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2013年5月18日土曜日

痛みがひどくなり入院する

4月中旬頃から痛みがコントロールできなくなった。数日間痛みで寝られず、ある日は横になることもできないほど痛みがひどくなっていた。痛みに顔をしかめたり、反応がおかしかったりしたため、周囲の強い勧めで、主治医の病院にペインコントロールを目的に、入院してきた。

普段は二週間ごとの通院なのだけれど、その間痛みが強くなると、どうにもならない。4月中旬の外来での診察時に、痛みが酷いので今すぐ入院したい、と申し出たところ、4人部屋は一杯だが、個室は空いているとのことなので、迷わず個室に即日入院させてもらった。

私の通っている大学病院は、スパルタ風で、一部の看護士が、患者を高いところから見下ろしているような雰囲気があり、居心地は正直言ってあまり良くなかったのだが、半月入院したお陰で痛みから解放されたので、ま、いっか、という感じ。

毎日医師と適切な薬はなにか、試せたのはありがたかった。二週間に一度の通院だとそうは行かない。また、ついでに放射線治療(痛み止めを目的とした緩和治療)も受けることができ、とてもラッキーだった。病院は家から遠いので、毎日通院するのは難しいので、入院中に放射線治療を受けられたのはとっても幸運だった。入院させてくれ、放射線治療も受けさせてもらえたことについては、主治医と看護士の皆さんに感謝。また突然の入院に対応してくれた姉に感謝。

退院時の請求金額には正直腰を抜かした(は大げさかな)。けれど、痛みには変えがたい。

教訓としては、「痛かったら、迷わず、入院」。


昔泊まった高級旅館の縁側。今となっては懐かしい思い出。全くバリアフリーでないので、お金があっても泊まるのは無理。



2013年3月30日土曜日

ホスピスに通う

私としては、自分の家でもし可能ならば死にたいのだけれど、実際問題として、自宅で死ぬのは簡単ではない。一人暮らしをしているので、もし孤独死にでもなれば、家族に大変な迷惑を掛ける。医師に看取られないと、不審死の扱いになってしまうので、後々大変だ。

訪問医療や、介護の充実によって、一人暮らしでも、家で最期を迎えることは可能になってきているのだそうだが、1月の寒い夜に、一人で家で過している時に、大腿骨に転移した癌が神経を圧迫して生じた痛み(人生で最大の痛み、痛みスケールで10)を経験した時、余りの痛さ、辛さに、家で一人で死ぬのはとても無理だろうと思わされた。最大限の痛みが襲ってくると、思考ができない。歩けない、動けない、電話は掛けられない、そもそも何をすべきかを考えることができない。医師を呼ぶことは、恐らく無理だろうと思う。

ホスピスは数が少なく、病床数が限られているので、誰でも入れないということなので、近所のホスピスに、月に一度通っている。先方の医師に痛みや、治療の具合を報告し、まだ入院の時期でない、そろそろ入院した方がいい、といったことを先方の医師に判断してもらい、入院時期のアドバイスをもらうことになっている。

今はまだ、痛みは麻薬でコントロール出来ているし、一人暮らしもできている(外出できないので、買物は出来ないが、ネットスーパーの利用や、宅配や、介護保険の利用や、姉の支援で買物はなんとかなっている。感謝。)が、出来なくなる時期もそう遠い将来ではないので、心の準備だけはしている。

痛みは周期的に襲ってくる。痛いとき(痛みスケールで6とか、7)には、麻薬を追加し(オキノーム散)、何とかコントロールしており、今は問題ないのだが、1月の経験を思い出すと、今も心が冷える。心細くなり、ホスピスに早く入った方が良いのかな、と思うが、今日などは、元気で、掃除も洗濯も一人で出来たし、家事も出来たりすると、ホスピスなど、遠いことのように思えてしまう。

とはいいつつも、癌は悪化しているので、いずれお世話になるのだろうが、どんな生活になるんだろうか。考えると気が滅入るので、考えないことにしているが、気になる。




2013年2月7日木曜日

1月14日の雪は凄かった

遅ればせながら、新年おめでとうございます。殆ど旧暦です。

去年は、おめでたいことなど何も無い状況で、おめでとうございます、と言うことが、自分にとって、白々しいというか、気持ちにそぐわないように思えたのだけれど、今年は成長したのか、素直に新年はおめでたいと思えるようになった。

1月の連休に、友人の介護を得て、近所の温泉に湯治に行ってきた。湯治ならば、食事の用意、掃除洗濯などの家事が一切無いから、楽だ。問題は移動で、運転は麻薬を飲んでいるので論外(ふっと眠くなり寝ていることが多い)。車椅子の生活なので、電車一本で行け、混んでおらず、駅から送迎してくれる所で、館内は車椅子で移動できるところが良い。介護者の負担が最小限にならないと、だれも重病人の介護に付き合おうとは思わないだろうから(家族であっても事情は同じと思う)、そういう場所を探した。

神奈川県内の温泉宿で、安価で、送迎があり、館内バリアフリー(車椅子用トイレと、風呂の手摺の有無が特に重要)という条件にかなったものを発見したため、友人に車椅子を押してもらい、出かけて来た。

恐らくは介護者にものすごい負担を強いたと思う。何といっても、風呂に一人では入れなかった。滑ったり転んだりが怖いので、一緒に行って監視してもらっていないと風呂に行けなかった。また、部屋から出ることがないため、人によっては、観光ができないから退屈だろう。

連休最終日の朝、宿を出たときは、雨だったのだが、昼頃に、家のある駅に着いた時には大雪で、どこもかしこも雪だらけ。駅前のタクシー乗り場で1時間以上待ったが、タクシーは来ず、雪は激しくなるばかり。そこでタクシーは諦め、駅から自宅まで、車椅子を押して(乗っていたのでは全く雪のため進まなかった)帰ったのだが、湿った雪で服が濡れたこともあり、気温の低いこともあり、普通なら数分の道中が30分程度掛かってしまったこともあり、低体温症(ハイポサーミア)になってしまった。ろれつが回らず、うわ言のようなことをしゃべっていた。危ない。直ぐに風呂に入って体を温め、無事だったが、とんだ湯治になってしまった。

小田急のドクターイエローかな。



ホスピスを見学する

通っている病院に頼んでいた厚生障害年金の再申請用の診断書を受領した。これは密閉されず手渡されるから、中身は読むことが出来る。

予後を見ると、1年未満と書いてあった。そのくらいだろうと予想してはいたが、紙に文字で書かれたもので見ると、結構ショックだった。予後には、個人差があり、多くの人は医者の予想より多少長生きをするらしいとはいえ、予後1年未満と言われた人が3年生きる可能性は極めて低い。

