ページビューの合計

2012年3月29日木曜日

福岡で桜を見る

久留米大病院に通うために、羽田でなく、成田から飛行機で福岡へ通うようになった。理由は、交通費の節約のため。JRで往復すると、久留米まで川崎から交通費だけで4万5千円程度かかる。成田経由福岡だと、大手航空会社の半額、往復2万円程度、場合によってはもっと安くなる。飛行場までの時間は結構かかるが、飛行場が空いている、機内も空いているので、意外に快適。ほぼ失業状態なので、交通費はできるだけ節約したい。羽田発でも、日によっては安い会社もあるけれど、選択幅は小さい。福岡でなく、熊本や長崎へ飛んで久留米に行く手もあるが、福岡空港がやはり便利だ。ピーチが成田にも来ないかな。

成田は出張、旅行で数え切れない程利用したのに、飛行場についての記憶はあまりない。私の父母は、父が死ぬ前の年まで、ほぼ毎年二人で2週間程度海外旅行に出かけていた。当時私は空港近くに住んでいたので、その際には、見送りか、出迎えに必ず行っていた。成田空港に行くと、その時のことばかりを何故か、思い出す。母親が私が里帰りをすることを好まなかったこと、私も里帰りは嫌だった(家がゴミ屋敷だった)ので、家から近い成田で彼らに会うのは都合が良かった。私の父母の世代は、戦争で青春はなく、空襲あり、食料難で、貧しく、農地解放で財産も全くなくすなど、大変なことばかりを経験したようだが、高度成長の時代ゆえ、田舎に大きな自宅を建て、子供二人を大学に出すだけの余裕があった。おそらく彼らの同世代は皆同じような生活が出来たのだろうと思う。年金も手厚く、子供に相続させるだけの財産も作ることが出来たし、毎年海外旅行に行けたなど、これからの老人にはほぼ不可能と思える豊かな生活を送っていたように思える。私の世代が年金を貰う頃、ほんの数年後だけれど、貧しくなるばかりの日本経済はどうなっているだろうか。年金も父母の半分さえ貰えるかどうか怪しい。私は既に半失業状態。医療費もかかるから、海外旅行どころでもない。ま、体力もないので、あっても行けないだろうが。私は早く死んでしまうだろうから、大地震が来ようと、日本経済が没落しようと、あまり悩まなくて済むので、少々気楽なのだけれど。

ペプチドワクチンは副作用は殆どないが、脚の付け根に打ち続けるため、その部分が硬化してくる。だから注射時はとても痛い。また筋肉痛のような痛みが時々出ることがある。とはいえ、癌による腰痛に比べれば、何でもない。

今回は久留米へ行く前に、福岡城(舞鶴公園)へ行き、桜を拝見。ソメイヨシノは全く咲いていなかったが、一本だけエドヒガンと思われる桜が咲いていた。いつも訪れるたびに、コンパクトで、気候が良く、食べ物がおいしく、自然に溢れ、文化的で都会的で、物価の安い福岡は良い町だなと思う。福岡の人が羨ましい限り。



2012年3月21日水曜日

ドセタキセル11クール目(治療開始から1年8ヶ月)

11クールめで、PSAは13.9に上昇。微増だったので、誤差の範囲か。ドセタキセルと併用している薬(エストラサイト)について、主治医はもしPSAが上昇したら、他のものに変更すると言っていたが、今回は見送り、再度エストラサイトを続けることになった。

また、4月以降、家の近くの病院に移りたいと申し出たところ、大歓迎のようで、それなら早速MRと骨シンチも撮ってから、4月下旬に移って下さいとのことで、検査をすることになった。

病院を替わる理由としては、①今の病院は経営状態が悪化していて、患者数が少ないだけが取り得になっており、いつ閉鎖されるか分からないこと、②放射線科や緩和治療の設備がないため、骨に痛みが出たときの対策が取れないこと(結局他の病院に移るか、他の病院を紹介してもらわないと出来ない)、③家から遠いこと、の三つなのだけれど、主治医からは特に理由も聞かれなかった。

エストラサイトの点滴時には、冷却法で手と足とを冷やしたが、爪の悪化傾向は止まらなかった。効かないか。あるいは100円ショップで買った材料に問題があったのか。

アマゾンで売っている冷却手袋、ソックスは日本へは送付してくれないので、米国在住の知人に頼み、米国で受け取ってもらい、転送してもらうことになった。早く着かないかな。学会報告では効く例が多いとされているけれど、実践してみないことには分からない。300ドルもしたけれど、もし爪が守られるならば、安い買物かもしれない。

移る先の病院は、大学病院で、混んでいた。あまりの混雑にうんざりだけれど、医師数が多く、前立腺癌の専門医もいるので、期待しているが、どうなるか。がっかりという可能性もある。

ドセタキセル投与後、4日目に、近所の温泉施設に行き、温い湯に1時間半程度浸かったら、湯疲れが出て、寝込んでしまった。体力がないので、温泉は危険なのかもしれない。以前はその程度の時間浸かっていても、湯温は38度程度で体力を消耗することはなかったのだが、どうも湯が強いのと体力が70代並みなのとが相まって、気分が悪くなった、湯あたりとなったようだ。

治療の一環で、湯治にでも行こうかとのんびり考えていたが、投与の後1週間以内は無理ということが分かった。運動も出来ないし、外出もままならないから、湯治なら大丈夫かなと漠然と思っていたが、そんなに甘くないようだ。