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2011年11月30日水曜日

大野更紗の「困っている人」を読む

会社に出られず自宅療養中なので、時間がたっぷりある。時々、身辺の整理をやっている。人が死んで一番困るのは、色々なものを残すこと。遺品の殆どはその人にはとても意味があるが、家族には無意味なものが多い。父親の死でそれを知り、処分に大変な費用、手間と労力がかかり、困惑した。殆ど捨てたが、ぼくの発病の遠因になった気がするほどの苦労があった。母親は更に整理できない人で家をゴミ屋敷にしていたほどなので、彼女が死んだらどうなるか、今から不安だが、もうぼくの手には負えない話。写真など、典型で、思い出を共有していない人には残されても無意味。

自分の持ち物で、過去の引越し時に自分でも呆れたのが、本、食器、服の多さ。服は30年前から体型が変わらないため、古い衣料品も着られることが多さの理由だったが、既に半分ほど捨てた。まだ着られたんだけどね。勿体ないとは思うが。でも、まだまだスーツとか多くあるので、徐々に処分の予定。本は、古本屋などに時々売っている。食器は人に半分ほどあげた(まだまだ多いがこれだけは毎日使っている)。

布団もがさばるが、今後ベッドに変えようと思うので、その際一括処分しよう。

書類の類いもどんどん整理。過去のインボイス、ステートメントは不要。税金や年金のことを考え、給与や何やら昔は書類は全て取っておいたが、今はどんどん捨てることにしている。銀行口座や証券会社もひとつにまとめたいが、手続きが面倒でまだ出来ていない。

今取り組んでいるのは、演劇や音楽会のパンフ類。どうしてこんなに行ったのか、と思うくらいの数に行き、パンフ類を全て取ってあった。過去40年分くらいある。でも見ても殆どは記憶に残っていない。そんなものかね。肥やしになったのか、ならなかったのか。これらに使った金を貯めておいたら、良かったかな。でも遺産を残す人もいないので、自分のために使って良かったかな。ばっさり捨てると身軽になる。

とはいえ、まだまだ家の中には物が溢れている状態。

「エンデイングノート」という映画があり、近所でやっていたので、見ようと思えば見られたのだけれど、気分的に辛いだろうと思い、見なかった。自分がすぐに死なないと思えば、そういう映画を見て、身辺整理をするのも楽しいのだろうが、末期がんを患っていると、差し迫った問題なので、死が身近な映画というのは、だめです。

大野更紗というまだ20代の女性が書いた、「困っている人」という難病の闘病記を最近読んだ(とても良い本です)が、読後涙が止まらず、うなされる始末で、読んだことを後悔したほど。ネットで、読後感動したとか色々書かれていたが、皆健康な人なんだろうと思う。悪夢のような体験をすると、それに触れられることは耐え難い。そしてその悪夢はまだまだ続いている訳で、近寄らないに越したことはないようだ。

病気の初期には闘病記を沢山読んだが、今は元気になる本とか、楽しいことにしか興味がない。

2011年11月28日月曜日

6クール目

PSAは、8月には主治医が検査をしなかったので(意図的なもの)、最高値が良く分かっていないのだが、9月に16、11月に11に低下したが、6クール目の検査で13にまた上がってしまった。ショックで、少々へこんだ。

医師に今後の治療方針を聞くと、あいかわらずのぶっきら棒で「当分このまま」とのこと。4クール目までPSAが下がらない治療例が知られているとのことだが、流石に6クール目では症例はないだろうとのこと。外に薬の選択肢はないので、ドセタキセルは(死ぬまで)続けるということらしい。

今後PSAはどうなりますか、と聞くと、わかりません。との答え。患者の気持ちは理解せず、重要な情報は出さず、淡々と、最小限しか答えない主治医。3月に出向先の大病院へ戻るらしいので、あと数ヶ月のお付き合いだけれど、次はもっと会話のできる医師が来てくれるといいかな。患者の余計な心配、不安を掻き立てるのは避けたいという気持ちも理解できなくはないのだが。