ということもあり、痛みがひどくなり、歩けなくなり、一人暮らしが介護保険のサービスを受けていても困難になりそうな、遠くない将来のことを考え、ホスピスを見学に行った。ホスピスはがん治療は行わず、緩和治療、痛み止めの治療に特化した医療機関だが、とにかく数が少なく、関東では入院は数ヶ月待ちらしい。

ホスピスそのものが始めてだったので、施設見学を兼ねて、家の近所(とはいえ、1時間はかかる)のホスピスに出かけた。見掛けは豪華。内装も古いホテルのよう。医療のレベルは知らないが、居心地は悪くなさそうだった。問題は入れるかどうか。何せ11床しかない。自分の入りたい時期に空いていることは稀有。長く入りたくはないが、空いていますと言われたときに入らず、入院を先延ばししすぎると、結局入れない。

今の病院の治験が続けられる限りは、ホスピスには入れないから、治験終了後、自宅での療養を経て、体が動かなくなる、痛みがコントロールできなくなることの様子を見つつ、最後の人生へと踏み出すことになる。

いつまで今の治験が続けられるか、いつまで今の痛みのコントロールができるか、麻痺がどこまで進むか、によるだろう。できれば、今年の秋よりも先であって欲しい。

帰り道、同行してくれた姉からお墓の話が出た。家のお墓は田舎にあるのだが、遠く不便なため、新しい墓を買ったらどうか、とのこと。僕も、姉が相続することになる僕の自宅に、姉の子供夫妻が住んでくれたら嬉しいが、どうだろうという話をした。とりとめのない結論の出ない話。もう二度とするかどうかも分からない、しかし今まではしたことのない、踏み込んだ話。話しているうちに、涙が止まらなくなってしまった。

来年の正月をどこで過すことになるのか、生きているのか、頭の判断のできる今のうちに、財産の整理をしたり、家財の処分をしたりしようと思うが、今の体で出来るかどうか。悩ましいところ。


死ぬまでに登りたかった大山。病院の窓からの景色。

2013年2月2日土曜日

痛み止めオキシコンチンの副作用

通っている病院のペインクリニック(麻酔科)で、痛み止めの薬を出してもらっている。麻薬であるオキシコンチンとオキノームの2種が処方されており、オキシコンチンは朝夜の2回の服用、オキノームは痛いときに都度飲む薬だが、同一成分らしい。

麻薬は痛みをかなりコントロールしてくれるが、痛みの方が一定でなく、波があり、その最大の痛みに合わせて量を処方してしまうと、普段の痛みはそれほどでないので、副作用がひどくなる。だから、少なめに処方して、適量を見つけるという段取りになるらしい。ということなので、最初の内は、痛みの最大値がやって来た時に、処方量は不足気味なので、かなりの痛みを経験することになる。

医師は、痛い時にオキノームをどんどん飲めば良いと仰るのだが、1時間に1回までという決まりなので、痛いときは時計を睨みながら、1時間ごとにオキノームを飲み続けることになる。

オキシコンチンの適当な量が処方されたらしく、痛みはコントロールできるようになった。但し、麻薬の副作用で、いつも眠く、細かいことに集中できず、難しい本は読めず(最初は新聞も読めなかった)、DVDなども見られない。集中できず、疲れてしまう。

処方量を減らせば、元に戻るけれど、痛みがコントロールできなくなる。痛みと集中力なら、当然選択肢は痛みでしょう、ということで、本は読まず、読めず、ブログも読めず(今朝は珍しく自分のブログは書けているけれど、他の人のブログを読むのは無理)。

オキノームのほかの副作用としては、便秘になるらしい。便秘対策の薬をもらっているが、逆に便がゆるくなりすぎ、排便に問題が出てくるのが悩み。パンツがいつも汚れている。自分で洗濯するから良いものの、困った問題だ。

大汗をかく、涙もろいなどもこの薬のせいかと思っていたら、これは男性ホルモンを遮断したことによる更年期障害だそうだ。

大汗はひどくて、毎夜2回は寝巻きを着替えないといけない。びしょびしょというくらいに濡れている。当然布団も濡れるので、タオルを敷いて寝ている。更年期障害って、そんなにひどいだったのか。

症状が小康状態になり、気持ちも落ち着くと、あとどのくらい生きられるのか、気になってくる。1日でも長く生きていたいけれど、もし治験が中止になったら、使える薬がないので、急激に病状が悪化するかもしれない。こういう不安のせいか、いつも変な夢ばかり見る。この間は、その前の日に読んだ漫画の中に自分自身がスリップし、処方されている痛み止めの薬を転売する薬の売人になっている、なんていう刑事ドラマみたいな夢を見た。困ったもんだ。


2013年1月18日金曜日

要介護1の認定になった

去年の末に市役所に申し込んでいた介護保険認定の通知がようやく届いた。社会保険庁の手続きの煩雑さ、不快さ、遅さに比べれば、夢のようだ。これで、生活支援などが使える。既に電動ベッドも買った。電動式で、起き上がるのにとても楽。車椅子は、具合の悪い時には家の中でも使っている。

生活支援は週に1回、1時間掃除をお願いしている。風呂とか、トイレとか、シンクの掃除が苦手なので。前かがみになる作業は苦しいので、有りがたい。

一人暮らしなので、また外出が出来ないので、買物も頼めるらしいのだが、頼み方が分からない。予めリスト化しておいて、欲しいものを買ってくるのだろうか。殆どの買物は姉に頼んでいる。有りがたい。感謝。

年金事務所に障害厚生年金を再申請するのが良いのか、不服申立てをするのが良いのかを電話で問い合わせる。既に車椅子生活をしているので、不服申立てが通るだろうと思っていたが、どうも、だめらしい。医師の診断書が全てで、それだけで判断するから、不服申請しても通ることはまずもって無理とのこと。だったら申請の時にどうしてそう教えてくれなかったんだろう。明らかにもらえない内容の診断書だったから、前の主治医に書き直しをお願いすることも可能だったのに。

再申請をすることもできるらしい。ただ、申請から受給開始まで半年以上かかるから、生きている内に貰えるのかどうか分からない。

こうしたことを電話で教えてもらうのはとても大変で、かつ苦痛だった。年金事務所は、国民を不快な気持ちにするように作られているのだろうか。払わないことにはとても熱心だが、どうやったら受給できるのか、については教えようとはしない。受給資格があるのに。電話していて、苦痛で、悲しくて、無念で、泣いてしまった。

