通っている病院のペインクリニック(麻酔科)で、痛み止めの薬を出してもらっている。麻薬であるオキシコンチンとオキノームの2種が処方されており、オキシコンチンは朝夜の2回の服用、オキノームは痛いときに都度飲む薬だが、同一成分らしい。
麻薬は痛みをかなりコントロールしてくれるが、痛みの方が一定でなく、波があり、その最大の痛みに合わせて量を処方してしまうと、普段の痛みはそれほどでないので、副作用がひどくなる。だから、少なめに処方して、適量を見つけるという段取りになるらしい。ということなので、最初の内は、痛みの最大値がやって来た時に、処方量は不足気味なので、かなりの痛みを経験することになる。
医師は、痛い時にオキノームをどんどん飲めば良いと仰るのだが、1時間に1回までという決まりなので、痛いときは時計を睨みながら、1時間ごとにオキノームを飲み続けることになる。
オキシコンチンの適当な量が処方されたらしく、痛みはコントロールできるようになった。但し、麻薬の副作用で、いつも眠く、細かいことに集中できず、難しい本は読めず(最初は新聞も読めなかった)、DVDなども見られない。集中できず、疲れてしまう。
処方量を減らせば、元に戻るけれど、痛みがコントロールできなくなる。痛みと集中力なら、当然選択肢は痛みでしょう、ということで、本は読まず、読めず、ブログも読めず(今朝は珍しく自分のブログは書けているけれど、他の人のブログを読むのは無理)。
オキノームのほかの副作用としては、便秘になるらしい。便秘対策の薬をもらっているが、逆に便がゆるくなりすぎ、排便に問題が出てくるのが悩み。パンツがいつも汚れている。自分で洗濯するから良いものの、困った問題だ。
大汗をかく、涙もろいなどもこの薬のせいかと思っていたら、これは男性ホルモンを遮断したことによる更年期障害だそうだ。
大汗はひどくて、毎夜2回は寝巻きを着替えないといけない。びしょびしょというくらいに濡れている。当然布団も濡れるので、タオルを敷いて寝ている。更年期障害って、そんなにひどいだったのか。
症状が小康状態になり、気持ちも落ち着くと、あとどのくらい生きられるのか、気になってくる。1日でも長く生きていたいけれど、もし治験が中止になったら、使える薬がないので、急激に病状が悪化するかもしれない。こういう不安のせいか、いつも変な夢ばかり見る。この間は、その前の日に読んだ漫画の中に自分自身がスリップし、処方されている痛み止めの薬を転売する薬の売人になっている、なんていう刑事ドラマみたいな夢を見た。困ったもんだ。
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2013年2月2日土曜日
2012年12月26日水曜日
車椅子がやってきた
11月から、痛み止めに麻薬を使っている。痛みは何とかコントロールできている。しかし、大腿骨に転移した癌の憎悪が原因で、右足が麻痺して歩けないので、杖を使ってゆるゆると歩いていたが、外出は難行になってしまった。
やはり一人暮らしは厳しい。買物も行けないし、掃除もままならないし、余命も余り無いことだし、ということで、姉に頼んで市に介護保険の申請をしてもらった。この手続きは、日本の行政では例外的に、とても早い。介護が産業になっていることもあり、びっくりするくらいのスピードで色々なことが進んでいく。
先々週、ケアマネージャーに会い、掃除が出来ないこと、ベッド、車椅子が必要なことを伝えると、直ぐに電動ベッドと車椅子が家に配達された。私は自分が人生で車椅子を使うようになろうとは全く思っていなかったが(父母とも使っていないし、発病する前までは運動オタクで体力と健康には自信が過剰にあった)、今では外出の必需品になっている。
家から数分の距離の駅前に行くのにも、数十分かかり、帰路は疲れるので途中休憩が必要で、戻るとぐったりして寝込んでしまったから、ここ一月は病院通いの他は外出はしていなかった。買物は姉に頼み、掃除はおざなり。料理は全くせず、買ってもらった惣菜をチンするか、時々来てもらう友人の料理の冷凍したのを食べるのみ。とにかく、一日中寝ていて、頭はぼんやりしていて、痛みがあって、TVばっかり見ていた。
それが、車椅子が来て使ってからは、一人で外出も出来るようになったためか、人生がずいぶんと明るくなったような気がする。映画も見に行きたいなと思うようになった。能は、どうだろうか。駅前にある映画とちがい、会場が遠すぎるので一人では無理かもしれない。
この間、人生で最大の痛みも経験した。麻薬を使っていても、抑えられない痛みがある日の夜襲ってきた。右大腿骨の癌が暴れているのが自覚できる。右足に怪物が住んでいて暴れている。痛さは尋常でなく、泣き喚くしか対処法はなかった。近所の病院の救急に行くことも考えたが、手当ての方法があるとも思えず、また主治医のいる病院は遠いので、車内の揺れや、病院に到着してから手当てまでの待ち時間の長さを考えると、家で我慢することにした。だが、痛みに耐えられず、処方された薬を多めに飲んでしまった。これが後で大問題になったのだけれど、痛みは朝までには何とか収まった。
痛み止め担当の医師は激怒しており、処方量を守れないなら、治療は今後継続できないかもしれない、と叱られた。ごもっともです。反省しています。もう二度としません。ごめんなさい。でも、本当に痛かったのよ。自殺したいくらい、痛かった。医師によれば痛みには波があるという。どうやら最大級が来てしまったようだった。これからも来るのかな。不安になり、今後は地元でも夜間治療できる可能性があるのか、調べたい。
ぼくのチャリ男くん。
やはり一人暮らしは厳しい。買物も行けないし、掃除もままならないし、余命も余り無いことだし、ということで、姉に頼んで市に介護保険の申請をしてもらった。この手続きは、日本の行政では例外的に、とても早い。介護が産業になっていることもあり、びっくりするくらいのスピードで色々なことが進んでいく。
先々週、ケアマネージャーに会い、掃除が出来ないこと、ベッド、車椅子が必要なことを伝えると、直ぐに電動ベッドと車椅子が家に配達された。私は自分が人生で車椅子を使うようになろうとは全く思っていなかったが(父母とも使っていないし、発病する前までは運動オタクで体力と健康には自信が過剰にあった)、今では外出の必需品になっている。
家から数分の距離の駅前に行くのにも、数十分かかり、帰路は疲れるので途中休憩が必要で、戻るとぐったりして寝込んでしまったから、ここ一月は病院通いの他は外出はしていなかった。買物は姉に頼み、掃除はおざなり。料理は全くせず、買ってもらった惣菜をチンするか、時々来てもらう友人の料理の冷凍したのを食べるのみ。とにかく、一日中寝ていて、頭はぼんやりしていて、痛みがあって、TVばっかり見ていた。
それが、車椅子が来て使ってからは、一人で外出も出来るようになったためか、人生がずいぶんと明るくなったような気がする。映画も見に行きたいなと思うようになった。能は、どうだろうか。駅前にある映画とちがい、会場が遠すぎるので一人では無理かもしれない。
この間、人生で最大の痛みも経験した。麻薬を使っていても、抑えられない痛みがある日の夜襲ってきた。右大腿骨の癌が暴れているのが自覚できる。右足に怪物が住んでいて暴れている。痛さは尋常でなく、泣き喚くしか対処法はなかった。近所の病院の救急に行くことも考えたが、手当ての方法があるとも思えず、また主治医のいる病院は遠いので、車内の揺れや、病院に到着してから手当てまでの待ち時間の長さを考えると、家で我慢することにした。だが、痛みに耐えられず、処方された薬を多めに飲んでしまった。これが後で大問題になったのだけれど、痛みは朝までには何とか収まった。
痛み止め担当の医師は激怒しており、処方量を守れないなら、治療は今後継続できないかもしれない、と叱られた。ごもっともです。反省しています。もう二度としません。ごめんなさい。でも、本当に痛かったのよ。自殺したいくらい、痛かった。医師によれば痛みには波があるという。どうやら最大級が来てしまったようだった。これからも来るのかな。不安になり、今後は地元でも夜間治療できる可能性があるのか、調べたい。
ぼくのチャリ男くん。
2012年12月13日木曜日
転移癌が憎悪
このところ、更新が出来ず、じろうさんを始め、ご心配頂いた方からメールを頂きました。ありがとうございました。
アビラテロンは、大変に良く効く薬とされているけれど、転移癌への効き目が悪いのだそうだ。私もこの数週間で病勢が悪化し、大腿骨へ転移した癌が憎悪しているようだ。このため、神経、筋肉の痛みが増しており、今までもらっていた痛み止めでは、痛みのために、夜全く寝られなくなっしまった。また、足が麻痺のため、うまく歩けなくなり、外出は殆ど出来なくなった。治験は放射線治療を禁止しているので、治験を止めて、放射線治療で骨の痛みを止めることも考えたが、もう使える薬がない状況だし、今の薬を止めた途端に、骨に転移した癌の憎悪が急速に進み余命も殆ど期待できないだろうから、より強い痛み止めを出してもらうことにし、痛み止めに麻薬を追加してもらった。
麻薬は一応良く効いている。でも、一定の時間を越えると、効き目ががくっとなくなるようで、そのときの痛みはものすごかった。あまりの痛さに泣き喚いてしまった。一人暮らしなので、泣いても意味ないのだけれど、それほどに痛い。
足の麻痺が進んで歩けない、長時間座っていられないなどから、外出も駄目になった。唯一の楽しみだった能を見にいくことも無理になった。車椅子での移動なら外出も出来るけれど、一人では怖い。近所のスーパーも行けないので、買物は姉に頼んでいる。
