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2013年2月7日木曜日

1月14日の雪は凄かった

遅ればせながら、新年おめでとうございます。殆ど旧暦です。

去年は、おめでたいことなど何も無い状況で、おめでとうございます、と言うことが、自分にとって、白々しいというか、気持ちにそぐわないように思えたのだけれど、今年は成長したのか、素直に新年はおめでたいと思えるようになった。

1月の連休に、友人の介護を得て、近所の温泉に湯治に行ってきた。湯治ならば、食事の用意、掃除洗濯などの家事が一切無いから、楽だ。問題は移動で、運転は麻薬を飲んでいるので論外(ふっと眠くなり寝ていることが多い)。車椅子の生活なので、電車一本で行け、混んでおらず、駅から送迎してくれる所で、館内は車椅子で移動できるところが良い。介護者の負担が最小限にならないと、だれも重病人の介護に付き合おうとは思わないだろうから(家族であっても事情は同じと思う)、そういう場所を探した。

神奈川県内の温泉宿で、安価で、送迎があり、館内バリアフリー(車椅子用トイレと、風呂の手摺の有無が特に重要)という条件にかなったものを発見したため、友人に車椅子を押してもらい、出かけて来た。

恐らくは介護者にものすごい負担を強いたと思う。何といっても、風呂に一人では入れなかった。滑ったり転んだりが怖いので、一緒に行って監視してもらっていないと風呂に行けなかった。また、部屋から出ることがないため、人によっては、観光ができないから退屈だろう。

連休最終日の朝、宿を出たときは、雨だったのだが、昼頃に、家のある駅に着いた時には大雪で、どこもかしこも雪だらけ。駅前のタクシー乗り場で1時間以上待ったが、タクシーは来ず、雪は激しくなるばかり。そこでタクシーは諦め、駅から自宅まで、車椅子を押して(乗っていたのでは全く雪のため進まなかった)帰ったのだが、湿った雪で服が濡れたこともあり、気温の低いこともあり、普通なら数分の道中が30分程度掛かってしまったこともあり、低体温症(ハイポサーミア)になってしまった。ろれつが回らず、うわ言のようなことをしゃべっていた。危ない。直ぐに風呂に入って体を温め、無事だったが、とんだ湯治になってしまった。

小田急のドクターイエローかな。



ホスピスを見学する

通っている病院に頼んでいた厚生障害年金の再申請用の診断書を受領した。これは密閉されず手渡されるから、中身は読むことが出来る。

予後を見ると、1年未満と書いてあった。そのくらいだろうと予想してはいたが、紙に文字で書かれたもので見ると、結構ショックだった。予後には、個人差があり、多くの人は医者の予想より多少長生きをするらしいとはいえ、予後1年未満と言われた人が3年生きる可能性は極めて低い。

ということもあり、痛みがひどくなり、歩けなくなり、一人暮らしが介護保険のサービスを受けていても困難になりそうな、遠くない将来のことを考え、ホスピスを見学に行った。ホスピスはがん治療は行わず、緩和治療、痛み止めの治療に特化した医療機関だが、とにかく数が少なく、関東では入院は数ヶ月待ちらしい。

ホスピスそのものが始めてだったので、施設見学を兼ねて、家の近所(とはいえ、1時間はかかる)のホスピスに出かけた。見掛けは豪華。内装も古いホテルのよう。医療のレベルは知らないが、居心地は悪くなさそうだった。問題は入れるかどうか。何せ11床しかない。自分の入りたい時期に空いていることは稀有。長く入りたくはないが、空いていますと言われたときに入らず、入院を先延ばししすぎると、結局入れない。

今の病院の治験が続けられる限りは、ホスピスには入れないから、治験終了後、自宅での療養を経て、体が動かなくなる、痛みがコントロールできなくなることの様子を見つつ、最後の人生へと踏み出すことになる。

いつまで今の治験が続けられるか、いつまで今の痛みのコントロールができるか、麻痺がどこまで進むか、によるだろう。できれば、今年の秋よりも先であって欲しい。

帰り道、同行してくれた姉からお墓の話が出た。家のお墓は田舎にあるのだが、遠く不便なため、新しい墓を買ったらどうか、とのこと。僕も、姉が相続することになる僕の自宅に、姉の子供夫妻が住んでくれたら嬉しいが、どうだろうという話をした。とりとめのない結論の出ない話。もう二度とするかどうかも分からない、しかし今まではしたことのない、踏み込んだ話。話しているうちに、涙が止まらなくなってしまった。

来年の正月をどこで過すことになるのか、生きているのか、頭の判断のできる今のうちに、財産の整理をしたり、家財の処分をしたりしようと思うが、今の体で出来るかどうか。悩ましいところ。


死ぬまでに登りたかった大山。病院の窓からの景色。

2013年2月2日土曜日

痛み止めオキシコンチンの副作用

通っている病院のペインクリニック(麻酔科)で、痛み止めの薬を出してもらっている。麻薬であるオキシコンチンとオキノームの2種が処方されており、オキシコンチンは朝夜の2回の服用、オキノームは痛いときに都度飲む薬だが、同一成分らしい。

麻薬は痛みをかなりコントロールしてくれるが、痛みの方が一定でなく、波があり、その最大の痛みに合わせて量を処方してしまうと、普段の痛みはそれほどでないので、副作用がひどくなる。だから、少なめに処方して、適量を見つけるという段取りになるらしい。ということなので、最初の内は、痛みの最大値がやって来た時に、処方量は不足気味なので、かなりの痛みを経験することになる。

医師は、痛い時にオキノームをどんどん飲めば良いと仰るのだが、1時間に1回までという決まりなので、痛いときは時計を睨みながら、1時間ごとにオキノームを飲み続けることになる。

オキシコンチンの適当な量が処方されたらしく、痛みはコントロールできるようになった。但し、麻薬の副作用で、いつも眠く、細かいことに集中できず、難しい本は読めず(最初は新聞も読めなかった)、DVDなども見られない。集中できず、疲れてしまう。

処方量を減らせば、元に戻るけれど、痛みがコントロールできなくなる。痛みと集中力なら、当然選択肢は痛みでしょう、ということで、本は読まず、読めず、ブログも読めず(今朝は珍しく自分のブログは書けているけれど、他の人のブログを読むのは無理)。

オキノームのほかの副作用としては、便秘になるらしい。便秘対策の薬をもらっているが、逆に便がゆるくなりすぎ、排便に問題が出てくるのが悩み。パンツがいつも汚れている。自分で洗濯するから良いものの、困った問題だ。

大汗をかく、涙もろいなどもこの薬のせいかと思っていたら、これは男性ホルモンを遮断したことによる更年期障害だそうだ。

大汗はひどくて、毎夜2回は寝巻きを着替えないといけない。びしょびしょというくらいに濡れている。当然布団も濡れるので、タオルを敷いて寝ている。更年期障害って、そんなにひどいだったのか。

症状が小康状態になり、気持ちも落ち着くと、あとどのくらい生きられるのか、気になってくる。1日でも長く生きていたいけれど、もし治験が中止になったら、使える薬がないので、急激に病状が悪化するかもしれない。こういう不安のせいか、いつも変な夢ばかり見る。この間は、その前の日に読んだ漫画の中に自分自身がスリップし、処方されている痛み止めの薬を転売する薬の売人になっている、なんていう刑事ドラマみたいな夢を見た。困ったもんだ。