その日はトラウマで、病状が悪化したのか、寝込む羽目に。年金事務所はつくづく鬼門だ。



2012年12月26日水曜日

車椅子がやってきた

11月から、痛み止めに麻薬を使っている。痛みは何とかコントロールできている。しかし、大腿骨に転移した癌の憎悪が原因で、右足が麻痺して歩けないので、杖を使ってゆるゆると歩いていたが、外出は難行になってしまった。

やはり一人暮らしは厳しい。買物も行けないし、掃除もままならないし、余命も余り無いことだし、ということで、姉に頼んで市に介護保険の申請をしてもらった。この手続きは、日本の行政では例外的に、とても早い。介護が産業になっていることもあり、びっくりするくらいのスピードで色々なことが進んでいく。

先々週、ケアマネージャーに会い、掃除が出来ないこと、ベッド、車椅子が必要なことを伝えると、直ぐに電動ベッドと車椅子が家に配達された。私は自分が人生で車椅子を使うようになろうとは全く思っていなかったが(父母とも使っていないし、発病する前までは運動オタクで体力と健康には自信が過剰にあった)、今では外出の必需品になっている。

家から数分の距離の駅前に行くのにも、数十分かかり、帰路は疲れるので途中休憩が必要で、戻るとぐったりして寝込んでしまったから、ここ一月は病院通いの他は外出はしていなかった。買物は姉に頼み、掃除はおざなり。料理は全くせず、買ってもらった惣菜をチンするか、時々来てもらう友人の料理の冷凍したのを食べるのみ。とにかく、一日中寝ていて、頭はぼんやりしていて、痛みがあって、TVばっかり見ていた。

それが、車椅子が来て使ってからは、一人で外出も出来るようになったためか、人生がずいぶんと明るくなったような気がする。映画も見に行きたいなと思うようになった。能は、どうだろうか。駅前にある映画とちがい、会場が遠すぎるので一人では無理かもしれない。

この間、人生で最大の痛みも経験した。麻薬を使っていても、抑えられない痛みがある日の夜襲ってきた。右大腿骨の癌が暴れているのが自覚できる。右足に怪物が住んでいて暴れている。痛さは尋常でなく、泣き喚くしか対処法はなかった。近所の病院の救急に行くことも考えたが、手当ての方法があるとも思えず、また主治医のいる病院は遠いので、車内の揺れや、病院に到着してから手当てまでの待ち時間の長さを考えると、家で我慢することにした。だが、痛みに耐えられず、処方された薬を多めに飲んでしまった。これが後で大問題になったのだけれど、痛みは朝までには何とか収まった。

痛み止め担当の医師は激怒しており、処方量を守れないなら、治療は今後継続できないかもしれない、と叱られた。ごもっともです。反省しています。もう二度としません。ごめんなさい。でも、本当に痛かったのよ。自殺したいくらい、痛かった。医師によれば痛みには波があるという。どうやら最大級が来てしまったようだった。これからも来るのかな。不安になり、今後は地元でも夜間治療できる可能性があるのか、調べたい。

ぼくのチャリ男くん。


故郷の山は大山

NHKで、年末番組で、東北特集をやっていた。震災で、故郷の町が瓦礫の山となり、多くの人が亡くなり、ある人は、財産も、住む家も、家族も、知人も、勤め先も失った。でも故郷の景色は、震災後も変わらず、桜は咲き、山は色とりどりに紅葉し、海は青い。そして、番組では、そんな過酷で厳しい故郷なのに、離れられない、離れたくないという東北の人々の気持ちを写し出していた。

6年程度しか住んでいない家の窓から見える大山を見る度に、なんだかほっとする。神奈川だと恐らくどこからでも普通に眺められる山なのだが、筑波山や富士山と違って、東京からは見えないようなので(見えていても、高峰でないのと、繋がっている丹沢山系の方が高いので、目立たないせいか)、有名な山ではない。江戸時代には大山詣はとても盛んで、落語に良く出てくるので、江戸庶民には親しい山だったようだけれど。

故郷に愛着がないのは、自分の家に愛着がないためと思う。子供の頃から、早く家を出たかった。学校も好きでなかった。何もかもが違和感があって、自分の世界でないように思っていた。何故だろう。良い所なんだけどね。住むには、物価は安いし、土地百坪の一戸建ての家が20代で建てられるし、車でどこへも行けるから、便利ではあるのだけれど。

オランダに住んでいる従兄弟が先日帰国の折り、見舞いに来てくれたので、故郷の話になった。彼女も故郷が好きでなく、早く家から出たいと思っていて、卒業後旅行会社に就職し、オランダに赴任し、そのままになってしまったらしい。僕も留学時に、日本に戻りたくないと思っていたので、機会があれば(実際には無かったけれど)、別の人生になっていたかもしれない。

ぼくにとって懐かしい気持ちを起こすものは、今は大山の景色で、赤城山でも利根川でもない。室生犀星のように、故郷が憎い訳でもない。朔太郎の詩は好きで、彼の詩に読まれた前橋郊外の景色、自然は懐かしく感じるけれど、あくまでも詩の中だけであって、現実の前橋の町を懐かしく思うことは全くない。

だから、故郷に執着する人の気持ちが、今ひとつ分からない。

歩いて行けた最後の音楽会。NHKホールの最後列からの舞台の眺め。遠いが、音響は良かった。



2012年12月13日木曜日

転移癌が憎悪

このところ、更新が出来ず、じろうさんを始め、ご心配頂いた方からメールを頂きました。ありがとうございました。

アビラテロンは、大変に良く効く薬とされているけれど、転移癌への効き目が悪いのだそうだ。私もこの数週間で病勢が悪化し、大腿骨へ転移した癌が憎悪しているようだ。このため、神経、筋肉の痛みが増しており、今までもらっていた痛み止めでは、痛みのために、夜全く寝られなくなっしまった。また、足が麻痺のため、うまく歩けなくなり、外出は殆ど出来なくなった。治験は放射線治療を禁止しているので、治験を止めて、放射線治療で骨の痛みを止めることも考えたが、もう使える薬がない状況だし、今の薬を止めた途端に、骨に転移した癌の憎悪が急速に進み余命も殆ど期待できないだろうから、より強い痛み止めを出してもらうことにし、痛み止めに麻薬を追加してもらった。

