ページビューの合計

2011年8月31日水曜日

ドセタキセル(タキソテール)投与2クール目

今日は、タキソテールの2クール目。10時40分頃に病院へ行き、血液検査に並び、その後神経科へ行き、引き続きの抗鬱剤(リフレックス)を貰い、昼食を院内で食べ、泌尿器科へ12時半に行くと、病室で投与するので病室へ行くように指示される。

病室では、相変わらずの主治医が突然今日はゾメターはやらないと言い出すが、説明する気がなさそうなので、次回聞くことにする。この人はまるで患者の意思や意見に耳を傾けない。一方的に発言をして終わり。困ったので、看護士に血液検査の結果を貰い、次回(9月9日に血液検査で来ることになったので、その時に)ゾメターについて聞くことにする。投与すべきだと思うが、何か理由があるんだろうが。そのために、親知らずを2本も抜いたのに。

結局12時半に開始した点滴(水分→吐き気防止剤(ステロイド剤、胃腸薬)→タキソテールの順で、終了は3時。一日仕事になってしまった。

薬局で薬を貰ったら、4時頃でした。

2011年8月23日火曜日

1クールをようやく終了、退院

入院期間が15日にもなってしまった。初日は尿の量の検査。二日目に骨シンチ、MRI。三日目にしてようやく抗癌剤という悠長なもの。

副作用は抗癌剤ドセタキセル投入の初日から激しく、下痢が続く。続いて徐々に味覚障害、胃腸障害、悪心(気持ち悪い)、吐き気(これは大したことなし)、めまい(これも大したことなし)、精神的不安(これが一番問題)に苛まれる。あまりの辛さに、抗鬱剤を処方してもらう。流石に、7日目頃から副作用は緩和された。

問題の骨髄抑制は、6日目に白血球が3,200に低下(普通の人はその2~3倍はあるらしい)、11日目に2,700にまで低下。13日目に3,900に戻った。この間、外出禁止、部屋からも出ないよう勧められ、部屋からでるときはマスク着用、手洗い嗽。

特に自覚症状はないのだが、満員電車に乗るな、人ごみへ行くなとのこと。風邪をうつされやすく、治りにくい、重篤な症状になりやすいらしい。またこの間は、生ものも避けたほうが無難とのこと。食べても大丈夫だが、当たりやすいらしい。

会社に行くのはまず無理ではないか。東京で通勤電車に乗れないと、会社へどうやって行くのか。昼間行けと言っていたが、無理な相談。

結局、最初の1週間は体がだるく、辛く、寝てばかり。次の1週間は体の症状はないが、白血球の大幅減少で行動に制約。

最後の1週のみ、普通の生活ができる感じ。


2011年8月14日日曜日

ドセタキセル(タキソテール)の副作用

主治医によれば、ドセタキセルの激しい副作用、特に骨髄抑制が出るのは、点滴後7~14日頃とのこと。

今の薬は吐き気が抑えられるようになり、以前よりずいぶんと楽になったのだそうだ。それでも、10日にドセタキセルを点滴して、翌日はひどい下痢、その後は収まりつつあるが、4日目もおなかは緩い状態。また翌日から口内が腫れたような、口内炎のような味が感じられないような状態。食欲はあるが。3日目から風邪のような症状で、体中の関節が痛いというか、腫れたような、風邪のとき節々が痛いような状況。また4日目から足の裏が腫れ、歩くのが辛い。きつい靴は全部捨てたが、確かにスニーカー以外の革靴で歩くのは辛そう。体がだるく、階段の上り下りがしんどい。

