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2012年6月29日金曜日

ドセタキセル16クール目

PSAの上昇で他臓器への転移が心配されたため、先日主治医に骨シンチを撮るように言われ、一日がかりで撮影した。その結果を聞くのと、ドセタキセルの投与のため、予約日に病院へ行ったところ、主治医が薬の手配を忘れていたようで、その日の投与はキャンセルになった。おかしな理由を並べていたが、単に忘れていたのだと思う。ドセタキセルは高いのと、有効期限があるので、病院では在庫は持たない方針なんだそうだ。だから翌日以降にならないと、そして薬屋が配達してくれないと投与できないらしい。もし地震が来たら、この病院では助からないかもしれないな、と思った。管理がいいかげんで、薬の在庫もない。閉鎖も噂されているし。

骨シンチの結果は、大腿骨へ転移した癌は憎悪しているが、心配されていた脊髄への転移はなく、他臓器への転移もなかったとのことで、脳への転移も見つからず、安心した。

その日は、ドセタキセルの投与が無くなったため、主治医から、整形外科へ回るように言われ、MRIを撮り、レントゲンを撮る。写真を見ての放射線医と整形外科医の共通の判断としては、私の腰痛、左足の一部麻痺(これが原因で歩行が困難になった)は、がんが原因ではなく、ヘルニアだとのこと。写真を見せてもらうが、脊髄が大きく歪んでいて、神経を圧迫していた。先日「試してガッテン」で見たような写真だった。

がんの発見も、そもそも、極度の腰痛で整形外科に駆け込み、ヘルニアと診断され、ついでに行った泌尿器科でがんが発見されたのだった。ホルモン療法開始で腰痛は止んだので、今回もほんまかいなとも思ったが、間違いないとのこと。整形外科としては、手術をしないと治らない可能性が高いが、ドセタキセルを止めないと手術はできないし、泌尿器科を手術は勧めないとの意見でもあり、当面は様子を見ましょうとのこと。ドセタキセルを止めたら、PSAがどこまで上がるか予想がつかない。QOLを考えると手術はしたいが、まだまだ長生きしたいし、できると思うのでリスクは取りたくない。

主治医からは、痛みの原因がヘルニアなので、放射線治療は不要と宣言される。確かに、原因が明確にヘルニアと診断された以上、主治医の紹介による治療は難しいだろう。少々がっかり。

翌日がドセタキセルの投与日となる。翌々日が主治医としては都合が良かったみたいだが、それだとPSAが上昇しかねない。心配だったので、翌日にしてもらう。薬屋の配達もOKだった。飲み薬が無くなったので、処方を頼んだが、主治医は、私が整形外科の診断を受けているうちに、不在となり、薬の処方を忘れていた。再度がっかり。

翌日、再度病院へ。PSAは41に上昇しており、ドセタキセルもオダインも効いていないことが(予想通りだが)判明。医師はもう手はないとの一点張りで、オダインがだめだから、エストラサイトに戻しましょう、と言う。確かに、最早標準治療で使える薬は残っていない。色々聞きたいことがあったが、話す気力もなくなり、また先方も薬についての知識があまり豊富でない様子でもあり、出直すことにした。

もし某大学病院の治験がだめだったら。代替治療か。他の治験も探さなくては。

知人から、お見舞いに佐藤錦を貰う。また別の人から、花を貰う。今まで一度もこういうことはなかったので、驚いた。相当悪いという噂になっているのだろうな。その通りなんだけどね。


2012年6月25日月曜日

ペプチドワクチンの2クール目終了

久留米大病院で受けているペプチドワクチンは、1クールが8セット(4種類のワクチンをまとめて注射するのが1セット)、2クールも8回注射することになっている。途中で止めるのは自由。

今回2クールの最後まで受けるかどうか、少々悩んだ。前回の投与後、腰痛で歩けなくなった。おそらく原因は、大腿骨に転移している癌の憎悪だろうが、憎悪の要因として、PSAの上昇の他に、久留米までの往復で相当体力的に消耗することも考えられたので、今回は止めようかどうしようか、迷った。ところが直ぐに腰痛も治まったので、当面最後の投与になるかもしれないという思いもあり、出かけることにした。

久留米への往復は、今までは1泊2日の日程だったのを、疲れないように2泊3日に変更した。それでも結構疲れた。最近は、近所の散歩くらいでもかなり疲労感があるから、長時間飛行場までのバス、電車、福岡までの飛行機に座りっぱなしの行程は体に悪いのかもしれない。台風が日本を縦断中だったのも多少影響したかも。

久留米大病院では、ドセタキセルが効かなくなっていることから、積極的に治験に参加することを勧められた。精神的に参っていることを伝えると、先生から「それが普通で、誰でもそうなるものですよ」と慰められた。とはいえ、薬が効かないという事実には心が折れる。

ペプチドの投与は大学病院だから、TVの梅ちゃんせんせいのように、新人の先生がするのだけれど、今回は技術的に難があったのか、4本のうちの1本がまるで体内に入らず、投与直後から、血とともに噴出してしまった。注射をした後、絆創膏のようなものですぐに看護士が血止めをするのだけれど、なかなか止まらない。一応収まったので、会計に行こうとして歩いているうちにズボンが汚れ出した。どうしたんだろうと思い、洗面所で確認すると、血止めが剥がれ、血と白いワクチンが流れ出しており、ズボンが真っ赤になっていた。

慌てて戻り看護士に見てもらう。当然ながら、看護士は何も言わなかったけれど、ズボンの汚れをアルコールで落としてくれた。血まみれのズボンでは確かに不気味。某大学病院の不親切な看護士とはずいぶん違うな、と感心したものの、やはり医師によって注射の上手い下手はあるんだなと思った。