麻薬は一応良く効いている。でも、一定の時間を越えると、効き目ががくっとなくなるようで、そのときの痛みはものすごかった。あまりの痛さに泣き喚いてしまった。一人暮らしなので、泣いても意味ないのだけれど、それほどに痛い。

足の麻痺が進んで歩けない、長時間座っていられないなどから、外出も駄目になった。唯一の楽しみだった能を見にいくことも無理になった。車椅子での移動なら外出も出来るけれど、一人では怖い。近所のスーパーも行けないので、買物は姉に頼んでいる。

終活を始めたほうがいいのだろうか。でも何をしたらいいのだろう。家族、友人には病状を話し、余命が長くないことを理解してもらった。後半年くらい生きられればいいな。痛みなしで。

こんな状態なのに、年金事務所からは障害給付は不至急との通知。がっかり。

勤め先の会社の知人からお見舞い。有り難い。






2012年10月27日土曜日

ホルモン療法と男らしさ

前立腺癌の成長には男性ホルモンが必要なのだそうだ。内分泌療法は、だから体から男性ホルモンを取り除くことを目的とした治療になる。昔は、手術で去勢が行われていたそうだ。今でも治療費が安いので、一部ではやられているそうだ。しかし、やはり手術には抵抗があるのだろうか、専ら薬で、注射で、化学的に男性ホルモンを抑えることが一般的だ。

ただ、男性ホルモンは精巣(睾丸)から生成されるだけではなくて、副腎からも男性ホルモンの類似物質(アンドロゲン)が出ているため、これも抑えないといけない。それで抗アンドロゲン剤でこれも抑える必要がある。

ホルモン療法は、男性ホルモン(テストステロン)も、アンドロゲンも抑える療法なので、男性としての機能は、仮に物理的には残っていても、殆ど機能しないことになる。男性ホルモンが手術や薬によって去勢されれは、当然勃起や射精に影響が出るだろうし、もし出ないのであれば、男性ホルモンが除去されていない可能性が高いということになる。

ということで、ホルモン療法や、その後のエストラサイト(女性ホルモン剤)は、男性の機能に大きく影響する。エストラサイトは女性ホルモンなので、乳房が出てくるなど、外見的な面まで作用していく。どちらも、男として長く生きてきた人間にとっては厳しい選択だ。命には代えられないとしても。

プロゴルファーの杉原輝雄が、前立腺癌と診断されて、一時ホルモン治療を拒んだという話を新聞で読んだことがある。男性ホルモンを除去すると、男として闘争本能がなくなるから、プロゴルファーとして続けることができなくなってしまうから、というのが理由だったように記憶している。命より、仕事、男としての機能を選んだということなのだろう。(がんサポートに詳しい記事が載っていました。)

映画監督の深作欣二も、前立腺癌と診断され、治療を拒んだため、手遅れとなったという話を読んだ記憶がある。

ある友達に、ホルモン療法を始めたこと、いろいろ副作用があるということを話したら、「それで、お前、今も勃起するの?」と気楽に聞かれ、とっても落ち込んだことがある。男だから、男性機能を失う、さらには体つきも女性化するというのは、深刻で悲しい事態なのだけれど、何の思いやりもなく、そう聞かれ、とてもがっかりした。乳癌や子宮癌を患う女性も、同じような複雑な気持ちを持つのではないだろうか。患者以外の人間にとっては、男らしさや女らしさを失うことが、どんなに本人にとって重大なことか、気がつきにくいのかもしれない。命のが大事だろうと言われてしまえばそれまでだし。でもね、旦那さんがホルモン治療を受けた場合、奥さんは、男性機能について、旦那さんと会話できるのだろうか。奥さんが乳癌の患者だったとして、ホルモン治療を受けているとき、夫とはどんな会話をするのだろうか。或いは全く触れないのだろうか。

今飲んでいるアビラテロンも、男性ホルモンを抑える薬なので、男性としての機能は大きく影響を受けている。性生活など、最早ないし、死ぬよりはましと諦めているので、全く構わないのだけれど、もし構う人がいたとすれば、その人にとっては深刻な治療法だろうと思う。

男性ホルモンの抑制は性格にも影響するような気がする。昔はときたまキレたり、激怒して怒鳴ったり、仕事でも、闘争心というか、ものすごく挑戦的な気持ちがあったと思うけれど(会社では若い頃から生意気な奴と言われ続けてきた)、今は怒ることなし。闘争、挑戦など、全くそういう気持ちにならない。面倒くさいことは全て回避。高望みはしない。苦労など考えたくも無い。揉め事には関わらない。平穏で静かな生活がしたい。女性には怒られそうだが、なんだか女性的な性格になったような気がする。

結構微妙で深刻な問題なのに、医師は治療の方が重要と割り切っているし、それについては、患者は諦めざるを得ないのだが、こうした面のつらさについてはあまり語られていないような気がする。
まるで花火のような国立劇場大劇場のシャンデリア。



2012年10月24日水曜日

全がん協の生存率データ

NHKのニュースで、全国がんセンター協議会(全がん協)が全国のがんの生存率を発表したというので、早々アクセスして見た。前立腺癌で、病期4(遠隔転移あり)で、50歳代の場合、50パーセント生存率は5年超となっている。症例数は期待した程ではなかったけれど、一応最新データらしいのと、症例数がまとまっているのと、全国のがんセンターを網羅している数値らしいので、信頼性は高いのかもしれない。

すい臓がんの数値が驚異的に低い。それに比べれば、半数が5年たっても生きている可能性が高いというのは、辛い事実ではあっても、余命が長いということなのだろう。かつては3年以下と言われていたのが、ドセタキセルが利用可能になったことが影響しているのだろうか。

しかし不可解なのが、データが最新といいつつ、2004年までのデータとなっていること。これでも最新?何かの間違いかと思うが、これだと最新ではないのでは。2004年に治療開始で、5年で2009年ということ?2004年当時だとドセタキセルはまだ治験段階かもしれないし。

他の病気で死ぬ場合もあるので、補正もされていること、データの信頼度についても解析されていることから、一応参考にはなる。

前立腺癌で骨に転移していても、半分程度の人は、5年は生きられるのね。でもホルモン剤、化学療法が2年弱で無効となった私のような場合にも5年超生きられたのか、どうか。恐らく、5年生きられない半数の方に入っていた可能性が高そうな気がする。(今でもまだ治療開始から2年2カ月しか経っていないのだけれど。)