終活を始めたほうがいいのだろうか。でも何をしたらいいのだろう。家族、友人には病状を話し、余命が長くないことを理解してもらった。後半年くらい生きられればいいな。痛みなしで。
こんな状態なのに、年金事務所からは障害給付は不至急との通知。がっかり。
勤め先の会社の知人からお見舞い。有り難い。
アビラテロンは、大変に良く効く薬とされているけれど、転移癌への効き目が悪いのだそうだ。私もこの数週間で病勢が悪化し、大腿骨へ転移した癌が憎悪しているようだ。このため、神経、筋肉の痛みが増しており、今までもらっていた痛み止めでは、痛みのために、夜全く寝られなくなっしまった。また、足が麻痺のため、うまく歩けなくなり、外出は殆ど出来なくなった。治験は放射線治療を禁止しているので、治験を止めて、放射線治療で骨の痛みを止めることも考えたが、もう使える薬がない状況だし、今の薬を止めた途端に、骨に転移した癌の憎悪が急速に進み余命も殆ど期待できないだろうから、より強い痛み止めを出してもらうことにし、痛み止めに麻薬を追加してもらった。
麻薬は一応良く効いている。でも、一定の時間を越えると、効き目ががくっとなくなるようで、そのときの痛みはものすごかった。あまりの痛さに泣き喚いてしまった。一人暮らしなので、泣いても意味ないのだけれど、それほどに痛い。
足の麻痺が進んで歩けない、長時間座っていられないなどから、外出も駄目になった。唯一の楽しみだった能を見にいくことも無理になった。車椅子での移動なら外出も出来るけれど、一人では怖い。近所のスーパーも行けないので、買物は姉に頼んでいる。
終活を始めたほうがいいのだろうか。でも何をしたらいいのだろう。家族、友人には病状を話し、余命が長くないことを理解してもらった。後半年くらい生きられればいいな。痛みなしで。
こんな状態なのに、年金事務所からは障害給付は不至急との通知。がっかり。
勤め先の会社の知人からお見舞い。有り難い。
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障害年金、年金事務所,
闘病記
2012年9月10日月曜日
闘病三年目
末期がんと告知された頃、時々「やりたいことがあれば、何でもやったら」と言われた。でも、何をしてよいか分からなかった。「欲しいものは?」と聞かれると、答えはしなかったが、「一日でも長く生きたい」と心の中では思っていた。だから、過去2年、特に新しいことは何もせず、またできず、欲しいものもなく、どちらかといえば、断捨離で、家の中の不要なもの(スキー、スケート、テニス、スカッシュ、バドミントン、登山、カヌーなどのスポーツ用品、テントなどキャンプ道具、旅行道具、キャリアーなどの自動車用品、出勤用のスーツ、コート、シャツ、靴、鞄、本など)を捨て、整理整頓に励んだ。
一度死にたくなるような痛みの日々に直面してみて、今は治験の薬が効いて、痛みから漸く回復し、散歩も可能となり、外出も出来、正座も出来るようになり、笑うことも出来るようになってみると、多少やりたいことが出来てきた。
習い事がしたい。本当に出来るとは思えないし、いつ再び座れなくなるかも分からないので、長続きはしないだろうが、お茶か、謡を習いたい。どっちも体を使う(正座する)ので、骨の痛みが出れば無理なのだけれど。
お茶は、一度も習ったことがない。私の世代で、男で、お茶を習う人は少ないと思うけれど、習っておけば良かった。私の父母の世代や、姉は習ったらしいので、少々残念。今更、あんなこみいった所作を覚えるのは無理かもしれない。記憶力が驚異的に衰えているし。かなりぼけて来ている。でも、お茶席で、全く作法を知らないのも、格好悪いように思う。(お茶席に行く機会は全くないのだが。)
謡は、能にはまっているため。40歳くらいまで、日本の古典芸能は全く好きでなかった。興味も無かった。文楽だけは、何故か子供の頃から好きだったが、40代になり、ある時から、歌舞伎を時々見るようになり(文楽と歌舞伎は台本が同じものが多い)、歌舞伎から落語(落語には歌舞伎を題材にしたものが多いので、歌舞伎を見ていると、落語も良く分かることが多い)、落語から能が好きになった。落語にも歌舞伎にも、能が元になっているものが多い(歌舞伎の方が多く、落語はそれほどではないが、例えば船弁慶)ので、能を見ていて、これはあの落語の元になっているな、などと思うことも時々ある。
焼き物が好きなので、茶碗経由でお茶にも興味を持ち出したという事情もあるかもしれない。和服も着るようになり、45くらいからは、見るものは古典芸能一本槍になった。昔は能や、落語がTVラジオから流れると、直ぐ局を変えてものだけれど、何ていう変わりようだろうと思う。今ではFMの能を聞いて、これは何の曲か、直ぐに言えるようにまでなってしまった。若い頃から、古典芸能やお茶やお花や、日本文化に親しんでおけば良かったな。お金と時間が掛かるので、無理だったかもしれないけれど。
とはいえ、また痛みが出たり、薬が効かなくなったりすれば、それどころでなくなり、集中力もなくなり、考えることも出来なくなり、顔から表情がなくなり、気持ちもぼんやりしてしまうかもしれない。短い間に出来ることは何だろうか。
父親作の茶碗で一服。作法はまるでなし。
一度死にたくなるような痛みの日々に直面してみて、今は治験の薬が効いて、痛みから漸く回復し、散歩も可能となり、外出も出来、正座も出来るようになり、笑うことも出来るようになってみると、多少やりたいことが出来てきた。
習い事がしたい。本当に出来るとは思えないし、いつ再び座れなくなるかも分からないので、長続きはしないだろうが、お茶か、謡を習いたい。どっちも体を使う(正座する)ので、骨の痛みが出れば無理なのだけれど。
お茶は、一度も習ったことがない。私の世代で、男で、お茶を習う人は少ないと思うけれど、習っておけば良かった。私の父母の世代や、姉は習ったらしいので、少々残念。今更、あんなこみいった所作を覚えるのは無理かもしれない。記憶力が驚異的に衰えているし。かなりぼけて来ている。でも、お茶席で、全く作法を知らないのも、格好悪いように思う。(お茶席に行く機会は全くないのだが。)
謡は、能にはまっているため。40歳くらいまで、日本の古典芸能は全く好きでなかった。興味も無かった。文楽だけは、何故か子供の頃から好きだったが、40代になり、ある時から、歌舞伎を時々見るようになり(文楽と歌舞伎は台本が同じものが多い)、歌舞伎から落語(落語には歌舞伎を題材にしたものが多いので、歌舞伎を見ていると、落語も良く分かることが多い)、落語から能が好きになった。落語にも歌舞伎にも、能が元になっているものが多い(歌舞伎の方が多く、落語はそれほどではないが、例えば船弁慶)ので、能を見ていて、これはあの落語の元になっているな、などと思うことも時々ある。
焼き物が好きなので、茶碗経由でお茶にも興味を持ち出したという事情もあるかもしれない。和服も着るようになり、45くらいからは、見るものは古典芸能一本槍になった。昔は能や、落語がTVラジオから流れると、直ぐ局を変えてものだけれど、何ていう変わりようだろうと思う。今ではFMの能を聞いて、これは何の曲か、直ぐに言えるようにまでなってしまった。若い頃から、古典芸能やお茶やお花や、日本文化に親しんでおけば良かったな。お金と時間が掛かるので、無理だったかもしれないけれど。
とはいえ、また痛みが出たり、薬が効かなくなったりすれば、それどころでなくなり、集中力もなくなり、考えることも出来なくなり、顔から表情がなくなり、気持ちもぼんやりしてしまうかもしれない。短い間に出来ることは何だろうか。
父親作の茶碗で一服。作法はまるでなし。
2012年8月31日金曜日
発症、告知から丸2年目
8月末で、発症してから2年目になる。古い統計によるD2患者の余命は、中央値が3年程度だったと思うので、まだまだそこまでも達していない。私のように、50代で発病し、低分化でグリソンスコアが高い(9)と、早めに死ぬ傾向がある。同じD2でも、高齢で発病した場合には、高分化で、グリソンスコアも低く、ホルモン療法も良く効く傾向にあると思うが、そういう人も同じ統計の中に入ってくるので、2年生きられただけでも幸いだったかもしれない。
とはいえ、気になる記事が「がんサポート」の最新号(泌尿器のがん特集号)に載っていた。阪大の泌尿器科の先生の記事で、やはりホルモン療法が長期に効く人ほど抗がん剤(ドセタキセル)も長く効くとのこと。ホルモン療法がもし短期間しか効かない場合には、ドセタキセルも短いということなんだそうだ。恐らく多くの医師の観察するところなのだろう。
またエストラサイトを投与されると、ドセタキセルが効かない傾向にあるという。私がまさにその例なのだけれど。阪大病院ではエストラサイトの投与には慎重になっているらしい。
多くの新薬が承認待ちなので、D2患者は、薬の効き目を出来るだけ引き伸ばして、新薬登場を待つのが良いとのこと。その通りだと思うけれど、でも、待てない人はどうするのだろう?との疑問も湧く。今のように、新しい薬が欧米で開発され、日本ではラグで承認待ちという時には、どこの病院に受診しているかどうか(最新の情報量が豊富で、臨床経験も多い病院か、そうでないか)で、生存率が変わってくる可能性があると思う。
この記事で一番驚いた部分は、阪大では、がんの再燃(手術やホルモン療法でがんを抑えたものの、腫瘍が再び悪化した場合)の定義を、一般的な、PSAが二回連続で上昇したら、というものではなく、2上昇した場合としていること。この数値が大きいので少々びっくりしたが、要は、ドセタキセルに至る治療の時間を急がないということらしい。同様の方針をHPで見る限り、医科歯科大も取っているようだが、私の前の主治医は、ドセタキセルは早期が良いとの方針だった。