これらは、ごく軽い副作用らしい。

7日目頃から、骨髄抑制で、白血球、赤血球が大きく減るので、重篤な副作用が現れる可能性があるとのこと。

今回は、6月に親知らずを抜いたため、歯科医師の勧めで、ゾメターは9月から使用するようにとされているため、ゾメターは使用せず。

点滴した薬は、

ドセタキセル150mg
ブラニセトロン 3mg
デカトロン  6.6mg
ガスター   20mg

でした。終わるまで、4時間半かかりました。結構長くかかった。

2011年8月11日木曜日

入院4日目で退屈

入院先の病院は空いていた。理由は不明。お陰で、4人部屋に独り。夜のトイレに気を使うので、ラッキー。話し相手はいないけど、問題なし。本を読み、cd、ラジオを聞き、漫画を読んでいる。若干退屈。オペラも何曲も聴いてしまった。ネットにはオペラ専門のラジオ局が沢山ある。でも近頃はまっている謡曲、能をやる局はない。京劇の局は沢山あったが。能の観客数と京劇では桁が違うのね。きっと。

一日目は小水を溜めるのみ。投薬量を決めるとのこと。二日目はレントゲンのみ。三日目に化学療法開始。何故か、院長、婦長の巡回があった。余程悪いのかな。そりゃ、そうだろうけどね。その夜に下痢。早速の予告通りの副作用。全く寝られないので、明日からは睡眠薬を貰おう。

2011年8月8日月曜日

今日から入院

55歳にして、初めての長期入院。生検は2泊3日だったし、子供の頃の怪我で入院したのも、数日なので、初めての体験だ。生命保険の特約の医療保険の入院医療費が貰える。

ドセタキセルの副作用で9割程度の人は、毛が抜けるとのこと。これを一生(死ぬまで)続けるのか、と思うと辛い。薬が効かなくなれば使わなくなるが、それはもう生きていないだろうということでもあり、困ったものだ。

生ものが食べられなくなるようなので、最後の夕食は手巻き寿司にした。刺身が食べられなくなるのは辛いだろうか。多分生牡蠣が食べられないのが辛いだろうな。三陸の牡蠣復興ファンドに小額寄付したので、数年後に生牡蠣を若干個貰えるはずなのだけれど、生きているか、食べられるか。

髪が抜ける前に家族写真を撮ったら、とのある方のお勧めに従い、近所の写真館で記念写真を撮った。六つ切り1枚で1万5千円+税金。高いような、そうでもないような。仕上がりは見ていない。退院後取りに行く予定。1枚の写真のために、5枚程度取ったのだろうか。もっとかな。見合い写真程度しか需要がないようで、布張りの立派な台紙に張ってくれるようだ。台紙は要らないのだけれど、セットなので仕方がない。

母親が入居する予定の有料介護付老人ホームを見学に行く。車で10分程度。電車でも同じ。駅前に何もない新開地でびっくり。隣の駅はすごく開けた町なのに、エアポケットのような郊外の造成地だった。退屈しそう。母親は満足するのだろうか。しないだろうなあ。

2011年8月5日金曜日

発病、告知から12ヶ月目で、抗癌剤治療で入院

来週から、2週間程度入院して抗癌剤治療を受けることになった。心配なのは、いつまでドセタキセルが効くのか(効かなくなったら、後は緩和治療、死を待つだけ)、副作用がどの程度なのか、の二点。あまり良い話はないようなので、考えないようにしているが、NHK Eテレの健康番組などを見ていると、ついつい自分のことを考えてしまい、落ち込む。明るく生きるには、見ない、聞かないが良いかな。

母親は姉の奮闘で、実家ではなく、南関東の、われわれ子供たちが住む町の民間の老人介護施設に入居することになった。介護保険の認定が受けられる見込みなので、多少の補助が出るのだろうが、入居の一時金が数百万かかる。その立替を姉がすることになったが、毎月の年金では月々の負担は足らないので、貯金を取り崩していくことになりそう。とはいえ、一人暮らしでは不安なので、良かったかもしれない。リハビリの成果か、歩けるし、障害はあまりなさそうに見える。医師は、但し入院治療で改善された訳ではなく、いつ脳梗塞が再発してもおかしくなく、その時は死ぬだろうとのきつい宣告。

会社からは全ての私物を持ち帰り、いつ辞めても良いように整理して来た。短い人生をどう有意義に使うかの選択肢の中では、会社勤めは低い順位になりそうだ。問題は、治療費。会社の保険が使えなくなると、治療費が月々相当高額なので、厳しい。