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2011年1月4日火曜日

母親に癌のことを告げる

48歳の時のPSA検査は、0.1となっており、全く問題がなかったのに、54歳のPSAは35である。その間は、PSA検査はやっていない。毎年検査すべきものと知らなかったし、48歳で0.1なので、その必要は当分ないと勘違いしていた。だから肺癌、膵臓癌の検査ばかりやっていた。実は伯父に前立腺癌を患って死んだものがいるのだが、82歳でなくなったため、癌での死というより、老衰に近かった印象であり、身近な癌と思っていなかった。

しかし、癌の勉強をすると、癌は、遺伝子が要因として一番重要で、次に生活習慣とストレスのようだ。ストレスには化学物質も含まれるのだろうが、精神的ストレスが一番重要だろう。

僕は50歳の時に大きな試練があり、公私ともに辛い日々を送っていた。今にして思えば、それが発病の引き金となったストレスだろうと思う。会社で孤立し、プロジェクトが進展せず、挫折した。プロジェクトはその後曲折を経て、上手くいっているが、今や僕との関係は全くない。パートナーとの関係も危機を迎えていた。そして父が死に、母親が精神的に異常な行動を示していた。ごみ屋敷と化していた実家を母親の介護用に改造したが、母親の妨害に会い、精神的に参った。実家が遠かったこともきつく、疲れから、運転していて高速を何度も間違えた。母親が父親の死を受け入れられず、子供のせいにしたことも辛かった。こうしたことが同時に進展し、死にたいと思った。体は正直に、死へのスイッチを押したのだろうか。今では死にたくないのだが、当時は、死にたいと本気で思っていた。

癌を治すには(病期D2では治癒の可能性はないが)、癌のストレスと向き合い、許し、受け入れる必要があると思っている。でないと、いつ悪化するか分らないから。しかし、ストレスの原因が母親だったり、パートナーだったりする訳で、なかなか問題解決ができない。母親とは以後会話が直接できず、姉を通じた会話しか成立していない。和解をどうやってするのか、ずっと悩んでいた。そうしたこともあって、癌のことを言えずにいた。姉夫婦は、僕の意思を尊重すると言ってくれたが、いつかは伝えなければいけないから、早く告知した方が良いとアドバイスをくれた。

余計な心配をさせて、頭がまたおかしくなるのじゃないか、癌になったのは、自業自得だと責めるんじゃないか、とか不安だったが、正月休みを利用した家族旅行の際に、二人だけになった夜、癌であること、予後が良くないとされており、数年で死ぬ可能せいがあること、母親の老後の面倒を見ることはできそうもないこと、等を告げると、あまり深刻な反応もなく、翌日も何も言うことはなく、淡々と旅行は終わった。

83歳の母親と55歳の僕のどちらが先に死ぬのだろうか。5年の余命ならばほぼ同時期という可能性もある。

ずっと親不孝だったとの負い目があるので、癌になったのを機会に会社を辞め、田舎に戻り、親と同居し、面倒を見るのも良いかと考えることはあるが、治療を考えると東京に居たいし、母親との同居は苦痛で(会話も成立しない相手と生活するのかと思うだけで辛い)、ストレスから癌の進行を早めるだけのような気もする。だから、ひどい息子だと思うけれど、面倒を見ることはできない、と正直に告げた。母親が僕の面倒を見ることも当然できない。誰が僕の面倒を見るのか、僕は末期癌の独居老人になるのだ。先のことは分らない。

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