去年の8月に入院し、抗がん剤治療を始めたが、普通休暇を消化し、その他の休暇も全て使いきったので、今は病気療養での長期休暇扱いになっている。会社から出て来れるか、確認を受けたが、副作用のため、恐らく在宅勤務なら可能と答えたが、それは無理とのこと。来年度で管理職扱いを外れ、一般職社員に降格の上、病気休暇扱いしてくれることになった。但し、60歳まで。その後の再就職は断られた。働けないので、当然なのだが、もし生きていれば収入ゼロになる。
今後は病気の長期休暇なので、給与は出なくなるが、健康保険からの補填が貰える予定。貰える額は恐らく管理職時代の半分以下になるけれど、辞めても、退職金が増えることはないので、悩んだが、60歳までお世話になることにした。その間、制度が見直しになり、会社の状況は実質倒産に近いので辞めろといわれる可能性もあるけれど、様子を見ることにした。
通院している病院も、主治医が替わることもあり、家の近所の病院に移ることを検討中。脳外科、放射線科が今の病院にはないので、いずれはどこかへ移らないと行けないと思っていたので、潮時と思うが、PSAが上昇し、ドセタキセルと併用している薬を変えることを検討しましょうと言われている最中なのと、ペプチドワクチンを続けている最中なので、直ぐに外に移るのが良いのか悩んでしまった。
周囲は即刻変わった方が良いと言う。あれこれ悩む。
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2012年2月28日火曜日
2012年2月23日木曜日
ドセタキセル10クール目(7ヶ月目)、告知から1年7ヶ月、副作用対策をネットで発見
化学療法を開始して7ヶ月、PSAはまた上昇してしまい、13台に。がっかり。落ち込んだが、微増なので、医師は再度下がる可能性もあり、来月まで様子を見ましょうとのこと。来月再び上昇したら、ドセタキセルと併用している服用剤を変更するとのこと。またMRIも撮ることを考えましょうとのこと。転移が広がっているのだろうか。
現在、女性ホルモン+抗がん剤のエストラサイトを毎日4錠飲んでいるが、これをオダイン等に戻して様子を見ることも検討しましょうとの提案らしい。標準治療のレジメン(計画)では、一度効かなくなった薬は使わず、最終的には使う薬がない、投薬は中止ということになるのだが、現在はレジメンどおりではなく、なるべく早期にドセタキセルを開始しながら、色々な薬を試し、時間を稼ぐ方法も試みられているのだとのこと。でも、前回はオダインは殆ど効果がなかったので、どうなるやら。不安が再燃してしまった。お陰で寝られない夜を過したが、あまり考えても仕方がない(出来ることもない)ので、普通に生活することに、頭を切り替える。
ネットで調べたところ、爪、髪、味覚障害、手足の痺れ等は、ドセタキセルの投与(大体45分程度)の前後20分を含む1時間強の間に、保冷剤などで冷やすと表面の血行が悪くなり、障害が改善されることが分かってきたとのこと。学会報告も既にあり、日経メデイカルや、がんレポートや、乳癌などの患者さんのHPなどで紹介されていた。それ専用のキットも開発されており、アメリカの会社が冷却用の帽子、手袋、靴下の5点セットを通販で売っているのを発見したので、アメリカのアマゾンで早速注文しようとしたが、日本へは送れない(アメリカ国内ならば販売可能)とのこと。製造元のHPを見ると、世界中に代理店があり、どこでも販売されているのに、日本のみ代理店の記載がない。同じキットを日本国内の多くの大学病院が、既に患者に貸し出ししているらしい(乳癌の患者さんに)のだが、どうやって購入したのいだろう。ネットでは事情は分からないが、個人的に米国出張時、或いは米国経由で輸入しているのだろうか。5点セットで300ドルなので、欲しいのだけれど、日本では個人では買えない。厚生労働省はこういうものの規制は得意なので、輸入制限をしているのかもしれない。ありそうな感じ。
専用キットは手に入らなかったが、1時間程度、手足などを冷やせば良い訳なので、スーパーで保冷剤を大量に買い、百円ショップで大き目の靴下を2足、帽子を買い、ポットに氷を詰め、手作りで手足、頭、舌を冷やすことにした。当日ドセタキセルの投与直前に綿の靴下、手袋、キャップをし、保冷剤をおいて、その上から毛の大き目の靴下、手袋、帽子を装着したが、なかなか上手くいかない。固まった保冷剤は曲面ではないが、手足、頭は曲面なのでぴったりしない。また少々冷たすぎる。また、口に入れた氷は直ぐ溶けるので、手袋を外し、氷を口に入れないといけない。面倒なので、氷は諦め、手足に集中。帽子も保冷剤ではだめみたいだった。
但し、帽子は改良すればなんとかなるかもしれない。舌を冷やす氷は、難しそうだ。1時間も溶けない氷があれば良いのに。保冷剤を口に入れようか?ちょっとびびる。
余りにも冷たいかなと思ったが、直接保冷剤を手足に当てない限り、1時間ならば我慢はできそうだった。但し体が冷えるので、トイレ対策も必要かもしれない。
現在、女性ホルモン+抗がん剤のエストラサイトを毎日4錠飲んでいるが、これをオダイン等に戻して様子を見ることも検討しましょうとの提案らしい。標準治療のレジメン(計画)では、一度効かなくなった薬は使わず、最終的には使う薬がない、投薬は中止ということになるのだが、現在はレジメンどおりではなく、なるべく早期にドセタキセルを開始しながら、色々な薬を試し、時間を稼ぐ方法も試みられているのだとのこと。でも、前回はオダインは殆ど効果がなかったので、どうなるやら。不安が再燃してしまった。お陰で寝られない夜を過したが、あまり考えても仕方がない(出来ることもない)ので、普通に生活することに、頭を切り替える。
ネットで調べたところ、爪、髪、味覚障害、手足の痺れ等は、ドセタキセルの投与(大体45分程度)の前後20分を含む1時間強の間に、保冷剤などで冷やすと表面の血行が悪くなり、障害が改善されることが分かってきたとのこと。学会報告も既にあり、日経メデイカルや、がんレポートや、乳癌などの患者さんのHPなどで紹介されていた。それ専用のキットも開発されており、アメリカの会社が冷却用の帽子、手袋、靴下の5点セットを通販で売っているのを発見したので、アメリカのアマゾンで早速注文しようとしたが、日本へは送れない(アメリカ国内ならば販売可能)とのこと。製造元のHPを見ると、世界中に代理店があり、どこでも販売されているのに、日本のみ代理店の記載がない。同じキットを日本国内の多くの大学病院が、既に患者に貸し出ししているらしい(乳癌の患者さんに)のだが、どうやって購入したのいだろう。ネットでは事情は分からないが、個人的に米国出張時、或いは米国経由で輸入しているのだろうか。5点セットで300ドルなので、欲しいのだけれど、日本では個人では買えない。厚生労働省はこういうものの規制は得意なので、輸入制限をしているのかもしれない。ありそうな感じ。
専用キットは手に入らなかったが、1時間程度、手足などを冷やせば良い訳なので、スーパーで保冷剤を大量に買い、百円ショップで大き目の靴下を2足、帽子を買い、ポットに氷を詰め、手作りで手足、頭、舌を冷やすことにした。当日ドセタキセルの投与直前に綿の靴下、手袋、キャップをし、保冷剤をおいて、その上から毛の大き目の靴下、手袋、帽子を装着したが、なかなか上手くいかない。固まった保冷剤は曲面ではないが、手足、頭は曲面なのでぴったりしない。また少々冷たすぎる。また、口に入れた氷は直ぐ溶けるので、手袋を外し、氷を口に入れないといけない。面倒なので、氷は諦め、手足に集中。帽子も保冷剤ではだめみたいだった。
但し、帽子は改良すればなんとかなるかもしれない。舌を冷やす氷は、難しそうだ。1時間も溶けない氷があれば良いのに。保冷剤を口に入れようか?ちょっとびびる。
余りにも冷たいかなと思ったが、直接保冷剤を手足に当てない限り、1時間ならば我慢はできそうだった。但し体が冷えるので、トイレ対策も必要かもしれない。
2012年2月8日水曜日
NHKでペプチドワクチンについての番組を見る
朝NHKでやっている「朝いち」で、ペプチドワクチンについての治療についての特集をやっていた。久留米大、東大、岩手医大での治験結果について、延命効果については有意の効果が認められること、しかし日本で保険治療として認められるには、安全性についての試験に時間がかかるため数年から10年はかかるだろうこと(欧米に比べて遅れているという、いわゆるドラッグラグ)、将来的には治療のみならず、癌にならないような予防効果まで期待できる可能性もある、というものだった。
前立腺癌について、久留米大の例も紹介され、大学病院の映像も映っていた。
とはいえ、久留米大の治療が混合医療だという(恐らくは)間違いもあったような(実態は、混合治療ではなくて、ペプチドワクチンに関しては保険が全く適用されない自費の治療のみで、保険との併用はできない。ドセタキセルが効かなくなった一部症例については高度医療の適用にはなるけれど)。また効果が劇的で元気になった人(膵臓がん、肺がんの患者さん)ばかり出ていたので(映像的にはそうせざるを得ないのだろうが)、もしかしたら効果について、少々過剰な期待感をあおったかもしれない。
気になった点は、ペプチドワクチンは元気な時にやるのが一番効果的であると多くの先生方がおっしゃっていたこと。確かに元気で、リンパ球も多くて活発でないと、効果が弱いだろうことは理解できる。しかし、現状では、最後の手段として使われている。私も元気なうちはホルモン治療で十分かなと思っていたし(仕事をしつつ、毎週羽田から久留米に通うのは覚悟がいる)、抗がん剤を使う段階になったらペプチドワクチンか、或いは抗がん剤が効かなくなったらペプチドワクチンかと思っていたけれど、どうもそれは標準治療優先という厚生労働省の方針に従っているからそうなるだけで、理想的な医療という訳ではないらしい。抗がん剤を使うとリンパ球が激減してしまうので、素人が考えても併用が望ましいとは思えない。抗がん剤の前に、ペプチドワクチンを単独治療するか、抗がん剤を休薬して使うのがベストなのだろう。しかし主治医が同意するだろうか。或いは患者が抗がん剤の使用を遅らせることを決意できるかどうか。結構難しい選択を迫られるのかも。私は、ペプチドワクチンを始める前に、抗がん剤治療が始まってしまっていたので、あまり深く考えなかったけれど。
