3クール目は、ゾメターが追加となった。台風が関東に来た日に治療。早く帰らないと電車がなくなるので、気が気でない。手際の悪い病院なので、看護士は皆暇にしているのに点滴の用意がなかなかできず、焦る。
2時にとにかく点滴を終え、急いで帰ろうとするが、乗った電車は途中で運転打ち切りとのアナウンス。たまたま打ち切りの駅が自宅の最寄り駅だったので、なんとかセーフだったが、ちょっと遅かったら、帰宅困難者になった筈。
投薬6日目から8日目まできつい副作用が出て、手足が若干しびれ、悪心、節々が痛む。歯にも影響があるような感じで痛い。味覚障害等で、歩行も困難。結局何もできず、外出もせず、家で寝ていた。ここまでひどいのは初めて。その代わりいつも悩まされていたひどい下痢は今回はなく、軽い下痢で済んだ。下痢止めを出してもらったが、結局使わず。
抗鬱剤も、もう大丈夫と思うので、医者に相談し、服用を止めた。止めても問題はなさそうだ。
3日間、買物もままならないので、家にある買い置きで対応。冷凍したもの、買い置きの缶詰など、整理になって良かったかも。
味覚障害がきつくなり、味が殆ど分からない。苦味ばかりが感じられ、他の塩味、甘み、うまみ、辛味、酸味のバランスが崩れ、何を食べても上手く感じられない。唯一、トマトソースと、カレーは大丈夫で、影響がないようだ。
3クール目で副作用がきつく感じたのは、ゾメターを追加したせいなのか、累積した抗癌剤のせいなのか。どっちだろう。4クール目以降、この3日間は注意しよう。
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2011年9月30日金曜日
2011年9月17日土曜日
久留米大にペプチドワクチンの可能性を試しに行く
タキソテールの効き目は半年程度との予測をK大病院の医師にされているため、何とか他の新しい治療法も探したいと考えていたが、残された選択肢は、久留米大のペプチドワクチンと丸山ワクチン程度。どちらも保険適用ではない。久留米大のペプチドワクチンは誰でも自由診療(保険外診療)として受けられるが、遠く、時間がかかるので躊躇していた。しかし、今となってはそうも言っておられず、受診して来た。
まだ受診可能かどうかは分からない(白血球の型に制限があるため)。検査費用も交通費も保険適用外なので、かなりの負担。また受診にどのくらいの時間がかかるかも分からなかったので、余裕を見て、太宰府天満宮へのお参りも兼ねて(とはいえ、大学受験をするわけではないのだけれど)久留米へ行って来た。
久留米の町と、久留米大については、関東者なので、知識は皆無。ブリジストンで有名な有馬氏の城下町、絣で有名な町という程度。行って見たら、大都市でした。産業の町。鳥栖、小郡と一体化しており、一大産業都市。浜松とか、太田のような町かな。
大学病院も、立派で、大きくて、びっくり。患者やバスの中の市民は皆ほとんどが福岡弁らしき言葉を話すので、どぎまぎしたけれど、病院は受付から看護士、医師の全員が標準語でした(当然のことながら)。
交通費が5万円近く、検査費用も8万円ほどで、痛いが、命には代えられず。
まだ受診可能かどうかは分からない(白血球の型に制限があるため)。検査費用も交通費も保険適用外なので、かなりの負担。また受診にどのくらいの時間がかかるかも分からなかったので、余裕を見て、太宰府天満宮へのお参りも兼ねて(とはいえ、大学受験をするわけではないのだけれど)久留米へ行って来た。
久留米の町と、久留米大については、関東者なので、知識は皆無。ブリジストンで有名な有馬氏の城下町、絣で有名な町という程度。行って見たら、大都市でした。産業の町。鳥栖、小郡と一体化しており、一大産業都市。浜松とか、太田のような町かな。
大学病院も、立派で、大きくて、びっくり。患者やバスの中の市民は皆ほとんどが福岡弁らしき言葉を話すので、どぎまぎしたけれど、病院は受付から看護士、医師の全員が標準語でした(当然のことながら)。
交通費が5万円近く、検査費用も8万円ほどで、痛いが、命には代えられず。
2011年9月6日火曜日
ドセタキセル(タキソテール)副作用
2クール目を経験して、タキソテールの副作用のパターンがだんだんと分かってきた。勿論個人差が多いそうなので、僕に関してはこうだったということになるけれど。
投与した日を1日目として、7日目あたりから12日目頃まで、白血球が激減する。骨髄抑制の効果らしく、リンパ球も赤血球も減る。このため、細菌、ウィルスに感染しやすく、治りにくいため、風邪であっても重篤になりやすい。しかし、この間は、体調上の不快感などの実感はない。生活実感は普通。
逆に、生活上影響が大きいのが、投与直ぐに表れる、味覚障害と胃腸障害。味覚障害は直ぐに現れ、7日目頃まで続く。食欲はあるけれど、何を食べても苦く感じる。味雷の神経が影響を受けるせいなんだろうか。渋み、苦味を感じる神経は生きているのに、他の甘み、塩味、辛味、旨みを感じる神経が死んだような感じがする。料理をする気にならなくなる。味が分からないから、味付けが出来ない。胃腸障害は、3日目頃から6日目まで続き、ひどい下痢になった。吐き気はしない(人によっては吐き気が出るらしい)。これが一番辛かった。食べて30分から1時間後に下痢になった。毎食後、下痢。脱水症状も伴う。
不安感が胃腸障害と同じ日程で出た。鬱の症状で、人間関係に影響が出る。何もかも嫌になる。前向きに物事を捉えられず、引きこもりがちになり、僻みっぽくなる。胃腸障害の影響なのか、直接の影響なのかは不明。このため、抗鬱剤を飲んでいる。だから、抗鬱剤の副作用で、眠くなり、ぼうっとしてしまい、運転は禁止。
ということから、投与後、3日目から6日頃までは会社勤めには向かない。下痢なので電車などは要注意だ。その後の週は、マスクをする、手を常に洗う、うがいをする、消毒をする、など自己防衛をすれば会社勤めは出来そうな気がする。但し、白血球の減少中は満員電車に乗ってはいけないとの医師の指示なので、時差出勤が必要になる。3週間目は普通に暮らせる。
投与した日を1日目として、7日目あたりから12日目頃まで、白血球が激減する。骨髄抑制の効果らしく、リンパ球も赤血球も減る。このため、細菌、ウィルスに感染しやすく、治りにくいため、風邪であっても重篤になりやすい。しかし、この間は、体調上の不快感などの実感はない。生活実感は普通。
