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2011年12月26日月曜日

来年は引きこもりから脱出したい

7クール目の投与から6日目。4日目、5日目は副作用がきつく、寝込んでいた。大体投与後の1週間は引きこもらざるを得ない状況。同じ薬で、働いている人も沢山いるらしいのに。個人差がドセタキセルについては大きいらしいが、ぼくにとっては投与後の3、4、5日目を含む1週間は、今までの経験の限りでは、働くことはちょっと難しい。とはいえ、もし幸いにも、ドセタキセルが長く効いて、3年以上長生きが出来ることになると、年金は63歳からで(それも怪しい)貰える金額も小額なので、生活費も稼がないといけないし、老後の不安が出てくる。また、一生引きこもっているわけには行かないだろう。3週間毎に、1週間か10日は働けないけれど、後の10日程度は働ける(軽い労働だろうが)という仕事は、ないだろうか。無いだろうな。ぼくが経営者だったら、そういう人を雇うとは思えない。健康な暇な中高年も沢山いて、仕事を探しているだろうからね。

自分で仕事を作る、起業をするしかないのかも。何の才能もとりえもないのだけれど。知人で株のデイトレードを始めた人がいたが、儲かっているようには思えなかった。ネットで出来る仕事を探そうか。時間はあるので、来年じっくり考えよう。

今年は、8月まで現役で仕事。8月に入院してからは自宅に引きこもっていたけれど、住んでいる集合住宅の理事会だけは何とか無事に任期を終えることが出来た。理事長を引き受けさせられたが、懸案の修繕積立金不足も、長期修繕計画と積立金値上げが総会で決議されたし、解決のめどが立ったので、一応世間の義理は果たせたかな。但し、母親の問題はこじれたまま。

理事会は、途中でぼくの容姿が変わったので、皆さん驚いたのだろうと思う。抗癌剤ですか、と聞いた人はいなかったのは有難かった。また、理事会の業務量も少なく(昔住んでいた千葉の団地は、毎週のように会合があり、負担も大きく、自治会と重複していたので大変だったのに比べれば楽勝だった)、自治会もないので、作業量が少なかったこともある。10年後にはまた順番が回ってくる。その時までここに住んでいられるだろうか。積立金の値上げは痛かったな。自分で値上げを提案しておいて、何だけれど。




2011年12月23日金曜日

ドセタキセル(タキソテール)7クール目

D2の告知をされてから、1年4ヶ月目。

抗癌剤の無かった昔は、D2の3年生存率はとても低かったし、5年生存率は1割程度だったのではないかと思うが、ドセタキセルの使用開始以降はどうなんだろう。もう少し延びたのだろうか。そうだと良いな。

やっと7クール目になった。副作用は相変わらずで、足がむくむため歩くのが辛い、手足の痺れ、味覚障害、悪心(我慢できる程度にまでなった)、爪の変色と痛み、胃腸障害(下痢は大分緩和されてきた)、全身の髪が殆ど抜けた、咽喉が痰でつまり変な咳が出る、などなど。投与の翌日は、具合が悪くて、寝込んでしまった。3日目からは歩ける程度には回復した。副作用の出方が毎クールで異なるのが不思議。人によっては、7、8クールで良くなることもあるらしい。今のところは、そうした兆候はなく、累積しているような気がする。特に爪がひどい。痛いし、弱くなっている。割れそうな雰囲気あり。

味覚障害には亜鉛とビタミン剤が効くと聞いたため、コンビニでサプリメントを購入。飲んでいるが、効き目の程度は良くわからない。

ドセタキセルに加え、ゾラデックス、エストラサイト、プレドニゾロン(ステロイド剤)など、以前から投与または飲んでいる薬を併用しているが、病院によっては併用はしないらしい(久留米大での情報)。ステロイド剤は、本によっては恐ろしいことが書かれており(例えば、大野更紗さんの本)、ちょっと怖い薬だが、処方されたとおり飲んでいる。エストラサイトの副作用による体の女性化はどんどん進んでおり、体重も落ち、筋肉も落ち、ふっくらとした体型になった。筋肉が落ちたのは、運動ができなくなっているためもあるのだろうけれど。