番組を見た結果として、もっと早くペプチドワクチンを初めていたら良かったのだろうかな、とも思ったが、今となってはどうにもならない。
穿ちすぎだろうけど、ペプチドワクチンが普及し、一部のがんで延命できるようになると、抗がん剤で儲けている医薬会社には大打撃になるのだろうか。(○山ワクチンの例を見ると、そうとしか思えない。)厚労省にとっては、仮に健康保険代が抑制できても、これ以上延命されると、年金の支払いがさらにかさむことになるので、あんまり普及して欲しくないのが本音かもしれない。
前立腺癌について、久留米大の例も紹介され、大学病院の映像も映っていた。
とはいえ、久留米大の治療が混合医療だという(恐らくは)間違いもあったような(実態は、混合治療ではなくて、ペプチドワクチンに関しては保険が全く適用されない自費の治療のみで、保険との併用はできない。ドセタキセルが効かなくなった一部症例については高度医療の適用にはなるけれど)。また効果が劇的で元気になった人(膵臓がん、肺がんの患者さん)ばかり出ていたので(映像的にはそうせざるを得ないのだろうが)、もしかしたら効果について、少々過剰な期待感をあおったかもしれない。
番組を見た結果として、もっと早くペプチドワクチンを初めていたら良かったのだろうかな、とも思ったが、今となってはどうにもならない。
穿ちすぎだろうけど、ペプチドワクチンが普及し、一部のがんで延命できるようになると、抗がん剤で儲けている医薬会社には大打撃になるのだろうか。(○山ワクチンの例を見ると、そうとしか思えない。)厚労省にとっては、仮に健康保険代が抑制できても、これ以上延命されると、年金の支払いがさらにかさむことになるので、あんまり普及して欲しくないのが本音かもしれない。
2012年2月2日木曜日
ドセタキセル(タキソテール)9クール目、告知から1年7ヶ月目
ドセタキセルの投薬も9クール目となった。PSAはまた微増で、11台に上昇し、がっかり。主治医は、極めて事務的に、次回の投薬日を決めて、帰ってしまったので、会話の余地なし。
最近の副作用は、以前のような投薬後3日目から7日目に強いものが出るのではなく、3日目くらいからずーと副作用が続いている感じがする。以前は10日目くらいから元気に戻ったが、そういうことはなくなって、体力は実年齢+15歳という気がする。
抗がん剤を始める前は水泳教室に週2回通っており、結構きつかったが、何とかついていけた。投薬開始と同時に止め、今は週一回程度近所のプールで元気な時だけ、1時間1000メートル程度を軽く泳いでいる。先週元気だと思ったので、ゆっくりと1000メートル泳いだら、その後は立てないほど疲れてしまった。どうもまだ回復していなかったようだ。
殆ど力を入れない泳ぎなので、以前は疲れることはなかったが、8クール目からものすごく疲れるようになった。このプールには老人のグループが沢山来ていて、80代みたいな人も、ばんばん泳いでいるのだが、全くそんな連中の真似は出来ない。抗がん剤を始める前は激しい泳ぎもできたけれど、今は無理。クイックターンは怪我が怖い(足先がやられる)、早く泳ぐと腕をコースロープにぶつけて指先を怪我するかもしれない、飛び込みは禁止なのだが、あれも骨折のリスクが少しあるから無理だろう。赤血球がとても少ないから、有酸素運動の激しいのは無理なのだ。
下痢は薬で抑えているが、失禁等も日常茶飯事なので、外出はトイレがいつでも行ける場所のみ選んで行くことになる。
爪が割れてしまったので、常にクリーム等を塗り、夜は手袋をしている。100円ショップでそういう用途の手袋を売っていたので、大量に買い込んだ。爪を保護するマニキュアもあるらしいので、今度マツキヨで聞いて見ようと思う。
最近の副作用は、以前のような投薬後3日目から7日目に強いものが出るのではなく、3日目くらいからずーと副作用が続いている感じがする。以前は10日目くらいから元気に戻ったが、そういうことはなくなって、体力は実年齢+15歳という気がする。
抗がん剤を始める前は水泳教室に週2回通っており、結構きつかったが、何とかついていけた。投薬開始と同時に止め、今は週一回程度近所のプールで元気な時だけ、1時間1000メートル程度を軽く泳いでいる。先週元気だと思ったので、ゆっくりと1000メートル泳いだら、その後は立てないほど疲れてしまった。どうもまだ回復していなかったようだ。
殆ど力を入れない泳ぎなので、以前は疲れることはなかったが、8クール目からものすごく疲れるようになった。このプールには老人のグループが沢山来ていて、80代みたいな人も、ばんばん泳いでいるのだが、全くそんな連中の真似は出来ない。抗がん剤を始める前は激しい泳ぎもできたけれど、今は無理。クイックターンは怪我が怖い(足先がやられる)、早く泳ぐと腕をコースロープにぶつけて指先を怪我するかもしれない、飛び込みは禁止なのだが、あれも骨折のリスクが少しあるから無理だろう。赤血球がとても少ないから、有酸素運動の激しいのは無理なのだ。
下痢は薬で抑えているが、失禁等も日常茶飯事なので、外出はトイレがいつでも行ける場所のみ選んで行くことになる。
爪が割れてしまったので、常にクリーム等を塗り、夜は手袋をしている。100円ショップでそういう用途の手袋を売っていたので、大量に買い込んだ。爪を保護するマニキュアもあるらしいので、今度マツキヨで聞いて見ようと思う。
2012年1月27日金曜日
久留米も雪模様
2クール目の投与のために、また久留米へ。
この日は、関東同様に、九州も雪模様。関東人からは、九州は南国という印象なのだけれど、福岡は実際には日本海側の気候のようで、雪も結構降り、冬は寒い。とはいえ、大宰府を境にして、久留米辺りまで南下すると、気候も変わるのか、雪が積もることはなく、住民も関東のように手袋をする習慣はないようだった。窓の外は吹雪だなと見ていると、南の空は晴れていて日が差している、そして直ぐに雪は止み、日差しが出て、10分もすると、また雪が舞い、というまるで北欧あたりのような目まぐるしく変わる天気だった。
病院で、色々質問をする積もりだったのだが、メモを用意しなかったこと、単独だったのでいつもの癖で質問すること自体を忘れかけたことなどから、どの程度ワクチンが効いているのか、じっくり医師に質問することができなかった。免疫反応事態は「かなり良くなっている」とのこと。しかし、同日に受診していた別の患者さんが、PSAが大幅に下がったらしく、ドセタキセルの休薬についても主治医と相談できる程にまで改善した、というのを聞くと、大違いなのが実感できた。効いてはいるけれども、やはりドセタキセルの補助程度という効き方なんだろうと思う。
とはいえ、体調も概ね改善しているし、ドセタキセルの副作用は相変わらずながら、我慢できるようになったし(手の爪と下痢を除いて)、直ぐに死ぬとも思えないほど精神面も改善を見ているので、QOLの点でも効果があったのかもしれない。
病院の帰り道、JRの駅まで続く広々とした欅の並木道を歩く。ブリジストン通りという1キロ程度の素敵な並木道が昔の久留米城址の二の丸、三の丸を貫いている。駅まで15分程度の散歩道。びっくりしたのが、何とこの通りそのものが、ブリジストン社から市への寄付によるとのこと。久留米には、ブリジストン、石橋家が寄付してできた美術館(かなり立派)、公園、公会堂、博物館(城跡にある有馬記念館)など沢山あり、インフラ整備の一部を石橋家が担っているみたいだ。恵まれた町だなと思う。多分、大学も相当寄付を貰っているのだろうと勝手に想像。
この日は、関東同様に、九州も雪模様。関東人からは、九州は南国という印象なのだけれど、福岡は実際には日本海側の気候のようで、雪も結構降り、冬は寒い。とはいえ、大宰府を境にして、久留米辺りまで南下すると、気候も変わるのか、雪が積もることはなく、住民も関東のように手袋をする習慣はないようだった。窓の外は吹雪だなと見ていると、南の空は晴れていて日が差している、そして直ぐに雪は止み、日差しが出て、10分もすると、また雪が舞い、というまるで北欧あたりのような目まぐるしく変わる天気だった。
病院で、色々質問をする積もりだったのだが、メモを用意しなかったこと、単独だったのでいつもの癖で質問すること自体を忘れかけたことなどから、どの程度ワクチンが効いているのか、じっくり医師に質問することができなかった。免疫反応事態は「かなり良くなっている」とのこと。しかし、同日に受診していた別の患者さんが、PSAが大幅に下がったらしく、ドセタキセルの休薬についても主治医と相談できる程にまで改善した、というのを聞くと、大違いなのが実感できた。効いてはいるけれども、やはりドセタキセルの補助程度という効き方なんだろうと思う。
とはいえ、体調も概ね改善しているし、ドセタキセルの副作用は相変わらずながら、我慢できるようになったし(手の爪と下痢を除いて)、直ぐに死ぬとも思えないほど精神面も改善を見ているので、QOLの点でも効果があったのかもしれない。
病院の帰り道、JRの駅まで続く広々とした欅の並木道を歩く。ブリジストン通りという1キロ程度の素敵な並木道が昔の久留米城址の二の丸、三の丸を貫いている。駅まで15分程度の散歩道。びっくりしたのが、何とこの通りそのものが、ブリジストン社から市への寄付によるとのこと。久留米には、ブリジストン、石橋家が寄付してできた美術館(かなり立派)、公園、公会堂、博物館(城跡にある有馬記念館)など沢山あり、インフラ整備の一部を石橋家が担っているみたいだ。恵まれた町だなと思う。多分、大学も相当寄付を貰っているのだろうと勝手に想像。
