3年前の8月に、ある病院で前立腺癌の可能性が極めて高いと診断され、生検のため入院した。9月始めに、末期がんの前立腺癌との宣告を受けた。そして直ぐにホルモン療法を始めた。あれから3年目。とても長かったような気がする。激動の3年間。
引きこもりになり、付き合いが全くなくなった。手紙も年賀状も出さなくなった。免疫療法も試みた。さらに色々な治療法を勉強したが、結局は自分に合う治療法がなく、標準治療に戻っていった。
2年前の8月から抗がん剤治療が始まった。ドセタキセルは副作用が段々と強くなり、そして効かなくなった。全身の毛が抜け、顔ががん患者特有の丸い顔になった。
去年の4月に、緩和治療は家の近所で受けたいこと(病院は家から遠かった)、それまでの病院が閉鎖する予定だったことから、転院を計画し、今通っている病院へ転院の手続きをしたところ、幸いにも、治験を募集しているとのことだったので、治験を前提に、転院した。そして8月から治験を始めた。治験開始から1年になる。
8月は、病気の節目の月だ。いろんなことが起きた。
去年の11月からは、大腿骨に転移した癌の麻痺が原因で長い距離を歩けなくなった。そして家の中も車椅子を使うことが多くなった。
今は病状は安定し、痛みは麻薬で取れ、パソコンもできるようになった。外出は出来ない。麻痺があり、長い距離は歩けないから、介護が必要になる。
当初は、一人暮らしでも何とか闘病生活が出来ると思っていたが、大間違いだった。今は、姉と友人の介護があって何とかかんとか生きている状況。姉には、特に感謝している。母親の面倒も姉に見てもらっている。自分の家族もいるのに、更に母と僕の面倒を見てくれている。ありがとう、では足りないと思うけれど、ありがとう。友人にも、時々家に泊まってもらい、介護をしてもらっている。ありがとう。
今介護保険の認定を受け、色々なサービスを受けている(とっても有り難い)が、病状が悪化することが多い真夜中に介護保険では十分な対応ができないように思う。医療保険で訪問治療は受けられるけれど、そもそも、具合が本当に悪くなったら、痛みで身動きが取れない、痛みで頭が混濁し、電話を掛けるということに思いが行かない、だから電話を掛けられない。
夜に痛みが出ると大変だ。早く死にたいと思うようにさえなる。今は、病状が安定し、痛みも無いから、こうした雑文も感想も書けるけれど、痛いと、考えが停止したようになり、何も出来なくなってしまう。痛みをとるまで、私の場合、結構時間が掛かってしまった。
あと何年生きられるだろう。
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2013年8月2日金曜日
2013年2月7日木曜日
ホスピスを見学する
通っている病院に頼んでいた厚生障害年金の再申請用の診断書を受領した。これは密閉されず手渡されるから、中身は読むことが出来る。
予後を見ると、1年未満と書いてあった。そのくらいだろうと予想してはいたが、紙に文字で書かれたもので見ると、結構ショックだった。予後には、個人差があり、多くの人は医者の予想より多少長生きをするらしいとはいえ、予後1年未満と言われた人が3年生きる可能性は極めて低い。
ということもあり、痛みがひどくなり、歩けなくなり、一人暮らしが介護保険のサービスを受けていても困難になりそうな、遠くない将来のことを考え、ホスピスを見学に行った。ホスピスはがん治療は行わず、緩和治療、痛み止めの治療に特化した医療機関だが、とにかく数が少なく、関東では入院は数ヶ月待ちらしい。
ホスピスそのものが始めてだったので、施設見学を兼ねて、家の近所(とはいえ、1時間はかかる)のホスピスに出かけた。見掛けは豪華。内装も古いホテルのよう。医療のレベルは知らないが、居心地は悪くなさそうだった。問題は入れるかどうか。何せ11床しかない。自分の入りたい時期に空いていることは稀有。長く入りたくはないが、空いていますと言われたときに入らず、入院を先延ばししすぎると、結局入れない。