大学病院は何故か全がん協には入っていないため、データの対象外なのが残念な限り。


ひいらぎの花。小さくて気がつかなかったが、良い香り。花が咲くとは知らなかった。咲かないと赤い実がつかないしね。

2012年10月19日金曜日

何もしない毎日

アビラテロンの治験開始から約二月経過した。PSAは通っている病院では直ぐに検査結果が出ないため、どうなっているのか分からないのだが、体調は良くなったり悪くなったりを繰り返している。大腿骨への転移を原因とする神経の痛みは治まったものの、腰痛は完全に無くならず、ヘルニアの痛みが時々出る。また疲労感があり、先週末は二日間寝込んでしまった。何の運動もしていないのだけれど、むやみに疲れる。肝機能は正常値なので、肝臓ではないらしい。化学療法を始めたばかりの頃は水泳のドリルなんかが出来ていたから、その時よりずっと運動機能は低下している。筋肉はほぼ無い状況。男性ホルモンもないので、足が浮腫み、痛くて寝られないことがある。冷え性にもなり、ホットフラッシュもかなりきつい。更年期障害のきつさを味わう毎日。

毎日が暇だ。でも好きな運動は無理だし、長距離を歩くと疲れるので、出来ることは限られる。本も集中すると疲れる。ビデオも同様。

先週母親に会いに行った。普段あまり会話はしないのだけれど、「最近はなにをしているの?」と珍しく聞かれた。「何もしていない。」と答えると、「勉強はしていないの?」と聞く。何も勉強してないなあ、と考えているうちに、気分が落ち込んでしまった。

私の母親は、家事を「馬鹿な女のする事」と定義しているらしい。そうはっきりと言ったことがあるのを覚えている。彼女には、家事よりも、もっと崇高な仕事があるので、家事に割く時間はもったいないのだそうだ。彼女の家は、その結果ゴミ屋敷状態となり、じゅうたんの埃を隠すため、別のじゅうたんをその上に敷き、買物依存の彼女が買った衣服を入れる場所がないため、家中に箪笥を置いたため、まともに歩けず、彼女と父親の溢れ帰る物で家の中は座る場所がないほどだった。片付ける才能ゼロ。発達障害なのではないか、と私は睨んでいるのだが、整理整頓が全くできない人だった。あるときから家事はしないと宣言し、掃除を含め、最低限のことしかやらなくなった。そういう考えの人なので、「毎日病気療養で暇だろうから、当然何か勉強でもしているんだろう」というつもりで聞いているようだった。何もしていないのは事実だが、話していて、何もしていないことに自分でも驚いた。恐らく病気の原因にも関係しているようにも思う。

私は仕事の計画を作るのが好きだった。勉強も好きだったし、論文も書いた。勉強をすることは、毎日の積み重ねだ。まず研究の目標を立て、そこに近づくための予定を立て、調査をし、メモをとり、考えをまとめ、成果物を作りあげていく。仕事も同じで、目標を決め、そのための段取り、計画、予定を作り、毎日実施、チェック、フィードバックを繰り返すから、勉強とあまり変わらない。毎日こつこつと何か考えていないと仕事は達成できない。勉強も研究も同じと思う。だから、朝から晩まで勉強漬け、仕事漬けでも問題はなかったし、そういうものだと思っていた。

だから、今何もしていないし、考えていない自分がとても不思議だ。それを母親から言われると、嫌な気持ちになった。癌になったのも、仕事ばかりで、休みなしに猪突猛進に、色々なことを切捨ててきたことへの報いなんだろうか。

とにかく、ドセタキセルを機会に、会社を休職し病気療養に入ると決めた段階で、何もしない、考えないことにしたのだった。とはいえ、それでも毎日何かしないと不安で、癌について調べたり、水泳で体力をつけようとしたりしていたのだったが、今ではそれも止めて、ぶらぶらしている。将来のことを考えても、将来はないし、幸い妻子もいないので、その面の不安も心配も不要だし。

家事は、一人分だとあっという間に終わってしまう。病人でも出来る。でも、これでいいのかな、と時々考える。「生きてきた証はね、何もないね。それでも良いのかな?」

美術館の喫茶室で、ケーキを食べた。クリームたっぷりで、食事療法的に問題なのだけれど、たまには眼をつぶろう。

2012年10月8日月曜日

治験を探すには

私の病状では、ドセタキセル(タキソテール)は効き目がなくなっており(とても効き目が弱くなっており、が正しいかもしれない)、副作用がひどくなっていた。その後に使える薬は日本ではない。標準治療として国が使用を認可した薬はない。緩和治療で、死を待つか、免疫治療、代替治療で頑張るかしか手はない。

ところが欧米では、数種類の新薬が認可されているが、これを日本で使うには、海外に治療に出かけるか、薬を個人で輸入するか、治験に参加するしか選択肢はない。前の二つは費用面、体力面で結構ハードルが高い。

治験は、藤野邦夫さんの定義によれば、「製薬会社が厚生労働大臣の承認をうけて医療スタッフと医療設備が整っている施設に依頼し、実施してもらう治療実験のこと」だそうだ。

参加したければ、製薬会社のホームページか、新聞広告で見つけ、自分で調べ申し込む方法もあるとされている。実際にまーさんは、こうした方法で見つけられている。しかし、私も調べて見たが、良く分からなかった。

ペプチドワクチンについては、多くの大学が治験をやっているようだが、どこも「やっているという事実」を発表しているだけで、情報はそれだけだった。唯一、久留米大病院がHPで丁寧に説明し、公募もしており、分かりやすかった。

日本国内で実施されている治験は、全てUMIN臨床試験登録システムに登録されており、HPで見られると藤野氏は「ガンを恐れず」で述べている。しかし、どうもそうなっていないようで、完全なリストになっていないような気がする。前立腺癌について検索しても、あまり出てこない。

治験に参加した患者の多くは、通っている大病院の医師から、参加しないか、と声を掛けられたというもののようだ。私の例もこれに近い。他の癌の患者さんについて、知っているわずかな例も、どれも医師から勧められたものだった。

今通っている病院の治験コーデイネーターの看護士に聞いてみたところ、治験は製薬会社が病院を選ぶのだそうだ。もし、私が製薬会社に勤めていたら、厚生労働省の審査を通すことが目的だから、治験先は、まずその癌の患者の分布に近いものにしようとするだろうと思う。殆どが70代、80代の患者の病気に、30代の患者のデータは数多くは揃えないだろう。また、患者は人口比で大都市に多いだろうけれど、全国的にデータを取る配慮を政治的な理由からすると思う。患者数は少なくても、最低限の地方のデータも必要だろうと思う。また、大量のデータを記録、分析する必要から、人手のない病院では無理なので、大病院を選ぶと思う。となると、大学病院か、地方の拠点病院、がんセンターなどに治験が集中するだろう。また、製薬会社間の競争があるので、同じ癌の薬は、同じ病院には頼まないらしい。A社がA病院に治験を依頼すると、B社は別の病院を選ぶらしい。そして情報収集のためには、大都市圏よりも、地方の方がそもそも大病院の数が少ないこともあり、有利かもしれない。