ラベル:
PSA,
久留米大、ペプチドワクチン,
副作用
2012年1月20日金曜日
久留米大ペプチドワクチン2クール目に
久留米大から連絡があり、ペプチドワクチン1クール目が終了した際の血液検査の結果、投与ペプチドに対する免疫反応が増加していると認められるので、2クール目に進むことが可能だとのこと。
この日は、午後から能楽堂でお能を見ていたのだが、最初の曲からぼんやりしてしまい、寝てばかり。詞章も良く読み予習もしっかりしたし、過去何回か見た曲だったのだけれど、うつらうつらしてしまった。突然、あれ、今日は連絡の日だった筈と思い出し、番組の途中でロビーに出て携帯を起動すると、久留米大から何回も電話が入っている。慌てて電話をしたら、担当の先生から、2クール目が可能なので、どうしますか、とのこと。お願いします、ということで、あと8回の投与に久留米へ通うことになった。
この日はとっても疲れていた。昼に食事をした御茶ノ水のキッチン・カ○リーという店では、風采が異様に思われたのだろうか、店に入った時から嫌な雰囲気。一番悪そうな席(入り口脇の狭い、風の吹きさらしのような席)に案内され、食事が終わっていないのに皿を下げられ、早く帰って欲しい雰囲気が明々白々。癌患者ってこんな風に差別されるのだろうか。髪がないってだけで、いかにも病人風ってだけで嫌な目に会うものなんだろうな、と初めて知った。お金を払う際、店はがらすきなのに、変な席に案内したことを多少は気にしたのか、「狭い場所で済みませんね」と女将が言ったのは、「もう来ないでね」とも聞こえたが。副作用もあり、そんなこともあり、気が重い日だった。
1時に始まった番組は、あと7時頃まで続く予定で、見たい番組がてんこ盛りだったのだが、健康第一であっさりと諦め、家に帰ってゆっくり過すことにした。帰りの電車で、短い電話での会話だったので、先生の話があまり良く理解できていないことに気付いた。「免疫反応が増加」といっても、ものすごく効果があった、少しだけ効果があったとでは結構差があるけれど、どちらなんだろう(多分後者かな)。増加したことは数値的に確かめられるとはいえ、PSAに影響していないようなのは何故なんだろう。
病院へ行ったら、先生に良く聞いてみよう。患者と殆ど会話をしたがらない主治医と違って、久留米大の担当の先生は、患者にできるだけ分かりやすく説明しようと努力する人だったので、率直に聞いてみようと思う。
とはいえ、駄目もとで、ペプチドワクチンをやって見たいと思っていたこと、主治医から抗がん剤は効いても半年と宣告されていたことから、もしPSAの上昇を多少なりとも抑える効果があるのなら、良しとしようとも考えていたので、多少なりとも効果があるのならば今後も続けたい。交通費や全額自己負担の医療費を考えると、現在引きこもりで実質失業中なので、頭が痛いけれども。
この日は、午後から能楽堂でお能を見ていたのだが、最初の曲からぼんやりしてしまい、寝てばかり。詞章も良く読み予習もしっかりしたし、過去何回か見た曲だったのだけれど、うつらうつらしてしまった。突然、あれ、今日は連絡の日だった筈と思い出し、番組の途中でロビーに出て携帯を起動すると、久留米大から何回も電話が入っている。慌てて電話をしたら、担当の先生から、2クール目が可能なので、どうしますか、とのこと。お願いします、ということで、あと8回の投与に久留米へ通うことになった。
この日はとっても疲れていた。昼に食事をした御茶ノ水のキッチン・カ○リーという店では、風采が異様に思われたのだろうか、店に入った時から嫌な雰囲気。一番悪そうな席(入り口脇の狭い、風の吹きさらしのような席)に案内され、食事が終わっていないのに皿を下げられ、早く帰って欲しい雰囲気が明々白々。癌患者ってこんな風に差別されるのだろうか。髪がないってだけで、いかにも病人風ってだけで嫌な目に会うものなんだろうな、と初めて知った。お金を払う際、店はがらすきなのに、変な席に案内したことを多少は気にしたのか、「狭い場所で済みませんね」と女将が言ったのは、「もう来ないでね」とも聞こえたが。副作用もあり、そんなこともあり、気が重い日だった。
1時に始まった番組は、あと7時頃まで続く予定で、見たい番組がてんこ盛りだったのだが、健康第一であっさりと諦め、家に帰ってゆっくり過すことにした。帰りの電車で、短い電話での会話だったので、先生の話があまり良く理解できていないことに気付いた。「免疫反応が増加」といっても、ものすごく効果があった、少しだけ効果があったとでは結構差があるけれど、どちらなんだろう(多分後者かな)。増加したことは数値的に確かめられるとはいえ、PSAに影響していないようなのは何故なんだろう。
病院へ行ったら、先生に良く聞いてみよう。患者と殆ど会話をしたがらない主治医と違って、久留米大の担当の先生は、患者にできるだけ分かりやすく説明しようと努力する人だったので、率直に聞いてみようと思う。
2012年1月11日水曜日
ドセタキセル(タキソテール)8クール目
今日は、9時半に病院に入り、血液検査の後、高血圧の薬を貰いに、内科に並ぶが、混雑のため、午前中には順番は来ず、午後の受診となった。主治医は1時に泌尿器科に来るようにとの指示なので、1時に泌尿器科へ出向くが、抗癌剤投与が開始されたのは、結局1時40分頃。何だかんだで、吐き気止め、タキソテール、ゾメターの3種の点滴が終わったのは4時過ぎだった。その後、内科に回って高血圧の薬を貰い、泌尿器科の内服薬を薬局で貰うと、病院を出られたのは4時半。一日近く病院に居たことになる。非効率で、時間の無駄と思うが、この病院ではこれが普通。
血液検査ではPSAは10台に下がっていた。徐々にではあるが、ほんの少しだけ低下している。喜ぶべきなのか、どうなのか。白血球は相変わらず多く、リンパ球は少なく、赤血球は少ない。
主治医に爪の変色や足の麻痺について聞くと、あまりひどくなると投与は休薬しなければならない、とのこと。基本的に死ぬまで続ける薬なので、休薬は、場合によると死に直結しかねない。PSAが大幅に下がったために休薬する例もあるらしいが、残念ながら、PSAが10台のぼくには当てはまらない話。
久留米大のペプチド・ワクチンの治験も、1クール8回の投与が終了したばかり。治験は、3クール、24回の投与まで可能だが、1クール終了毎に検査があり、効果がないと判断されると、次のクールは行われない。まだ検査結果が来ていないが、どうなるんだろう。あまり反応が見られない(しこりであるとか、腫れるなどの免疫反応が普通効果のある人には出るらしい)から、2クール目は期待薄かもしれない。費用のことを考えると、効かない薬にこれ以上お金を掛けられないのだが、とはいえ、そうなったらなったで、がっかりするだろうなあ。
ドセタキセルは効いても半年だろうとの主治医の予言からすると、そろそろ効かなくなる時期かもしれない。次の治験先を探そうと思うが、今の病院は治験は一切やっていないから情報もなし。隣の大学病院もやっていないようだし、また遠くの病院を探さないといけないのかもしれない。
血液検査ではPSAは10台に下がっていた。徐々にではあるが、ほんの少しだけ低下している。喜ぶべきなのか、どうなのか。白血球は相変わらず多く、リンパ球は少なく、赤血球は少ない。
主治医に爪の変色や足の麻痺について聞くと、あまりひどくなると投与は休薬しなければならない、とのこと。基本的に死ぬまで続ける薬なので、休薬は、場合によると死に直結しかねない。PSAが大幅に下がったために休薬する例もあるらしいが、残念ながら、PSAが10台のぼくには当てはまらない話。
久留米大のペプチド・ワクチンの治験も、1クール8回の投与が終了したばかり。治験は、3クール、24回の投与まで可能だが、1クール終了毎に検査があり、効果がないと判断されると、次のクールは行われない。まだ検査結果が来ていないが、どうなるんだろう。あまり反応が見られない(しこりであるとか、腫れるなどの免疫反応が普通効果のある人には出るらしい)から、2クール目は期待薄かもしれない。費用のことを考えると、効かない薬にこれ以上お金を掛けられないのだが、とはいえ、そうなったらなったで、がっかりするだろうなあ。
ドセタキセルは効いても半年だろうとの主治医の予言からすると、そろそろ効かなくなる時期かもしれない。次の治験先を探そうと思うが、今の病院は治験は一切やっていないから情報もなし。隣の大学病院もやっていないようだし、また遠くの病院を探さないといけないのかもしれない。
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治験,
副作用
2011年12月26日月曜日
来年は引きこもりから脱出したい
7クール目の投与から6日目。4日目、5日目は副作用がきつく、寝込んでいた。大体投与後の1週間は引きこもらざるを得ない状況。同じ薬で、働いている人も沢山いるらしいのに。個人差がドセタキセルについては大きいらしいが、ぼくにとっては投与後の3、4、5日目を含む1週間は、今までの経験の限りでは、働くことはちょっと難しい。とはいえ、もし幸いにも、ドセタキセルが長く効いて、3年以上長生きが出来ることになると、年金は63歳からで(それも怪しい)貰える金額も小額なので、生活費も稼がないといけないし、老後の不安が出てくる。また、一生引きこもっているわけには行かないだろう。3週間毎に、1週間か10日は働けないけれど、後の10日程度は働ける(軽い労働だろうが)という仕事は、ないだろうか。無いだろうな。ぼくが経営者だったら、そういう人を雇うとは思えない。健康な暇な中高年も沢山いて、仕事を探しているだろうからね。
自分で仕事を作る、起業をするしかないのかも。何の才能もとりえもないのだけれど。知人で株のデイトレードを始めた人がいたが、儲かっているようには思えなかった。ネットで出来る仕事を探そうか。時間はあるので、来年じっくり考えよう。
