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2011年4月28日木曜日

震災、スーちゃん、自分の癌と死を考えた

末期癌と告知された時、色々な本を漁り、自分の症状がとても重篤であり、治癒せず、余命は、恐らく数年ということを理解した。しかし、どうして自分だけ、こんな目に会うのだろうと、ずっと考えていた。何か悪いことをしたのだろうか。天罰なのだろうか。運命でそうなることが決まっていたのだろうか。

癌の最大の要因は遺伝子だそうだ。前立腺癌の教科書にそう書いてあった。僕の父親が死ぬ前、前立腺癌があったと言っていた(アガリスクで治ったみたい、などとおかしなことを言っていた。結局心臓麻痺で死んだので、癌治療は一切せず、天寿をまっとうしたから、いわゆるラテント癌だったのかな)。伯父も父と同じ年で死んだのだが、死因は前立腺癌だったらしい。80過ぎの平均寿命まで生きたのだから、両人の死因については余り考えたことはなかったが、自分が癌になって見て、我が家系は立派な前立腺癌の家系だったことになる。

ウィルス説もあるらしいが、その辺は分からない。

生活習慣は、僕は肥満でない。糖尿もないし、適度な運動をし、スリムで脂肪、塩分の摂りすぎにも気をつけていた。肉は殆ど食べなかった。鶏肉を少し食べる程度だった。

但し、仕事のストレスは4年前、自分の手がけたプロジェクトが極めて困難な状況にあり、会社では周囲とも上手くいかず、プライベート面も最悪だった。父親はごみ屋敷を残し急死、母親は精神を病んでいる、という辛い状況で、葬式の前後と遺産相続の手続きの頃は半年くらい殆ど寝られなかった。鬱になる手前だったと思う。その後、転勤で暇な職場に移ったため、のんびりし、環境が激変したのが、癌細胞を活発にしたのだろうか。

48歳の時のPSAは0.1だったので、安心したのが大間違いだった。これが55歳直前に、35になっていたのだから。

しかし、死ぬべき理由もないのに、死が目前に迫っていた。悪質な癌だから、予後が極めて悪いことが知られていたし、そう予想された。結局その通りの展開となった。骨転移があり、根治治療ができず、ホルモン療法も半年しか効かなかった。

天罰か。信心はないから、そんなことは信じない。恐らく、説明し難い、運というのか、天命とも違う、天の気まぐれなんだろう。震災で多くの人が死んだけれど、天罰で死んだ訳ではない。津波に逃げ遅れたのには、それなりの理由があったにせよ、殆どの人にとっては、たまたまそこにいて、ちょっとしたことが妨げとなって逃れられなかっただけだろう。運が悪いということで、予めそうなる運命だったとは思わない。偶然そうなった、というだけのことだろう。

スーちゃんの死についても、義妹の夏目雅子も白血病だったけど、それはたまたまで、特別な理由があった訳じゃないと思う。

自分の癌も、たまたま運が悪くて、不慮の交通事故か震災で死ぬように、癌で人より早めに死ぬのかな、と今では思うようにしている。そうでないと、悲しくて、辛くて、やっていけないだろう。震災の多くの死者も、死ぬ定めだった訳じゃなく、たまたま籤に当たってしまったように、その人には抗えない力で、でもその力は気まぐれでその人を選んだだけなんだろうと思う。

死を受け入れる気持ちが無いと、夜寝られない。これって、宗教に近い考え方なんだろうか。学が無くて、よく分からないけど。

2011年4月25日月曜日

スーちゃんの葬儀で流れた挨拶

7時のNHKニュースで田中好子の葬儀の模様を放送していた。驚かされたのは、本人が録音した、死を覚悟した葬儀の際に流すための参列者への挨拶のテープ。絶え絶えの声だったが、幸せな人生だった、と感謝の辞が述べられていた。芸能人だったからなのか、それとも、そういうことを特に本人が望んだのか。3月23日頃録音したとの解説があったので、その後は昏睡状態だったんだろう。真似の出来ない死に方に、感心するとともに、その勇気に、涙が出た。僕には出来ないだろうなあ。遺言くらいは書けるけれど、肉声での葬儀用の挨拶とは。

2011年4月22日金曜日

今飲んでいる薬

来月から始まる化学療法(抗癌剤治療)の前に、ゾメターを使うと歯科治療ができなくなるため、歯科医へ行き、かねてから勧められていた親知らずを抜くことと、主治医から聞くように言われていた、抜歯からゾメターの使用までどのくらいの間隔を空けるべきかを聞いた。

歯科医は、病院内の口腔外科医に聞いてきたといって、3ヶ月空けよとのこと。来月からの治療なので、困ったなと思ったが、親知らずは抜く必要はなく、観察で良いだろうとの診断。別の医者は抜けと言っていたが、同じ病院でも先生によって見立てが異なるらしい。でも将来的に治療が不可能になるので、リスクを取った判断になった。もっと前に抜いておくべきだった。しかし、前の先生の時には癌との診断を受ける前だったので、直ぐに抜くべき理由もなかったのだが。

