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2011年10月16日日曜日

前立腺癌治療で辛いこと

深作欣司監督(字が正しいかな)は治療を拒否したらしい。松田優作は、ハリウッド映画への出演を優先して、治療しなかった(時間がなくて、できなかった)らしい。ゴルフの杉原プロは治療をためらったらしい。というのは、前立腺癌の原因が男性ホルモンにあるから、これを止める、去勢することが前立腺癌治療の第一歩としてあるからで、男性的な作品の製作や、男性的であることが映画俳優としての魅力と本人が思っている場合や、ゴルフをする上で闘争心が不可欠と考える場合に、薬物的とはいえ、去勢しなければいけないというのがどういうことなのか、考えるまでもなく、本人の生き方そのものに影響するから、治療をしないという選択もあるのだろう。

私は、直ぐに死にたくなかったので、当然治療を優先させたが、やはり去勢(薬物的なものだけれど)は悲しかった。女性が乳癌や、子宮癌になり、こうした臓器を摘出しなければならないとしたら、やはり辛いだろうし、その辛さは女性じゃないと分からないだろうけれど、男にとっても、去勢をする、あるいは手術で前立腺を取ったために生殖機能が失われる、或いは勃起しなくなる、などということは男性であるということに関わる重大事(identityが一部失われる)なので、辛い選択だ。更には、エストラサイトのような薬物で女性化が進むと、外見的、つまりは乳房が大きくなるだけでなく、精神的にも女性化が進むので(闘争心はなくなったと思う。チャレンジする気持ちも失せた)、性格も変わるし、温和になるし、人格にも影響があるような気がする。こうしたことは、誰にも相談しようがないので、どうしても鬱屈することになると思う。少なくとも奥さんやパートナーに相談はしないだろうと思う。

また、膵臓癌のように直ぐには進行しない癌であるため、癌との付き合う期間が比較的長いことも、良いような悪いような、宙ぶらりんで、死刑宣告を受けたまま執行されないような、不安定な気持ちに当初なった。カズオ・イシグロの小説、Never Let Me Go(邦題は「私を放さないで」だったっけか)を読んだ時に、臓器提供のために人工的に生まれてきて、臓器を提供したら死んでいかなければならない子供たちが、そのあまりにも過酷な運命を受容し、死を引き伸ばそうと彼等なりに努力するものの、結局は報われず、定められた運命には抗えないまま、淡々と死を迎えていく、という普通ならば理解できないような彼らの物語、気持ちが、何故かとても良く分かったような気がした。変えられない運命が自分の運命であるのならば、どうすれば良いのか。抵抗するのか、嘆き悲しむのか。静かに過酷な運命を受け入れるのか。

3月の大震災で考えたことは、もし震災で死んでいたら、自分の死が予定されていることを知らないまま、あっさりと津波で死んだのだったら、どうだったんだろう、どっちが幸せか、不幸かということだった。勿論、家族にとっては、話は別だけれども。

今は、死ぬ準備をしつつ、一日でも長く、楽しく生きたいと考えている。でも周囲にはすごく迷惑を掛けている。幸い子供がいないので、自分が死んだ後の家族の金銭的な心配をしなくていいのは気が楽だ。(その代わり、忘れ形見もいないから、僕が存在したことを誰が記憶してくれるのだろうか。)家族がおり、扶養していれば、一家の大黒柱としての責任と役割があるから、そのストレスは大変だろうと思う。




5 件のコメント:

  1. 震災でたくさんの人が亡くなった。それを思えば癌だからと嘆くこともないか。と主人は言ってます。ドセタキセル+リン酸エストラムスチン?療法+ゾメタ+リュープリンと今月は治療しました。熱は上がらなかったけどかなりしんどいようです。今日経過観察の検査受けたら7.1の数値(赤血球?)即、輸血のために入院しました。

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  2. あべるっちさんへ
    ご主人さまの様態が少しでも安定すると良いですね。わたしの主人もあべるっちさんのご主人と同じようなないようです。ただエストラムスチン?だけが加わって無いだけです。