今年は、8月まで現役で仕事。8月に入院してからは自宅に引きこもっていたけれど、住んでいる集合住宅の理事会だけは何とか無事に任期を終えることが出来た。理事長を引き受けさせられたが、懸案の修繕積立金不足も、長期修繕計画と積立金値上げが総会で決議されたし、解決のめどが立ったので、一応世間の義理は果たせたかな。但し、母親の問題はこじれたまま。
理事会は、途中でぼくの容姿が変わったので、皆さん驚いたのだろうと思う。抗癌剤ですか、と聞いた人はいなかったのは有難かった。また、理事会の業務量も少なく(昔住んでいた千葉の団地は、毎週のように会合があり、負担も大きく、自治会と重複していたので大変だったのに比べれば楽勝だった)、自治会もないので、作業量が少なかったこともある。10年後にはまた順番が回ってくる。その時までここに住んでいられるだろうか。積立金の値上げは痛かったな。自分で値上げを提案しておいて、何だけれど。
自分で仕事を作る、起業をするしかないのかも。何の才能もとりえもないのだけれど。知人で株のデイトレードを始めた人がいたが、儲かっているようには思えなかった。ネットで出来る仕事を探そうか。時間はあるので、来年じっくり考えよう。
今年は、8月まで現役で仕事。8月に入院してからは自宅に引きこもっていたけれど、住んでいる集合住宅の理事会だけは何とか無事に任期を終えることが出来た。理事長を引き受けさせられたが、懸案の修繕積立金不足も、長期修繕計画と積立金値上げが総会で決議されたし、解決のめどが立ったので、一応世間の義理は果たせたかな。但し、母親の問題はこじれたまま。
理事会は、途中でぼくの容姿が変わったので、皆さん驚いたのだろうと思う。抗癌剤ですか、と聞いた人はいなかったのは有難かった。また、理事会の業務量も少なく(昔住んでいた千葉の団地は、毎週のように会合があり、負担も大きく、自治会と重複していたので大変だったのに比べれば楽勝だった)、自治会もないので、作業量が少なかったこともある。10年後にはまた順番が回ってくる。その時までここに住んでいられるだろうか。積立金の値上げは痛かったな。自分で値上げを提案しておいて、何だけれど。
2011年12月23日金曜日
ドセタキセル(タキソテール)7クール目
D2の告知をされてから、1年4ヶ月目。
抗癌剤の無かった昔は、D2の3年生存率はとても低かったし、5年生存率は1割程度だったのではないかと思うが、ドセタキセルの使用開始以降はどうなんだろう。もう少し延びたのだろうか。そうだと良いな。
やっと7クール目になった。副作用は相変わらずで、足がむくむため歩くのが辛い、手足の痺れ、味覚障害、悪心(我慢できる程度にまでなった)、爪の変色と痛み、胃腸障害(下痢は大分緩和されてきた)、全身の髪が殆ど抜けた、咽喉が痰でつまり変な咳が出る、などなど。投与の翌日は、具合が悪くて、寝込んでしまった。3日目からは歩ける程度には回復した。副作用の出方が毎クールで異なるのが不思議。人によっては、7、8クールで良くなることもあるらしい。今のところは、そうした兆候はなく、累積しているような気がする。特に爪がひどい。痛いし、弱くなっている。割れそうな雰囲気あり。
味覚障害には亜鉛とビタミン剤が効くと聞いたため、コンビニでサプリメントを購入。飲んでいるが、効き目の程度は良くわからない。
ドセタキセルに加え、ゾラデックス、エストラサイト、プレドニゾロン(ステロイド剤)など、以前から投与または飲んでいる薬を併用しているが、病院によっては併用はしないらしい(久留米大での情報)。ステロイド剤は、本によっては恐ろしいことが書かれており(例えば、大野更紗さんの本)、ちょっと怖い薬だが、処方されたとおり飲んでいる。エストラサイトの副作用による体の女性化はどんどん進んでおり、体重も落ち、筋肉も落ち、ふっくらとした体型になった。筋肉が落ちたのは、運動ができなくなっているためもあるのだろうけれど。
ドセタキセルによるQOLの低下、生活の激変は残念だけれど、もしやっていなかったら、死がもっと近づいていたような気もするので、前向きに考えるようにしている。PSAもまた13台から12台に低下したが、誤差の範囲かも。
今日は姉夫婦に夕食を招かれたので、家から5分程度の近所のレストランまで出かけた。歩くのは少々しんどかったけれど、引きこもっていても、体力が弱まる一方なので、少々無理してでも出かける。味は良く分からなかったのが残念。ウルソ(肝臓の薬)は処方がなくなったので、今は飲んでいないのだが、止めてから、酒が少し飲めるようになった。とはいえ、ビールでコップ1杯程度だけれども。
生きてまた正月を迎えられそうなのは、目出度い。でも、年賀状で新年を祝う気持ちにはまだなれなかった。年賀状で、まだ生きているよ、と告げるのも、告げられた方はびっくりするか、嫌な気持ちになるかかもしれないし、同情してくれと言っているようでもあるので、出さないことにした。東北の被災地の人が、年賀状を出したくない気持ちが良く理解できる。頑張ってね、とは言われたくないしね。
抗癌剤の無かった昔は、D2の3年生存率はとても低かったし、5年生存率は1割程度だったのではないかと思うが、ドセタキセルの使用開始以降はどうなんだろう。もう少し延びたのだろうか。そうだと良いな。
やっと7クール目になった。副作用は相変わらずで、足がむくむため歩くのが辛い、手足の痺れ、味覚障害、悪心(我慢できる程度にまでなった)、爪の変色と痛み、胃腸障害(下痢は大分緩和されてきた)、全身の髪が殆ど抜けた、咽喉が痰でつまり変な咳が出る、などなど。投与の翌日は、具合が悪くて、寝込んでしまった。3日目からは歩ける程度には回復した。副作用の出方が毎クールで異なるのが不思議。人によっては、7、8クールで良くなることもあるらしい。今のところは、そうした兆候はなく、累積しているような気がする。特に爪がひどい。痛いし、弱くなっている。割れそうな雰囲気あり。
味覚障害には亜鉛とビタミン剤が効くと聞いたため、コンビニでサプリメントを購入。飲んでいるが、効き目の程度は良くわからない。
ドセタキセルに加え、ゾラデックス、エストラサイト、プレドニゾロン(ステロイド剤)など、以前から投与または飲んでいる薬を併用しているが、病院によっては併用はしないらしい(久留米大での情報)。ステロイド剤は、本によっては恐ろしいことが書かれており(例えば、大野更紗さんの本)、ちょっと怖い薬だが、処方されたとおり飲んでいる。エストラサイトの副作用による体の女性化はどんどん進んでおり、体重も落ち、筋肉も落ち、ふっくらとした体型になった。筋肉が落ちたのは、運動ができなくなっているためもあるのだろうけれど。
ドセタキセルによるQOLの低下、生活の激変は残念だけれど、もしやっていなかったら、死がもっと近づいていたような気もするので、前向きに考えるようにしている。PSAもまた13台から12台に低下したが、誤差の範囲かも。
今日は姉夫婦に夕食を招かれたので、家から5分程度の近所のレストランまで出かけた。歩くのは少々しんどかったけれど、引きこもっていても、体力が弱まる一方なので、少々無理してでも出かける。味は良く分からなかったのが残念。ウルソ(肝臓の薬)は処方がなくなったので、今は飲んでいないのだが、止めてから、酒が少し飲めるようになった。とはいえ、ビールでコップ1杯程度だけれども。
生きてまた正月を迎えられそうなのは、目出度い。でも、年賀状で新年を祝う気持ちにはまだなれなかった。年賀状で、まだ生きているよ、と告げるのも、告げられた方はびっくりするか、嫌な気持ちになるかかもしれないし、同情してくれと言っているようでもあるので、出さないことにした。東北の被災地の人が、年賀状を出したくない気持ちが良く理解できる。頑張ってね、とは言われたくないしね。
2011年12月8日木曜日
幸せは歩いて来ない
久留米に通うと、治療の前後に近辺のホテルに泊まるため、時間が沢山できる。普段見ないTVも結構見ることになる。その中で、NHKの100分で名著を読むという番組があり、アランの「幸福論」を取り上げていたのを見たが、結構面白くてためになった。NHKを辞めたはずのアナウンサーが司会だったのにも少々びっくり。
アランの本は読んだことがない。哲学書は苦手意識があったのだが、何せ読まなくても読んだ気にさせる安易なTV番組なので、簡単なエッセンスだけをぼんやりした記憶で辿ると、
・幸せになるのは、市民の義務である。不幸は伝播するので、あなたが不幸であることは周りも社会も不幸にする。
・どんなに過酷な状況でも、小さな幸せを積極的に見つけ出し、幸せと思えれば、幸せになれる。過酷な状況そのものを変えることは出来ないから、心の持ちようで、不幸にもなり、幸福にもなる。
・幸福だから笑うのではなく、笑うから、幸福になるのだ。
・幸せは向こうから歩いて来ない。(星野哲郎はアランの愛読者だったみたい。)
ということらしい。ポジテイブ・シンキングというより、生き方の哲学みたいなものだろうか。市民の義務とまで、断言するところがすごい。
私の母は、過去20年口癖で毎日私は不幸だと言い続けてきたが、確かにそれが周囲をどれだけ不幸な気分にしたことか。悪い見本が身近にあるので、結構納得のいく番組だった。ぼくも癌だから、不幸だと考えても、病気や事態が改善されるわけでもないし、不幸だと思い続けて闘病生活をするのと、幸せだと思いながら死ぬのがどちらが良いかと言えば、当然後者だろうから、心を切り替えて、毎日を幸せ探しで生きて行こうと思う(ちょっとアランの趣旨と違うか)。家族が不幸な気持ちになると、それはまた患者をも不幸な気分にするから、悪循環になり、結局自分にも跳ね返る。
あべるっちさんの旦那さんなんか、まさに実践されているのかも。
という訳で、癌になったけれど、幸福だなと思えることを探してみた。結構無理やりだけれど。
・自宅療養で、暇が出来、本を沢山読めるようになった。
・短い人生でも、内容次第かなと思えるようになった。
・一人でさびしい老後の不安がないのは、ラッキーかも。
・周囲の人の親切が身にしみる(席を譲ってもらうと嬉しい)。