恐らくは大病院の治験管理室に片端から電話をして、或いは訪問をして、治験について尋ねるのが一番なのだろうが、体力、気力の衰えた状況では、まずもって出来そうもない相談のような気がする。また治験の参加条件には、自力で病院に来れること、というのがあるため、病状が進むと受けられない。

結局元気なうちに探しておかないと無理のようだ。

一方で、治験は製薬会社にとってお金が掛かるため、サンプル数は有限だ。だから募集期間を過ぎて参加できる可能性は少ないだろう。

となると、やはり通っている病院から声を掛けてもらうのが一番なのだが、通っている病院がそういう大病院でない場合はどうするか、といえば、難しいとしか言い様がない。患者が極端に集まるがんセンターなど、治験目的の転院は門前払いだろうし。

もしアビラテロンが効かない場合、アメリカだと次はカバジタキセル、それもだめだと再度ドセタキセルというコースが考えられるらしい。今ネットで、カバジタキセルを調べても、治験がどうなっているのか、良く分からない。もしご存知の方がいらしたら教えて下さい。

山下公園前の大通りの銀杏並木に、銀杏がたわわに実っていました。余りにも凄い数なので、驚きました。掃除が大変だ。。







2012年10月2日火曜日

藤野邦夫訳の「ガンに打ち勝つ患者学」を読む

1999年の本で、古い。著者もアメリカ人でどんな人かは良く分からないが、有名な帯津先生が序を書いていること、例の藤野さんが訳していることから、読んでみた。

原題は、「がんになったらやるべき50の項目」(Cancer: 50 Essential Things to Do)で、邦訳とまるで違う。これをやればガンに勝てるかのようなことが表紙に書かれている(末期ガンから生還した1万5000人の経験に学ぶ、とある)が、内容そのものは常識的で、どこにも、この50をやったらガンに勝てるとは必ずしも書いてはなかった。若干商業主義の臭いのする本。

私の興味は、主に食事に関してだが、それほど突飛なことは書かれていない。例えば、

21段階: 健康な体重を維持しよう。タンパク質、特に低脂肪のものを重点的にとろう。新鮮な食品を食べよう。
22段階: 新鮮な野菜と果物、全粒粉のパン、パスタ、豆類をとろう。赤みの肉を避け、鶏肉も制限しよう。低脂肪か無脂肪の乳製品を使おう。脂肪と砂糖は抑えよう。食べたものは記録し、改善しよう。
23段階: 水を飲もう。ガン患者には脱水症状になる傾向があり、免疫機能が阻害されるので、大量の水を飲もう。
24段階: 体に悪いものをとらない。高脂肪のスナック、TVを見ながらの食事、早食い、衝動的な食欲に基づく食事はやめよう。
25段階: ビタミン、ミネラル、ハーブのサプリメントをとろう。

など、どれも当たり前と思えることばかりだった。

面白かったのは、後半の精神に関係する部分。

37段階: 病気のメッセージを理解しよう。病気になる1~2年前に、ストレスの多い出来事か変化がなかったか。深い悲しみやストレスをどう処理してきたのだろうか。気分を切り替える方法があっただろうか。有害な状況や関係を取り除けただろうか。
38段階: いまという貴重な瞬間を生きよう。過去を悔やんでばかりいるとせっかくの機会を見逃してしまう。過去のことを考えたり、後悔するのはやめよう。
39段階: 余裕をもって遊ぶ時間をつくろう。遊べばエネルギーを蓄積できる。そのエネルギーは健康に役立つ。
40段階: 治癒力を増強するため、笑おう。
41段階: まわりの人たちとの人間関係を改善しよう。どんな点を変えるべきか考えよう。
47段階: 許すことを習慣にしよう。受けた傷や過ちに関係した人を許そう。許すことは癒しになる。


ふむふむ。デーケン先生の本と共通することも多く書かれている。

こういう本は沢山出ている。昔は、がん患者の闘病記が役に立つように思ったが、末期がんを長く患っていると、がんは多く種類があり、それぞれに経験が大きく異なるのと、症状や治療法も異なるので、必ずしも参考にならないと気がついた。精神的なところについて書かれた本の方が今では役に立つような気がしている。
乳製品は悩ましい。すっぱりと止めたいが、ケーキには沢山使われているし。パンにも。お菓子にも。食べなければ良いんだが、無理だと思う。ヨーグルトは、木魚さんに教えて頂き、入れ物を煮沸消毒した容器で、豆乳カスピ海ヨーグルト作りに挑戦中。






2012年9月25日火曜日

「「がん」になってからの食事療法」を読む

少々古い(2001年)が、科学的な研究成果を前提に、癌治療と食事療法との関係を説いたものとして、外に適当な本はないと思う。

末期を含めた癌患者が何を食べたらよいか、食べるべきでないか、という悩ましい問題について述べた本。アメリカ対がん協会という、権威があるのかどうかは良く知らないけれど、アメリカでは有名らしい協会による本で、東北大の先生が訳され、解説をしている。

興味深いのは、アメリカの本らしく、前立腺癌についての独立した項目があること。それによれば、前立腺癌の患者のために、科学的に証明された食事療法はない。以下の食品のリストは、効果がある「可能性はあるが、まだ証明はされていない。」

①動物性食品の多量摂取は危険で科学的な根拠があると考えられる。飽和脂肪酸が少なく、果物や野菜が多い食事をし、定期的な運動をすることが大切。
②トマトに含まれるリコペンが前立腺癌の憎悪防止に効果的との疫学的な研究がある。但しこの学説は、一層の研究が必要。
③セレンが前立腺癌の発生率を低下させるという研究がある。但し、偶然そうなったのか、効果によるのかはまだ証明されていない。もし摂取するのなら、セレンを強化したビール酵母が良い。
④ビタミンEの摂取によって、前立腺癌は、潜在癌から進行癌に進展する可能性が下がるとの研究がある。但し、一層の研究が必要。
⑤大豆たんぱく質製品が良いとの考え方がある。但し研究での証明はまだない。
⑥カルシウム摂取が多い男性は、前立腺癌の発生のリスクが高いことを示す疫学研究がある。