逆に、生活上影響が大きいのが、投与直ぐに表れる、味覚障害と胃腸障害。味覚障害は直ぐに現れ、7日目頃まで続く。食欲はあるけれど、何を食べても苦く感じる。味雷の神経が影響を受けるせいなんだろうか。渋み、苦味を感じる神経は生きているのに、他の甘み、塩味、辛味、旨みを感じる神経が死んだような感じがする。料理をする気にならなくなる。味が分からないから、味付けが出来ない。胃腸障害は、3日目頃から6日目まで続き、ひどい下痢になった。吐き気はしない(人によっては吐き気が出るらしい)。これが一番辛かった。食べて30分から1時間後に下痢になった。毎食後、下痢。脱水症状も伴う。
不安感が胃腸障害と同じ日程で出た。鬱の症状で、人間関係に影響が出る。何もかも嫌になる。前向きに物事を捉えられず、引きこもりがちになり、僻みっぽくなる。胃腸障害の影響なのか、直接の影響なのかは不明。このため、抗鬱剤を飲んでいる。だから、抗鬱剤の副作用で、眠くなり、ぼうっとしてしまい、運転は禁止。
ということから、投与後、3日目から6日頃までは会社勤めには向かない。下痢なので電車などは要注意だ。その後の週は、マスクをする、手を常に洗う、うがいをする、消毒をする、など自己防衛をすれば会社勤めは出来そうな気がする。但し、白血球の減少中は満員電車に乗ってはいけないとの医師の指示なので、時差出勤が必要になる。3週間目は普通に暮らせる。
2011年8月31日水曜日
ドセタキセル(タキソテール)投与2クール目
今日は、タキソテールの2クール目。10時40分頃に病院へ行き、血液検査に並び、その後神経科へ行き、引き続きの抗鬱剤(リフレックス)を貰い、昼食を院内で食べ、泌尿器科へ12時半に行くと、病室で投与するので病室へ行くように指示される。
病室では、相変わらずの主治医が突然今日はゾメターはやらないと言い出すが、説明する気がなさそうなので、次回聞くことにする。この人はまるで患者の意思や意見に耳を傾けない。一方的に発言をして終わり。困ったので、看護士に血液検査の結果を貰い、次回(9月9日に血液検査で来ることになったので、その時に)ゾメターについて聞くことにする。投与すべきだと思うが、何か理由があるんだろうが。そのために、親知らずを2本も抜いたのに。
結局12時半に開始した点滴(水分→吐き気防止剤(ステロイド剤、胃腸薬)→タキソテールの順で、終了は3時。一日仕事になってしまった。
薬局で薬を貰ったら、4時頃でした。
病室では、相変わらずの主治医が突然今日はゾメターはやらないと言い出すが、説明する気がなさそうなので、次回聞くことにする。この人はまるで患者の意思や意見に耳を傾けない。一方的に発言をして終わり。困ったので、看護士に血液検査の結果を貰い、次回(9月9日に血液検査で来ることになったので、その時に)ゾメターについて聞くことにする。投与すべきだと思うが、何か理由があるんだろうが。そのために、親知らずを2本も抜いたのに。
結局12時半に開始した点滴(水分→吐き気防止剤(ステロイド剤、胃腸薬)→タキソテールの順で、終了は3時。一日仕事になってしまった。
薬局で薬を貰ったら、4時頃でした。
2011年8月23日火曜日
1クールをようやく終了、退院
入院期間が15日にもなってしまった。初日は尿の量の検査。二日目に骨シンチ、MRI。三日目にしてようやく抗癌剤という悠長なもの。
副作用は抗癌剤ドセタキセル投入の初日から激しく、下痢が続く。続いて徐々に味覚障害、胃腸障害、悪心(気持ち悪い)、吐き気(これは大したことなし)、めまい(これも大したことなし)、精神的不安(これが一番問題)に苛まれる。あまりの辛さに、抗鬱剤を処方してもらう。流石に、7日目頃から副作用は緩和された。
問題の骨髄抑制は、6日目に白血球が3,200に低下(普通の人はその2~3倍はあるらしい)、11日目に2,700にまで低下。13日目に3,900に戻った。この間、外出禁止、部屋からも出ないよう勧められ、部屋からでるときはマスク着用、手洗い嗽。
特に自覚症状はないのだが、満員電車に乗るな、人ごみへ行くなとのこと。風邪をうつされやすく、治りにくい、重篤な症状になりやすいらしい。またこの間は、生ものも避けたほうが無難とのこと。食べても大丈夫だが、当たりやすいらしい。
会社に行くのはまず無理ではないか。東京で通勤電車に乗れないと、会社へどうやって行くのか。昼間行けと言っていたが、無理な相談。
結局、最初の1週間は体がだるく、辛く、寝てばかり。次の1週間は体の症状はないが、白血球の大幅減少で行動に制約。
最後の1週のみ、普通の生活ができる感じ。
副作用は抗癌剤ドセタキセル投入の初日から激しく、下痢が続く。続いて徐々に味覚障害、胃腸障害、悪心(気持ち悪い)、吐き気(これは大したことなし)、めまい(これも大したことなし)、精神的不安(これが一番問題)に苛まれる。あまりの辛さに、抗鬱剤を処方してもらう。流石に、7日目頃から副作用は緩和された。
問題の骨髄抑制は、6日目に白血球が3,200に低下(普通の人はその2~3倍はあるらしい)、11日目に2,700にまで低下。13日目に3,900に戻った。この間、外出禁止、部屋からも出ないよう勧められ、部屋からでるときはマスク着用、手洗い嗽。
特に自覚症状はないのだが、満員電車に乗るな、人ごみへ行くなとのこと。風邪をうつされやすく、治りにくい、重篤な症状になりやすいらしい。またこの間は、生ものも避けたほうが無難とのこと。食べても大丈夫だが、当たりやすいらしい。
会社に行くのはまず無理ではないか。東京で通勤電車に乗れないと、会社へどうやって行くのか。昼間行けと言っていたが、無理な相談。
結局、最初の1週間は体がだるく、辛く、寝てばかり。次の1週間は体の症状はないが、白血球の大幅減少で行動に制約。
最後の1週のみ、普通の生活ができる感じ。
2011年8月14日日曜日
ドセタキセル(タキソテール)の副作用
主治医によれば、ドセタキセルの激しい副作用、特に骨髄抑制が出るのは、点滴後7~14日頃とのこと。
今の薬は吐き気が抑えられるようになり、以前よりずいぶんと楽になったのだそうだ。それでも、10日にドセタキセルを点滴して、翌日はひどい下痢、その後は収まりつつあるが、4日目もおなかは緩い状態。また翌日から口内が腫れたような、口内炎のような味が感じられないような状態。食欲はあるが。3日目から風邪のような症状で、体中の関節が痛いというか、腫れたような、風邪のとき節々が痛いような状況。また4日目から足の裏が腫れ、歩くのが辛い。きつい靴は全部捨てたが、確かにスニーカー以外の革靴で歩くのは辛そう。体がだるく、階段の上り下りがしんどい。