もっとPSAが高くても、ドセタキセルを続けて、生きているいる人も多いようなので、頑張るしかないか。副作用は5クール目に比べれば軽くて済んでいる。

2011年11月8日火曜日

ドセタキセル(タキソテール)5クール目の副作用

今回の副作用は、今までとちょっと違った。投与後3日目から、強い倦怠感、疲労感。眠い。だるい。外出が困難。歩行が難しい。足の裏が痛いからではなく、そもそも歩けない。運動は困難。食事の食材の買出しに頑張って近所のスーパーへ出かけるのがせいぜい。3日目に、ちょっと無理をして国立劇場に歌舞伎を見に行った。体を動かさないし、じっとしているだけだから大丈夫かと思ったが、無理で、殆ど寝てしまった。途中で退席。劇場への往復でぐったり。4、5日目も殆ど横になったまま。本も読めず、寝てばかり。これでも仕事に行けば、という主治医は、きついなあ。

下痢は殆どないが、下腹部が時々痛い。我慢できる範囲。

味覚障害はいつもどおり。甘みも良く分からなくなってきた。頻尿も続き、2時間毎に夜トイレへ。

苦しいけれど、これを乗り越えれば、普通に暮らせる日もあるので、頑張らなくては。

2011年11月5日土曜日

抗癌剤投与の帰り、小田急で席を譲られた

金曜は、主治医の病院で、タキソテール(ドセタキセル)、ゾメターの投与日。10時半頃に病院に行き、血液検査をしたのだが、投与開始は1時半。終わったのが、4時だった。一日仕事。腕の角度や位置で点滴の速度がまるで変わることに気がついた。本を読んだり、寝たりすると、点滴が流れなくなっていたようで、時間がやたら掛かった。次回からは気をつけよう。

帰り道、新宿駅で若い人から席を譲られた。生まれて初めての経験。まだ56歳なんだけれど。どうも70代くらいには見えるのかな。或いは病気ということが見え見えなんだろうか。有難く好意はお受けしたけれど、複雑な気分。疲れている時が多いので、そういう時は、優先席で、席を詰めてもらったり、おばさんが占拠している荷物をどかさせたりして座ることが多いけれど、普通席で席を譲ってもらったのは初めて。

自分の考える自分と、他の人から見えている自分のギャップに悩む。すごい病人に見えるのかな。その日は特に疲れていないし、副作用も出ていないのだけれど。主治医はできれば働けというスタンスだが、勤務先では、恐らく歓迎されないだろうな。

2011年11月3日木曜日

久留米大病院への行き方

東京から、日帰りが可能なのだけれど、そして地方から来ている人(関東、関西、四国、沖縄の人もいるらしい)の殆どは日帰りをしているようだ。仕事があれば、当然日帰りを選ぶだろうけれど、ぼくは余りにも疲れるので、福岡で泊まることにしている。

早朝の便で羽田から福岡空港に行き、ターミナル前の高速バスで久留米行き(20分に一本は出ている)に乗り、西鉄久留米駅か、市役所前か、JR久留米駅で下車。西鉄久留米からはバスが頻発。JRからは30分に1本程度。市役所前で降りれば、徒歩10分程度。医大通りという気持ちの良い並木道をそぞろ歩きしていると直ぐに着く。午後の診療なので、午前の便は遅い便でも構わないのだが、料金の関係でいつも早朝の便を選んでいる(スカイマークで最安値は8,800円、全日空で11,800円)。高速バスは1,300円。交通費がかなりかかる。確定申告で、旅費は医療費として控除が可能らしいけれど、重い負担となる。高速バスを使わず、博多駅か、天神駅から電車で行った方が安いけれど、時間はかかる。1時間強程度かかる感じ。駅から大学病院まで、バスで10分程度。

久留米市役所は立派で、見学する価値あり。てっぺんの喫茶からの眺めが素晴しい。筑後川、有明海、阿蘇、雲仙まで見渡せる。

大学付近には昼食の店はあまり無い。ないことは無いけれども。少ない。大学病院3階に食堂、パン屋、コンビニがあるので、通常はそこを利用することになる。大学の隣に、久留米城址があるけれど、特に見るべきものがないのは残念。あまり史跡を大事にするような町ではない様子。産業都市なのでかな。市役所の北に石橋邸があるが、非公開。一度中を拝見したいものですが。

いつも、福岡に泊まり、名所旧跡を回っているが、昔から仕事で通っていたこと、その都度名所も見たので、今や行き尽くしてしまった。下の写真は、福岡でいつも庭をぼっと眺めながらお茶を頂く楽水園のお庭。