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2012年10月27日土曜日

ホルモン療法と男らしさ

前立腺癌の成長には男性ホルモンが必要なのだそうだ。内分泌療法は、だから体から男性ホルモンを取り除くことを目的とした治療になる。昔は、手術で去勢が行われていたそうだ。今でも治療費が安いので、一部ではやられているそうだ。しかし、やはり手術には抵抗があるのだろうか、専ら薬で、注射で、化学的に男性ホルモンを抑えることが一般的だ。

ただ、男性ホルモンは精巣(睾丸)から生成されるだけではなくて、副腎からも男性ホルモンの類似物質(アンドロゲン)が出ているため、これも抑えないといけない。それで抗アンドロゲン剤でこれも抑える必要がある。

ホルモン療法は、男性ホルモン(テストステロン)も、アンドロゲンも抑える療法なので、男性としての機能は、仮に物理的には残っていても、殆ど機能しないことになる。男性ホルモンが手術や薬によって去勢されれは、当然勃起や射精に影響が出るだろうし、もし出ないのであれば、男性ホルモンが除去されていない可能性が高いということになる。

ということで、ホルモン療法や、その後のエストラサイト(女性ホルモン剤)は、男性の機能に大きく影響する。エストラサイトは女性ホルモンなので、乳房が出てくるなど、外見的な面まで作用していく。どちらも、男として長く生きてきた人間にとっては厳しい選択だ。命には代えられないとしても。

プロゴルファーの杉原輝雄が、前立腺癌と診断されて、一時ホルモン治療を拒んだという話を新聞で読んだことがある。男性ホルモンを除去すると、男として闘争本能がなくなるから、プロゴルファーとして続けることができなくなってしまうから、というのが理由だったように記憶している。命より、仕事、男としての機能を選んだということなのだろう。(がんサポートに詳しい記事が載っていました。)

映画監督の深作欣二も、前立腺癌と診断され、治療を拒んだため、手遅れとなったという話を読んだ記憶がある。

ある友達に、ホルモン療法を始めたこと、いろいろ副作用があるということを話したら、「それで、お前、今も勃起するの?」と気楽に聞かれ、とっても落ち込んだことがある。男だから、男性機能を失う、さらには体つきも女性化するというのは、深刻で悲しい事態なのだけれど、何の思いやりもなく、そう聞かれ、とてもがっかりした。乳癌や子宮癌を患う女性も、同じような複雑な気持ちを持つのではないだろうか。患者以外の人間にとっては、男らしさや女らしさを失うことが、どんなに本人にとって重大なことか、気がつきにくいのかもしれない。命のが大事だろうと言われてしまえばそれまでだし。でもね、旦那さんがホルモン治療を受けた場合、奥さんは、男性機能について、旦那さんと会話できるのだろうか。奥さんが乳癌の患者だったとして、ホルモン治療を受けているとき、夫とはどんな会話をするのだろうか。或いは全く触れないのだろうか。

今飲んでいるアビラテロンも、男性ホルモンを抑える薬なので、男性としての機能は大きく影響を受けている。性生活など、最早ないし、死ぬよりはましと諦めているので、全く構わないのだけれど、もし構う人がいたとすれば、その人にとっては深刻な治療法だろうと思う。

男性ホルモンの抑制は性格にも影響するような気がする。昔はときたまキレたり、激怒して怒鳴ったり、仕事でも、闘争心というか、ものすごく挑戦的な気持ちがあったと思うけれど(会社では若い頃から生意気な奴と言われ続けてきた)、今は怒ることなし。闘争、挑戦など、全くそういう気持ちにならない。面倒くさいことは全て回避。高望みはしない。苦労など考えたくも無い。揉め事には関わらない。平穏で静かな生活がしたい。女性には怒られそうだが、なんだか女性的な性格になったような気がする。

結構微妙で深刻な問題なのに、医師は治療の方が重要と割り切っているし、それについては、患者は諦めざるを得ないのだが、こうした面のつらさについてはあまり語られていないような気がする。
まるで花火のような国立劇場大劇場のシャンデリア。



2012年10月24日水曜日

全がん協の生存率データ

NHKのニュースで、全国がんセンター協議会(全がん協)が全国のがんの生存率を発表したというので、早々アクセスして見た。前立腺癌で、病期4(遠隔転移あり)で、50歳代の場合、50パーセント生存率は5年超となっている。症例数は期待した程ではなかったけれど、一応最新データらしいのと、症例数がまとまっているのと、全国のがんセンターを網羅している数値らしいので、信頼性は高いのかもしれない。