これらは、ごく軽い副作用らしい。
7日目頃から、骨髄抑制で、白血球、赤血球が大きく減るので、重篤な副作用が現れる可能性があるとのこと。
今回は、6月に親知らずを抜いたため、歯科医師の勧めで、ゾメターは9月から使用するようにとされているため、ゾメターは使用せず。
点滴した薬は、
ドセタキセル150mg
ブラニセトロン 3mg
デカトロン 6.6mg
ガスター 20mg
でした。終わるまで、4時間半かかりました。結構長くかかった。
今の薬は吐き気が抑えられるようになり、以前よりずいぶんと楽になったのだそうだ。それでも、10日にドセタキセルを点滴して、翌日はひどい下痢、その後は収まりつつあるが、4日目もおなかは緩い状態。また翌日から口内が腫れたような、口内炎のような味が感じられないような状態。食欲はあるが。3日目から風邪のような症状で、体中の関節が痛いというか、腫れたような、風邪のとき節々が痛いような状況。また4日目から足の裏が腫れ、歩くのが辛い。きつい靴は全部捨てたが、確かにスニーカー以外の革靴で歩くのは辛そう。体がだるく、階段の上り下りがしんどい。
これらは、ごく軽い副作用らしい。
7日目頃から、骨髄抑制で、白血球、赤血球が大きく減るので、重篤な副作用が現れる可能性があるとのこと。
今回は、6月に親知らずを抜いたため、歯科医師の勧めで、ゾメターは9月から使用するようにとされているため、ゾメターは使用せず。
点滴した薬は、
ドセタキセル150mg
ブラニセトロン 3mg
デカトロン 6.6mg
ガスター 20mg
でした。終わるまで、4時間半かかりました。結構長くかかった。
2011年8月11日木曜日
入院4日目で退屈
入院先の病院は空いていた。理由は不明。お陰で、4人部屋に独り。夜のトイレに気を使うので、ラッキー。話し相手はいないけど、問題なし。本を読み、cd、ラジオを聞き、漫画を読んでいる。若干退屈。オペラも何曲も聴いてしまった。ネットにはオペラ専門のラジオ局が沢山ある。でも近頃はまっている謡曲、能をやる局はない。京劇の局は沢山あったが。能の観客数と京劇では桁が違うのね。きっと。
一日目は小水を溜めるのみ。投薬量を決めるとのこと。二日目はレントゲンのみ。三日目に化学療法開始。何故か、院長、婦長の巡回があった。余程悪いのかな。そりゃ、そうだろうけどね。その夜に下痢。早速の予告通りの副作用。全く寝られないので、明日からは睡眠薬を貰おう。
一日目は小水を溜めるのみ。投薬量を決めるとのこと。二日目はレントゲンのみ。三日目に化学療法開始。何故か、院長、婦長の巡回があった。余程悪いのかな。そりゃ、そうだろうけどね。その夜に下痢。早速の予告通りの副作用。全く寝られないので、明日からは睡眠薬を貰おう。
2011年8月8日月曜日
今日から入院
55歳にして、初めての長期入院。生検は2泊3日だったし、子供の頃の怪我で入院したのも、数日なので、初めての体験だ。生命保険の特約の医療保険の入院医療費が貰える。
ドセタキセルの副作用で9割程度の人は、毛が抜けるとのこと。これを一生(死ぬまで)続けるのか、と思うと辛い。薬が効かなくなれば使わなくなるが、それはもう生きていないだろうということでもあり、困ったものだ。
生ものが食べられなくなるようなので、最後の夕食は手巻き寿司にした。刺身が食べられなくなるのは辛いだろうか。多分生牡蠣が食べられないのが辛いだろうな。三陸の牡蠣復興ファンドに小額寄付したので、数年後に生牡蠣を若干個貰えるはずなのだけれど、生きているか、食べられるか。
髪が抜ける前に家族写真を撮ったら、とのある方のお勧めに従い、近所の写真館で記念写真を撮った。六つ切り1枚で1万5千円+税金。高いような、そうでもないような。仕上がりは見ていない。退院後取りに行く予定。1枚の写真のために、5枚程度取ったのだろうか。もっとかな。見合い写真程度しか需要がないようで、布張りの立派な台紙に張ってくれるようだ。台紙は要らないのだけれど、セットなので仕方がない。
母親が入居する予定の有料介護付老人ホームを見学に行く。車で10分程度。電車でも同じ。駅前に何もない新開地でびっくり。隣の駅はすごく開けた町なのに、エアポケットのような郊外の造成地だった。退屈しそう。母親は満足するのだろうか。しないだろうなあ。
ドセタキセルの副作用で9割程度の人は、毛が抜けるとのこと。これを一生(死ぬまで)続けるのか、と思うと辛い。薬が効かなくなれば使わなくなるが、それはもう生きていないだろうということでもあり、困ったものだ。
生ものが食べられなくなるようなので、最後の夕食は手巻き寿司にした。刺身が食べられなくなるのは辛いだろうか。多分生牡蠣が食べられないのが辛いだろうな。三陸の牡蠣復興ファンドに小額寄付したので、数年後に生牡蠣を若干個貰えるはずなのだけれど、生きているか、食べられるか。
髪が抜ける前に家族写真を撮ったら、とのある方のお勧めに従い、近所の写真館で記念写真を撮った。六つ切り1枚で1万5千円+税金。高いような、そうでもないような。仕上がりは見ていない。退院後取りに行く予定。1枚の写真のために、5枚程度取ったのだろうか。もっとかな。見合い写真程度しか需要がないようで、布張りの立派な台紙に張ってくれるようだ。台紙は要らないのだけれど、セットなので仕方がない。
母親が入居する予定の有料介護付老人ホームを見学に行く。車で10分程度。電車でも同じ。駅前に何もない新開地でびっくり。隣の駅はすごく開けた町なのに、エアポケットのような郊外の造成地だった。退屈しそう。母親は満足するのだろうか。しないだろうなあ。
2011年8月5日金曜日
発病、告知から12ヶ月目で、抗癌剤治療で入院
来週から、2週間程度入院して抗癌剤治療を受けることになった。心配なのは、いつまでドセタキセルが効くのか(効かなくなったら、後は緩和治療、死を待つだけ)、副作用がどの程度なのか、の二点。あまり良い話はないようなので、考えないようにしているが、NHK Eテレの健康番組などを見ていると、ついつい自分のことを考えてしまい、落ち込む。明るく生きるには、見ない、聞かないが良いかな。