ドセタキセルによるQOLの低下、生活の激変は残念だけれど、もしやっていなかったら、死がもっと近づいていたような気もするので、前向きに考えるようにしている。PSAもまた13台から12台に低下したが、誤差の範囲かも。

今日は姉夫婦に夕食を招かれたので、家から5分程度の近所のレストランまで出かけた。歩くのは少々しんどかったけれど、引きこもっていても、体力が弱まる一方なので、少々無理してでも出かける。味は良く分からなかったのが残念。ウルソ(肝臓の薬)は処方がなくなったので、今は飲んでいないのだが、止めてから、酒が少し飲めるようになった。とはいえ、ビールでコップ1杯程度だけれども。

生きてまた正月を迎えられそうなのは、目出度い。でも、年賀状で新年を祝う気持ちにはまだなれなかった。年賀状で、まだ生きているよ、と告げるのも、告げられた方はびっくりするか、嫌な気持ちになるかかもしれないし、同情してくれと言っているようでもあるので、出さないことにした。東北の被災地の人が、年賀状を出したくない気持ちが良く理解できる。頑張ってね、とは言われたくないしね。


2011年12月8日木曜日

幸せは歩いて来ない

久留米に通うと、治療の前後に近辺のホテルに泊まるため、時間が沢山できる。普段見ないTVも結構見ることになる。その中で、NHKの100分で名著を読むという番組があり、アランの「幸福論」を取り上げていたのを見たが、結構面白くてためになった。NHKを辞めたはずのアナウンサーが司会だったのにも少々びっくり。

アランの本は読んだことがない。哲学書は苦手意識があったのだが、何せ読まなくても読んだ気にさせる安易なTV番組なので、簡単なエッセンスだけをぼんやりした記憶で辿ると、

・幸せになるのは、市民の義務である。不幸は伝播するので、あなたが不幸であることは周りも社会も不幸にする。
・どんなに過酷な状況でも、小さな幸せを積極的に見つけ出し、幸せと思えれば、幸せになれる。過酷な状況そのものを変えることは出来ないから、心の持ちようで、不幸にもなり、幸福にもなる。
・幸福だから笑うのではなく、笑うから、幸福になるのだ。
・幸せは向こうから歩いて来ない。(星野哲郎はアランの愛読者だったみたい。)

ということらしい。ポジテイブ・シンキングというより、生き方の哲学みたいなものだろうか。市民の義務とまで、断言するところがすごい。

私の母は、過去20年口癖で毎日私は不幸だと言い続けてきたが、確かにそれが周囲をどれだけ不幸な気分にしたことか。悪い見本が身近にあるので、結構納得のいく番組だった。ぼくも癌だから、不幸だと考えても、病気や事態が改善されるわけでもないし、不幸だと思い続けて闘病生活をするのと、幸せだと思いながら死ぬのがどちらが良いかと言えば、当然後者だろうから、心を切り替えて、毎日を幸せ探しで生きて行こうと思う(ちょっとアランの趣旨と違うか)。家族が不幸な気持ちになると、それはまた患者をも不幸な気分にするから、悪循環になり、結局自分にも跳ね返る。

あべるっちさんの旦那さんなんか、まさに実践されているのかも。

という訳で、癌になったけれど、幸福だなと思えることを探してみた。結構無理やりだけれど。

・自宅療養で、暇が出来、本を沢山読めるようになった。
・短い人生でも、内容次第かなと思えるようになった。
・一人でさびしい老後の不安がないのは、ラッキーかも。
・周囲の人の親切が身にしみる(席を譲ってもらうと嬉しい)。
・末期癌でも、まだまだ久留米まで行ける体力もあるし、多少の見物も出来る。
・良い友人がいた。

などなど。