ということで、ま、やっておいて損はないが、科学的な裏づけはないですよ、ということのようだ。

気になるのは、乳製品について言及が全くないこと。また、塩分についての言及もない。











2012年9月22日土曜日

藤野邦夫「ガンを恐れず」再読

ご自身も前立腺がんになり放射線治療を受けられ、がん難民という言葉を広めたことで知られる藤野さんの本。

昔読んで、今また読み直している。

この本で、特定の健康食品を堂々と勧めていたりするので、毀誉褒貶があるようだが、とはいえ、なかなか立派な本で、一読の価値があると思う。

藤野氏は、アメリカの文献等と自分の経験から、がん治療とは、がんと闘う主役は自分の免疫システムであること、だから無自覚に医師の治療を受けるのではだめで、自分の病状を正確に理解し、最適な治療法を自ら探し、求めるべきで、また不安ではなく、希望をもって暮らすことが大切だと説いている。

特に、セカンドオピニオンや、医師、看護士への積極的な質問、会話などを利用しながら、最適な治療法を患者側が主体的・自覚的に判断しなければならない、と再三再四力説している。自分の命に関わることなので、他人任せではだめだ、ということなんだろうと思う。

但し、それがいかに困難なことかは、嫌と言うほど体験した。だからこと、本書を読み返す意味があるということかもしれない。

私は海外の学校で教育の一部を受けたためか、日本社会では浮いてしまいがちで、主張が強い、生意気だと言われ続けてきたが(海外では、逆に主体性がなく、何を考えているのか分からないなどとと言われていたのだが)、それでも実際にがんになり、病院で自分の病状や治療法について、医師と会話するのは、とっても勇気と気力と体力が要ることで、先方に全くその経験や意思のない医師が少なからずいるために、そんなには簡単ではないと思った。医師にもよると思うけれど、質問されることを嫌がる先生が実際にいたので(前の主治医などその典型かもしれない。若い先生だけどね)。


2012年9月19日水曜日

デーケンの「死とどう向き合うか」を読む

上智大の先生だった、アルフォンス・デーケンの「死とどう向き合うか」を図書館で借りて読んでいる。結構ためになる。

死に関しての教科書のような、網羅的な本なので、一杯いろいろなことが書いてあったけれど、私にとってためになったのは、死に直面した誰もが経験する、心の移り変わり(過程)についての部分と、死への恐怖をどうやって克服すべきか、また恐怖は克服でき、幸せな死を迎えることもできるという部分だった。

本書によれば、末期の患者の心の揺れ動きには、共通の死への過程(プロセス)があり、5段階か、6段階に分けられるとのこと。

①「否認」 殆どの末期患者は、告げられた事実(例えば、余命三ヶ月)を否定する。自分が死ななければならないという事実が認められない。

②「怒り」 何故自分が死ななければならないのかという怒りを周囲にぶつける段階。医師は患者とのコミュニケーションが持てない。

③「人生の見直しと再評価」 人間関係のトラブルを解決しておく時期。苦しい治療を受け入れ、延命を望む時期。この時期は短いが、理性的になり、周囲に対し開放的、協調的になる。

④「抑うつ」 死が近づくと、抑うつが現れる。周囲はもう何もできなくなる。

⑤「受容」 避けがたい死をという運命を平静に受け入れる。

⑥「期待と希望」 死後、愛する人との再会を期待する。死後の世界を信じる人の場合に多い。

私について、振り返ると、まだ否認と怒りの段階なんだろうか。まだ半ば引きこもっているので、③の段階にあるとは思いにくい。面会は断っているし。人によっては、積極的に自分の末期がんの経験を講演会や患者会などで話し、他のがん患者を勇気づける活動をする人もいるようだ。まさに③の段階にある人なんだろうが、私はそうなることはなさそうな気がする。

また、本書によると、全ての人が⑤、⑥の段階に進むとは言えず、稀には最期まで自分の死を否定したままで死んでいく人もいるという。著者によれば、⑤、⑥にまで進めた人の方が幸せな死を迎えているという。そして、死生観、宗教、死への準備によって、死に臨む態度は違ってくる、という。

確かに、最期まで、自分は不幸だったと喚きながら死ぬのか(私の母が残念ながらそうなりそうな気がしてならない)、周囲に私は幸福だったと言って死ぬのかでは、死に方として大きな差があるだろうと思う。本人にとってだけでなく、残されたものにとっては、その差は大きいだろう。

更に、本書によれば、幸せな死を迎えるには、患者は死への恐怖を乗り越えなければならない。著者によると、死への恐怖には幾つかのタイプがあるという。

①「苦痛への恐怖」 がん死は痛い。がんによる痛みに苛まれて死ぬのが如何に辛いものかは、既に入り口を経験してしまった。

②「孤独への恐怖」 病院や家で孤独な死を迎える恐怖は強い。見捨てられている、と感じる場合、こうした恐怖感が強まるような気がする。

③「家族への負担になることへの恐怖」 既に入院、通院などの治療で物理的、経済的、心理的に家族には大きな負担になっている訳だが、終末医療の介護や看護が負担になると思う気持ちが恐怖になるという。患者が働き盛りの男ならば、残された家族の経済的、心理的負担に対する恐怖も一層強いだろう。

④「未知なるものを前にしての不安」 死ぬ経験は誰もしたことがないので、教えてくれる人がいない。ただし、この不安は先の「死の過程」を理解し、死への準備をすることで、大きく緩和される。

⑤「人生を不完全なまま終えることへの不安」 私のような家族がいないものは、将来弔う人がいない。特にライフワークはないけれど、中途半端な人生だったような気がしてならない。幸せな死を迎えるには、本書によれば、自分の人生が不完全ではなく、肯定的なものだったと捉えることができるようになる必要があるらしく、結構重要らしい。

⑥「自己の消滅への不安」 これは動物的、本能的な不安感なんだろうと思う。

私に関しては、苦痛への恐怖はとても大きい。また、私の死が引き起こす家族、友人への負担感、喪失感(家をどう整理するのだろう、家財の処分はどうするのだろう、墓はどうするのだろう、私がいないという心理的な穴はどう埋めるのだろう、などなど)に対する恐怖がある。動物的な死への不安感も強い。人生が不完全なまま終えることに関しては、独身で中途半端に生きてきたし、家庭人としても、社会人としても成功しないまま病気になったので、それはそれで受け入れざるを得ないという諦めの気持ちがあるけれど、素晴しい人生だったなどと、無理やり肯定的に受け入れるのは無理のように思う。  