母親は姉の奮闘で、実家ではなく、南関東の、われわれ子供たちが住む町の民間の老人介護施設に入居することになった。介護保険の認定が受けられる見込みなので、多少の補助が出るのだろうが、入居の一時金が数百万かかる。その立替を姉がすることになったが、毎月の年金では月々の負担は足らないので、貯金を取り崩していくことになりそう。とはいえ、一人暮らしでは不安なので、良かったかもしれない。リハビリの成果か、歩けるし、障害はあまりなさそうに見える。医師は、但し入院治療で改善された訳ではなく、いつ脳梗塞が再発してもおかしくなく、その時は死ぬだろうとのきつい宣告。
会社からは全ての私物を持ち帰り、いつ辞めても良いように整理して来た。短い人生をどう有意義に使うかの選択肢の中では、会社勤めは低い順位になりそうだ。問題は、治療費。会社の保険が使えなくなると、治療費が月々相当高額なので、厳しい。
母親は姉の奮闘で、実家ではなく、南関東の、われわれ子供たちが住む町の民間の老人介護施設に入居することになった。介護保険の認定が受けられる見込みなので、多少の補助が出るのだろうが、入居の一時金が数百万かかる。その立替を姉がすることになったが、毎月の年金では月々の負担は足らないので、貯金を取り崩していくことになりそう。とはいえ、一人暮らしでは不安なので、良かったかもしれない。リハビリの成果か、歩けるし、障害はあまりなさそうに見える。医師は、但し入院治療で改善された訳ではなく、いつ脳梗塞が再発してもおかしくなく、その時は死ぬだろうとのきつい宣告。
会社からは全ての私物を持ち帰り、いつ辞めても良いように整理して来た。短い人生をどう有意義に使うかの選択肢の中では、会社勤めは低い順位になりそうだ。問題は、治療費。会社の保険が使えなくなると、治療費が月々相当高額なので、厳しい。
2011年7月17日日曜日
悪いことは重なる
不幸は、同時に起こるものらしい。金曜の朝、実家の町の救急病院の医師 から電話があり、母親が脳梗塞で倒れ、入院したとのこと。直ぐに家に戻り、姉と車で(電車の方が早く着くのだが、現地で身動きが出来ないので)駆けつけたが、ICUに入院していた。脳外科の主治医によれば、水分不足等で、血栓が首の静脈に詰まり、右の小脳の一部が死んでいるとのこと。MRIの画像を見ながら説明を受ける。左脳は生きているので、運動障害や言語障害はないが、小脳は平衡感覚を司る能で、恐らく正しくは歩けないし、歩けても直ぐに転び、そうなると寝たきりになる可能性が高いとのこと。退院後、一人暮らしは無理で、施設に入るべきとの診断。またボケの症状が出ているとのこと。また、入院していても、再発の恐れはあり、最悪の場合は、死亡、手術をしても合併症で植物化のリスクも高いとの説明を受ける。誰にもそのリスクを説明するのだ、とのことで、万一の場合の手術の承諾も求められた。
83歳の老人の一人暮らしのリスクが出てしまった。金曜は特に暑かったので、電話しようと思ったのだが、恐らくはいつものように固定にも携帯にも出ないだろうし、最近掃除のため家に戻っても、口をきかないから、連絡のないのは良い便りと思ったのが間違いだった。
老人は冷房をしたがらないこと、昼間に水を飲んでも、夜寝ている間に水分補給が出来ないため、朝方脳梗塞になりやすいらしい。彼女も朝起きて、めまいで立てず、救急車を呼んだという。電話が掛けられたのは幸いだったが、前日に注意するように電話をしていればと悔やまれる。
姉は僕が面倒を見るべきと思っているので、僕の癌のこともあり、二重に病人を背負ったためか、口をきこうとしない。ICUは、面会時間も1時間だけで、実家に泊まるのも嫌だったので、直ぐに帰宅したが、姉と僕とは見舞いには一緒に行くのは当分避けようということになった。一緒に行くより、二人で別々に通った方が頻繁に行けること、二人の関係が非常に気まずいので、単独の方が気楽なことから、当分は別に実家に行くことにした。しかし、交通費だけで一回1万円以上かかるし、時間も片道3時間程度かかるので、これから大変だ。僕の入院中、入院後は帰省できないだろうし。
重病人が二人一軒の家に暮らすのは可能なのだろうか。気も会わない、相手に合わせる気もない人と暮らすのは大変だ。彼女は料理はしないし(できないだろうし)、外出されるのは困る。恐らく常時監視していないといけないのだろうが、それは可能なんだろうか。ストレスで癌が悪化することだけは間違いないような気がするのだが。
83歳の老人の一人暮らしのリスクが出てしまった。金曜は特に暑かったので、電話しようと思ったのだが、恐らくはいつものように固定にも携帯にも出ないだろうし、最近掃除のため家に戻っても、口をきかないから、連絡のないのは良い便りと思ったのが間違いだった。
老人は冷房をしたがらないこと、昼間に水を飲んでも、夜寝ている間に水分補給が出来ないため、朝方脳梗塞になりやすいらしい。彼女も朝起きて、めまいで立てず、救急車を呼んだという。電話が掛けられたのは幸いだったが、前日に注意するように電話をしていればと悔やまれる。
姉は僕が面倒を見るべきと思っているので、僕の癌のこともあり、二重に病人を背負ったためか、口をきこうとしない。ICUは、面会時間も1時間だけで、実家に泊まるのも嫌だったので、直ぐに帰宅したが、姉と僕とは見舞いには一緒に行くのは当分避けようということになった。一緒に行くより、二人で別々に通った方が頻繁に行けること、二人の関係が非常に気まずいので、単独の方が気楽なことから、当分は別に実家に行くことにした。しかし、交通費だけで一回1万円以上かかるし、時間も片道3時間程度かかるので、これから大変だ。僕の入院中、入院後は帰省できないだろうし。
重病人が二人一軒の家に暮らすのは可能なのだろうか。気も会わない、相手に合わせる気もない人と暮らすのは大変だ。彼女は料理はしないし(できないだろうし)、外出されるのは困る。恐らく常時監視していないといけないのだろうが、それは可能なんだろうか。ストレスで癌が悪化することだけは間違いないような気がするのだが。
2011年7月10日日曜日
12ヶ月目でドセタキセルに
告知からまだ11ヶ月。とうとうPSAが上昇し、8.31になった。エストラサイトも効力なく、期待のステロイド剤もK大病院の先生の見立てどおり、数ヶ月で無効となった。残念。体調は良いのに。ALPは低下しており、440になった。これについて主治医に聞くが、詳しくないのか、回答なし。