すい臓がんの数値が驚異的に低い。それに比べれば、半数が5年たっても生きている可能性が高いというのは、辛い事実ではあっても、余命が長いということなのだろう。かつては3年以下と言われていたのが、ドセタキセルが利用可能になったことが影響しているのだろうか。

しかし不可解なのが、データが最新といいつつ、2004年までのデータとなっていること。これでも最新?何かの間違いかと思うが、これだと最新ではないのでは。2004年に治療開始で、5年で2009年ということ?2004年当時だとドセタキセルはまだ治験段階かもしれないし。

他の病気で死ぬ場合もあるので、補正もされていること、データの信頼度についても解析されていることから、一応参考にはなる。

前立腺癌で骨に転移していても、半分程度の人は、5年は生きられるのね。でもホルモン剤、化学療法が2年弱で無効となった私のような場合にも5年超生きられたのか、どうか。恐らく、5年生きられない半数の方に入っていた可能性が高そうな気がする。(今でもまだ治療開始から2年2カ月しか経っていないのだけれど。)

大学病院は何故か全がん協には入っていないため、データの対象外なのが残念な限り。


ひいらぎの花。小さくて気がつかなかったが、良い香り。花が咲くとは知らなかった。咲かないと赤い実がつかないしね。

2012年10月19日金曜日

何もしない毎日

アビラテロンの治験開始から約二月経過した。PSAは通っている病院では直ぐに検査結果が出ないため、どうなっているのか分からないのだが、体調は良くなったり悪くなったりを繰り返している。大腿骨への転移を原因とする神経の痛みは治まったものの、腰痛は完全に無くならず、ヘルニアの痛みが時々出る。また疲労感があり、先週末は二日間寝込んでしまった。何の運動もしていないのだけれど、むやみに疲れる。肝機能は正常値なので、肝臓ではないらしい。化学療法を始めたばかりの頃は水泳のドリルなんかが出来ていたから、その時よりずっと運動機能は低下している。筋肉はほぼ無い状況。男性ホルモンもないので、足が浮腫み、痛くて寝られないことがある。冷え性にもなり、ホットフラッシュもかなりきつい。更年期障害のきつさを味わう毎日。

毎日が暇だ。でも好きな運動は無理だし、長距離を歩くと疲れるので、出来ることは限られる。本も集中すると疲れる。ビデオも同様。

先週母親に会いに行った。普段あまり会話はしないのだけれど、「最近はなにをしているの?」と珍しく聞かれた。「何もしていない。」と答えると、「勉強はしていないの?」と聞く。何も勉強してないなあ、と考えているうちに、気分が落ち込んでしまった。

私の母親は、家事を「馬鹿な女のする事」と定義しているらしい。そうはっきりと言ったことがあるのを覚えている。彼女には、家事よりも、もっと崇高な仕事があるので、家事に割く時間はもったいないのだそうだ。彼女の家は、その結果ゴミ屋敷状態となり、じゅうたんの埃を隠すため、別のじゅうたんをその上に敷き、買物依存の彼女が買った衣服を入れる場所がないため、家中に箪笥を置いたため、まともに歩けず、彼女と父親の溢れ帰る物で家の中は座る場所がないほどだった。片付ける才能ゼロ。発達障害なのではないか、と私は睨んでいるのだが、整理整頓が全くできない人だった。あるときから家事はしないと宣言し、掃除を含め、最低限のことしかやらなくなった。そういう考えの人なので、「毎日病気療養で暇だろうから、当然何か勉強でもしているんだろう」というつもりで聞いているようだった。何もしていないのは事実だが、話していて、何もしていないことに自分でも驚いた。恐らく病気の原因にも関係しているようにも思う。

私は仕事の計画を作るのが好きだった。勉強も好きだったし、論文も書いた。勉強をすることは、毎日の積み重ねだ。まず研究の目標を立て、そこに近づくための予定を立て、調査をし、メモをとり、考えをまとめ、成果物を作りあげていく。仕事も同じで、目標を決め、そのための段取り、計画、予定を作り、毎日実施、チェック、フィードバックを繰り返すから、勉強とあまり変わらない。毎日こつこつと何か考えていないと仕事は達成できない。勉強も研究も同じと思う。だから、朝から晩まで勉強漬け、仕事漬けでも問題はなかったし、そういうものだと思っていた。