・末期癌でも、まだまだ久留米まで行ける体力もあるし、多少の見物も出来る。
・良い友人がいた。
などなど。
アランの本は読んだことがない。哲学書は苦手意識があったのだが、何せ読まなくても読んだ気にさせる安易なTV番組なので、簡単なエッセンスだけをぼんやりした記憶で辿ると、
・幸せになるのは、市民の義務である。不幸は伝播するので、あなたが不幸であることは周りも社会も不幸にする。
・どんなに過酷な状況でも、小さな幸せを積極的に見つけ出し、幸せと思えれば、幸せになれる。過酷な状況そのものを変えることは出来ないから、心の持ちようで、不幸にもなり、幸福にもなる。
・幸福だから笑うのではなく、笑うから、幸福になるのだ。
・幸せは向こうから歩いて来ない。(星野哲郎はアランの愛読者だったみたい。)
ということらしい。ポジテイブ・シンキングというより、生き方の哲学みたいなものだろうか。市民の義務とまで、断言するところがすごい。
私の母は、過去20年口癖で毎日私は不幸だと言い続けてきたが、確かにそれが周囲をどれだけ不幸な気分にしたことか。悪い見本が身近にあるので、結構納得のいく番組だった。ぼくも癌だから、不幸だと考えても、病気や事態が改善されるわけでもないし、不幸だと思い続けて闘病生活をするのと、幸せだと思いながら死ぬのがどちらが良いかと言えば、当然後者だろうから、心を切り替えて、毎日を幸せ探しで生きて行こうと思う(ちょっとアランの趣旨と違うか)。家族が不幸な気持ちになると、それはまた患者をも不幸な気分にするから、悪循環になり、結局自分にも跳ね返る。
あべるっちさんの旦那さんなんか、まさに実践されているのかも。
という訳で、癌になったけれど、幸福だなと思えることを探してみた。結構無理やりだけれど。
・自宅療養で、暇が出来、本を沢山読めるようになった。
・短い人生でも、内容次第かなと思えるようになった。
・一人でさびしい老後の不安がないのは、ラッキーかも。
・周囲の人の親切が身にしみる(席を譲ってもらうと嬉しい)。
・末期癌でも、まだまだ久留米まで行ける体力もあるし、多少の見物も出来る。
・良い友人がいた。
などなど。
ラベル:
久留米大、ペプチドワクチン,
闘病記,
日常
2011年11月30日水曜日
大野更紗の「困っている人」を読む
会社に出られず自宅療養中なので、時間がたっぷりある。時々、身辺の整理をやっている。人が死んで一番困るのは、色々なものを残すこと。遺品の殆どはその人にはとても意味があるが、家族には無意味なものが多い。父親の死でそれを知り、処分に大変な費用、手間と労力がかかり、困惑した。殆ど捨てたが、ぼくの発病の遠因になった気がするほどの苦労があった。母親は更に整理できない人で家をゴミ屋敷にしていたほどなので、彼女が死んだらどうなるか、今から不安だが、もうぼくの手には負えない話。写真など、典型で、思い出を共有していない人には残されても無意味。
自分の持ち物で、過去の引越し時に自分でも呆れたのが、本、食器、服の多さ。服は30年前から体型が変わらないため、古い衣料品も着られることが多さの理由だったが、既に半分ほど捨てた。まだ着られたんだけどね。勿体ないとは思うが。でも、まだまだスーツとか多くあるので、徐々に処分の予定。本は、古本屋などに時々売っている。食器は人に半分ほどあげた(まだまだ多いがこれだけは毎日使っている)。
布団もがさばるが、今後ベッドに変えようと思うので、その際一括処分しよう。
書類の類いもどんどん整理。過去のインボイス、ステートメントは不要。税金や年金のことを考え、給与や何やら昔は書類は全て取っておいたが、今はどんどん捨てることにしている。銀行口座や証券会社もひとつにまとめたいが、手続きが面倒でまだ出来ていない。
今取り組んでいるのは、演劇や音楽会のパンフ類。どうしてこんなに行ったのか、と思うくらいの数に行き、パンフ類を全て取ってあった。過去40年分くらいある。でも見ても殆どは記憶に残っていない。そんなものかね。肥やしになったのか、ならなかったのか。これらに使った金を貯めておいたら、良かったかな。でも遺産を残す人もいないので、自分のために使って良かったかな。ばっさり捨てると身軽になる。
とはいえ、まだまだ家の中には物が溢れている状態。
「エンデイングノート」という映画があり、近所でやっていたので、見ようと思えば見られたのだけれど、気分的に辛いだろうと思い、見なかった。自分がすぐに死なないと思えば、そういう映画を見て、身辺整理をするのも楽しいのだろうが、末期がんを患っていると、差し迫った問題なので、死が身近な映画というのは、だめです。
大野更紗というまだ20代の女性が書いた、「困っている人」という難病の闘病記を最近読んだ(とても良い本です)が、読後涙が止まらず、うなされる始末で、読んだことを後悔したほど。ネットで、読後感動したとか色々書かれていたが、皆健康な人なんだろうと思う。悪夢のような体験をすると、それに触れられることは耐え難い。そしてその悪夢はまだまだ続いている訳で、近寄らないに越したことはないようだ。
病気の初期には闘病記を沢山読んだが、今は元気になる本とか、楽しいことにしか興味がない。
自分の持ち物で、過去の引越し時に自分でも呆れたのが、本、食器、服の多さ。服は30年前から体型が変わらないため、古い衣料品も着られることが多さの理由だったが、既に半分ほど捨てた。まだ着られたんだけどね。勿体ないとは思うが。でも、まだまだスーツとか多くあるので、徐々に処分の予定。本は、古本屋などに時々売っている。食器は人に半分ほどあげた(まだまだ多いがこれだけは毎日使っている)。
布団もがさばるが、今後ベッドに変えようと思うので、その際一括処分しよう。
書類の類いもどんどん整理。過去のインボイス、ステートメントは不要。税金や年金のことを考え、給与や何やら昔は書類は全て取っておいたが、今はどんどん捨てることにしている。銀行口座や証券会社もひとつにまとめたいが、手続きが面倒でまだ出来ていない。
今取り組んでいるのは、演劇や音楽会のパンフ類。どうしてこんなに行ったのか、と思うくらいの数に行き、パンフ類を全て取ってあった。過去40年分くらいある。でも見ても殆どは記憶に残っていない。そんなものかね。肥やしになったのか、ならなかったのか。これらに使った金を貯めておいたら、良かったかな。でも遺産を残す人もいないので、自分のために使って良かったかな。ばっさり捨てると身軽になる。
とはいえ、まだまだ家の中には物が溢れている状態。
「エンデイングノート」という映画があり、近所でやっていたので、見ようと思えば見られたのだけれど、気分的に辛いだろうと思い、見なかった。自分がすぐに死なないと思えば、そういう映画を見て、身辺整理をするのも楽しいのだろうが、末期がんを患っていると、差し迫った問題なので、死が身近な映画というのは、だめです。
大野更紗というまだ20代の女性が書いた、「困っている人」という難病の闘病記を最近読んだ(とても良い本です)が、読後涙が止まらず、うなされる始末で、読んだことを後悔したほど。ネットで、読後感動したとか色々書かれていたが、皆健康な人なんだろうと思う。悪夢のような体験をすると、それに触れられることは耐え難い。そしてその悪夢はまだまだ続いている訳で、近寄らないに越したことはないようだ。
病気の初期には闘病記を沢山読んだが、今は元気になる本とか、楽しいことにしか興味がない。
2011年11月28日月曜日
6クール目
PSAは、8月には主治医が検査をしなかったので(意図的なもの)、最高値が良く分かっていないのだが、9月に16、11月に11に低下したが、6クール目の検査で13にまた上がってしまった。ショックで、少々へこんだ。
医師に今後の治療方針を聞くと、あいかわらずのぶっきら棒で「当分このまま」とのこと。4クール目までPSAが下がらない治療例が知られているとのことだが、流石に6クール目では症例はないだろうとのこと。外に薬の選択肢はないので、ドセタキセルは(死ぬまで)続けるということらしい。
今後PSAはどうなりますか、と聞くと、わかりません。との答え。患者の気持ちは理解せず、重要な情報は出さず、淡々と、最小限しか答えない主治医。3月に出向先の大病院へ戻るらしいので、あと数ヶ月のお付き合いだけれど、次はもっと会話のできる医師が来てくれるといいかな。患者の余計な心配、不安を掻き立てるのは避けたいという気持ちも理解できなくはないのだが。
もっとPSAが高くても、ドセタキセルを続けて、生きているいる人も多いようなので、頑張るしかないか。副作用は5クール目に比べれば軽くて済んでいる。
医師に今後の治療方針を聞くと、あいかわらずのぶっきら棒で「当分このまま」とのこと。4クール目までPSAが下がらない治療例が知られているとのことだが、流石に6クール目では症例はないだろうとのこと。外に薬の選択肢はないので、ドセタキセルは(死ぬまで)続けるということらしい。
今後PSAはどうなりますか、と聞くと、わかりません。との答え。患者の気持ちは理解せず、重要な情報は出さず、淡々と、最小限しか答えない主治医。3月に出向先の大病院へ戻るらしいので、あと数ヶ月のお付き合いだけれど、次はもっと会話のできる医師が来てくれるといいかな。患者の余計な心配、不安を掻き立てるのは避けたいという気持ちも理解できなくはないのだが。
もっとPSAが高くても、ドセタキセルを続けて、生きているいる人も多いようなので、頑張るしかないか。副作用は5クール目に比べれば軽くて済んでいる。
2011年11月8日火曜日
ドセタキセル(タキソテール)5クール目の副作用
今回の副作用は、今までとちょっと違った。投与後3日目から、強い倦怠感、疲労感。眠い。だるい。外出が困難。歩行が難しい。足の裏が痛いからではなく、そもそも歩けない。運動は困難。食事の食材の買出しに頑張って近所のスーパーへ出かけるのがせいぜい。3日目に、ちょっと無理をして国立劇場に歌舞伎を見に行った。体を動かさないし、じっとしているだけだから大丈夫かと思ったが、無理で、殆ど寝てしまった。途中で退席。劇場への往復でぐったり。4、5日目も殆ど横になったまま。本も読めず、寝てばかり。これでも仕事に行けば、という主治医は、きついなあ。
