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2010年10月27日水曜日

副作用

カソデックスとリューブリンの副作用は、あまり強くないらしい。治療を始めて1月半以上経過したが、おおきな副作用はなかった。乳房が出た訳ではないし、体重も増えていない。これは食事が大きく変わったせいもあるかもしれないが。しかし、女性の更年期障害のような症状、すなわち、疲れやすい、だるい、鬱的な気分、冷え性、ホットフラッシュは時々あり、また直接関係があるかどうか分らないが、頻尿、尿漏れがある。最後のものは、手術も放射線治療もしていないので意外なのだが、すごい頻尿になった。

勃起については、時々する。勃起すなわち男性ホルモンの分泌であること、つまり薬が効いていない可能性があることから、心理的不安もあり、あまりその気にならない、なれない。なったとして、薬が効かなかったらどうしよう、という不安の方が大きいかもしれない。

精神的な不安による症状もあるかもしれない。それは良く分からない。精神科へ行っていないし、睡眠導入剤は緑内障に悪影響があるらしいので、緑内障治療中だから、あまりそういう薬は飲みたくない。本当は、将来の緑内障より、今の癌の治療の方が大事なのだけれど。

時々、骨に転移したところや、関節や頭痛が起こる。転移が進んでいるようで怖い。これは副作用というより、一時的な症状なんだろうと信じたい。

2010年10月22日金曜日

癌が見つかった経緯

今年の8月、通っている水泳教室でバタフライをやった。結構きつい練習だった。翌日の夜、腰が痛くなった。それから、起き上がれないほど、場合によっては寝返りが打てないほど痛かった。前にも腰痛はあったので、またお盆の時期でもあり、近所の整骨院で見てもらうと、ぎっくり腰だろうと言う。マッサージを受け、一週間程度、一日おきに通ったが全く改善しない。以前腰痛だったときと状態が異なるので、病院へ行くことにした。

病院でレントゲンを取ると、脊髄が曲がっているという。それが神経を圧迫しているらしい。痛み止めを貰った。その足で同じ病院の泌尿器科へ。その週に、精液が真っ赤で、血が混じっている(というか、ほとんど血)ことがあったので、不安で受診した。歩けない患者を見て、医者は、PSAは?と聞く。はて。48歳のときに人間ドックで調べたが異常なしだったので、それ以降調べていないというと、直ぐに検査しましょうとのこと。腰の痛みは、もらった薬を昼に飲むと、夕方にはびっくりする程改善した。会社まで、普段1時間半で行くところ、歩けないため、2時間半かかっていたのが、その後はすいすい歩けた。

PSA採血の結果は8月末に出た。PSAは35。医者は、「転移の可能性がある」という。やはり癌か、と思った。翌週、直ぐに生険のために入院。順番待ちもなにもなく、即入院となった。MRI、骨シンチ検査をし、翌日検体を取った。先生が押し込んでくれたため、検査も結果も早い。入院中の夜に医者から、「癌で、悪性で、骨に転移している」と告げられた。そして、翌日からホルモン療法をしましょうと言われ、退院した日からカソデックス(抗アンドロゲン剤)を毎日飲みだした。

初めて泌尿器科にかかってから、告知、治療開始まで、たったの18日。その間、いろいろと本を読み、ブログを見、自分が末期の前立腺癌で、重篤で、治らないことを知った。「先生、余命はどうなんでしょう?」と聞くと、「いろいろなケースがある。薬が効いて10年以上元気な人もいれば、効かない例もある」との答えだった。

家族、親しい友人に、「末期癌だったこと、余命は平均で3年であること、治らないが、薬が効いている間は元気らしいこと、効かなくなると1年で死ぬ可能性が高いこと」などを告げた。悲しいということはなく、運命かな、今まで好き勝手やってきたから、と醒めていた。まだ実感が湧いていないためだったんだろう。それから、つらい日々がやってくる。

2010年10月21日木曜日

末期の前立腺癌と診断されたのは今年9月

今年9月に55才になった。しかしおめでたくないことが起きた。腰痛で見てもらった病院で、泌尿器科で病期D2、骨転移の末期前立腺癌と告知されたのだ。動転した。本を読んだ。5年生存率が20から30%、半分の患者は3年で死ぬ。恐ろしい、重篤な、治癒不能の病期。死は目の前。

9月から早速内分泌療法(カソデックス80とリューブリン)を開始。PSAは8月35から9月に28、10月には2にまで低下した。但しAPLは1600と異常だ。

治療は始まったばかり。前立腺と共存し、食事療法で、何とか長生きしたい。治癒は無理だが、共存して生き延びたい。