
73歳(2004年)入退院を繰り返す
75歳(2006年)PSA再上昇、30に
抗癌剤エクストラサイト服用開始
PSA10台に、現在に至る(2009年時点)
一般に、病期がDの前立腺癌患者の平均余命は、5年生存率が2から3割、10年が6%程度というデータがある(伊藤晴夫、メデイカルビュー、2004年)ので、長生きをされている。それも、その間に、京大教授だけでなく、新たな大学の学長、日本の学士院会員、アメリカの科学アカデミーの会員も勤め、今上天皇への進講もされるなど、活躍されている。ある程度の責任を持っていたほうが癌に良い、との主治医のアドバイスがあったようだ。普通ならば60過ぎて末期癌になれば、仕事は辞めるだろう。余人に代えがたいという状況があり、また教授は時間的な制約がサラリーマンと違い、治療と両立しやすい環境にあり、またかかっていた病院が京大でもあり、環境が良かったのかもしれない。
骨に転移がなかったことが幸いをしているのかもしれない。骨転移は痛みが激しく、活動もできなくなるから、状況が良かったのかもしれない。
カソデックスが良く効くらしい。新しい薬の効果というのがあるのかもしれない。
人工肛門をつける時には、家族は自殺を心配したらしい。それだけ、危機的だったということのようだ。本書では淡々と語られているため、見過ごしそうになったが。
支えは、家族、友人、知人だそうだ。僕の場合、家族は兄弟だけ、子供も妻もない。友人も心許ない。
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