下痢は殆どないが、下腹部が時々痛い。我慢できる範囲。
味覚障害はいつもどおり。甘みも良く分からなくなってきた。頻尿も続き、2時間毎に夜トイレへ。
苦しいけれど、これを乗り越えれば、普通に暮らせる日もあるので、頑張らなくては。
下痢は殆どないが、下腹部が時々痛い。我慢できる範囲。
味覚障害はいつもどおり。甘みも良く分からなくなってきた。頻尿も続き、2時間毎に夜トイレへ。
苦しいけれど、これを乗り越えれば、普通に暮らせる日もあるので、頑張らなくては。
2011年11月5日土曜日
抗癌剤投与の帰り、小田急で席を譲られた
金曜は、主治医の病院で、タキソテール(ドセタキセル)、ゾメターの投与日。10時半頃に病院に行き、血液検査をしたのだが、投与開始は1時半。終わったのが、4時だった。一日仕事。腕の角度や位置で点滴の速度がまるで変わることに気がついた。本を読んだり、寝たりすると、点滴が流れなくなっていたようで、時間がやたら掛かった。次回からは気をつけよう。
帰り道、新宿駅で若い人から席を譲られた。生まれて初めての経験。まだ56歳なんだけれど。どうも70代くらいには見えるのかな。或いは病気ということが見え見えなんだろうか。有難く好意はお受けしたけれど、複雑な気分。疲れている時が多いので、そういう時は、優先席で、席を詰めてもらったり、おばさんが占拠している荷物をどかさせたりして座ることが多いけれど、普通席で席を譲ってもらったのは初めて。
自分の考える自分と、他の人から見えている自分のギャップに悩む。すごい病人に見えるのかな。その日は特に疲れていないし、副作用も出ていないのだけれど。主治医はできれば働けというスタンスだが、勤務先では、恐らく歓迎されないだろうな。
帰り道、新宿駅で若い人から席を譲られた。生まれて初めての経験。まだ56歳なんだけれど。どうも70代くらいには見えるのかな。或いは病気ということが見え見えなんだろうか。有難く好意はお受けしたけれど、複雑な気分。疲れている時が多いので、そういう時は、優先席で、席を詰めてもらったり、おばさんが占拠している荷物をどかさせたりして座ることが多いけれど、普通席で席を譲ってもらったのは初めて。
自分の考える自分と、他の人から見えている自分のギャップに悩む。すごい病人に見えるのかな。その日は特に疲れていないし、副作用も出ていないのだけれど。主治医はできれば働けというスタンスだが、勤務先では、恐らく歓迎されないだろうな。
2011年11月3日木曜日
久留米大病院への行き方
東京から、日帰りが可能なのだけれど、そして地方から来ている人(関東、関西、四国、沖縄の人もいるらしい)の殆どは日帰りをしているようだ。仕事があれば、当然日帰りを選ぶだろうけれど、ぼくは余りにも疲れるので、福岡で泊まることにしている。
早朝の便で羽田から福岡空港に行き、ターミナル前の高速バスで久留米行き(20分に一本は出ている)に乗り、西鉄久留米駅か、市役所前か、JR久留米駅で下車。西鉄久留米からはバスが頻発。JRからは30分に1本程度。市役所前で降りれば、徒歩10分程度。医大通りという気持ちの良い並木道をそぞろ歩きしていると直ぐに着く。午後の診療なので、午前の便は遅い便でも構わないのだが、料金の関係でいつも早朝の便を選んでいる(スカイマークで最安値は8,800円、全日空で11,800円)。高速バスは1,300円。交通費がかなりかかる。確定申告で、旅費は医療費として控除が可能らしいけれど、重い負担となる。高速バスを使わず、博多駅か、天神駅から電車で行った方が安いけれど、時間はかかる。1時間強程度かかる感じ。駅から大学病院まで、バスで10分程度。
久留米市役所は立派で、見学する価値あり。てっぺんの喫茶からの眺めが素晴しい。筑後川、有明海、阿蘇、雲仙まで見渡せる。
大学付近には昼食の店はあまり無い。ないことは無いけれども。少ない。大学病院3階に食堂、パン屋、コンビニがあるので、通常はそこを利用することになる。大学の隣に、久留米城址があるけれど、特に見るべきものがないのは残念。あまり史跡を大事にするような町ではない様子。産業都市なのでかな。市役所の北に石橋邸があるが、非公開。一度中を拝見したいものですが。
いつも、福岡に泊まり、名所旧跡を回っているが、昔から仕事で通っていたこと、その都度名所も見たので、今や行き尽くしてしまった。下の写真は、福岡でいつも庭をぼっと眺めながらお茶を頂く楽水園のお庭。
早朝の便で羽田から福岡空港に行き、ターミナル前の高速バスで久留米行き(20分に一本は出ている)に乗り、西鉄久留米駅か、市役所前か、JR久留米駅で下車。西鉄久留米からはバスが頻発。JRからは30分に1本程度。市役所前で降りれば、徒歩10分程度。医大通りという気持ちの良い並木道をそぞろ歩きしていると直ぐに着く。午後の診療なので、午前の便は遅い便でも構わないのだが、料金の関係でいつも早朝の便を選んでいる(スカイマークで最安値は8,800円、全日空で11,800円)。高速バスは1,300円。交通費がかなりかかる。確定申告で、旅費は医療費として控除が可能らしいけれど、重い負担となる。高速バスを使わず、博多駅か、天神駅から電車で行った方が安いけれど、時間はかかる。1時間強程度かかる感じ。駅から大学病院まで、バスで10分程度。
久留米市役所は立派で、見学する価値あり。てっぺんの喫茶からの眺めが素晴しい。筑後川、有明海、阿蘇、雲仙まで見渡せる。
いつも、福岡に泊まり、名所旧跡を回っているが、昔から仕事で通っていたこと、その都度名所も見たので、今や行き尽くしてしまった。下の写真は、福岡でいつも庭をぼっと眺めながらお茶を頂く楽水園のお庭。
2011年10月29日土曜日
ようやく告知から1年と2ヶ月
前立腺癌と告知を受けてから、11月でようやく14ヶ月目を迎える。1年で死ななくて良かったな。長生きはしたいものだ。
会社にも行けなくなり、話し相手があまりいない。鬱で、被害妄想的な症状も出たせいか、人と付き合うのが苦手になった。友達と会うのも、人にもよるが、楽しくない。同情されるのが、嫌だ。家でごろごろばかりしている。ドセタキセル+ゾメター投与後の1週間から10日は下痢と悪心と足の痺れで外出が難しい。仕事は在宅ならできそうだが、そういう会社の制度がなく、諦めざるを得ない。
癌を忘れないと、いわゆるキラー細胞、善玉白血球も増えないと思うので、笑うとか、適度な運動とか、娯楽も必要と思うけれど、投与後直ぐは体力が80代並みで、階段を上がるのさえ息が切れるし、骨折したら一大事なので(骨はスカスカらしい)、大したことはできない。ジョギング、ランニングは無理。できるのは水泳と、水中歩行くらいかな。骨折のリスクのあるスキーは捨てた。カヌーも早く処分しないと。家の中で粗大ごみ化している。自転車のロードレーサーはインテリア(ベランダの飾り)と化している。できるのは、じっとしていられる娯楽ばかりで、DVDとか映画とかになりがちだ。とはいえ、外出すると疲れるので、中々思い通りにはならない。お金も無いのでオペラとか能のような高額な娯楽はきつい(将来の失業状況+高額医療費を考えると、贅沢できず、外食はできず)。歩くのも、結構疲れるので、自分でも、とても50代とは思えなくなってきた。体力的な実質年齢は70代くらいかな。
副作用のひどい時には、湯治も無理で、寝てばかりでいいし、食事も作らなくていいので行きたいのだけれど、外出することがおっくうなので、行かなくなった。車の運転も長距離は無理。
家の窓から見える大山に一度お参りに行きたいとずっと思っているが、行けるだろうか。昔は馬鹿にして、登ることなど考えても見ないような山だったけれど。
どうして病気になったのか、何故検査が遅れたのか、色々後悔したり、考えたりしたこともあったけれど、そういう後ろ向きのことをいまさら考えても無意味なので、止めた。人を恨むのも、自分を恨むのも止めた。ストレスのたまる付き合いも止めた。後は、母親との和解だけが課題。
彼女はぼくの病気に全く興味がない。今年の正月に正直に病状を告げたが、その後一度も聞かれたことがない。アガリスクで治るはずよ、などと言っていたので、風邪か何か程度に思っているらしい。自分のことにしか興味がないようだった。でも今ではぼくも同じ状態になっている。病気治療で精一杯で、介護施設にいる親のことを心配している余裕がない。何てひどい子供だろう、と思う。
サプリメントは皆止めた。効果がない。高いし、気休めにもならない。食事制限はやっているが、外食で肉が出た場合には少量は食べるようにしている。人参ジュースは作るのは止めた。かすの処分が大変すぎるので。専ら缶入りジュースで対応。
後々のことを考え、服、食器、本を徐々に処分している。結構大量に持っているので。この一年で半分は捨てただろうか。来年の今頃にはがらんどうの家になっているのかな。
会社にも行けなくなり、話し相手があまりいない。鬱で、被害妄想的な症状も出たせいか、人と付き合うのが苦手になった。友達と会うのも、人にもよるが、楽しくない。同情されるのが、嫌だ。家でごろごろばかりしている。ドセタキセル+ゾメター投与後の1週間から10日は下痢と悪心と足の痺れで外出が難しい。仕事は在宅ならできそうだが、そういう会社の制度がなく、諦めざるを得ない。
癌を忘れないと、いわゆるキラー細胞、善玉白血球も増えないと思うので、笑うとか、適度な運動とか、娯楽も必要と思うけれど、投与後直ぐは体力が80代並みで、階段を上がるのさえ息が切れるし、骨折したら一大事なので(骨はスカスカらしい)、大したことはできない。ジョギング、ランニングは無理。できるのは水泳と、水中歩行くらいかな。骨折のリスクのあるスキーは捨てた。カヌーも早く処分しないと。家の中で粗大ごみ化している。自転車のロードレーサーはインテリア(ベランダの飾り)と化している。できるのは、じっとしていられる娯楽ばかりで、DVDとか映画とかになりがちだ。とはいえ、外出すると疲れるので、中々思い通りにはならない。お金も無いのでオペラとか能のような高額な娯楽はきつい(将来の失業状況+高額医療費を考えると、贅沢できず、外食はできず)。歩くのも、結構疲れるので、自分でも、とても50代とは思えなくなってきた。体力的な実質年齢は70代くらいかな。