とはいえ、皆が皆、京大病院や阪大病院、千葉大病院や横浜市大病院に入れる筈もなく、運不運がつきまとうのかもしれない。
食べられるらしいやまぼうしの実。本当かな。
とはいえ、気になる記事が「がんサポート」の最新号(泌尿器のがん特集号)に載っていた。阪大の泌尿器科の先生の記事で、やはりホルモン療法が長期に効く人ほど抗がん剤(ドセタキセル)も長く効くとのこと。ホルモン療法がもし短期間しか効かない場合には、ドセタキセルも短いということなんだそうだ。恐らく多くの医師の観察するところなのだろう。
またエストラサイトを投与されると、ドセタキセルが効かない傾向にあるという。私がまさにその例なのだけれど。阪大病院ではエストラサイトの投与には慎重になっているらしい。
多くの新薬が承認待ちなので、D2患者は、薬の効き目を出来るだけ引き伸ばして、新薬登場を待つのが良いとのこと。その通りだと思うけれど、でも、待てない人はどうするのだろう?との疑問も湧く。今のように、新しい薬が欧米で開発され、日本ではラグで承認待ちという時には、どこの病院に受診しているかどうか(最新の情報量が豊富で、臨床経験も多い病院か、そうでないか)で、生存率が変わってくる可能性があると思う。
この記事で一番驚いた部分は、阪大では、がんの再燃(手術やホルモン療法でがんを抑えたものの、腫瘍が再び悪化した場合)の定義を、一般的な、PSAが二回連続で上昇したら、というものではなく、2上昇した場合としていること。この数値が大きいので少々びっくりしたが、要は、ドセタキセルに至る治療の時間を急がないということらしい。同様の方針をHPで見る限り、医科歯科大も取っているようだが、私の前の主治医は、ドセタキセルは早期が良いとの方針だった。
とはいえ、皆が皆、京大病院や阪大病院、千葉大病院や横浜市大病院に入れる筈もなく、運不運がつきまとうのかもしれない。
食べられるらしいやまぼうしの実。本当かな。
2012年8月3日金曜日
激痛に悶える日々
新たな前立腺癌の薬の治験を受けるための条件として、全ての治療を1ヶ月前に止めるというのがある。このため、6月でドセタキセルは中止した。ステロイド剤のプレドニゾロン等の飲み薬も全て中止した。
主治医に、次回のドセタキセル投与中止を申し出ると、やっかいな患者がいなくなるので、喜んでいたような感じだったが、いつ治験を中止されるか分からないから(もしPSAが上昇すると、治験は中止になる)、治験薬が効かなくなったら再び標準治療のためにお世話になる可能製もあるので、よろしくお願いしますと言うと、主治医はとても困惑した様子だった。
新たな診断書の作成もついでに頼んだのだが、主治医が郵送してきた書類には、予後の欄に、「余命は数ヶ月」と書いてあった。少々ショック。いくらなんでも、数ヶ月はないだろう。彼にとってはドセタキセルが効かなくなった患者の余命としては、率直なところなんだろうか。だから、せっかく他所の病院で引き受けてくれたのだから、帰って来て欲しくないんだろうか。
全ての治療を中止すると、当然ながら癌が憎悪してくる。前立腺癌の憎悪の速度は遅いとはいえ、私の場合、大腿骨に転移した部分が憎悪しているので、ここが悪化すると、神経を圧迫して痛みを生じる可能性があった。
それが直接の原因かどうかはまだ分からないのだけれど、2週間前から、強い筋肉痛と、尾骶骨周りが強く痛み出した。尾骶骨周りの痛みは鈍く、連続していて、昼も夜もなく続き、特に夜は痛みで寝られない。痛みは段々と強くなり、一番ひどいときには、一日中、痛さに涙が出る程で、何も出来ず、考えることも出来ず、歩けず、買物も料理も出来ず、唯一出来ることと言えば、トイレに行くことくらい。TVでさえ、ぼんやりとしか見ていられない。本などを読むのも無理で、インフルエンザで高熱が出た際、うなされて何も出来ない、あの辛い状態に近い。
治験先に頼んで痛み止めを貰うが、あまり効かなかったので、許可を得て、痛み止めを処方よりも増量して飲んでいる。痛い、痛いと唸る日々が続く。あまりの事態に、家族と知人にSOSを出し、知人には買物と掃除をお願いし、料理も作ってもらった。家族には差し入れをお願いした。これで食料品を買いに出る必要がなくなったので一安心なのだが、痛みは中々収まらない。
これがづっと続くのならば、長生きはしたくないと思った。調べると、骨に転移した癌の痛みはそれはそれはすごいものらしく、病院のベッドのカーテンを患者が苦痛で引き裂いた程などと書いてある資料もある。まだそこまでの痛みではないと思うけれど、寝られない痛みが2週間も続くと、体力も落ち、気力もなくなる。考えることも出来なくなった。
ただ、痛みというのは、段々と慣れるのか、2週間たった今では、夜は多少寝られるようになり、外出も近所ならば歩けるようになった。
もし、治験が受けられないとなると、残された選択肢は、効かないのを承知で、ドセタキセルの投与を続ける(PSAは上昇し、いずれ骨のがんが痛みだすだろう)か、余命数ヶ月の標準治療は諦め、代替治療を受けるか、あるいは両方を同時に受けるか否か。治療を受ける、選択するには、体力がないと無理で、骨の痛みでほぼ寝たきりの状態では、考えることさえ、出来そうにない。
しかし、がんは痛い。緩和治療で痛みをとらないと、自分の治療の方針さえ、決められません。
主治医に、次回のドセタキセル投与中止を申し出ると、やっかいな患者がいなくなるので、喜んでいたような感じだったが、いつ治験を中止されるか分からないから(もしPSAが上昇すると、治験は中止になる)、治験薬が効かなくなったら再び標準治療のためにお世話になる可能製もあるので、よろしくお願いしますと言うと、主治医はとても困惑した様子だった。
新たな診断書の作成もついでに頼んだのだが、主治医が郵送してきた書類には、予後の欄に、「余命は数ヶ月」と書いてあった。少々ショック。いくらなんでも、数ヶ月はないだろう。彼にとってはドセタキセルが効かなくなった患者の余命としては、率直なところなんだろうか。だから、せっかく他所の病院で引き受けてくれたのだから、帰って来て欲しくないんだろうか。
全ての治療を中止すると、当然ながら癌が憎悪してくる。前立腺癌の憎悪の速度は遅いとはいえ、私の場合、大腿骨に転移した部分が憎悪しているので、ここが悪化すると、神経を圧迫して痛みを生じる可能性があった。
それが直接の原因かどうかはまだ分からないのだけれど、2週間前から、強い筋肉痛と、尾骶骨周りが強く痛み出した。尾骶骨周りの痛みは鈍く、連続していて、昼も夜もなく続き、特に夜は痛みで寝られない。痛みは段々と強くなり、一番ひどいときには、一日中、痛さに涙が出る程で、何も出来ず、考えることも出来ず、歩けず、買物も料理も出来ず、唯一出来ることと言えば、トイレに行くことくらい。TVでさえ、ぼんやりとしか見ていられない。本などを読むのも無理で、インフルエンザで高熱が出た際、うなされて何も出来ない、あの辛い状態に近い。
治験先に頼んで痛み止めを貰うが、あまり効かなかったので、許可を得て、痛み止めを処方よりも増量して飲んでいる。痛い、痛いと唸る日々が続く。あまりの事態に、家族と知人にSOSを出し、知人には買物と掃除をお願いし、料理も作ってもらった。家族には差し入れをお願いした。これで食料品を買いに出る必要がなくなったので一安心なのだが、痛みは中々収まらない。
これがづっと続くのならば、長生きはしたくないと思った。調べると、骨に転移した癌の痛みはそれはそれはすごいものらしく、病院のベッドのカーテンを患者が苦痛で引き裂いた程などと書いてある資料もある。まだそこまでの痛みではないと思うけれど、寝られない痛みが2週間も続くと、体力も落ち、気力もなくなる。考えることも出来なくなった。
ただ、痛みというのは、段々と慣れるのか、2週間たった今では、夜は多少寝られるようになり、外出も近所ならば歩けるようになった。
もし、治験が受けられないとなると、残された選択肢は、効かないのを承知で、ドセタキセルの投与を続ける(PSAは上昇し、いずれ骨のがんが痛みだすだろう)か、余命数ヶ月の標準治療は諦め、代替治療を受けるか、あるいは両方を同時に受けるか否か。治療を受ける、選択するには、体力がないと無理で、骨の痛みでほぼ寝たきりの状態では、考えることさえ、出来そうにない。
しかし、がんは痛い。緩和治療で痛みをとらないと、自分の治療の方針さえ、決められません。
2012年7月12日木曜日
初診、治療開始から1年11ヶ月
なんだかんだで、初診、生検、治療開始から1年11ヶ月がたった。
文句ばっかり言っているけれど、初診ですぐに前立腺癌と見抜いてくれ、あっという間に治療を開始してくれた今の主治医には感謝している。あそこであの人に出会わなければ、どうなっていただろうか。病院に行ったきっかけは、ひどい腰痛で、整形外科ではヘルニアと診断されたし、確かに、きつい痛みは今もあるので、もしあの日に泌尿器科にも回らなければ、前立腺癌の発見と治療開始が大幅に遅れた可能性が高い。
久留米大は遠かったが、申し込んですぐに治療を受けることができ、費用と時間はとってもかかっているけれど、一応の効果もあった。化学療法、ドセタキセルは中々効いてくれずPSAは大幅に上昇してしまったものの、大腿骨以外への転移が無かったのは、ペプチドワクチンの効果なのだろうか。
もし8月から、某大学病院でアビラテロンの治験に参加できれば、その後の余命はともかくとして、精神的にはとっても良いことなので、とても有り難い。
病気と薬の効果には全く恵まれていないけれど、医者と治療に関しては、比較的恵まれてきたように思う。