だから、今何もしていないし、考えていない自分がとても不思議だ。それを母親から言われると、嫌な気持ちになった。癌になったのも、仕事ばかりで、休みなしに猪突猛進に、色々なことを切捨ててきたことへの報いなんだろうか。

とにかく、ドセタキセルを機会に、会社を休職し病気療養に入ると決めた段階で、何もしない、考えないことにしたのだった。とはいえ、それでも毎日何かしないと不安で、癌について調べたり、水泳で体力をつけようとしたりしていたのだったが、今ではそれも止めて、ぶらぶらしている。将来のことを考えても、将来はないし、幸い妻子もいないので、その面の不安も心配も不要だし。

家事は、一人分だとあっという間に終わってしまう。病人でも出来る。でも、これでいいのかな、と時々考える。「生きてきた証はね、何もないね。それでも良いのかな?」

美術館の喫茶室で、ケーキを食べた。クリームたっぷりで、食事療法的に問題なのだけれど、たまには眼をつぶろう。

2012年10月8日月曜日

治験を探すには

私の病状では、ドセタキセル(タキソテール)は効き目がなくなっており(とても効き目が弱くなっており、が正しいかもしれない)、副作用がひどくなっていた。その後に使える薬は日本ではない。標準治療として国が使用を認可した薬はない。緩和治療で、死を待つか、免疫治療、代替治療で頑張るかしか手はない。

ところが欧米では、数種類の新薬が認可されているが、これを日本で使うには、海外に治療に出かけるか、薬を個人で輸入するか、治験に参加するしか選択肢はない。前の二つは費用面、体力面で結構ハードルが高い。

治験は、藤野邦夫さんの定義によれば、「製薬会社が厚生労働大臣の承認をうけて医療スタッフと医療設備が整っている施設に依頼し、実施してもらう治療実験のこと」だそうだ。

参加したければ、製薬会社のホームページか、新聞広告で見つけ、自分で調べ申し込む方法もあるとされている。実際にまーさんは、こうした方法で見つけられている。しかし、私も調べて見たが、良く分からなかった。

ペプチドワクチンについては、多くの大学が治験をやっているようだが、どこも「やっているという事実」を発表しているだけで、情報はそれだけだった。唯一、久留米大病院がHPで丁寧に説明し、公募もしており、分かりやすかった。

日本国内で実施されている治験は、全てUMIN臨床試験登録システムに登録されており、HPで見られると藤野氏は「ガンを恐れず」で述べている。しかし、どうもそうなっていないようで、完全なリストになっていないような気がする。前立腺癌について検索しても、あまり出てこない。

治験に参加した患者の多くは、通っている大病院の医師から、参加しないか、と声を掛けられたというもののようだ。私の例もこれに近い。他の癌の患者さんについて、知っているわずかな例も、どれも医師から勧められたものだった。

今通っている病院の治験コーデイネーターの看護士に聞いてみたところ、治験は製薬会社が病院を選ぶのだそうだ。もし、私が製薬会社に勤めていたら、厚生労働省の審査を通すことが目的だから、治験先は、まずその癌の患者の分布に近いものにしようとするだろうと思う。殆どが70代、80代の患者の病気に、30代の患者のデータは数多くは揃えないだろう。また、患者は人口比で大都市に多いだろうけれど、全国的にデータを取る配慮を政治的な理由からすると思う。患者数は少なくても、最低限の地方のデータも必要だろうと思う。また、大量のデータを記録、分析する必要から、人手のない病院では無理なので、大病院を選ぶと思う。となると、大学病院か、地方の拠点病院、がんセンターなどに治験が集中するだろう。また、製薬会社間の競争があるので、同じ癌の薬は、同じ病院には頼まないらしい。A社がA病院に治験を依頼すると、B社は別の病院を選ぶらしい。そして情報収集のためには、大都市圏よりも、地方の方がそもそも大病院の数が少ないこともあり、有利かもしれない。

恐らくは大病院の治験管理室に片端から電話をして、或いは訪問をして、治験について尋ねるのが一番なのだろうが、体力、気力の衰えた状況では、まずもって出来そうもない相談のような気がする。また治験の参加条件には、自力で病院に来れること、というのがあるため、病状が進むと受けられない。