副作用のひどい時には、湯治も無理で、寝てばかりでいいし、食事も作らなくていいので行きたいのだけれど、外出することがおっくうなので、行かなくなった。車の運転も長距離は無理。
家の窓から見える大山に一度お参りに行きたいとずっと思っているが、行けるだろうか。昔は馬鹿にして、登ることなど考えても見ないような山だったけれど。
どうして病気になったのか、何故検査が遅れたのか、色々後悔したり、考えたりしたこともあったけれど、そういう後ろ向きのことをいまさら考えても無意味なので、止めた。人を恨むのも、自分を恨むのも止めた。ストレスのたまる付き合いも止めた。後は、母親との和解だけが課題。
彼女はぼくの病気に全く興味がない。今年の正月に正直に病状を告げたが、その後一度も聞かれたことがない。アガリスクで治るはずよ、などと言っていたので、風邪か何か程度に思っているらしい。自分のことにしか興味がないようだった。でも今ではぼくも同じ状態になっている。病気治療で精一杯で、介護施設にいる親のことを心配している余裕がない。何てひどい子供だろう、と思う。
サプリメントは皆止めた。効果がない。高いし、気休めにもならない。食事制限はやっているが、外食で肉が出た場合には少量は食べるようにしている。人参ジュースは作るのは止めた。かすの処分が大変すぎるので。専ら缶入りジュースで対応。
後々のことを考え、服、食器、本を徐々に処分している。結構大量に持っているので。この一年で半分は捨てただろうか。来年の今頃にはがらんどうの家になっているのかな。
2011年10月22日土曜日
味覚障害
今回のクールの副作用で、いつもと違うのは、末端神経の痺れと味覚障害。1クール目は数日で治ったが、4クール目は2週間後の今も続いている。だんだんと副作用は累積するとは聞いていたけれど、これが結構辛いのだ。手足の痺れもまだ続いている。
味覚障害では、舌の味蕾がしびれるのか、どうかなのか、原理は良く分からないけれど、塩味を余り感じなくなり、苦味、うまみ(アミノ酸とか、グルタミン酸などの味)にとても敏感になる。砂を食べているみたいに感じるらしいと言うけれど(砂を食べたことはないから、本当にそうかは知らないが)、殆どのものについて、おいしく感じられない。ラーメンなどでグルタミン酸を使いすぎていると、気持ちが悪くなるくらいに強く感じる。これが天然由来の、自然な、完熟したぶどうのうまみでも駄目(だからワインも駄目)で、葱を煮たときのとろっとした甘みも駄目。鍋の葱が食べられない。うまみ成分凝縮されたところなんだろう、舌に触れただけで気持ちが悪くなる。ビールは苦すぎて飲めないし、ゴーヤーも駄目。とにかく苦い食べ物が駄目。我慢できないくらい。味の6要素の残りの三つ、即ち、甘み、酸味、辛味は大丈夫。
という訳で、味の濃い、食べ物のみ食べられる。カレー味、トマト味は大丈夫なので、カレーとパスタばかり食べているような。揚げ物、ソース味も大丈夫だから、殆ど子供と同じような味覚感覚なのかも。
子供の食い物ばっかり食べているというのも、悲しい現実。美味しい京料理とか、会席料理とかフランス料理を食べても、恐らくは舌が受け付けず、味わうのは困難でしょう。お菓子でも、高級な栗饅頭はうまみと苦味が邪魔して食べられず、安い甘いだけのお菓子は何とか食べられました。
味覚障害では、舌の味蕾がしびれるのか、どうかなのか、原理は良く分からないけれど、塩味を余り感じなくなり、苦味、うまみ(アミノ酸とか、グルタミン酸などの味)にとても敏感になる。砂を食べているみたいに感じるらしいと言うけれど(砂を食べたことはないから、本当にそうかは知らないが)、殆どのものについて、おいしく感じられない。ラーメンなどでグルタミン酸を使いすぎていると、気持ちが悪くなるくらいに強く感じる。これが天然由来の、自然な、完熟したぶどうのうまみでも駄目(だからワインも駄目)で、葱を煮たときのとろっとした甘みも駄目。鍋の葱が食べられない。うまみ成分凝縮されたところなんだろう、舌に触れただけで気持ちが悪くなる。ビールは苦すぎて飲めないし、ゴーヤーも駄目。とにかく苦い食べ物が駄目。我慢できないくらい。味の6要素の残りの三つ、即ち、甘み、酸味、辛味は大丈夫。
という訳で、味の濃い、食べ物のみ食べられる。カレー味、トマト味は大丈夫なので、カレーとパスタばかり食べているような。揚げ物、ソース味も大丈夫だから、殆ど子供と同じような味覚感覚なのかも。
子供の食い物ばっかり食べているというのも、悲しい現実。美味しい京料理とか、会席料理とかフランス料理を食べても、恐らくは舌が受け付けず、味わうのは困難でしょう。お菓子でも、高級な栗饅頭はうまみと苦味が邪魔して食べられず、安い甘いだけのお菓子は何とか食べられました。
2011年10月16日日曜日
前立腺癌治療で辛いこと
深作欣司監督(字が正しいかな)は治療を拒否したらしい。松田優作は、ハリウッド映画への出演を優先して、治療しなかった(時間がなくて、できなかった)らしい。ゴルフの杉原プロは治療をためらったらしい。というのは、前立腺癌の原因が男性ホルモンにあるから、これを止める、去勢することが前立腺癌治療の第一歩としてあるからで、男性的な作品の製作や、男性的であることが映画俳優としての魅力と本人が思っている場合や、ゴルフをする上で闘争心が不可欠と考える場合に、薬物的とはいえ、去勢しなければいけないというのがどういうことなのか、考えるまでもなく、本人の生き方そのものに影響するから、治療をしないという選択もあるのだろう。
私は、直ぐに死にたくなかったので、当然治療を優先させたが、やはり去勢(薬物的なものだけれど)は悲しかった。女性が乳癌や、子宮癌になり、こうした臓器を摘出しなければならないとしたら、やはり辛いだろうし、その辛さは女性じゃないと分からないだろうけれど、男にとっても、去勢をする、あるいは手術で前立腺を取ったために生殖機能が失われる、或いは勃起しなくなる、などということは男性であるということに関わる重大事(identityが一部失われる)なので、辛い選択だ。更には、エストラサイトのような薬物で女性化が進むと、外見的、つまりは乳房が大きくなるだけでなく、精神的にも女性化が進むので(闘争心はなくなったと思う。チャレンジする気持ちも失せた)、性格も変わるし、温和になるし、人格にも影響があるような気がする。こうしたことは、誰にも相談しようがないので、どうしても鬱屈することになると思う。少なくとも奥さんやパートナーに相談はしないだろうと思う。
また、膵臓癌のように直ぐには進行しない癌であるため、癌との付き合う期間が比較的長いことも、良いような悪いような、宙ぶらりんで、死刑宣告を受けたまま執行されないような、不安定な気持ちに当初なった。カズオ・イシグロの小説、Never Let Me Go(邦題は「私を放さないで」だったっけか)を読んだ時に、臓器提供のために人工的に生まれてきて、臓器を提供したら死んでいかなければならない子供たちが、そのあまりにも過酷な運命を受容し、死を引き伸ばそうと彼等なりに努力するものの、結局は報われず、定められた運命には抗えないまま、淡々と死を迎えていく、という普通ならば理解できないような彼らの物語、気持ちが、何故かとても良く分かったような気がした。変えられない運命が自分の運命であるのならば、どうすれば良いのか。抵抗するのか、嘆き悲しむのか。静かに過酷な運命を受け入れるのか。
3月の大震災で考えたことは、もし震災で死んでいたら、自分の死が予定されていることを知らないまま、あっさりと津波で死んだのだったら、どうだったんだろう、どっちが幸せか、不幸かということだった。勿論、家族にとっては、話は別だけれども。
今は、死ぬ準備をしつつ、一日でも長く、楽しく生きたいと考えている。でも周囲にはすごく迷惑を掛けている。幸い子供がいないので、自分が死んだ後の家族の金銭的な心配をしなくていいのは気が楽だ。(その代わり、忘れ形見もいないから、僕が存在したことを誰が記憶してくれるのだろうか。)家族がおり、扶養していれば、一家の大黒柱としての責任と役割があるから、そのストレスは大変だろうと思う。
私は、直ぐに死にたくなかったので、当然治療を優先させたが、やはり去勢(薬物的なものだけれど)は悲しかった。女性が乳癌や、子宮癌になり、こうした臓器を摘出しなければならないとしたら、やはり辛いだろうし、その辛さは女性じゃないと分からないだろうけれど、男にとっても、去勢をする、あるいは手術で前立腺を取ったために生殖機能が失われる、或いは勃起しなくなる、などということは男性であるということに関わる重大事(identityが一部失われる)なので、辛い選択だ。更には、エストラサイトのような薬物で女性化が進むと、外見的、つまりは乳房が大きくなるだけでなく、精神的にも女性化が進むので(闘争心はなくなったと思う。チャレンジする気持ちも失せた)、性格も変わるし、温和になるし、人格にも影響があるような気がする。こうしたことは、誰にも相談しようがないので、どうしても鬱屈することになると思う。少なくとも奥さんやパートナーに相談はしないだろうと思う。