当初は、どうして僕だけこんな目に会うのだろうか、と思ったし、ストレスが原因のひとつでもあるので、周囲を恨んだけれど、今では、ま、運命か、と諦めの気持ちになった。恨んでも、後悔しても、泣いても、愚痴をこぼしても、病気が良くなるものでもなし、治療に悪影響があるばかりで、何も良いことはない。ストレス・フリーで、笑って楽しく治療生活を送るのが一番と思う。
後悔があるとすれば、ホルモン療法のうちに、海外旅行をしておきたかった。今では体力的に絶対に無理。スポーツは散々やったので、あまり後悔はない。久留米にももっと早期に行くべきだった。
自宅療養をしているので、本を沢山読めるかと思ったが、具合が悪い時に本は読めなかった。勉強も無理。寝ているばかり。TVのお笑い番組か、教育TVあたりが適当。歩けないため、展覧会などは厳しい。行くと、ぐったりしてしまう。80代でなく、50代の体力が欲しい。
体が動かなくなったため、今まで興味があまりなかった体を使う古典芸能(能のこと)に興味が出てきた。身体に障害があると、できないものに興味が湧いてくるのだろうか。
熊本電鉄は、東急玉川線の緑の芋虫みたいな車両を今も使っていて、社内には東急百貨店の広告。熊本なので、東急はないんだが。。
文句ばっかり言っているけれど、初診ですぐに前立腺癌と見抜いてくれ、あっという間に治療を開始してくれた今の主治医には感謝している。あそこであの人に出会わなければ、どうなっていただろうか。病院に行ったきっかけは、ひどい腰痛で、整形外科ではヘルニアと診断されたし、確かに、きつい痛みは今もあるので、もしあの日に泌尿器科にも回らなければ、前立腺癌の発見と治療開始が大幅に遅れた可能性が高い。
久留米大は遠かったが、申し込んですぐに治療を受けることができ、費用と時間はとってもかかっているけれど、一応の効果もあった。化学療法、ドセタキセルは中々効いてくれずPSAは大幅に上昇してしまったものの、大腿骨以外への転移が無かったのは、ペプチドワクチンの効果なのだろうか。
もし8月から、某大学病院でアビラテロンの治験に参加できれば、その後の余命はともかくとして、精神的にはとっても良いことなので、とても有り難い。
病気と薬の効果には全く恵まれていないけれど、医者と治療に関しては、比較的恵まれてきたように思う。
当初は、どうして僕だけこんな目に会うのだろうか、と思ったし、ストレスが原因のひとつでもあるので、周囲を恨んだけれど、今では、ま、運命か、と諦めの気持ちになった。恨んでも、後悔しても、泣いても、愚痴をこぼしても、病気が良くなるものでもなし、治療に悪影響があるばかりで、何も良いことはない。ストレス・フリーで、笑って楽しく治療生活を送るのが一番と思う。
後悔があるとすれば、ホルモン療法のうちに、海外旅行をしておきたかった。今では体力的に絶対に無理。スポーツは散々やったので、あまり後悔はない。久留米にももっと早期に行くべきだった。
自宅療養をしているので、本を沢山読めるかと思ったが、具合が悪い時に本は読めなかった。勉強も無理。寝ているばかり。TVのお笑い番組か、教育TVあたりが適当。歩けないため、展覧会などは厳しい。行くと、ぐったりしてしまう。80代でなく、50代の体力が欲しい。
体が動かなくなったため、今まで興味があまりなかった体を使う古典芸能(能のこと)に興味が出てきた。身体に障害があると、できないものに興味が湧いてくるのだろうか。
熊本電鉄は、東急玉川線の緑の芋虫みたいな車両を今も使っていて、社内には東急百貨店の広告。熊本なので、東急はないんだが。。
2012年6月25日月曜日
ペプチドワクチンの2クール目終了
久留米大病院で受けているペプチドワクチンは、1クールが8セット(4種類のワクチンをまとめて注射するのが1セット)、2クールも8回注射することになっている。途中で止めるのは自由。
今回2クールの最後まで受けるかどうか、少々悩んだ。前回の投与後、腰痛で歩けなくなった。おそらく原因は、大腿骨に転移している癌の憎悪だろうが、憎悪の要因として、PSAの上昇の他に、久留米までの往復で相当体力的に消耗することも考えられたので、今回は止めようかどうしようか、迷った。ところが直ぐに腰痛も治まったので、当面最後の投与になるかもしれないという思いもあり、出かけることにした。
久留米への往復は、今までは1泊2日の日程だったのを、疲れないように2泊3日に変更した。それでも結構疲れた。最近は、近所の散歩くらいでもかなり疲労感があるから、長時間飛行場までのバス、電車、福岡までの飛行機に座りっぱなしの行程は体に悪いのかもしれない。台風が日本を縦断中だったのも多少影響したかも。
久留米大病院では、ドセタキセルが効かなくなっていることから、積極的に治験に参加することを勧められた。精神的に参っていることを伝えると、先生から「それが普通で、誰でもそうなるものですよ」と慰められた。とはいえ、薬が効かないという事実には心が折れる。
ペプチドの投与は大学病院だから、TVの梅ちゃんせんせいのように、新人の先生がするのだけれど、今回は技術的に難があったのか、4本のうちの1本がまるで体内に入らず、投与直後から、血とともに噴出してしまった。注射をした後、絆創膏のようなものですぐに看護士が血止めをするのだけれど、なかなか止まらない。一応収まったので、会計に行こうとして歩いているうちにズボンが汚れ出した。どうしたんだろうと思い、洗面所で確認すると、血止めが剥がれ、血と白いワクチンが流れ出しており、ズボンが真っ赤になっていた。
慌てて戻り看護士に見てもらう。当然ながら、看護士は何も言わなかったけれど、ズボンの汚れをアルコールで落としてくれた。血まみれのズボンでは確かに不気味。某大学病院の不親切な看護士とはずいぶん違うな、と感心したものの、やはり医師によって注射の上手い下手はあるんだなと思った。
気が動転したため、台風対策で持っていた傘を病院に忘れたことを後で気付いたが、既に久留米駅まで戻っていたため、後の祭。雨に濡れる方が血まみれよりもマシかなと思うことにした。
帰りの福岡空港の展望室からの眺め。台風一過だが、曇り、雨。関東には来ていないピーチ機を写した積もりが、遠すぎた。昔あの展望室で、良く時間潰しをしたことを思いだす。
今回2クールの最後まで受けるかどうか、少々悩んだ。前回の投与後、腰痛で歩けなくなった。おそらく原因は、大腿骨に転移している癌の憎悪だろうが、憎悪の要因として、PSAの上昇の他に、久留米までの往復で相当体力的に消耗することも考えられたので、今回は止めようかどうしようか、迷った。ところが直ぐに腰痛も治まったので、当面最後の投与になるかもしれないという思いもあり、出かけることにした。
久留米への往復は、今までは1泊2日の日程だったのを、疲れないように2泊3日に変更した。それでも結構疲れた。最近は、近所の散歩くらいでもかなり疲労感があるから、長時間飛行場までのバス、電車、福岡までの飛行機に座りっぱなしの行程は体に悪いのかもしれない。台風が日本を縦断中だったのも多少影響したかも。
久留米大病院では、ドセタキセルが効かなくなっていることから、積極的に治験に参加することを勧められた。精神的に参っていることを伝えると、先生から「それが普通で、誰でもそうなるものですよ」と慰められた。とはいえ、薬が効かないという事実には心が折れる。
ペプチドの投与は大学病院だから、TVの梅ちゃんせんせいのように、新人の先生がするのだけれど、今回は技術的に難があったのか、4本のうちの1本がまるで体内に入らず、投与直後から、血とともに噴出してしまった。注射をした後、絆創膏のようなものですぐに看護士が血止めをするのだけれど、なかなか止まらない。一応収まったので、会計に行こうとして歩いているうちにズボンが汚れ出した。どうしたんだろうと思い、洗面所で確認すると、血止めが剥がれ、血と白いワクチンが流れ出しており、ズボンが真っ赤になっていた。
慌てて戻り看護士に見てもらう。当然ながら、看護士は何も言わなかったけれど、ズボンの汚れをアルコールで落としてくれた。血まみれのズボンでは確かに不気味。某大学病院の不親切な看護士とはずいぶん違うな、と感心したものの、やはり医師によって注射の上手い下手はあるんだなと思った。
気が動転したため、台風対策で持っていた傘を病院に忘れたことを後で気付いたが、既に久留米駅まで戻っていたため、後の祭。雨に濡れる方が血まみれよりもマシかなと思うことにした。
帰りの福岡空港の展望室からの眺め。台風一過だが、曇り、雨。関東には来ていないピーチ機を写した積もりが、遠すぎた。昔あの展望室で、良く時間潰しをしたことを思いだす。
ラベル:
久留米大、ペプチドワクチン,
生活,
闘病記,
鬱
2012年6月14日木曜日
今日は骨シンチ検査
主治医がPSAの上昇を心配して、骨シンチ検査を再びやることになった。骨シンチは4月に受けたばかり。その時は、大腿骨への転移していた部分が憎悪していたが、他臓器への転移はなかった。もし今回の検査で、脳や、他の臓器への転移が見つかったら大変だ。とっても不安。
駅前の本屋で、アイソトープの注射と、骨シンチの検査の間の長い空き時間(5時間もある)を潰すために、放射線治療についての本を探していたら、流石に病院前の本屋、癌についての本が沢山ある。前立腺癌の本も結構あった。殆どは昔読んだ本だけれど、読んでいなかった読売新聞社の新刊を立ち読みしていたら、ドセタキセル無効になった場合の患者のことにも触れてあり、読まなければよかったかなと後悔した。その場合、緩和治療しか選択がないから、当然ながら、その患者は直ぐに死んでしまったか、がん死を前提に緩和治療に臨んだという記述になっていた。やはり、死を待つだけか。