直ぐにドセタキセルを開始した方が良いとのこと。秋からと思っていたので、焦った。仕事の段取り、夏休み、退職の準備など色々の予定が10月をめどに考えていた。
来週にでもと言うので、それは無理だから、来月からということにした。遅くなるとPSAが更に上がり、ドセタキセルの効きが悪くなる恐れがあるが、QOLが大幅に低下すること、どのみちドセタキセルも数ヶ月から数年の効力なので(K大の先生は数ヶ月の効き目と言っていたので、年内には効かなくなる可能性がある)、むやみに早くする必要はないと思った。
退職時期について迷う。10月かな。どうしようか。久留米大のペプチドも試したいが、遠いな。退職後は暇になるから行けると思うけれど。効くかどうかは全く不明。
直ぐにドセタキセルを開始した方が良いとのこと。秋からと思っていたので、焦った。仕事の段取り、夏休み、退職の準備など色々の予定が10月をめどに考えていた。
来週にでもと言うので、それは無理だから、来月からということにした。遅くなるとPSAが更に上がり、ドセタキセルの効きが悪くなる恐れがあるが、QOLが大幅に低下すること、どのみちドセタキセルも数ヶ月から数年の効力なので(K大の先生は数ヶ月の効き目と言っていたので、年内には効かなくなる可能性がある)、むやみに早くする必要はないと思った。
退職時期について迷う。10月かな。どうしようか。久留米大のペプチドも試したいが、遠いな。退職後は暇になるから行けると思うけれど。効くかどうかは全く不明。
2011年7月6日水曜日
NHKの緩和治療の番組を見る
NHKの教育(Eテレというらしい)で、緩和治療についての番組をやっていた。家族は見たがらなかったが、ぼくは是非にと思って見た。浜松、静岡では、緩和治療が拠点病院を中心に整備されつつあり、効果も出ており、更には在宅でも緩和治療が受けられるらしい。また、痛みを我慢するのではなく、治療(抗癌剤)開始時から、痛み、苦しみがあれば取り除くことで、QOLを維持し、ひいては延命も図れるとのこと。
今の薬で漠然と思っているのは、副作用は、過激な運動をした後、加えてストレスが溜まっている、不安な気持ちになっている、嫌なことと向き合わなければならない、という時に強く出ているような気がする。周期的なものもあると思うけれど、まだ良く分かっていない。二週間に一度程度、強い副作用が出て、だるく、眠く、ぼうっとし、注意力もなく、感情も、気力もなく、ただたた憂鬱な気分で、吐き気がし、辛い。
となると、抗鬱剤で解消が出来るのかもしれない。緩和治療の番組でも、末期患者へは麻薬を、吐き気のある乳癌患者には、抗鬱剤が処方されていた様だった。但し、僕の場合、常に強い副作用があるわけではないので、抗鬱剤を飲むのであれば強く副作用の時のみにしたいけれど、そうも行かず、常用しないといけないのだろうか。今通っている病院には、緩和治療の医者はいない。精神科はあるけれど、常時鬱状態というほどでもないので、行きたくない。困った。
この番組は、良い番組だったけれど、出演されていた末期の大腸癌の患者さんが既に死亡されていて、見ていて辛く、泣けてしまった。出演者の洞口依子?も泣いていたが。明日の自分のようで、悲しかった。
今の薬で漠然と思っているのは、副作用は、過激な運動をした後、加えてストレスが溜まっている、不安な気持ちになっている、嫌なことと向き合わなければならない、という時に強く出ているような気がする。周期的なものもあると思うけれど、まだ良く分かっていない。二週間に一度程度、強い副作用が出て、だるく、眠く、ぼうっとし、注意力もなく、感情も、気力もなく、ただたた憂鬱な気分で、吐き気がし、辛い。
となると、抗鬱剤で解消が出来るのかもしれない。緩和治療の番組でも、末期患者へは麻薬を、吐き気のある乳癌患者には、抗鬱剤が処方されていた様だった。但し、僕の場合、常に強い副作用があるわけではないので、抗鬱剤を飲むのであれば強く副作用の時のみにしたいけれど、そうも行かず、常用しないといけないのだろうか。今通っている病院には、緩和治療の医者はいない。精神科はあるけれど、常時鬱状態というほどでもないので、行きたくない。困った。
この番組は、良い番組だったけれど、出演されていた末期の大腸癌の患者さんが既に死亡されていて、見ていて辛く、泣けてしまった。出演者の洞口依子?も泣いていたが。明日の自分のようで、悲しかった。
2011年7月2日土曜日
エストラサイト、プレドニゾロンの副作用続く
発症、告知が昨年の9月初めだったので、まだ10ヶ月。ホルモン療法は無効になったので、現在は、抗癌剤とステロイド剤。徐々に副作用が強くなり、昨日はまたひどい副作用に悩まされた。悪心(とはいえ、食欲はあり、食事には問題がない)、ひどい低血圧のような症状(実際には高血圧だから、おかしいが)で眠く集中できない、ぼんやりしている、憂鬱、下痢、痔に伴う痒み、怒りっぽいなど。更年期障害かな(なにせ女性ホルモンを多量に飲んでいるから)とも思う。乳首はとても痛い。
とはいえ、薬のお陰でまだ生きており、会社にも何とか通っているのだから、我慢しなくては。
こうした症状は周囲には理解されないので、それが一番辛いかな。
とはいえ、薬のお陰でまだ生きており、会社にも何とか通っているのだから、我慢しなくては。
こうした症状は周囲には理解されないので、それが一番辛いかな。
2011年6月22日水曜日
エストラサイトの副作用
薬の副作用は、慣れは無く、飲んだ累積量で悪化するらしいのだけれど、きついエストラサイト+プリドニゾロン(ステロイド剤)を経験した。
今までは、悪心と乳房の突出が主な副作用で、それ以外は余り感じることは無かったが、先週金曜、土曜は、それと異なり、めまい、頭がぼんやりする、疲れやすい、感情的になる、を経験した。会社へは行けず、家でごろごろしていたが、それもだるくて、寝てばかりいた。幸いに日曜から治ったが、きつかった。あれが毎日続くことになったら、仕事どころか、生きていくのにも絶望しそう。
きっかけになったと思われるのは、木曜に激しい運動(水泳)をしたこと、木曜にとても嫌なことがあり精神的に動揺したこと。
精神から副作用が発現するとは思いにくいので、恐らくは疲労感がスイッチになったのだろうか。
だから、あんまりキツイ運動は止めようかと思っている。