また、膵臓癌のように直ぐには進行しない癌であるため、癌との付き合う期間が比較的長いことも、良いような悪いような、宙ぶらりんで、死刑宣告を受けたまま執行されないような、不安定な気持ちに当初なった。カズオ・イシグロの小説、Never Let Me Go(邦題は「私を放さないで」だったっけか)を読んだ時に、臓器提供のために人工的に生まれてきて、臓器を提供したら死んでいかなければならない子供たちが、そのあまりにも過酷な運命を受容し、死を引き伸ばそうと彼等なりに努力するものの、結局は報われず、定められた運命には抗えないまま、淡々と死を迎えていく、という普通ならば理解できないような彼らの物語、気持ちが、何故かとても良く分かったような気がした。変えられない運命が自分の運命であるのならば、どうすれば良いのか。抵抗するのか、嘆き悲しむのか。静かに過酷な運命を受け入れるのか。
3月の大震災で考えたことは、もし震災で死んでいたら、自分の死が予定されていることを知らないまま、あっさりと津波で死んだのだったら、どうだったんだろう、どっちが幸せか、不幸かということだった。勿論、家族にとっては、話は別だけれども。
今は、死ぬ準備をしつつ、一日でも長く、楽しく生きたいと考えている。でも周囲にはすごく迷惑を掛けている。幸い子供がいないので、自分が死んだ後の家族の金銭的な心配をしなくていいのは気が楽だ。(その代わり、忘れ形見もいないから、僕が存在したことを誰が記憶してくれるのだろうか。)家族がおり、扶養していれば、一家の大黒柱としての責任と役割があるから、そのストレスは大変だろうと思う。
ドセタキセル(タキソテール)の4クール目
現在、抗癌剤ドセタキセル(タキソテール)+ゾメター(ビスフォスフォネート)を3週間に一度、ペプチドワクチンも併用して投与を開始中。
ペプチドワクチンには殆ど副作用はないが、ドセタキセルとゾメターには強い副作用が出ているので、その整理を。
ドセタキセルの初回(このときはゾメターはなし)の投与の際には、初日から10日目くらいまで、下痢がひどく、食事後1時間ほどで水状の下痢が続き、下腹部が差し込む痛みを伴い、外出など怖くてできない状況だった。悪心、不安、頭痛も伴い、精神にも若干の影響が出たため、抗鬱剤を同じ病院の神経科で処方してもらい、飲んだ。
2クール目は慣れたのか、強い副作用はなかったが、下痢対策で強めの下痢止めを服用。下痢はある程度我慢できるほどに収まった。但し、歩行障害が3、4日出た。足がむくんだためか、或いは足が麻痺したためか、良く分からないが、兎に角歩くのが若干困難に。
3クール目からゾメターを併用。ゾメターのせいか、筋肉痛で全身が痛い。歯も悪くないのに痛い。6日目から9日まで立ち上がれないほどの倦怠感。外出は一切せず、家に籠もる。下痢は軽め。抗鬱剤は服用を停止。精神的には立ち直ったみたい。
4クール目は、3日目から軽い下痢。とはいえ、頻繁に下痢。下痢止めの強い薬を飲んでいるが、完全にはコントロールできていない。
今までの経験では、投与から10日間程度は辛い。外出を控える必要がある日も数日ある。後の10日程度は比較的元気に過せるが、運動は元のようには行かない。というのも、赤血球が激減しているため、直ぐに息が上がってしまう。階段の登りが辛い。山登りなど、夢のまた夢のよう。1年前までの体力とは全く異なる。一年前なら百名山級も登ったのだが、今では家の前の坂道でさえやっとだから、他人が登っているのをTVで見るのもシンドイ感じ。白血球も7日目から14日まで激減するため、感染症にかかりやすい。主治医は満員電車には乗るな、と言う。東京で通勤はこれでは無理。
とはいえ、治療を何もせずでは、余命は1年程度かもしれないと思うため、治療を苦に思うことはなくなった。また元気な日には生きていることを実感できるため、人生を短く太く生きているような気分。仕事は休業中で、そのうち失業してしまうため、医療費が不安なのと、万一長生きしたら(そんなことはないのだが)どうなるのか、という一抹の不安がある。
ホルモン療法をやっているときは、水泳教室で激しく泳いでいると癌患者だということを忘れられたが、今では無理なので、癌のことはお能を見たり、映画を見たり本を読んだりして時々忘れることにしている。とはいえ、お金がかかること(例えば、能)はだんだんとしにくくなっている。
外見が大きく変化し、髪はなくなり、表情も乏しくなり、一見して癌患者風になったような気がしている。自分に対する自信がなくなりつつあるような気もしている。電車に乗ると、いじめられそうな気がして怖いことがある。弱気になっているような。
ペプチドワクチンには殆ど副作用はないが、ドセタキセルとゾメターには強い副作用が出ているので、その整理を。
ドセタキセルの初回(このときはゾメターはなし)の投与の際には、初日から10日目くらいまで、下痢がひどく、食事後1時間ほどで水状の下痢が続き、下腹部が差し込む痛みを伴い、外出など怖くてできない状況だった。悪心、不安、頭痛も伴い、精神にも若干の影響が出たため、抗鬱剤を同じ病院の神経科で処方してもらい、飲んだ。
2クール目は慣れたのか、強い副作用はなかったが、下痢対策で強めの下痢止めを服用。下痢はある程度我慢できるほどに収まった。但し、歩行障害が3、4日出た。足がむくんだためか、或いは足が麻痺したためか、良く分からないが、兎に角歩くのが若干困難に。
3クール目からゾメターを併用。ゾメターのせいか、筋肉痛で全身が痛い。歯も悪くないのに痛い。6日目から9日まで立ち上がれないほどの倦怠感。外出は一切せず、家に籠もる。下痢は軽め。抗鬱剤は服用を停止。精神的には立ち直ったみたい。
4クール目は、3日目から軽い下痢。とはいえ、頻繁に下痢。下痢止めの強い薬を飲んでいるが、完全にはコントロールできていない。
今までの経験では、投与から10日間程度は辛い。外出を控える必要がある日も数日ある。後の10日程度は比較的元気に過せるが、運動は元のようには行かない。というのも、赤血球が激減しているため、直ぐに息が上がってしまう。階段の登りが辛い。山登りなど、夢のまた夢のよう。1年前までの体力とは全く異なる。一年前なら百名山級も登ったのだが、今では家の前の坂道でさえやっとだから、他人が登っているのをTVで見るのもシンドイ感じ。白血球も7日目から14日まで激減するため、感染症にかかりやすい。主治医は満員電車には乗るな、と言う。東京で通勤はこれでは無理。
とはいえ、治療を何もせずでは、余命は1年程度かもしれないと思うため、治療を苦に思うことはなくなった。また元気な日には生きていることを実感できるため、人生を短く太く生きているような気分。仕事は休業中で、そのうち失業してしまうため、医療費が不安なのと、万一長生きしたら(そんなことはないのだが)どうなるのか、という一抹の不安がある。
ホルモン療法をやっているときは、水泳教室で激しく泳いでいると癌患者だということを忘れられたが、今では無理なので、癌のことはお能を見たり、映画を見たり本を読んだりして時々忘れることにしている。とはいえ、お金がかかること(例えば、能)はだんだんとしにくくなっている。
外見が大きく変化し、髪はなくなり、表情も乏しくなり、一見して癌患者風になったような気がしている。自分に対する自信がなくなりつつあるような気もしている。電車に乗ると、いじめられそうな気がして怖いことがある。弱気になっているような。
2011年10月6日木曜日
久留米大病院での治療1クール目ワクチン投与1回目
久留米大病院でのペプチドワクチンの治療に応募したところ、なんとか基準にひっかかったようで、治療可能との連絡を受けたため、1回目のワクチン投与に久留米まで行ってきた。日帰りも可能だけれど、体調次第ではきついかなと思ったのと、天候で飛行機が飛ばないリスク、安いチケットだと変更が効かない、等々も考え、余裕をもって出かけてきた。ついでに、博多の名所巡りもしたが、殆どの名所旧跡へは行ったことがあるので、次回以降は行く場所がなくなりそう。
ワクチンの注射は4箇所。とても痛いです、と言われたので、覚悟したが、本当に痛かった。普通注射で痛いと思うことはないのだけれど。
注射後は特に腫れもなく、風呂も普通に入ることが出来、痛みもない。痕も特に目立たない。
効果については、1割程度の人に効く可能性があるとのことなので、何とかその1割に入りたいと思うが、どうだろう。右足のふとともに打ちました。
保険が効くと良いのだけれど。交通費を合わせると、1回のワクチン投与が11万円以上になってしまう。これを1クール8回繰り返す予定。もし効果があればもう1クール8回投与することになる。命には代えられないものの、効かなかったときには、経済的な痛みが大きいなあと実感。
箱崎宮の花園をお参りのついでに見学しました。箱崎宮は初めて。16世紀に大内氏が建てた本殿と拝殿があり、立派。国宝ではなく、重要文化財。福岡には16世紀の建物が結構あるせいなのか。立派な参道の先は海で、砂浜が残されており、例の山笠の時の禊をわざわざここまで来てするらしい。花園は彼岸花の真っ盛りで、白と赤と黄の彼岸花が咲き誇っていました。
ワクチンの注射は4箇所。とても痛いです、と言われたので、覚悟したが、本当に痛かった。普通注射で痛いと思うことはないのだけれど。
注射後は特に腫れもなく、風呂も普通に入ることが出来、痛みもない。痕も特に目立たない。
効果については、1割程度の人に効く可能性があるとのことなので、何とかその1割に入りたいと思うが、どうだろう。右足のふとともに打ちました。
保険が効くと良いのだけれど。交通費を合わせると、1回のワクチン投与が11万円以上になってしまう。これを1クール8回繰り返す予定。もし効果があればもう1クール8回投与することになる。命には代えられないものの、効かなかったときには、経済的な痛みが大きいなあと実感。
箱崎宮の花園をお参りのついでに見学しました。箱崎宮は初めて。16世紀に大内氏が建てた本殿と拝殿があり、立派。国宝ではなく、重要文化財。福岡には16世紀の建物が結構あるせいなのか。立派な参道の先は海で、砂浜が残されており、例の山笠の時の禊をわざわざここまで来てするらしい。花園は彼岸花の真っ盛りで、白と赤と黄の彼岸花が咲き誇っていました。
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