とはいえ、ぼくは、まだまだ元気だし、歩けるし、食欲もあるし、ということで、くよくよ悩まないことにした。昼食には、健康に悪いフライ物を沢山食べ、いつもは食べないホットケーキに、バターとメープルシロップを沢山掛けてデザートにした。ゲルソン式は今日だけは忘れることにする。
結果は再来週のドセタキセルの投与時に分かると思うけれど、少々不安な毎日。でも楽観しようかと思っている。自分でコントロールできないことは悩むのは辞めた。
日野正平が出ている自転車番組を良く見ている。あのお年で、自転車であの距離を旅するなんて、すごいと思う。ぼくも病気でなければ自転車で東北一周をして見たかったな。昔、旅行で、気仙沼へは良く通ったから、陸前高田も、大船渡も、南三陸町も細かいところまで良く知っている。でも、もう行けないだろうな。だから、TVで、かつて旅した町が出てくるととても嬉しい。
駅前の本屋で、アイソトープの注射と、骨シンチの検査の間の長い空き時間(5時間もある)を潰すために、放射線治療についての本を探していたら、流石に病院前の本屋、癌についての本が沢山ある。前立腺癌の本も結構あった。殆どは昔読んだ本だけれど、読んでいなかった読売新聞社の新刊を立ち読みしていたら、ドセタキセル無効になった場合の患者のことにも触れてあり、読まなければよかったかなと後悔した。その場合、緩和治療しか選択がないから、当然ながら、その患者は直ぐに死んでしまったか、がん死を前提に緩和治療に臨んだという記述になっていた。やはり、死を待つだけか。
とはいえ、ぼくは、まだまだ元気だし、歩けるし、食欲もあるし、ということで、くよくよ悩まないことにした。昼食には、健康に悪いフライ物を沢山食べ、いつもは食べないホットケーキに、バターとメープルシロップを沢山掛けてデザートにした。ゲルソン式は今日だけは忘れることにする。
結果は再来週のドセタキセルの投与時に分かると思うけれど、少々不安な毎日。でも楽観しようかと思っている。自分でコントロールできないことは悩むのは辞めた。
日野正平が出ている自転車番組を良く見ている。あのお年で、自転車であの距離を旅するなんて、すごいと思う。ぼくも病気でなければ自転車で東北一周をして見たかったな。昔、旅行で、気仙沼へは良く通ったから、陸前高田も、大船渡も、南三陸町も細かいところまで良く知っている。でも、もう行けないだろうな。だから、TVで、かつて旅した町が出てくるととても嬉しい。
2012年6月7日木曜日
ドセタキセル15クール目。腰痛で歩けない。
ドセタキセルも15クール目になった。あと2ヶ月で告知から2年。化学療法を始めてから1年になる。2年は生きていそうだが、3年、5年目はどうなるだろうか。
実は、直前の週末にひどい腰痛になった。理由は分からないが、ドセタキセルが効かなくなったことから、骨盤に転移した癌が進行しているのだろう。突然痛み出し、土曜と日曜は部屋の中さえ歩けず、トイレに行くのも壁伝いという有り様。リフォームの時、廊下に手摺をつけるかどうかで悩み、結局構造的な問題で諦めたのだが、やっておくべきだった。有ると無しでは全く異なる世界なので。バリアフリーにしたのだけは良かったけれど、手摺も必要だった。寝ていても痛いが、気力がないので、一日中寝て過した。
月曜になると、突然痛みが治まったのが不思議。歩くフォームはぎこちないけれど、ゆっくり歩けば痛みはなく、移動にも問題はない。
ドセタキセルの投与は水曜日。PSAは35に急増していた。痛みから、大幅な上昇を予想はしていたが、35とは。治療開始時に戻ってしまい、言葉も出ない。主治医も慌てていた。何故なら最早効く薬は残っていないのだ。後は、ドセタキセルと併用している飲み薬を変えるだけ。エストラサイトをカソデックスに前回変えたけれど、全く効いていない。それ故の大幅上昇なので、オダインに変えると言う。この薬は前回全く効かなかった。恐らく次回の検査時のPSAはいくつになるのだろうか。3年生存は危うくなりつつあるように思え、病院内を歩いていて、お先真っ暗で、めまいがしてきた。来年はもう此処には来れないのかもしれない。帰宅後の夜は、目が冴えて全く寝られなかった。覚悟を決めないといけないのだろうか。
治験にもし参加できなければ、来年で人生に幕となる可能性が増してきているようだ。
主治医に腰痛の件を話し、放射線による緩和治療の希望を話すと、どうぞと言う。今までは放射線については乗り気でなかったが、全く手がないのだから、彼も宗旨替えのようだ。とはいえ、どこも紹介してくれないので、自分で探すことになる。有明の専門医がネットでヒットしたので、後で研究してみよう。治験をお願いしている大学病院は、そもそも治験のみとの話なので、無理だろう。医者に会うだけで2ヶ月かかる病院である。近所の病院にも伝手はない。また治験の条件には、「放射線治療の経験がないこと」というのが結構あるようだ。7月には治験の医師と会うので聞いてみる機会はあるが、それまでに痛みが再発した場合、放射線治療を延期すべきか、開始していいものか、悩む。
とはいえ、PSAだけじゃない、と自ら言い聞かせる。PSAが高くても生きている人は大勢いる。転移がどうなるかだろう。脳へ転移すれば、PSAが低くても、生存は厳しい。
隣のマンションの公開緑地がとってもきれいだ。毎日庭師が入っている。それで管理費は特に高くないようなので、驚異。
実は、直前の週末にひどい腰痛になった。理由は分からないが、ドセタキセルが効かなくなったことから、骨盤に転移した癌が進行しているのだろう。突然痛み出し、土曜と日曜は部屋の中さえ歩けず、トイレに行くのも壁伝いという有り様。リフォームの時、廊下に手摺をつけるかどうかで悩み、結局構造的な問題で諦めたのだが、やっておくべきだった。有ると無しでは全く異なる世界なので。バリアフリーにしたのだけは良かったけれど、手摺も必要だった。寝ていても痛いが、気力がないので、一日中寝て過した。
月曜になると、突然痛みが治まったのが不思議。歩くフォームはぎこちないけれど、ゆっくり歩けば痛みはなく、移動にも問題はない。
ドセタキセルの投与は水曜日。PSAは35に急増していた。痛みから、大幅な上昇を予想はしていたが、35とは。治療開始時に戻ってしまい、言葉も出ない。主治医も慌てていた。何故なら最早効く薬は残っていないのだ。後は、ドセタキセルと併用している飲み薬を変えるだけ。エストラサイトをカソデックスに前回変えたけれど、全く効いていない。それ故の大幅上昇なので、オダインに変えると言う。この薬は前回全く効かなかった。恐らく次回の検査時のPSAはいくつになるのだろうか。3年生存は危うくなりつつあるように思え、病院内を歩いていて、お先真っ暗で、めまいがしてきた。来年はもう此処には来れないのかもしれない。帰宅後の夜は、目が冴えて全く寝られなかった。覚悟を決めないといけないのだろうか。
治験にもし参加できなければ、来年で人生に幕となる可能性が増してきているようだ。
主治医に腰痛の件を話し、放射線による緩和治療の希望を話すと、どうぞと言う。今までは放射線については乗り気でなかったが、全く手がないのだから、彼も宗旨替えのようだ。とはいえ、どこも紹介してくれないので、自分で探すことになる。有明の専門医がネットでヒットしたので、後で研究してみよう。治験をお願いしている大学病院は、そもそも治験のみとの話なので、無理だろう。医者に会うだけで2ヶ月かかる病院である。近所の病院にも伝手はない。また治験の条件には、「放射線治療の経験がないこと」というのが結構あるようだ。7月には治験の医師と会うので聞いてみる機会はあるが、それまでに痛みが再発した場合、放射線治療を延期すべきか、開始していいものか、悩む。
とはいえ、PSAだけじゃない、と自ら言い聞かせる。PSAが高くても生きている人は大勢いる。転移がどうなるかだろう。脳へ転移すれば、PSAが低くても、生存は厳しい。
隣のマンションの公開緑地がとってもきれいだ。毎日庭師が入っている。それで管理費は特に高くないようなので、驚異。
2012年5月17日木曜日
ドセタキセル14クール目、PSAは大幅上昇。がっくりくる。
以前、K大病院の先生が、あなたの症状ではドセタキセルが効いても半年程度だろう、と予言し、やはりそうなんだろうか、と思ったことがあったが、それよりは若干長かったが(ペプチドワクチンの効力もあるのかもしれない)、1年経たないのに、効かないことはほぼ確実になってきた。
これからは、可能ならば、治験薬をつないで、生き延び、それも無効になったら、ある程度ドセタキセルも休薬できれば体調も回復するので、再度ドセタキセルを使い、徐々に他の臓器へ転移し、緩和治療を受けながら死ぬまで、数年程度の時間を稼げるかもしれない。それでも、長くて何年かだろう。早ければ来年にはだめかもしれない。10年もドセタキセルで生きられたならば良いかな、という甘い期待は全く手に届かない願望ということになった。
主治医は、併用しているホルモン剤を、女性ホルモン剤のエストラサイトから、カソデックスに変えた。カソデックスは副作用は比較的少ない。エストラサイトのような女性化(乳房が膨らむなど)は無かった記憶がある。これもあまり効果があるとは思えないが、とにかく他に手は無いので、併用する薬をできるだけ変えて行きましょうとのこと。加えて、いつものゾラデックス(90日分)を注射した(この薬がとても高い)。
当日はがっくり落ち込んだが、今は何とか回復し、PSAだけじゃないし、まだまだ外出できる程度には体は動くし、副作用は別にしても、癌そのものは全く痛くもないし、と前向きに考えることにした。落ち込むのも早いが、回復も早くなった。副作用など、薬の効かないことに比べれば、全く大した問題ではないと実感。死が確実に近づいていることが一番の問題だ。