2012年9月11日火曜日

同病の方とお会いする

このブログにコメントしてくださる方が、私の家の近所ということが判明したため、情報交換がてら、駅前の喫茶店でお目にかかった。私は、ほぼ引きこもり生活なので、同病の方とお話を出来るのは嬉しい限り。

びっくりしたのは、家がご近所だったこと。私の家の窓から良く見える。全くの目と鼻の先。

湯治がお好きのようだったので、近所の日帰り温泉の情報交換をさせて頂く。
 
家の窓からは、最近出来たばかりの総合病院、大山、丹沢、その後ろにちょっとだけ富士山が見える。大山には、いつか登って見たい。確か、ケーブルカーで頂上付近まで行けた筈。階段もやっと登っているのに、山は無理だろうか。その裏の丹沢は無理。富士は18歳の時に登ったので、それで十分。


昔良く通った、栃尾又温泉の囲炉裏。


2012年9月10日月曜日

闘病三年目

末期がんと告知された頃、時々「やりたいことがあれば、何でもやったら」と言われた。でも、何をしてよいか分からなかった。「欲しいものは?」と聞かれると、答えはしなかったが、「一日でも長く生きたい」と心の中では思っていた。だから、過去2年、特に新しいことは何もせず、またできず、欲しいものもなく、どちらかといえば、断捨離で、家の中の不要なもの(スキー、スケート、テニス、スカッシュ、バドミントン、登山、カヌーなどのスポーツ用品、テントなどキャンプ道具、旅行道具、キャリアーなどの自動車用品、出勤用のスーツ、コート、シャツ、靴、鞄、本など)を捨て、整理整頓に励んだ。

一度死にたくなるような痛みの日々に直面してみて、今は治験の薬が効いて、痛みから漸く回復し、散歩も可能となり、外出も出来、正座も出来るようになり、笑うことも出来るようになってみると、多少やりたいことが出来てきた。

習い事がしたい。本当に出来るとは思えないし、いつ再び座れなくなるかも分からないので、長続きはしないだろうが、お茶か、謡を習いたい。どっちも体を使う(正座する)ので、骨の痛みが出れば無理なのだけれど。

お茶は、一度も習ったことがない。私の世代で、男で、お茶を習う人は少ないと思うけれど、習っておけば良かった。私の父母の世代や、姉は習ったらしいので、少々残念。今更、あんなこみいった所作を覚えるのは無理かもしれない。記憶力が驚異的に衰えているし。かなりぼけて来ている。でも、お茶席で、全く作法を知らないのも、格好悪いように思う。(お茶席に行く機会は全くないのだが。)

謡は、能にはまっているため。40歳くらいまで、日本の古典芸能は全く好きでなかった。興味も無かった。文楽だけは、何故か子供の頃から好きだったが、40代になり、ある時から、歌舞伎を時々見るようになり(文楽と歌舞伎は台本が同じものが多い)、歌舞伎から落語(落語には歌舞伎を題材にしたものが多いので、歌舞伎を見ていると、落語も良く分かることが多い)、落語から能が好きになった。落語にも歌舞伎にも、能が元になっているものが多い(歌舞伎の方が多く、落語はそれほどではないが、例えば船弁慶)ので、能を見ていて、これはあの落語の元になっているな、などと思うことも時々ある。

焼き物が好きなので、茶碗経由でお茶にも興味を持ち出したという事情もあるかもしれない。和服も着るようになり、45くらいからは、見るものは古典芸能一本槍になった。昔は能や、落語がTVラジオから流れると、直ぐ局を変えてものだけれど、何ていう変わりようだろうと思う。今ではFMの能を聞いて、これは何の曲か、直ぐに言えるようにまでなってしまった。若い頃から、古典芸能やお茶やお花や、日本文化に親しんでおけば良かったな。お金と時間が掛かるので、無理だったかもしれないけれど。

とはいえ、また痛みが出たり、薬が効かなくなったりすれば、それどころでなくなり、集中力もなくなり、考えることも出来なくなり、顔から表情がなくなり、気持ちもぼんやりしてしまうかもしれない。短い間に出来ることは何だろうか。

父親作の茶碗で一服。作法はまるでなし。


2012年8月31日金曜日

発症、告知から丸2年目

8月末で、発症してから2年目になる。古い統計によるD2患者の余命は、中央値が3年程度だったと思うので、まだまだそこまでも達していない。私のように、50代で発病し、低分化でグリソンスコアが高い(9)と、早めに死ぬ傾向がある。同じD2でも、高齢で発病した場合には、高分化で、グリソンスコアも低く、ホルモン療法も良く効く傾向にあると思うが、そういう人も同じ統計の中に入ってくるので、2年生きられただけでも幸いだったかもしれない。

とはいえ、気になる記事が「がんサポート」の最新号(泌尿器のがん特集号)に載っていた。阪大の泌尿器科の先生の記事で、やはりホルモン療法が長期に効く人ほど抗がん剤(ドセタキセル)も長く効くとのこと。ホルモン療法がもし短期間しか効かない場合には、ドセタキセルも短いということなんだそうだ。恐らく多くの医師の観察するところなのだろう。

またエストラサイトを投与されると、ドセタキセルが効かない傾向にあるという。私がまさにその例なのだけれど。阪大病院ではエストラサイトの投与には慎重になっているらしい。

多くの新薬が承認待ちなので、D2患者は、薬の効き目を出来るだけ引き伸ばして、新薬登場を待つのが良いとのこと。その通りだと思うけれど、でも、待てない人はどうするのだろう?との疑問も湧く。今のように、新しい薬が欧米で開発され、日本ではラグで承認待ちという時には、どこの病院に受診しているかどうか(最新の情報量が豊富で、臨床経験も多い病院か、そうでないか)で、生存率が変わってくる可能性があると思う。

この記事で一番驚いた部分は、阪大では、がんの再燃(手術やホルモン療法でがんを抑えたものの、腫瘍が再び悪化した場合)の定義を、一般的な、PSAが二回連続で上昇したら、というものではなく、2上昇した場合としていること。この数値が大きいので少々びっくりしたが、要は、ドセタキセルに至る治療の時間を急がないということらしい。同様の方針をHPで見る限り、医科歯科大も取っているようだが、私の前の主治医は、ドセタキセルは早期が良いとの方針だった。

とはいえ、皆が皆、京大病院や阪大病院、千葉大病院や横浜市大病院に入れる筈もなく、運不運がつきまとうのかもしれない。

食べられるらしいやまぼうしの実。本当かな。