    わたし自信は、人の痛みは誰とも比較する事が出来ず、たとえどんな小さなことでもその人にとって心の辛さ痛みがすべてと思っています。ご主人さまは、お強いですね。私は、未熟でまだその域に心が達してません。

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  3. 癌のような生活習慣病は過去の生活(食べ物、ストレス、その他)の蓄積が反映したものと、私は受け取っています。もし、初期の内に見つかっていれば、手術か放射線だけで100%治癒しただろうと思うと、”しまったなあ”という後悔もありますが、検査をしなかったというのも自分の選択でした。知らなかったからこそ充実した生活が送れた面もありますし。
    そう考えると、私の余命があと半年かそれとも数年先になるかは分かりませんが、ここで人生の最終楽章を、少しなりとも自分の意思を入れて造ることが出来るチャンス、と捕らえています。この点が震災で亡くなった方とは違うかな、と感じています。

    実は私は数年前に別の疾患で大手術の結果、一度運よく生き延びた経験があります。1ヶ月間の入院中に死について書いあるて本を読み漁りました。その中で一番気に入ったのは次のような内容でした。ソクラテス曰く、
    「死は一種の幸福である。なぜなら、死んだあと、自分の存在や意識がすべて無になってしまうとしたら、夢見もせず熟睡した夜と同じで快くすごせる。ゆえに幸福である。また、もし死後の世界があるのならば、別の世界に行って先人たちと交流できるのだから幸福である。」
    何年間か身障者として生活したお陰で、それまで見えなかった世間が目に入ってきました。大病もマイナスばかりではない、というのが私の実感です。

    私もエストラサイトで体型が女性化しました。そのせいで、ちょくちょく出かけるお風呂で他人の外形を観察した結果、男性の胸は平らであるという認識は間違いで、成人には多かれ少なかれ膨らみがある、という大発見をしました。精神面の変化は個人的にはありませんが、「ヒットラー女性化計画」が実在したのですから、まさぞうさんの言われる影響もあるかも知れませんね。

    あべるっちさんへ
    私の場合はドセタキセル投与後7日目に経過観察検査を受けました。白血球と好中球が危険領域まで下がっていたので、その場で造血剤の注射を受け帰宅しました。そのまた5日後の検査ではどうやら危険域を脱していました。来週再検査です。「嘆くことはない」と口に出して言われるご主人は優しい方ですね。その意味では私より強い方かなあ。でも、”強さと弱さは隣合わせ”が常ですから、どんな励ましの言葉をかけたら良いかは、難しいところだと思います。
    私の場合は家族にはお医者さんに言われたことを伝えるだけで、自分の心情は一切話しません。どう表現しても真実とは違う気がするからです。家族もそれを心得ているのか何事もない振りをしてくれています。

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  4. 私は癌のような生活習慣病は過去の生き方(食べ物とかストレスとか)の総決算だという気がしています。ずうっと検査を怠ったせいで、初期癌の内に見つからず「しまった!」という後悔もありますが、一方で、知らなかったからこそ積極的に出来たこともありますし、自分の一生を振り返る機会を与えられた、とも思っています。
    進行が遅いお陰で、人生の最終楽章に自分の意思を多少なりとも入れることが出来るのが、震災で亡くなられた方とは違うのかな、と受け止めています。
    実は私は別の大病で生死をさまよう手術をしたことがあります。その後で身障者となって世間を眺めると、それまで見えなかったものが目に入ってきました。以来病気も悪い面だけではないな、とも感じています。
    女性化は私にも起こりました。そのせいで風呂屋で他人の体型を観察したところ、男性の胸が平らだという私の認識は誤りで、多かれ少なかれ膨らんでいるのだ、という大発見をしました。日々是れ新たなり、です。
    あるべっちさんへ
    「癌だからと嘆くことはない」とはっきり言われるご主人は優しい方ですね。その意味では強い方なのでしょう。でも強さと弱さが隣り合わせなのが人間ですから、私には何とも言えません。ドセタキセルとリュープリンを同時期に使う治療法もあると、初めて知りました。参考になりました。

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  5. すみません。これも2重投稿になってしまいました。消したいのですが、やり方がわかりません。

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