家の隣のマンションは周囲に公開の広い散歩道がある。庭師が常に入っていて、手入れが非常に良い。今年も石楠花が見事。花を見ていると、何故か元気になる。どうしてだろう。生命力のせいだろうか。できるだけ、花を見て過したい。
2012年5月14日月曜日
転院には失敗、何日か寝込むようになる
居住地の比較的近い病院に転院したいと思い、県内の某大学病院に、受診を申し込んでから1ヵ月以上過ぎた後に、漸く予約の日となり、予約時間の4時間後に担当医に会うことができた。大変混んでいた。いつも通りの混み方のようだった。
先方の先生から、当院は非常に混んでいるため、どこでも治療が可能な標準治療の患者の転院は受けていないこと、治験目的なら受けることもあり得るが、ドセタキセル無効の患者の治験は制限項目がかなり色々とあるため、対象となるかは別途確認しないと分からないとの答えだった。
後日主治医に転院を断られたことを告げるとともに、治験についての先方の真意について聞いてみたところ、治験については可能性はありそうなので、もし受けられるのであれば受けた方が良い、治験の対象になるかどうかは後日通知があると言っているので、それを待った方が良いとのこと。
転院が出来ないとなると、緩和治療目的の放射線照射は将来どこか別の病院を探さないといけない。また治験は同時に二つは受けられないため、久留米大のペプチドワクチン治療は即時中止しないといけない。治験の新薬も恐らくはいつまでも効く訳ではない。あくまでも延命効果が認められているというだけなので、いずれは効かなくなる。投与が打ち切られた後の治療はどうなるのか、不安が残る。
もし新薬の治験が駄目だとすると、ドセタキセルを引き続き続けることになる。副作用はどんどん悪化しており、薬も効かなくなり(とはいえ、ドセタキセルを完全に止めてしまうとPSAはあっという間に急上昇するだろうとのこと)、期待余命はかなり短くなりそうだ。
今回のクールでは運動は全くしていない。散歩程度、30分程度を数回した程度だが、散歩の翌日に寝込んでしまった。疲労感から動けない。歩けない。ずっと寝ていたら、何とか回復したが、投薬後2週間は安静にしていないといけないようだ。
久留米大病院で、PSAの上昇が不安であること、ドセタキセルの副作用がどんどんきつくなっていること、主治医からドセタキセル無効後の治験を勧められていること等を話したら、ペプチドワクチンの効果とPSAの相関性は必ずしもないのだそうで、ペプチドワクチンの効果が確認できていれば、延命効果はある程度あることが確認されているので、PSAの増減にあまり過度に悩むべきではない、との説明を受けた。一安心したが、「とはいえ、泌尿器科医としての立場からは、PSAも無視できないけれど」とのこと。
今後新薬の治験がもし可能だとなった場合には、どういう治療方針で行くのかを決めなければ行けない状況になりそうだ。自分の命に関わることだから、自分で決め、後で後悔しないようにしたい。
体調の悪化は心にも影響する。余命があとどのくらいなのだろうか、随分と思い悩んでしまった。
区役所通りのマロニエ(栃の木)が今年も満開になったが、通行人は誰も気にしていない様子。来年もまた見られると良いな。
先方の先生から、当院は非常に混んでいるため、どこでも治療が可能な標準治療の患者の転院は受けていないこと、治験目的なら受けることもあり得るが、ドセタキセル無効の患者の治験は制限項目がかなり色々とあるため、対象となるかは別途確認しないと分からないとの答えだった。
後日主治医に転院を断られたことを告げるとともに、治験についての先方の真意について聞いてみたところ、治験については可能性はありそうなので、もし受けられるのであれば受けた方が良い、治験の対象になるかどうかは後日通知があると言っているので、それを待った方が良いとのこと。
転院が出来ないとなると、緩和治療目的の放射線照射は将来どこか別の病院を探さないといけない。また治験は同時に二つは受けられないため、久留米大のペプチドワクチン治療は即時中止しないといけない。治験の新薬も恐らくはいつまでも効く訳ではない。あくまでも延命効果が認められているというだけなので、いずれは効かなくなる。投与が打ち切られた後の治療はどうなるのか、不安が残る。
もし新薬の治験が駄目だとすると、ドセタキセルを引き続き続けることになる。副作用はどんどん悪化しており、薬も効かなくなり(とはいえ、ドセタキセルを完全に止めてしまうとPSAはあっという間に急上昇するだろうとのこと)、期待余命はかなり短くなりそうだ。
今回のクールでは運動は全くしていない。散歩程度、30分程度を数回した程度だが、散歩の翌日に寝込んでしまった。疲労感から動けない。歩けない。ずっと寝ていたら、何とか回復したが、投薬後2週間は安静にしていないといけないようだ。
久留米大病院で、PSAの上昇が不安であること、ドセタキセルの副作用がどんどんきつくなっていること、主治医からドセタキセル無効後の治験を勧められていること等を話したら、ペプチドワクチンの効果とPSAの相関性は必ずしもないのだそうで、ペプチドワクチンの効果が確認できていれば、延命効果はある程度あることが確認されているので、PSAの増減にあまり過度に悩むべきではない、との説明を受けた。一安心したが、「とはいえ、泌尿器科医としての立場からは、PSAも無視できないけれど」とのこと。
今後新薬の治験がもし可能だとなった場合には、どういう治療方針で行くのかを決めなければ行けない状況になりそうだ。自分の命に関わることだから、自分で決め、後で後悔しないようにしたい。
体調の悪化は心にも影響する。余命があとどのくらいなのだろうか、随分と思い悩んでしまった。
区役所通りのマロニエ(栃の木)が今年も満開になったが、通行人は誰も気にしていない様子。来年もまた見られると良いな。
ラベル:
久留米大、ペプチドワクチン,
治験,
闘病記,
日常,
副作用
2012年3月21日水曜日
ドセタキセル11クール目(治療開始から1年8ヶ月)
11クールめで、PSAは13.9に上昇。微増だったので、誤差の範囲か。ドセタキセルと併用している薬(エストラサイト)について、主治医はもしPSAが上昇したら、他のものに変更すると言っていたが、今回は見送り、再度エストラサイトを続けることになった。
また、4月以降、家の近くの病院に移りたいと申し出たところ、大歓迎のようで、それなら早速MRと骨シンチも撮ってから、4月下旬に移って下さいとのことで、検査をすることになった。
病院を替わる理由としては、①今の病院は経営状態が悪化していて、患者数が少ないだけが取り得になっており、いつ閉鎖されるか分からないこと、②放射線科や緩和治療の設備がないため、骨に痛みが出たときの対策が取れないこと(結局他の病院に移るか、他の病院を紹介してもらわないと出来ない)、③家から遠いこと、の三つなのだけれど、主治医からは特に理由も聞かれなかった。
エストラサイトの点滴時には、冷却法で手と足とを冷やしたが、爪の悪化傾向は止まらなかった。効かないか。あるいは100円ショップで買った材料に問題があったのか。
アマゾンで売っている冷却手袋、ソックスは日本へは送付してくれないので、米国在住の知人に頼み、米国で受け取ってもらい、転送してもらうことになった。早く着かないかな。学会報告では効く例が多いとされているけれど、実践してみないことには分からない。300ドルもしたけれど、もし爪が守られるならば、安い買物かもしれない。
移る先の病院は、大学病院で、混んでいた。あまりの混雑にうんざりだけれど、医師数が多く、前立腺癌の専門医もいるので、期待しているが、どうなるか。がっかりという可能性もある。
ドセタキセル投与後、4日目に、近所の温泉施設に行き、温い湯に1時間半程度浸かったら、湯疲れが出て、寝込んでしまった。体力がないので、温泉は危険なのかもしれない。以前はその程度の時間浸かっていても、湯温は38度程度で体力を消耗することはなかったのだが、どうも湯が強いのと体力が70代並みなのとが相まって、気分が悪くなった、湯あたりとなったようだ。
治療の一環で、湯治にでも行こうかとのんびり考えていたが、投与の後1週間以内は無理ということが分かった。運動も出来ないし、外出もままならないから、湯治なら大丈夫かなと漠然と思っていたが、そんなに甘くないようだ。
また、4月以降、家の近くの病院に移りたいと申し出たところ、大歓迎のようで、それなら早速MRと骨シンチも撮ってから、4月下旬に移って下さいとのことで、検査をすることになった。
病院を替わる理由としては、①今の病院は経営状態が悪化していて、患者数が少ないだけが取り得になっており、いつ閉鎖されるか分からないこと、②放射線科や緩和治療の設備がないため、骨に痛みが出たときの対策が取れないこと(結局他の病院に移るか、他の病院を紹介してもらわないと出来ない)、③家から遠いこと、の三つなのだけれど、主治医からは特に理由も聞かれなかった。
エストラサイトの点滴時には、冷却法で手と足とを冷やしたが、爪の悪化傾向は止まらなかった。効かないか。あるいは100円ショップで買った材料に問題があったのか。
アマゾンで売っている冷却手袋、ソックスは日本へは送付してくれないので、米国在住の知人に頼み、米国で受け取ってもらい、転送してもらうことになった。早く着かないかな。学会報告では効く例が多いとされているけれど、実践してみないことには分からない。300ドルもしたけれど、もし爪が守られるならば、安い買物かもしれない。