今までは、悪心と乳房の突出が主な副作用で、それ以外は余り感じることは無かったが、先週金曜、土曜は、それと異なり、めまい、頭がぼんやりする、疲れやすい、感情的になる、を経験した。会社へは行けず、家でごろごろしていたが、それもだるくて、寝てばかりいた。幸いに日曜から治ったが、きつかった。あれが毎日続くことになったら、仕事どころか、生きていくのにも絶望しそう。
きっかけになったと思われるのは、木曜に激しい運動(水泳)をしたこと、木曜にとても嫌なことがあり精神的に動揺したこと。
精神から副作用が発現するとは思いにくいので、恐らくは疲労感がスイッチになったのだろうか。
だから、あんまりキツイ運動は止めようかと思っている。
2011年6月12日日曜日
発症告知から10ヶ月
PSAは変わらずで、6.07だった。下がることを期待していたので、少々がっかり。その代わり、ALPが先月の828から500に下がったのが嬉しかった。大した下がり方ではないけれど。主治医は、PSAが一ケタ台のうちにドセタキセルを開始した方が効果が高いとの統計的データがあるので、それが望ましいが、副作用が激しいので、まだ見合わせた方が良いだろうとのこと。
丸山ワクチンでも、ペプチドでも何でも併用して良い、その代わり、ドセタキセルが使えなくなっても、治験は当院ではできません、とのことで、その点はがっかり。白血球数が高いのも気がかり。赤血球、ヘモグロピン、ヘマトクリットの全てが低いと出ているのは、薬のせいか。エストラサイトか、プレドニゾロンかどちらかは不明。
健康状態はすこぶる良好なのだが、癌は着々と成長しているのだろうか。来月も上昇しないと良いのだが。夏休みに旅行に行けそうなので、最後の旅行と思って出かけることにしよう。
丸山ワクチンでも、ペプチドでも何でも併用して良い、その代わり、ドセタキセルが使えなくなっても、治験は当院ではできません、とのことで、その点はがっかり。白血球数が高いのも気がかり。赤血球、ヘモグロピン、ヘマトクリットの全てが低いと出ているのは、薬のせいか。エストラサイトか、プレドニゾロンかどちらかは不明。
健康状態はすこぶる良好なのだが、癌は着々と成長しているのだろうか。来月も上昇しないと良いのだが。夏休みに旅行に行けそうなので、最後の旅行と思って出かけることにしよう。
2011年6月7日火曜日
ゾメターに備え、上顎の親知らずを二本とも抜く
御茶ノ水の大学病院に通っている。ここの歯科医師から、以前からずっと、親知らずは老人になると、歯と骨が一体化してしまい、抜きにくくなること、斜めに生えているから治療が難しいことから、今のうちに抜くように、と言われ続けてきたのだが、今年の担当の先生は抜かなくても様子見で良いと言う。一方、前立腺癌の主治医は、ゾメターを使うので、稀に上顎の骨が溶けることがあり、歯の治療が一生出来なくなるので、ステロイド剤が効いている今の内に、歯科治療を済ませておくように、との指示。
改めて、抜いた方が良いかと大学病院で聞くと、「虫歯があり、ただ初期なので抜かなくても良いのだが、そう言うことなら抜きましょう、折角なので、二本とも」、とのこと。但し、抜歯は一週間空ける必要があるとのことで、二週にわたり上の奥歯の親知らずを抜いた。上手な先生で、全く痛みは無く、あっという間に抜歯された。下顎の親知らずを抜くのに半日かかり、痛くて身もだえした経験からすると嘘みたいだった。但し、問題はその後で、抜いた後、ずっと歯が痛んでいる。ロキソニンを5錠もらったのだけれど、直ぐに使い果たしてしまった。どうも抜歯後、歯並びが変わるらしく、物を噛む時に、今までと違ったところを圧迫することで、歯が痛むようだ。
治療後3ヶ月はゾメターは使えないとのこと。ドタセキセルとゾメターは一緒に点滴するのが一般のようだけれど、ゾメターの使用は遅らさざるを得ない。どうも回復が遅いような気がする。エストラサイトの副作用かな。多分。
歯科医によれば、抜歯後処方される抗生物質は、ステロイド剤との相性が悪いらしく、抗生物質の効き目が落ちるとのこと。
抜歯後5日間抗生物質を飲んだが、その間好きな牡蠣を沢山食べてしまった。これが間違いの元で、数時間後からひどい下痢に。恐らく、普段なら牡蠣を食べても何ともないのだけれど、抗生物質で胃腸に消化する菌も全滅しているから、牡蠣の毒にあたりやすくなっているのだろうか。下痢は今も止まらず、このところ下痢ばかり。ひどい腹痛ではないので、ノロウィルスのような猛毒でなく、ごく普通の、牡蠣なら必ずいるような菌に当たったのだろう。焼いた牡蠣でも、抗生物質を服用中は避けた方が良いようだ。刺身や寿司などの生ものも避けるべきなんだろうか。
改めて、抜いた方が良いかと大学病院で聞くと、「虫歯があり、ただ初期なので抜かなくても良いのだが、そう言うことなら抜きましょう、折角なので、二本とも」、とのこと。但し、抜歯は一週間空ける必要があるとのことで、二週にわたり上の奥歯の親知らずを抜いた。上手な先生で、全く痛みは無く、あっという間に抜歯された。下顎の親知らずを抜くのに半日かかり、痛くて身もだえした経験からすると嘘みたいだった。但し、問題はその後で、抜いた後、ずっと歯が痛んでいる。ロキソニンを5錠もらったのだけれど、直ぐに使い果たしてしまった。どうも抜歯後、歯並びが変わるらしく、物を噛む時に、今までと違ったところを圧迫することで、歯が痛むようだ。
治療後3ヶ月はゾメターは使えないとのこと。ドタセキセルとゾメターは一緒に点滴するのが一般のようだけれど、ゾメターの使用は遅らさざるを得ない。どうも回復が遅いような気がする。エストラサイトの副作用かな。多分。
歯科医によれば、抜歯後処方される抗生物質は、ステロイド剤との相性が悪いらしく、抗生物質の効き目が落ちるとのこと。
抜歯後5日間抗生物質を飲んだが、その間好きな牡蠣を沢山食べてしまった。これが間違いの元で、数時間後からひどい下痢に。恐らく、普段なら牡蠣を食べても何ともないのだけれど、抗生物質で胃腸に消化する菌も全滅しているから、牡蠣の毒にあたりやすくなっているのだろうか。下痢は今も止まらず、このところ下痢ばかり。ひどい腹痛ではないので、ノロウィルスのような猛毒でなく、ごく普通の、牡蠣なら必ずいるような菌に当たったのだろう。焼いた牡蠣でも、抗生物質を服用中は避けた方が良いようだ。刺身や寿司などの生ものも避けるべきなんだろうか。
2011年5月14日土曜日
ステロイド剤が少し効き、入院は数ヶ月延期に