今の病院の治験が続けられる限りは、ホスピスには入れないから、治験終了後、自宅での療養を経て、体が動かなくなる、痛みがコントロールできなくなることの様子を見つつ、最後の人生へと踏み出すことになる。
いつまで今の治験が続けられるか、いつまで今の痛みのコントロールができるか、麻痺がどこまで進むか、によるだろう。できれば、今年の秋よりも先であって欲しい。
帰り道、同行してくれた姉からお墓の話が出た。家のお墓は田舎にあるのだが、遠く不便なため、新しい墓を買ったらどうか、とのこと。僕も、姉が相続することになる僕の自宅に、姉の子供夫妻が住んでくれたら嬉しいが、どうだろうという話をした。とりとめのない結論の出ない話。もう二度とするかどうかも分からない、しかし今まではしたことのない、踏み込んだ話。話しているうちに、涙が止まらなくなってしまった。
来年の正月をどこで過すことになるのか、生きているのか、頭の判断のできる今のうちに、財産の整理をしたり、家財の処分をしたりしようと思うが、今の体で出来るかどうか。悩ましいところ。
予後を見ると、1年未満と書いてあった。そのくらいだろうと予想してはいたが、紙に文字で書かれたもので見ると、結構ショックだった。予後には、個人差があり、多くの人は医者の予想より多少長生きをするらしいとはいえ、予後1年未満と言われた人が3年生きる可能性は極めて低い。
ということもあり、痛みがひどくなり、歩けなくなり、一人暮らしが介護保険のサービスを受けていても困難になりそうな、遠くない将来のことを考え、ホスピスを見学に行った。ホスピスはがん治療は行わず、緩和治療、痛み止めの治療に特化した医療機関だが、とにかく数が少なく、関東では入院は数ヶ月待ちらしい。
ホスピスそのものが始めてだったので、施設見学を兼ねて、家の近所(とはいえ、1時間はかかる)のホスピスに出かけた。見掛けは豪華。内装も古いホテルのよう。医療のレベルは知らないが、居心地は悪くなさそうだった。問題は入れるかどうか。何せ11床しかない。自分の入りたい時期に空いていることは稀有。長く入りたくはないが、空いていますと言われたときに入らず、入院を先延ばししすぎると、結局入れない。
今の病院の治験が続けられる限りは、ホスピスには入れないから、治験終了後、自宅での療養を経て、体が動かなくなる、痛みがコントロールできなくなることの様子を見つつ、最後の人生へと踏み出すことになる。
いつまで今の治験が続けられるか、いつまで今の痛みのコントロールができるか、麻痺がどこまで進むか、によるだろう。できれば、今年の秋よりも先であって欲しい。
帰り道、同行してくれた姉からお墓の話が出た。家のお墓は田舎にあるのだが、遠く不便なため、新しい墓を買ったらどうか、とのこと。僕も、姉が相続することになる僕の自宅に、姉の子供夫妻が住んでくれたら嬉しいが、どうだろうという話をした。とりとめのない結論の出ない話。もう二度とするかどうかも分からない、しかし今まではしたことのない、踏み込んだ話。話しているうちに、涙が止まらなくなってしまった。
来年の正月をどこで過すことになるのか、生きているのか、頭の判断のできる今のうちに、財産の整理をしたり、家財の処分をしたりしようと思うが、今の体で出来るかどうか。悩ましいところ。
死ぬまでに登りたかった大山。病院の窓からの景色。
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2013年1月18日金曜日
要介護1の認定になった
去年の末に市役所に申し込んでいた介護保険認定の通知がようやく届いた。社会保険庁の手続きの煩雑さ、不快さ、遅さに比べれば、夢のようだ。これで、生活支援などが使える。既に電動ベッドも買った。電動式で、起き上がるのにとても楽。車椅子は、具合の悪い時には家の中でも使っている。
生活支援は週に1回、1時間掃除をお願いしている。風呂とか、トイレとか、シンクの掃除が苦手なので。前かがみになる作業は苦しいので、有りがたい。