ドセタキセル投与後、4日目に、近所の温泉施設に行き、温い湯に1時間半程度浸かったら、湯疲れが出て、寝込んでしまった。体力がないので、温泉は危険なのかもしれない。以前はその程度の時間浸かっていても、湯温は38度程度で体力を消耗することはなかったのだが、どうも湯が強いのと体力が70代並みなのとが相まって、気分が悪くなった、湯あたりとなったようだ。
治療の一環で、湯治にでも行こうかとのんびり考えていたが、投与の後1週間以内は無理ということが分かった。運動も出来ないし、外出もままならないから、湯治なら大丈夫かなと漠然と思っていたが、そんなに甘くないようだ。
2012年2月28日火曜日
会社は病欠
去年の8月に入院し、抗がん剤治療を始めたが、普通休暇を消化し、その他の休暇も全て使いきったので、今は病気療養での長期休暇扱いになっている。会社から出て来れるか、確認を受けたが、副作用のため、恐らく在宅勤務なら可能と答えたが、それは無理とのこと。来年度で管理職扱いを外れ、一般職社員に降格の上、病気休暇扱いしてくれることになった。但し、60歳まで。その後の再就職は断られた。働けないので、当然なのだが、もし生きていれば収入ゼロになる。
今後は病気の長期休暇なので、給与は出なくなるが、健康保険からの補填が貰える予定。貰える額は恐らく管理職時代の半分以下になるけれど、辞めても、退職金が増えることはないので、悩んだが、60歳までお世話になることにした。その間、制度が見直しになり、会社の状況は実質倒産に近いので辞めろといわれる可能性もあるけれど、様子を見ることにした。
通院している病院も、主治医が替わることもあり、家の近所の病院に移ることを検討中。脳外科、放射線科が今の病院にはないので、いずれはどこかへ移らないと行けないと思っていたので、潮時と思うが、PSAが上昇し、ドセタキセルと併用している薬を変えることを検討しましょうと言われている最中なのと、ペプチドワクチンを続けている最中なので、直ぐに外に移るのが良いのか悩んでしまった。
周囲は即刻変わった方が良いと言う。あれこれ悩む。
今後は病気の長期休暇なので、給与は出なくなるが、健康保険からの補填が貰える予定。貰える額は恐らく管理職時代の半分以下になるけれど、辞めても、退職金が増えることはないので、悩んだが、60歳までお世話になることにした。その間、制度が見直しになり、会社の状況は実質倒産に近いので辞めろといわれる可能性もあるけれど、様子を見ることにした。
通院している病院も、主治医が替わることもあり、家の近所の病院に移ることを検討中。脳外科、放射線科が今の病院にはないので、いずれはどこかへ移らないと行けないと思っていたので、潮時と思うが、PSAが上昇し、ドセタキセルと併用している薬を変えることを検討しましょうと言われている最中なのと、ペプチドワクチンを続けている最中なので、直ぐに外に移るのが良いのか悩んでしまった。
周囲は即刻変わった方が良いと言う。あれこれ悩む。
2012年2月2日木曜日
ドセタキセル(タキソテール)9クール目、告知から1年7ヶ月目
ドセタキセルの投薬も9クール目となった。PSAはまた微増で、11台に上昇し、がっかり。主治医は、極めて事務的に、次回の投薬日を決めて、帰ってしまったので、会話の余地なし。
最近の副作用は、以前のような投薬後3日目から7日目に強いものが出るのではなく、3日目くらいからずーと副作用が続いている感じがする。以前は10日目くらいから元気に戻ったが、そういうことはなくなって、体力は実年齢+15歳という気がする。
抗がん剤を始める前は水泳教室に週2回通っており、結構きつかったが、何とかついていけた。投薬開始と同時に止め、今は週一回程度近所のプールで元気な時だけ、1時間1000メートル程度を軽く泳いでいる。先週元気だと思ったので、ゆっくりと1000メートル泳いだら、その後は立てないほど疲れてしまった。どうもまだ回復していなかったようだ。
殆ど力を入れない泳ぎなので、以前は疲れることはなかったが、8クール目からものすごく疲れるようになった。このプールには老人のグループが沢山来ていて、80代みたいな人も、ばんばん泳いでいるのだが、全くそんな連中の真似は出来ない。抗がん剤を始める前は激しい泳ぎもできたけれど、今は無理。クイックターンは怪我が怖い(足先がやられる)、早く泳ぐと腕をコースロープにぶつけて指先を怪我するかもしれない、飛び込みは禁止なのだが、あれも骨折のリスクが少しあるから無理だろう。赤血球がとても少ないから、有酸素運動の激しいのは無理なのだ。
下痢は薬で抑えているが、失禁等も日常茶飯事なので、外出はトイレがいつでも行ける場所のみ選んで行くことになる。
爪が割れてしまったので、常にクリーム等を塗り、夜は手袋をしている。100円ショップでそういう用途の手袋を売っていたので、大量に買い込んだ。爪を保護するマニキュアもあるらしいので、今度マツキヨで聞いて見ようと思う。
最近の副作用は、以前のような投薬後3日目から7日目に強いものが出るのではなく、3日目くらいからずーと副作用が続いている感じがする。以前は10日目くらいから元気に戻ったが、そういうことはなくなって、体力は実年齢+15歳という気がする。
抗がん剤を始める前は水泳教室に週2回通っており、結構きつかったが、何とかついていけた。投薬開始と同時に止め、今は週一回程度近所のプールで元気な時だけ、1時間1000メートル程度を軽く泳いでいる。先週元気だと思ったので、ゆっくりと1000メートル泳いだら、その後は立てないほど疲れてしまった。どうもまだ回復していなかったようだ。
殆ど力を入れない泳ぎなので、以前は疲れることはなかったが、8クール目からものすごく疲れるようになった。このプールには老人のグループが沢山来ていて、80代みたいな人も、ばんばん泳いでいるのだが、全くそんな連中の真似は出来ない。抗がん剤を始める前は激しい泳ぎもできたけれど、今は無理。クイックターンは怪我が怖い(足先がやられる)、早く泳ぐと腕をコースロープにぶつけて指先を怪我するかもしれない、飛び込みは禁止なのだが、あれも骨折のリスクが少しあるから無理だろう。赤血球がとても少ないから、有酸素運動の激しいのは無理なのだ。
下痢は薬で抑えているが、失禁等も日常茶飯事なので、外出はトイレがいつでも行ける場所のみ選んで行くことになる。
爪が割れてしまったので、常にクリーム等を塗り、夜は手袋をしている。100円ショップでそういう用途の手袋を売っていたので、大量に買い込んだ。爪を保護するマニキュアもあるらしいので、今度マツキヨで聞いて見ようと思う。
2011年12月8日木曜日
幸せは歩いて来ない
久留米に通うと、治療の前後に近辺のホテルに泊まるため、時間が沢山できる。普段見ないTVも結構見ることになる。その中で、NHKの100分で名著を読むという番組があり、アランの「幸福論」を取り上げていたのを見たが、結構面白くてためになった。NHKを辞めたはずのアナウンサーが司会だったのにも少々びっくり。
アランの本は読んだことがない。哲学書は苦手意識があったのだが、何せ読まなくても読んだ気にさせる安易なTV番組なので、簡単なエッセンスだけをぼんやりした記憶で辿ると、
・幸せになるのは、市民の義務である。不幸は伝播するので、あなたが不幸であることは周りも社会も不幸にする。
・どんなに過酷な状況でも、小さな幸せを積極的に見つけ出し、幸せと思えれば、幸せになれる。過酷な状況そのものを変えることは出来ないから、心の持ちようで、不幸にもなり、幸福にもなる。
・幸福だから笑うのではなく、笑うから、幸福になるのだ。
・幸せは向こうから歩いて来ない。(星野哲郎はアランの愛読者だったみたい。)
ということらしい。ポジテイブ・シンキングというより、生き方の哲学みたいなものだろうか。市民の義務とまで、断言するところがすごい。
私の母は、過去20年口癖で毎日私は不幸だと言い続けてきたが、確かにそれが周囲をどれだけ不幸な気分にしたことか。悪い見本が身近にあるので、結構納得のいく番組だった。ぼくも癌だから、不幸だと考えても、病気や事態が改善されるわけでもないし、不幸だと思い続けて闘病生活をするのと、幸せだと思いながら死ぬのがどちらが良いかと言えば、当然後者だろうから、心を切り替えて、毎日を幸せ探しで生きて行こうと思う(ちょっとアランの趣旨と違うか)。家族が不幸な気持ちになると、それはまた患者をも不幸な気分にするから、悪循環になり、結局自分にも跳ね返る。
あべるっちさんの旦那さんなんか、まさに実践されているのかも。
という訳で、癌になったけれど、幸福だなと思えることを探してみた。結構無理やりだけれど。
・自宅療養で、暇が出来、本を沢山読めるようになった。
・短い人生でも、内容次第かなと思えるようになった。
・一人でさびしい老後の不安がないのは、ラッキーかも。
・周囲の人の親切が身にしみる(席を譲ってもらうと嬉しい)。
・末期癌でも、まだまだ久留米まで行ける体力もあるし、多少の見物も出来る。
・良い友人がいた。
などなど。
アランの本は読んだことがない。哲学書は苦手意識があったのだが、何せ読まなくても読んだ気にさせる安易なTV番組なので、簡単なエッセンスだけをぼんやりした記憶で辿ると、
・幸せになるのは、市民の義務である。不幸は伝播するので、あなたが不幸であることは周りも社会も不幸にする。
・どんなに過酷な状況でも、小さな幸せを積極的に見つけ出し、幸せと思えれば、幸せになれる。過酷な状況そのものを変えることは出来ないから、心の持ちようで、不幸にもなり、幸福にもなる。
・幸福だから笑うのではなく、笑うから、幸福になるのだ。
・幸せは向こうから歩いて来ない。(星野哲郎はアランの愛読者だったみたい。)