13日の定期検査で、PSAがほんの少しだけ低下。前月の検査時に主治医は月末から入院、化学治療開始を宣言していたが、PSAが7.16→6.11に下がったので、学会で不在の主治医の代わりの先生が、様子をもう少し見てからで良いだろうとのこと。「ドセタキセルを使っても、治療開始時のPSAが20を超えていると、薬の効果は殆どの例では半年でPSAがあがってしまうので、今の薬が少しでも効いているのならば、開始は延ばしても良いのではないか」。その後は治験薬のみ、ということは緩和治療への移行ということか。
後寿命は1、2年と宣告されたに近い。予想されていたことだが、嬉し、悲し半々といった気分。
PSAは下がったが、ALP612→828に上昇し、骨転移が進んでいる可能性があり、要注意。痛みはないので、放射線治療(恐らく30グレイ程度)はまだまだ開始しなくても大丈夫とのこと。始めると毎日病院に通い、4週間続ける必要があるので、仕事は無理になる。
外には、白血球が8900と上がっていた。どうしてこんなに増えたのか、恐らく骨転移と関係があるんだろう。
また医者から、歯はゾメターも使うので、もう二度と歯科治療が出来ないから、折角薬が効いたのだから、今のうちに治しなさいと言われたため、懸案の親知らずを抜くことにした。ゾメターはその後に使用開始することになった。
体調は、肝機能が改善したためか、好調なので、不思議。ステロイド剤は後にもあるので、使えないのか、次回に聞いてみよう。主治医は化学療法は早い方が良いとの考えだったけれど。
中庭の石楠花が来年も再来年も見られますように。
後寿命は1、2年と宣告されたに近い。予想されていたことだが、嬉し、悲し半々といった気分。
PSAは下がったが、ALP612→828に上昇し、骨転移が進んでいる可能性があり、要注意。痛みはないので、放射線治療(恐らく30グレイ程度)はまだまだ開始しなくても大丈夫とのこと。始めると毎日病院に通い、4週間続ける必要があるので、仕事は無理になる。
外には、白血球が8900と上がっていた。どうしてこんなに増えたのか、恐らく骨転移と関係があるんだろう。
また医者から、歯はゾメターも使うので、もう二度と歯科治療が出来ないから、折角薬が効いたのだから、今のうちに治しなさいと言われたため、懸案の親知らずを抜くことにした。ゾメターはその後に使用開始することになった。
体調は、肝機能が改善したためか、好調なので、不思議。ステロイド剤は後にもあるので、使えないのか、次回に聞いてみよう。主治医は化学療法は早い方が良いとの考えだったけれど。
中庭の石楠花が来年も再来年も見られますように。
2011年5月1日日曜日
発病、告知から9ヶ月、死ぬ前にしたいこと
余命が後何年か、半年か分からない。3年生きている人もいるよと主治医は言うが、それは最長記録だろうから、平均で2年以内、悪くするとタキソテールの効果が半年、その後緩和治療で半年が良い所かもしれない。悩むのは、今すぐ会社を辞めて治療に専念すべきかどうかということ。専念したからといって、余命が延びるとは思いにくい。辞めなくても、副作用で会社に行けなくなれば、傷病休暇になり、その後退職になるから、事態はどちらでも同じように思える。
仕事には執着はない。会社も必要としていないし。退職金も会社が傾いているため、余り出ないだろう。余命が数年なので、老後の問題がないから、お金は問題ではない(とはいえ、会社の保険が使える方が有難いが)。
会社を辞めても、ホルモン治療中のような健康体(健康じゃないが、普通に暮らせると言う意味)ではないだろうから、運動は出来ないし、旅行も難しいかもしれない。せめては本を読むくらいだろうか。
作家なら、本を残す。画家なら絶筆を描く。生きた記録を作品で残す。そうした可能性がサラリーマンにはない。死にかけの病人に任せる仕事はない。このままぼんやりと暮らすのだろうか。妻子はいないので、家族と思い出作りも出来ない。このまま誰からも忘れ去られるだけか。
できることならば、好きな能をもっと見たいけれど、最近は3時間近く能楽堂の椅子に座り続けることがしんどいので、抗癌剤治療を始めたら、我慢は難しいかもしれない。頻尿もひどいし。
立つ鳥、なんとかではないが、死ぬ時には、家がからっぽというのが望ましいか。父親が死んで、死んだ人の住む家の後片付けがいかに大変か、身にしみているので、姉にはあまり迷惑を掛けたくないので。
区役所前のマロニエ。ベルギー大使館前の並木と印象が違い、花が小さいのは剪定がいいかげんなせいか。川崎ならでは。
仕事には執着はない。会社も必要としていないし。退職金も会社が傾いているため、余り出ないだろう。余命が数年なので、老後の問題がないから、お金は問題ではない(とはいえ、会社の保険が使える方が有難いが)。
会社を辞めても、ホルモン治療中のような健康体(健康じゃないが、普通に暮らせると言う意味)ではないだろうから、運動は出来ないし、旅行も難しいかもしれない。せめては本を読むくらいだろうか。
作家なら、本を残す。画家なら絶筆を描く。生きた記録を作品で残す。そうした可能性がサラリーマンにはない。死にかけの病人に任せる仕事はない。このままぼんやりと暮らすのだろうか。妻子はいないので、家族と思い出作りも出来ない。このまま誰からも忘れ去られるだけか。
できることならば、好きな能をもっと見たいけれど、最近は3時間近く能楽堂の椅子に座り続けることがしんどいので、抗癌剤治療を始めたら、我慢は難しいかもしれない。頻尿もひどいし。
立つ鳥、なんとかではないが、死ぬ時には、家がからっぽというのが望ましいか。父親が死んで、死んだ人の住む家の後片付けがいかに大変か、身にしみているので、姉にはあまり迷惑を掛けたくないので。
区役所前のマロニエ。ベルギー大使館前の並木と印象が違い、花が小さいのは剪定がいいかげんなせいか。川崎ならでは。
2011年4月28日木曜日
震災、スーちゃん、自分の癌と死を考えた
末期癌と告知された時、色々な本を漁り、自分の症状がとても重篤であり、治癒せず、余命は、恐らく数年ということを理解した。しかし、どうして自分だけ、こんな目に会うのだろうと、ずっと考えていた。何か悪いことをしたのだろうか。天罰なのだろうか。運命でそうなることが決まっていたのだろうか。