気が動転したため、台風対策で持っていた傘を病院に忘れたことを後で気付いたが、既に久留米駅まで戻っていたため、後の祭。雨に濡れる方が血まみれよりもマシかなと思うことにした。

帰りの福岡空港の展望室からの眺め。台風一過だが、曇り、雨。関東には来ていないピーチ機を写した積もりが、遠すぎた。昔あの展望室で、良く時間潰しをしたことを思いだす。


2012年6月14日木曜日

今日は骨シンチ検査

主治医がPSAの上昇を心配して、骨シンチ検査を再びやることになった。骨シンチは4月に受けたばかり。その時は、大腿骨への転移していた部分が憎悪していたが、他臓器への転移はなかった。もし今回の検査で、脳や、他の臓器への転移が見つかったら大変だ。とっても不安。

駅前の本屋で、アイソトープの注射と、骨シンチの検査の間の長い空き時間(5時間もある)を潰すために、放射線治療についての本を探していたら、流石に病院前の本屋、癌についての本が沢山ある。前立腺癌の本も結構あった。殆どは昔読んだ本だけれど、読んでいなかった読売新聞社の新刊を立ち読みしていたら、ドセタキセル無効になった場合の患者のことにも触れてあり、読まなければよかったかなと後悔した。その場合、緩和治療しか選択がないから、当然ながら、その患者は直ぐに死んでしまったか、がん死を前提に緩和治療に臨んだという記述になっていた。やはり、死を待つだけか。

とはいえ、ぼくは、まだまだ元気だし、歩けるし、食欲もあるし、ということで、くよくよ悩まないことにした。昼食には、健康に悪いフライ物を沢山食べ、いつもは食べないホットケーキに、バターとメープルシロップを沢山掛けてデザートにした。ゲルソン式は今日だけは忘れることにする。

結果は再来週のドセタキセルの投与時に分かると思うけれど、少々不安な毎日。でも楽観しようかと思っている。自分でコントロールできないことは悩むのは辞めた。

日野正平が出ている自転車番組を良く見ている。あのお年で、自転車であの距離を旅するなんて、すごいと思う。ぼくも病気でなければ自転車で東北一周をして見たかったな。昔、旅行で、気仙沼へは良く通ったから、陸前高田も、大船渡も、南三陸町も細かいところまで良く知っている。でも、もう行けないだろうな。だから、TVで、かつて旅した町が出てくるととても嬉しい。


2012年6月7日木曜日

ドセタキセル15クール目。腰痛で歩けない。

ドセタキセルも15クール目になった。あと2ヶ月で告知から2年。化学療法を始めてから1年になる。2年は生きていそうだが、3年、5年目はどうなるだろうか。

実は、直前の週末にひどい腰痛になった。理由は分からないが、ドセタキセルが効かなくなったことから、骨盤に転移した癌が進行しているのだろう。突然痛み出し、土曜と日曜は部屋の中さえ歩けず、トイレに行くのも壁伝いという有り様。リフォームの時、廊下に手摺をつけるかどうかで悩み、結局構造的な問題で諦めたのだが、やっておくべきだった。有ると無しでは全く異なる世界なので。バリアフリーにしたのだけは良かったけれど、手摺も必要だった。寝ていても痛いが、気力がないので、一日中寝て過した。

月曜になると、突然痛みが治まったのが不思議。歩くフォームはぎこちないけれど、ゆっくり歩けば痛みはなく、移動にも問題はない。

ドセタキセルの投与は水曜日。PSAは35に急増していた。痛みから、大幅な上昇を予想はしていたが、35とは。治療開始時に戻ってしまい、言葉も出ない。主治医も慌てていた。何故なら最早効く薬は残っていないのだ。後は、ドセタキセルと併用している飲み薬を変えるだけ。エストラサイトをカソデックスに前回変えたけれど、全く効いていない。それ故の大幅上昇なので、オダインに変えると言う。この薬は前回全く効かなかった。恐らく次回の検査時のPSAはいくつになるのだろうか。3年生存は危うくなりつつあるように思え、病院内を歩いていて、お先真っ暗で、めまいがしてきた。来年はもう此処には来れないのかもしれない。帰宅後の夜は、目が冴えて全く寝られなかった。覚悟を決めないといけないのだろうか。

治験にもし参加できなければ、来年で人生に幕となる可能性が増してきているようだ。

主治医に腰痛の件を話し、放射線による緩和治療の希望を話すと、どうぞと言う。今までは放射線については乗り気でなかったが、全く手がないのだから、彼も宗旨替えのようだ。とはいえ、どこも紹介してくれないので、自分で探すことになる。有明の専門医がネットでヒットしたので、後で研究してみよう。治験をお願いしている大学病院は、そもそも治験のみとの話なので、無理だろう。医者に会うだけで2ヶ月かかる病院である。近所の病院にも伝手はない。また治験の条件には、「放射線治療の経験がないこと」というのが結構あるようだ。7月には治験の医師と会うので聞いてみる機会はあるが、それまでに痛みが再発した場合、放射線治療を延期すべきか、開始していいものか、悩む。

とはいえ、PSAだけじゃない、と自ら言い聞かせる。PSAが高くても生きている人は大勢いる。転移がどうなるかだろう。脳へ転移すれば、PSAが低くても、生存は厳しい。

隣のマンションの公開緑地がとってもきれいだ。毎日庭師が入っている。それで管理費は特に高くないようなので、驚異。