結局元気なうちに探しておかないと無理のようだ。

一方で、治験は製薬会社にとってお金が掛かるため、サンプル数は有限だ。だから募集期間を過ぎて参加できる可能性は少ないだろう。

となると、やはり通っている病院から声を掛けてもらうのが一番なのだが、通っている病院がそういう大病院でない場合はどうするか、といえば、難しいとしか言い様がない。患者が極端に集まるがんセンターなど、治験目的の転院は門前払いだろうし。

もしアビラテロンが効かない場合、アメリカだと次はカバジタキセル、それもだめだと再度ドセタキセルというコースが考えられるらしい。今ネットで、カバジタキセルを調べても、治験がどうなっているのか、良く分からない。もしご存知の方がいらしたら教えて下さい。

山下公園前の大通りの銀杏並木に、銀杏がたわわに実っていました。余りにも凄い数なので、驚きました。掃除が大変だ。。







2012年10月2日火曜日

藤野邦夫訳の「ガンに打ち勝つ患者学」を読む

1999年の本で、古い。著者もアメリカ人でどんな人かは良く分からないが、有名な帯津先生が序を書いていること、例の藤野さんが訳していることから、読んでみた。

原題は、「がんになったらやるべき50の項目」(Cancer: 50 Essential Things to Do)で、邦訳とまるで違う。これをやればガンに勝てるかのようなことが表紙に書かれている(末期ガンから生還した1万5000人の経験に学ぶ、とある)が、内容そのものは常識的で、どこにも、この50をやったらガンに勝てるとは必ずしも書いてはなかった。若干商業主義の臭いのする本。

私の興味は、主に食事に関してだが、それほど突飛なことは書かれていない。例えば、

21段階: 健康な体重を維持しよう。タンパク質、特に低脂肪のものを重点的にとろう。新鮮な食品を食べよう。
22段階: 新鮮な野菜と果物、全粒粉のパン、パスタ、豆類をとろう。赤みの肉を避け、鶏肉も制限しよう。低脂肪か無脂肪の乳製品を使おう。脂肪と砂糖は抑えよう。食べたものは記録し、改善しよう。
23段階: 水を飲もう。ガン患者には脱水症状になる傾向があり、免疫機能が阻害されるので、大量の水を飲もう。
24段階: 体に悪いものをとらない。高脂肪のスナック、TVを見ながらの食事、早食い、衝動的な食欲に基づく食事はやめよう。
25段階: ビタミン、ミネラル、ハーブのサプリメントをとろう。

など、どれも当たり前と思えることばかりだった。

面白かったのは、後半の精神に関係する部分。

37段階: 病気のメッセージを理解しよう。病気になる1~2年前に、ストレスの多い出来事か変化がなかったか。深い悲しみやストレスをどう処理してきたのだろうか。気分を切り替える方法があっただろうか。有害な状況や関係を取り除けただろうか。
38段階: いまという貴重な瞬間を生きよう。過去を悔やんでばかりいるとせっかくの機会を見逃してしまう。過去のことを考えたり、後悔するのはやめよう。
39段階: 余裕をもって遊ぶ時間をつくろう。遊べばエネルギーを蓄積できる。そのエネルギーは健康に役立つ。
40段階: 治癒力を増強するため、笑おう。
41段階: まわりの人たちとの人間関係を改善しよう。どんな点を変えるべきか考えよう。
47段階: 許すことを習慣にしよう。受けた傷や過ちに関係した人を許そう。許すことは癒しになる。


ふむふむ。デーケン先生の本と共通することも多く書かれている。

こういう本は沢山出ている。昔は、がん患者の闘病記が役に立つように思ったが、末期がんを長く患っていると、がんは多く種類があり、それぞれに経験が大きく異なるのと、症状や治療法も異なるので、必ずしも参考にならないと気がついた。精神的なところについて書かれた本の方が今では役に立つような気がしている。
乳製品は悩ましい。すっぱりと止めたいが、ケーキには沢山使われているし。パンにも。お菓子にも。食べなければ良いんだが、無理だと思う。ヨーグルトは、木魚さんに教えて頂き、入れ物を煮沸消毒した容器で、豆乳カスピ海ヨーグルト作りに挑戦中。