ということらしい。ポジテイブ・シンキングというより、生き方の哲学みたいなものだろうか。市民の義務とまで、断言するところがすごい。
私の母は、過去20年口癖で毎日私は不幸だと言い続けてきたが、確かにそれが周囲をどれだけ不幸な気分にしたことか。悪い見本が身近にあるので、結構納得のいく番組だった。ぼくも癌だから、不幸だと考えても、病気や事態が改善されるわけでもないし、不幸だと思い続けて闘病生活をするのと、幸せだと思いながら死ぬのがどちらが良いかと言えば、当然後者だろうから、心を切り替えて、毎日を幸せ探しで生きて行こうと思う(ちょっとアランの趣旨と違うか)。家族が不幸な気持ちになると、それはまた患者をも不幸な気分にするから、悪循環になり、結局自分にも跳ね返る。
あべるっちさんの旦那さんなんか、まさに実践されているのかも。
という訳で、癌になったけれど、幸福だなと思えることを探してみた。結構無理やりだけれど。
・自宅療養で、暇が出来、本を沢山読めるようになった。
・短い人生でも、内容次第かなと思えるようになった。
・一人でさびしい老後の不安がないのは、ラッキーかも。
・周囲の人の親切が身にしみる(席を譲ってもらうと嬉しい)。
・末期癌でも、まだまだ久留米まで行ける体力もあるし、多少の見物も出来る。
・良い友人がいた。
などなど。
ラベル:
久留米大、ペプチドワクチン,
闘病記,
日常
2011年11月28日月曜日
6クール目
PSAは、8月には主治医が検査をしなかったので(意図的なもの)、最高値が良く分かっていないのだが、9月に16、11月に11に低下したが、6クール目の検査で13にまた上がってしまった。ショックで、少々へこんだ。
医師に今後の治療方針を聞くと、あいかわらずのぶっきら棒で「当分このまま」とのこと。4クール目までPSAが下がらない治療例が知られているとのことだが、流石に6クール目では症例はないだろうとのこと。外に薬の選択肢はないので、ドセタキセルは(死ぬまで)続けるということらしい。
今後PSAはどうなりますか、と聞くと、わかりません。との答え。患者の気持ちは理解せず、重要な情報は出さず、淡々と、最小限しか答えない主治医。3月に出向先の大病院へ戻るらしいので、あと数ヶ月のお付き合いだけれど、次はもっと会話のできる医師が来てくれるといいかな。患者の余計な心配、不安を掻き立てるのは避けたいという気持ちも理解できなくはないのだが。
もっとPSAが高くても、ドセタキセルを続けて、生きているいる人も多いようなので、頑張るしかないか。副作用は5クール目に比べれば軽くて済んでいる。
医師に今後の治療方針を聞くと、あいかわらずのぶっきら棒で「当分このまま」とのこと。4クール目までPSAが下がらない治療例が知られているとのことだが、流石に6クール目では症例はないだろうとのこと。外に薬の選択肢はないので、ドセタキセルは(死ぬまで)続けるということらしい。
今後PSAはどうなりますか、と聞くと、わかりません。との答え。患者の気持ちは理解せず、重要な情報は出さず、淡々と、最小限しか答えない主治医。3月に出向先の大病院へ戻るらしいので、あと数ヶ月のお付き合いだけれど、次はもっと会話のできる医師が来てくれるといいかな。患者の余計な心配、不安を掻き立てるのは避けたいという気持ちも理解できなくはないのだが。
もっとPSAが高くても、ドセタキセルを続けて、生きているいる人も多いようなので、頑張るしかないか。副作用は5クール目に比べれば軽くて済んでいる。
2011年11月5日土曜日
抗癌剤投与の帰り、小田急で席を譲られた
金曜は、主治医の病院で、タキソテール(ドセタキセル)、ゾメターの投与日。10時半頃に病院に行き、血液検査をしたのだが、投与開始は1時半。終わったのが、4時だった。一日仕事。腕の角度や位置で点滴の速度がまるで変わることに気がついた。本を読んだり、寝たりすると、点滴が流れなくなっていたようで、時間がやたら掛かった。次回からは気をつけよう。
帰り道、新宿駅で若い人から席を譲られた。生まれて初めての経験。まだ56歳なんだけれど。どうも70代くらいには見えるのかな。或いは病気ということが見え見えなんだろうか。有難く好意はお受けしたけれど、複雑な気分。疲れている時が多いので、そういう時は、優先席で、席を詰めてもらったり、おばさんが占拠している荷物をどかさせたりして座ることが多いけれど、普通席で席を譲ってもらったのは初めて。
自分の考える自分と、他の人から見えている自分のギャップに悩む。すごい病人に見えるのかな。その日は特に疲れていないし、副作用も出ていないのだけれど。主治医はできれば働けというスタンスだが、勤務先では、恐らく歓迎されないだろうな。
帰り道、新宿駅で若い人から席を譲られた。生まれて初めての経験。まだ56歳なんだけれど。どうも70代くらいには見えるのかな。或いは病気ということが見え見えなんだろうか。有難く好意はお受けしたけれど、複雑な気分。疲れている時が多いので、そういう時は、優先席で、席を詰めてもらったり、おばさんが占拠している荷物をどかさせたりして座ることが多いけれど、普通席で席を譲ってもらったのは初めて。
自分の考える自分と、他の人から見えている自分のギャップに悩む。すごい病人に見えるのかな。その日は特に疲れていないし、副作用も出ていないのだけれど。主治医はできれば働けというスタンスだが、勤務先では、恐らく歓迎されないだろうな。
2011年8月31日水曜日
ドセタキセル(タキソテール)投与2クール目
今日は、タキソテールの2クール目。10時40分頃に病院へ行き、血液検査に並び、その後神経科へ行き、引き続きの抗鬱剤(リフレックス)を貰い、昼食を院内で食べ、泌尿器科へ12時半に行くと、病室で投与するので病室へ行くように指示される。
病室では、相変わらずの主治医が突然今日はゾメターはやらないと言い出すが、説明する気がなさそうなので、次回聞くことにする。この人はまるで患者の意思や意見に耳を傾けない。一方的に発言をして終わり。困ったので、看護士に血液検査の結果を貰い、次回(9月9日に血液検査で来ることになったので、その時に)ゾメターについて聞くことにする。投与すべきだと思うが、何か理由があるんだろうが。そのために、親知らずを2本も抜いたのに。
結局12時半に開始した点滴(水分→吐き気防止剤(ステロイド剤、胃腸薬)→タキソテールの順で、終了は3時。一日仕事になってしまった。
薬局で薬を貰ったら、4時頃でした。
病室では、相変わらずの主治医が突然今日はゾメターはやらないと言い出すが、説明する気がなさそうなので、次回聞くことにする。この人はまるで患者の意思や意見に耳を傾けない。一方的に発言をして終わり。困ったので、看護士に血液検査の結果を貰い、次回(9月9日に血液検査で来ることになったので、その時に)ゾメターについて聞くことにする。投与すべきだと思うが、何か理由があるんだろうが。そのために、親知らずを2本も抜いたのに。
結局12時半に開始した点滴(水分→吐き気防止剤(ステロイド剤、胃腸薬)→タキソテールの順で、終了は3時。一日仕事になってしまった。
薬局で薬を貰ったら、4時頃でした。
2011年8月14日日曜日
ドセタキセル(タキソテール)の副作用
主治医によれば、ドセタキセルの激しい副作用、特に骨髄抑制が出るのは、点滴後7~14日頃とのこと。
今の薬は吐き気が抑えられるようになり、以前よりずいぶんと楽になったのだそうだ。それでも、10日にドセタキセルを点滴して、翌日はひどい下痢、その後は収まりつつあるが、4日目もおなかは緩い状態。また翌日から口内が腫れたような、口内炎のような味が感じられないような状態。食欲はあるが。3日目から風邪のような症状で、体中の関節が痛いというか、腫れたような、風邪のとき節々が痛いような状況。また4日目から足の裏が腫れ、歩くのが辛い。きつい靴は全部捨てたが、確かにスニーカー以外の革靴で歩くのは辛そう。体がだるく、階段の上り下りがしんどい。
これらは、ごく軽い副作用らしい。
7日目頃から、骨髄抑制で、白血球、赤血球が大きく減るので、重篤な副作用が現れる可能性があるとのこと。
今回は、6月に親知らずを抜いたため、歯科医師の勧めで、ゾメターは9月から使用するようにとされているため、ゾメターは使用せず。
点滴した薬は、
ドセタキセル150mg
ブラニセトロン 3mg
デカトロン 6.6mg
ガスター 20mg
でした。終わるまで、4時間半かかりました。結構長くかかった。
今の薬は吐き気が抑えられるようになり、以前よりずいぶんと楽になったのだそうだ。それでも、10日にドセタキセルを点滴して、翌日はひどい下痢、その後は収まりつつあるが、4日目もおなかは緩い状態。また翌日から口内が腫れたような、口内炎のような味が感じられないような状態。食欲はあるが。3日目から風邪のような症状で、体中の関節が痛いというか、腫れたような、風邪のとき節々が痛いような状況。また4日目から足の裏が腫れ、歩くのが辛い。きつい靴は全部捨てたが、確かにスニーカー以外の革靴で歩くのは辛そう。体がだるく、階段の上り下りがしんどい。
これらは、ごく軽い副作用らしい。
7日目頃から、骨髄抑制で、白血球、赤血球が大きく減るので、重篤な副作用が現れる可能性があるとのこと。
今回は、6月に親知らずを抜いたため、歯科医師の勧めで、ゾメターは9月から使用するようにとされているため、ゾメターは使用せず。
点滴した薬は、
ドセタキセル150mg
ブラニセトロン 3mg
デカトロン 6.6mg
ガスター 20mg
でした。終わるまで、4時間半かかりました。結構長くかかった。
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