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2012年12月26日水曜日

車椅子がやってきた

11月から、痛み止めに麻薬を使っている。痛みは何とかコントロールできている。しかし、大腿骨に転移した癌の憎悪が原因で、右足が麻痺して歩けないので、杖を使ってゆるゆると歩いていたが、外出は難行になってしまった。

やはり一人暮らしは厳しい。買物も行けないし、掃除もままならないし、余命も余り無いことだし、ということで、姉に頼んで市に介護保険の申請をしてもらった。この手続きは、日本の行政では例外的に、とても早い。介護が産業になっていることもあり、びっくりするくらいのスピードで色々なことが進んでいく。

先々週、ケアマネージャーに会い、掃除が出来ないこと、ベッド、車椅子が必要なことを伝えると、直ぐに電動ベッドと車椅子が家に配達された。私は自分が人生で車椅子を使うようになろうとは全く思っていなかったが(父母とも使っていないし、発病する前までは運動オタクで体力と健康には自信が過剰にあった)、今では外出の必需品になっている。

家から数分の距離の駅前に行くのにも、数十分かかり、帰路は疲れるので途中休憩が必要で、戻るとぐったりして寝込んでしまったから、ここ一月は病院通いの他は外出はしていなかった。買物は姉に頼み、掃除はおざなり。料理は全くせず、買ってもらった惣菜をチンするか、時々来てもらう友人の料理の冷凍したのを食べるのみ。とにかく、一日中寝ていて、頭はぼんやりしていて、痛みがあって、TVばっかり見ていた。

それが、車椅子が来て使ってからは、一人で外出も出来るようになったためか、人生がずいぶんと明るくなったような気がする。映画も見に行きたいなと思うようになった。能は、どうだろうか。駅前にある映画とちがい、会場が遠すぎるので一人では無理かもしれない。

この間、人生で最大の痛みも経験した。麻薬を使っていても、抑えられない痛みがある日の夜襲ってきた。右大腿骨の癌が暴れているのが自覚できる。右足に怪物が住んでいて暴れている。痛さは尋常でなく、泣き喚くしか対処法はなかった。近所の病院の救急に行くことも考えたが、手当ての方法があるとも思えず、また主治医のいる病院は遠いので、車内の揺れや、病院に到着してから手当てまでの待ち時間の長さを考えると、家で我慢することにした。だが、痛みに耐えられず、処方された薬を多めに飲んでしまった。これが後で大問題になったのだけれど、痛みは朝までには何とか収まった。

痛み止め担当の医師は激怒しており、処方量を守れないなら、治療は今後継続できないかもしれない、と叱られた。ごもっともです。反省しています。もう二度としません。ごめんなさい。でも、本当に痛かったのよ。自殺したいくらい、痛かった。医師によれば痛みには波があるという。どうやら最大級が来てしまったようだった。これからも来るのかな。不安になり、今後は地元でも夜間治療できる可能性があるのか、調べたい。

ぼくのチャリ男くん。


故郷の山は大山

NHKで、年末番組で、東北特集をやっていた。震災で、故郷の町が瓦礫の山となり、多くの人が亡くなり、ある人は、財産も、住む家も、家族も、知人も、勤め先も失った。でも故郷の景色は、震災後も変わらず、桜は咲き、山は色とりどりに紅葉し、海は青い。そして、番組では、そんな過酷で厳しい故郷なのに、離れられない、離れたくないという東北の人々の気持ちを写し出していた。

6年程度しか住んでいない家の窓から見える大山を見る度に、なんだかほっとする。神奈川だと恐らくどこからでも普通に眺められる山なのだが、筑波山や富士山と違って、東京からは見えないようなので(見えていても、高峰でないのと、繋がっている丹沢山系の方が高いので、目立たないせいか)、有名な山ではない。江戸時代には大山詣はとても盛んで、落語に良く出てくるので、江戸庶民には親しい山だったようだけれど。

故郷に愛着がないのは、自分の家に愛着がないためと思う。子供の頃から、早く家を出たかった。学校も好きでなかった。何もかもが違和感があって、自分の世界でないように思っていた。何故だろう。良い所なんだけどね。住むには、物価は安いし、土地百坪の一戸建ての家が20代で建てられるし、車でどこへも行けるから、便利ではあるのだけれど。

オランダに住んでいる従兄弟が先日帰国の折り、見舞いに来てくれたので、故郷の話になった。彼女も故郷が好きでなく、早く家から出たいと思っていて、卒業後旅行会社に就職し、オランダに赴任し、そのままになってしまったらしい。僕も留学時に、日本に戻りたくないと思っていたので、機会があれば(実際には無かったけれど)、別の人生になっていたかもしれない。

ぼくにとって懐かしい気持ちを起こすものは、今は大山の景色で、赤城山でも利根川でもない。室生犀星のように、故郷が憎い訳でもない。朔太郎の詩は好きで、彼の詩に読まれた前橋郊外の景色、自然は懐かしく感じるけれど、あくまでも詩の中だけであって、現実の前橋の町を懐かしく思うことは全くない。

だから、故郷に執着する人の気持ちが、今ひとつ分からない。

歩いて行けた最後の音楽会。NHKホールの最後列からの舞台の眺め。遠いが、音響は良かった。



2012年12月13日木曜日

転移癌が憎悪

このところ、更新が出来ず、じろうさんを始め、ご心配頂いた方からメールを頂きました。ありがとうございました。

アビラテロンは、大変に良く効く薬とされているけれど、転移癌への効き目が悪いのだそうだ。私もこの数週間で病勢が悪化し、大腿骨へ転移した癌が憎悪しているようだ。このため、神経、筋肉の痛みが増しており、今までもらっていた痛み止めでは、痛みのために、夜全く寝られなくなっしまった。また、足が麻痺のため、うまく歩けなくなり、外出は殆ど出来なくなった。治験は放射線治療を禁止しているので、治験を止めて、放射線治療で骨の痛みを止めることも考えたが、もう使える薬がない状況だし、今の薬を止めた途端に、骨に転移した癌の憎悪が急速に進み余命も殆ど期待できないだろうから、より強い痛み止めを出してもらうことにし、痛み止めに麻薬を追加してもらった。

麻薬は一応良く効いている。でも、一定の時間を越えると、効き目ががくっとなくなるようで、そのときの痛みはものすごかった。あまりの痛さに泣き喚いてしまった。一人暮らしなので、泣いても意味ないのだけれど、それほどに痛い。

足の麻痺が進んで歩けない、長時間座っていられないなどから、外出も駄目になった。唯一の楽しみだった能を見にいくことも無理になった。車椅子での移動なら外出も出来るけれど、一人では怖い。近所のスーパーも行けないので、買物は姉に頼んでいる。

終活を始めたほうがいいのだろうか。でも何をしたらいいのだろう。家族、友人には病状を話し、余命が長くないことを理解してもらった。後半年くらい生きられればいいな。痛みなしで。

こんな状態なのに、年金事務所からは障害給付は不至急との通知。がっかり。

勤め先の会社の知人からお見舞い。有り難い。