一人暮らしなので、また外出が出来ないので、買物も頼めるらしいのだが、頼み方が分からない。予めリスト化しておいて、欲しいものを買ってくるのだろうか。殆どの買物は姉に頼んでいる。有りがたい。感謝。
年金事務所に障害厚生年金を再申請するのが良いのか、不服申立てをするのが良いのかを電話で問い合わせる。既に車椅子生活をしているので、不服申立てが通るだろうと思っていたが、どうも、だめらしい。医師の診断書が全てで、それだけで判断するから、不服申請しても通ることはまずもって無理とのこと。だったら申請の時にどうしてそう教えてくれなかったんだろう。明らかにもらえない内容の診断書だったから、前の主治医に書き直しをお願いすることも可能だったのに。
再申請をすることもできるらしい。ただ、申請から受給開始まで半年以上かかるから、生きている内に貰えるのかどうか分からない。
こうしたことを電話で教えてもらうのはとても大変で、かつ苦痛だった。年金事務所は、国民を不快な気持ちにするように作られているのだろうか。払わないことにはとても熱心だが、どうやったら受給できるのか、については教えようとはしない。受給資格があるのに。電話していて、苦痛で、悲しくて、無念で、泣いてしまった。
その日はトラウマで、病状が悪化したのか、寝込む羽目に。年金事務所はつくづく鬼門だ。
生活支援は週に1回、1時間掃除をお願いしている。風呂とか、トイレとか、シンクの掃除が苦手なので。前かがみになる作業は苦しいので、有りがたい。
一人暮らしなので、また外出が出来ないので、買物も頼めるらしいのだが、頼み方が分からない。予めリスト化しておいて、欲しいものを買ってくるのだろうか。殆どの買物は姉に頼んでいる。有りがたい。感謝。
年金事務所に障害厚生年金を再申請するのが良いのか、不服申立てをするのが良いのかを電話で問い合わせる。既に車椅子生活をしているので、不服申立てが通るだろうと思っていたが、どうも、だめらしい。医師の診断書が全てで、それだけで判断するから、不服申請しても通ることはまずもって無理とのこと。だったら申請の時にどうしてそう教えてくれなかったんだろう。明らかにもらえない内容の診断書だったから、前の主治医に書き直しをお願いすることも可能だったのに。
再申請をすることもできるらしい。ただ、申請から受給開始まで半年以上かかるから、生きている内に貰えるのかどうか分からない。
その日はトラウマで、病状が悪化したのか、寝込む羽目に。年金事務所はつくづく鬼門だ。
2012年12月26日水曜日
車椅子がやってきた
11月から、痛み止めに麻薬を使っている。痛みは何とかコントロールできている。しかし、大腿骨に転移した癌の憎悪が原因で、右足が麻痺して歩けないので、杖を使ってゆるゆると歩いていたが、外出は難行になってしまった。
やはり一人暮らしは厳しい。買物も行けないし、掃除もままならないし、余命も余り無いことだし、ということで、姉に頼んで市に介護保険の申請をしてもらった。この手続きは、日本の行政では例外的に、とても早い。介護が産業になっていることもあり、びっくりするくらいのスピードで色々なことが進んでいく。
先々週、ケアマネージャーに会い、掃除が出来ないこと、ベッド、車椅子が必要なことを伝えると、直ぐに電動ベッドと車椅子が家に配達された。私は自分が人生で車椅子を使うようになろうとは全く思っていなかったが(父母とも使っていないし、発病する前までは運動オタクで体力と健康には自信が過剰にあった)、今では外出の必需品になっている。
家から数分の距離の駅前に行くのにも、数十分かかり、帰路は疲れるので途中休憩が必要で、戻るとぐったりして寝込んでしまったから、ここ一月は病院通いの他は外出はしていなかった。買物は姉に頼み、掃除はおざなり。料理は全くせず、買ってもらった惣菜をチンするか、時々来てもらう友人の料理の冷凍したのを食べるのみ。とにかく、一日中寝ていて、頭はぼんやりしていて、痛みがあって、TVばっかり見ていた。