歯科医で、今飲んでいる薬を聞かれた。

エストラサイトカプセル156.7mg 一日4錠(朝夕に2錠)(女性ホルモン、窒素マスタードという抗癌剤を含む)
プレドニゾロン錠5mg 一日2錠(朝昼に1錠) (ステロイド) 
ウルソ 50mg 一日3錠 (ホルモン療法薬の副作用である肝臓障害の改善)
タケプロンOD錠 15mg 一日1錠 (同じく副作用である胃腸障害の改善)

このほかに、内科で貰った

アムロジピン錠2.5mg 一日1錠 (高血圧の薬)

耳鼻科で貰った

アレグラ 一日2錠 (朝、夕1錠) (花粉症の薬)

眼科で貰った

トラバタンズ (点眼薬)(緑内障の進行を防止)


プレドニゾロンは緑内障に悪い影響があるとのことだが、失明のリスクより、前立腺で死ぬリスクの方が切迫しているため、緑内障は諦め。右目の視野は左の半分程度になってしまった。

「がんサポート4月号」によると、抗癌剤が効いていると、副作用も強くでるものらしい。今は悪心もなくなり、健康に過ごしている。ということは効いていないということなのだろうか。唯一、乳首が痛いが、これはエストラサイト特有の副作用。副作用は慣れはなく、累積的に影響があるらしいけれど。乳首はどんどん大きくなっている。見苦しい寸前てところ。

2011年4月15日金曜日

エストラサイトもあまり効果なく、化学療法へ

今日の検査で、PSAがまた上昇し、7.16に。主治医は、エストラサイトの効果でこの程度なのかもしれないと言う。骨転移に関係するALPも上昇し612になってしまい、化学療法を直ぐに始めた方が良いだろうとの宣告。

もしエストラサイトがもっと効いて、PSAが下がれば、或いは横ばいならば、エストラサイトのみ続ける選択肢もあったと思うが、タキソテールはPSAがあまり高くない段階で始める方が良いことが知られているので、来月から入院治療となる。今歯科の治療中であり、ゾメタも併用するので、歯科の治療完了後、2週間程度入院となる予定。

タキソテールの効き目は様々で、一般にホルモン療法が効かない場合には、タキソテールも効かない。3週間で1クールというらしい。タキソテールを10クール以上続けられれば、ということは30週ということになるが、210日ということだが、生存率の中央値は600日。365日が1年なので、2年弱。3年の生存率が3割。

まだ、治療開始から7ヶ月である。良く行って、後3年しか生きられないかもしれないという事実は結構辛い。

会社勤めどころではないのだ、と実感。傷病休暇も考えようかと思っている。

2011年4月6日水曜日

エストラサイトの副作用

悪心については、慣れてきた。気持ちがいつも悪かったが、半月たち我慢できるようになってきた。おなかが空くと気持ち悪さが増すので、間食している。甘いお菓子を食べる。太るが、副作用克服を優先。匂いのする食品がだめなのは変わらず。匂いは我慢して食べれば食べられる。神経がやられているためらしいので、胃ではないから、食べられる。味覚が変になりつつあるのかもしれないと思うことは、今のところなし。

乳首の腫れは、結構きつく、痛い。乳首が飛び出しているので、ちょっとしたことで痛い。良く女の子が乳房を庇うしぐさをする訳がわかった。恥ずかしいからじゃなくて、痛いから、とっさに守るのね。初老になって、思春期の女の子の気持ちが分かるなんて、素敵なのか、どうなのか。乳房までは腫れていない。まだまだ半月だからかな。

効いているのか、どうかが一番の不安。もし効き目がないとすると、抗癌剤治療になる。抗癌剤の効力も数年か。一年か。

電車から見る桜を見て、春がまたやってきた、地震があろうと、原発が爆発しようと、植物の強さを感じる。自然には勝てない。

2011年4月1日金曜日

同病の方の存在を知る

紅葉さんのブログではD2患者のブログは少なく、情報も少ないとのことだったので、この先がどうなるか不安ばかりなのだが、幸い(という言い方は不謹慎か)、同じ症状の方がいらっしゃったので、私一人でないということが確認できた(コメントがスパム扱いされてしまっており、表示方法が素人の悲しさで分からず、あべるっちさん、失礼しました)。

エストラサイトに変えて半月、腰の痛みはなくなりつつあり、オダインよりも効いているような気はするのだけれど、4月中旬のSPA検査を見てみないことには分からない。

今の仕事が続けられるのだったら、良いのだけれど。化学療法開始に当たっては、入院も必要なので、会社に告知せざるをえず、来年停年なので、再就職はまずもって不可能になると思うが、震災で会社が倒産しつつあり、その可能性もなくなりつつあるので、治療一本になるかもしれない。収入は別として、悩まずに済むので、すっきりして良いかもしれないと思う。