癌の最大の要因は遺伝子だそうだ。前立腺癌の教科書にそう書いてあった。僕の父親が死ぬ前、前立腺癌があったと言っていた(アガリスクで治ったみたい、などとおかしなことを言っていた。結局心臓麻痺で死んだので、癌治療は一切せず、天寿をまっとうしたから、いわゆるラテント癌だったのかな)。伯父も父と同じ年で死んだのだが、死因は前立腺癌だったらしい。80過ぎの平均寿命まで生きたのだから、両人の死因については余り考えたことはなかったが、自分が癌になって見て、我が家系は立派な前立腺癌の家系だったことになる。
ウィルス説もあるらしいが、その辺は分からない。
生活習慣は、僕は肥満でない。糖尿もないし、適度な運動をし、スリムで脂肪、塩分の摂りすぎにも気をつけていた。肉は殆ど食べなかった。鶏肉を少し食べる程度だった。
但し、仕事のストレスは4年前、自分の手がけたプロジェクトが極めて困難な状況にあり、会社では周囲とも上手くいかず、プライベート面も最悪だった。父親はごみ屋敷を残し急死、母親は精神を病んでいる、という辛い状況で、葬式の前後と遺産相続の手続きの頃は半年くらい殆ど寝られなかった。鬱になる手前だったと思う。その後、転勤で暇な職場に移ったため、のんびりし、環境が激変したのが、癌細胞を活発にしたのだろうか。
48歳の時のPSAは0.1だったので、安心したのが大間違いだった。これが55歳直前に、35になっていたのだから。
しかし、死ぬべき理由もないのに、死が目前に迫っていた。悪質な癌だから、予後が極めて悪いことが知られていたし、そう予想された。結局その通りの展開となった。骨転移があり、根治治療ができず、ホルモン療法も半年しか効かなかった。
天罰か。信心はないから、そんなことは信じない。恐らく、説明し難い、運というのか、天命とも違う、天の気まぐれなんだろう。震災で多くの人が死んだけれど、天罰で死んだ訳ではない。津波に逃げ遅れたのには、それなりの理由があったにせよ、殆どの人にとっては、たまたまそこにいて、ちょっとしたことが妨げとなって逃れられなかっただけだろう。運が悪いということで、予めそうなる運命だったとは思わない。偶然そうなった、というだけのことだろう。
スーちゃんの死についても、義妹の夏目雅子も白血病だったけど、それはたまたまで、特別な理由があった訳じゃないと思う。
自分の癌も、たまたま運が悪くて、不慮の交通事故か震災で死ぬように、癌で人より早めに死ぬのかな、と今では思うようにしている。そうでないと、悲しくて、辛くて、やっていけないだろう。震災の多くの死者も、死ぬ定めだった訳じゃなく、たまたま籤に当たってしまったように、その人には抗えない力で、でもその力は気まぐれでその人を選んだだけなんだろうと思う。
死を受け入れる気持ちが無いと、夜寝られない。これって、宗教に近い考え方なんだろうか。学が無くて、よく分からないけど。
癌の最大の要因は遺伝子だそうだ。前立腺癌の教科書にそう書いてあった。僕の父親が死ぬ前、前立腺癌があったと言っていた(アガリスクで治ったみたい、などとおかしなことを言っていた。結局心臓麻痺で死んだので、癌治療は一切せず、天寿をまっとうしたから、いわゆるラテント癌だったのかな)。伯父も父と同じ年で死んだのだが、死因は前立腺癌だったらしい。80過ぎの平均寿命まで生きたのだから、両人の死因については余り考えたことはなかったが、自分が癌になって見て、我が家系は立派な前立腺癌の家系だったことになる。
ウィルス説もあるらしいが、その辺は分からない。
生活習慣は、僕は肥満でない。糖尿もないし、適度な運動をし、スリムで脂肪、塩分の摂りすぎにも気をつけていた。肉は殆ど食べなかった。鶏肉を少し食べる程度だった。
但し、仕事のストレスは4年前、自分の手がけたプロジェクトが極めて困難な状況にあり、会社では周囲とも上手くいかず、プライベート面も最悪だった。父親はごみ屋敷を残し急死、母親は精神を病んでいる、という辛い状況で、葬式の前後と遺産相続の手続きの頃は半年くらい殆ど寝られなかった。鬱になる手前だったと思う。その後、転勤で暇な職場に移ったため、のんびりし、環境が激変したのが、癌細胞を活発にしたのだろうか。
48歳の時のPSAは0.1だったので、安心したのが大間違いだった。これが55歳直前に、35になっていたのだから。
しかし、死ぬべき理由もないのに、死が目前に迫っていた。悪質な癌だから、予後が極めて悪いことが知られていたし、そう予想された。結局その通りの展開となった。骨転移があり、根治治療ができず、ホルモン療法も半年しか効かなかった。
天罰か。信心はないから、そんなことは信じない。恐らく、説明し難い、運というのか、天命とも違う、天の気まぐれなんだろう。震災で多くの人が死んだけれど、天罰で死んだ訳ではない。津波に逃げ遅れたのには、それなりの理由があったにせよ、殆どの人にとっては、たまたまそこにいて、ちょっとしたことが妨げとなって逃れられなかっただけだろう。運が悪いということで、予めそうなる運命だったとは思わない。偶然そうなった、というだけのことだろう。
スーちゃんの死についても、義妹の夏目雅子も白血病だったけど、それはたまたまで、特別な理由があった訳じゃないと思う。
自分の癌も、たまたま運が悪くて、不慮の交通事故か震災で死ぬように、癌で人より早めに死ぬのかな、と今では思うようにしている。そうでないと、悲しくて、辛くて、やっていけないだろう。震災の多くの死者も、死ぬ定めだった訳じゃなく、たまたま籤に当たってしまったように、その人には抗えない力で、でもその力は気まぐれでその人を選んだだけなんだろうと思う。
死を受け入れる気持ちが無いと、夜寝られない。これって、宗教に近い考え方なんだろうか。学が無くて、よく分からないけど。
2011年4月25日月曜日
スーちゃんの葬儀で流れた挨拶
7時のNHKニュースで田中好子の葬儀の模様を放送していた。驚かされたのは、本人が録音した、死を覚悟した葬儀の際に流すための参列者への挨拶のテープ。絶え絶えの声だったが、幸せな人生だった、と感謝の辞が述べられていた。芸能人だったからなのか、それとも、そういうことを特に本人が望んだのか。3月23日頃録音したとの解説があったので、その後は昏睡状態だったんだろう。真似の出来ない死に方に、感心するとともに、その勇気に、涙が出た。僕には出来ないだろうなあ。遺言くらいは書けるけれど、肉声での葬儀用の挨拶とは。
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