それが、車椅子が来て使ってからは、一人で外出も出来るようになったためか、人生がずいぶんと明るくなったような気がする。映画も見に行きたいなと思うようになった。能は、どうだろうか。駅前にある映画とちがい、会場が遠すぎるので一人では無理かもしれない。
この間、人生で最大の痛みも経験した。麻薬を使っていても、抑えられない痛みがある日の夜襲ってきた。右大腿骨の癌が暴れているのが自覚できる。右足に怪物が住んでいて暴れている。痛さは尋常でなく、泣き喚くしか対処法はなかった。近所の病院の救急に行くことも考えたが、手当ての方法があるとも思えず、また主治医のいる病院は遠いので、車内の揺れや、病院に到着してから手当てまでの待ち時間の長さを考えると、家で我慢することにした。だが、痛みに耐えられず、処方された薬を多めに飲んでしまった。これが後で大問題になったのだけれど、痛みは朝までには何とか収まった。
痛み止め担当の医師は激怒しており、処方量を守れないなら、治療は今後継続できないかもしれない、と叱られた。ごもっともです。反省しています。もう二度としません。ごめんなさい。でも、本当に痛かったのよ。自殺したいくらい、痛かった。医師によれば痛みには波があるという。どうやら最大級が来てしまったようだった。これからも来るのかな。不安になり、今後は地元でも夜間治療できる可能性があるのか、調べたい。
ぼくのチャリ男くん。
やはり一人暮らしは厳しい。買物も行けないし、掃除もままならないし、余命も余り無いことだし、ということで、姉に頼んで市に介護保険の申請をしてもらった。この手続きは、日本の行政では例外的に、とても早い。介護が産業になっていることもあり、びっくりするくらいのスピードで色々なことが進んでいく。
先々週、ケアマネージャーに会い、掃除が出来ないこと、ベッド、車椅子が必要なことを伝えると、直ぐに電動ベッドと車椅子が家に配達された。私は自分が人生で車椅子を使うようになろうとは全く思っていなかったが(父母とも使っていないし、発病する前までは運動オタクで体力と健康には自信が過剰にあった)、今では外出の必需品になっている。
家から数分の距離の駅前に行くのにも、数十分かかり、帰路は疲れるので途中休憩が必要で、戻るとぐったりして寝込んでしまったから、ここ一月は病院通いの他は外出はしていなかった。買物は姉に頼み、掃除はおざなり。料理は全くせず、買ってもらった惣菜をチンするか、時々来てもらう友人の料理の冷凍したのを食べるのみ。とにかく、一日中寝ていて、頭はぼんやりしていて、痛みがあって、TVばっかり見ていた。
それが、車椅子が来て使ってからは、一人で外出も出来るようになったためか、人生がずいぶんと明るくなったような気がする。映画も見に行きたいなと思うようになった。能は、どうだろうか。駅前にある映画とちがい、会場が遠すぎるので一人では無理かもしれない。
この間、人生で最大の痛みも経験した。麻薬を使っていても、抑えられない痛みがある日の夜襲ってきた。右大腿骨の癌が暴れているのが自覚できる。右足に怪物が住んでいて暴れている。痛さは尋常でなく、泣き喚くしか対処法はなかった。近所の病院の救急に行くことも考えたが、手当ての方法があるとも思えず、また主治医のいる病院は遠いので、車内の揺れや、病院に到着してから手当てまでの待ち時間の長さを考えると、家で我慢することにした。だが、痛みに耐えられず、処方された薬を多めに飲んでしまった。これが後で大問題になったのだけれど、痛みは朝までには何とか収まった。
痛み止め担当の医師は激怒しており、処方量を守れないなら、治療は今後継続できないかもしれない、と叱られた。ごもっともです。反省しています。もう二度としません。ごめんなさい。でも、本当に痛かったのよ。自殺したいくらい、痛かった。医師によれば痛みには波があるという。どうやら最大級が来てしまったようだった。これからも来るのかな。不安になり、今後は地元でも夜間治療できる可能性があるのか、調べたい。
ぼくのチャリ男くん。
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