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2012年4月26日木曜日

ドセタキセル13クール(発症、告知から1年9ヶ月)

ようやくドセタキセルが14クール目になった。

月刊誌がんサポートの2009年2月号の千葉大の鈴木医師監修の記事によると、タキソテール(ドセタキセル)が効く人と効かない人が分かりつつあり、PSA値が30パーセント以上下がった人は2年以上延命するが、下がらなかった人は効かないので別の治療を検討する、とある。私の場合は、投与前のPSA16が投与後10台まで下がったから、3割下がったけれど、その後上昇してしまい、今回は17と投与前よりも上昇してしまった。他の治療法を考える時期なのだろうか。とはいえ、今は死ぬまではドセタキセルと言われているのだけれど。他に治療法とは、まだ開発されていない筈なのだ。

主治医は、併用している薬物、エストラサイトを他の女性ホルモンに変えるしか残された手はないだろうと言う。だが、千葉大では併用はしていないらしい。2年以上延命する組に是非とも入りたいのだけれど、どうすれば良いのだろう。

通っている病院が閉鎖を噂されている、主治医も他の病院へ移る予定などのこともあり、5月からようやく近所のある大学病院へ移る準備が整った。但し、とても混んでいる病院であった。どんな治療方針なのか、申し込んでから1月後にならないと初診にまでも辿り着かないという超混雑病院なので、まだ担当医にも会えていない。どうなるやら。

なんだか先行きが真っ暗になってしまった。まだ3年生存率30%の壁さえクリアできていない。今年の夏あたりが正念場なんだろうか。

できることと言ったら、新たな治験を探すくらい。後は骨折しないこと、歯を悪くしないこと、適度な運動をすること(適度をどう判断するかが難しいけれど)、ストレスを貯めないこと。過度に悩まないこと。そういう付き合いをしないこと。

爪がはがれるのを防止するキットをアメリカのアマゾンで購入し、米国の友人宅へ送ってもらい、転送してもらったものを初めて使ったが、失敗だった。家を出るのが、大体9時。キットは冷凍庫で長く冷やしていたのだけれども、病院は電車で1時間以上かかり、更にPSAのための血液検査を午前中受け、午後2時頃からようやく投薬開始なので、キットを使うのは5時間後になる。100円ショップで買った保冷剤は5時間後も凍ったままだったが、キットは5時間も持たないことが判明。使い始めた頃にはもう冷たくなかった。ピクニック用の保冷庫を持っていく必要があるかもしれない。夏になれば、持ちはもっと悪くなるだろうし。

写真は久留米の石橋文化センター。石橋家(というか、ブリジストン社)が久留米市に寄付した公園と文化施設群がある。

石橋美術館のコレクションは市の持ち物ではなく、石橋財団が持っているらしく、東京のブリジストン美術館と共通らしい。今月は東京から持ってきた絵と、久留米の絵を並べる展示をしていた。今東京には久留米の宝である青木繁の絵が来ているようだ。

最近は、先行きのこともあるので、家族には頻繁に会うようにしている。母親にも、会話は進まないが、進んで会いにいくようにしている。友達とも会っておいた方が心残りがなくて良いのかもしれない。



2012年4月13日金曜日

ドセタキセル12クール目、PSAは上昇

ドセタキセル12クールの副作用は今までで一番きつかった。13クール目はどうなんだろうと思う。以前聞いた話では、一般に8、9クールあたりが一番きつく感じるとのことだったのだが。

投与後、7日目に、比較的元気だったので、軽い運動をした(水泳をした)のが間違いだったように思う。副作用を甘く見ていた。プールへ行き、いつものプログラムだと疲労するのが分かっていたので、半分程度のプログラムにして、ゆっくりと泳いだのだが、戻ると体がだるい。その日の夜は食事もできたが、翌日、翌々日は食事もできず、起きられない。頭も痛く(転移かとびくびくした)、熱もあり、だるく、歩けない。結局二日間寝っぱなしとなった。一人暮らしなので、助けもいない。流石に死ぬことまではないだろう、そのうち治るだろうと思ったので、家族を呼ぶことはしなかったが、一歩手前という感じだった。

3日後にようやく回復し、食事も歩くことも可能になった。10日目になっても体力は普段並みとは言えない。回復がとても遅い感じ。

原因は何だったんだろう。体力が70歳並みとは思っていたけれど、軽い運動で、あれほど疲れるとは。肝臓に問題はない。リンパ腺かな。

投与時のPSAは、15台に上昇していた。投与開始時とほぼ同じ。結局、ドセタキセルはそろそろ無効ということなんだろうか。とはいえ、死ぬまで止めることはできない。緩やかな上昇にとどまることを期待するのみ。