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2011年11月30日水曜日

大野更紗の「困っている人」を読む

会社に出られず自宅療養中なので、時間がたっぷりある。時々、身辺の整理をやっている。人が死んで一番困るのは、色々なものを残すこと。遺品の殆どはその人にはとても意味があるが、家族には無意味なものが多い。父親の死でそれを知り、処分に大変な費用、手間と労力がかかり、困惑した。殆ど捨てたが、ぼくの発病の遠因になった気がするほどの苦労があった。母親は更に整理できない人で家をゴミ屋敷にしていたほどなので、彼女が死んだらどうなるか、今から不安だが、もうぼくの手には負えない話。写真など、典型で、思い出を共有していない人には残されても無意味。

自分の持ち物で、過去の引越し時に自分でも呆れたのが、本、食器、服の多さ。服は30年前から体型が変わらないため、古い衣料品も着られることが多さの理由だったが、既に半分ほど捨てた。まだ着られたんだけどね。勿体ないとは思うが。でも、まだまだスーツとか多くあるので、徐々に処分の予定。本は、古本屋などに時々売っている。食器は人に半分ほどあげた(まだまだ多いがこれだけは毎日使っている)。

布団もがさばるが、今後ベッドに変えようと思うので、その際一括処分しよう。

書類の類いもどんどん整理。過去のインボイス、ステートメントは不要。税金や年金のことを考え、給与や何やら昔は書類は全て取っておいたが、今はどんどん捨てることにしている。銀行口座や証券会社もひとつにまとめたいが、手続きが面倒でまだ出来ていない。

今取り組んでいるのは、演劇や音楽会のパンフ類。どうしてこんなに行ったのか、と思うくらいの数に行き、パンフ類を全て取ってあった。過去40年分くらいある。でも見ても殆どは記憶に残っていない。そんなものかね。肥やしになったのか、ならなかったのか。これらに使った金を貯めておいたら、良かったかな。でも遺産を残す人もいないので、自分のために使って良かったかな。ばっさり捨てると身軽になる。

とはいえ、まだまだ家の中には物が溢れている状態。

「エンデイングノート」という映画があり、近所でやっていたので、見ようと思えば見られたのだけれど、気分的に辛いだろうと思い、見なかった。自分がすぐに死なないと思えば、そういう映画を見て、身辺整理をするのも楽しいのだろうが、末期がんを患っていると、差し迫った問題なので、死が身近な映画というのは、だめです。

大野更紗というまだ20代の女性が書いた、「困っている人」という難病の闘病記を最近読んだ(とても良い本です)が、読後涙が止まらず、うなされる始末で、読んだことを後悔したほど。ネットで、読後感動したとか色々書かれていたが、皆健康な人なんだろうと思う。悪夢のような体験をすると、それに触れられることは耐え難い。そしてその悪夢はまだまだ続いている訳で、近寄らないに越したことはないようだ。

病気の初期には闘病記を沢山読んだが、今は元気になる本とか、楽しいことにしか興味がない。

2011年11月28日月曜日

6クール目

PSAは、8月には主治医が検査をしなかったので(意図的なもの)、最高値が良く分かっていないのだが、9月に16、11月に11に低下したが、6クール目の検査で13にまた上がってしまった。ショックで、少々へこんだ。

医師に今後の治療方針を聞くと、あいかわらずのぶっきら棒で「当分このまま」とのこと。4クール目までPSAが下がらない治療例が知られているとのことだが、流石に6クール目では症例はないだろうとのこと。外に薬の選択肢はないので、ドセタキセルは(死ぬまで)続けるということらしい。

今後PSAはどうなりますか、と聞くと、わかりません。との答え。患者の気持ちは理解せず、重要な情報は出さず、淡々と、最小限しか答えない主治医。3月に出向先の大病院へ戻るらしいので、あと数ヶ月のお付き合いだけれど、次はもっと会話のできる医師が来てくれるといいかな。患者の余計な心配、不安を掻き立てるのは避けたいという気持ちも理解できなくはないのだが。

もっとPSAが高くても、ドセタキセルを続けて、生きているいる人も多いようなので、頑張るしかないか。副作用は5クール目に比べれば軽くて済んでいる。

2011年11月8日火曜日

ドセタキセル(タキソテール)5クール目の副作用

今回の副作用は、今までとちょっと違った。投与後3日目から、強い倦怠感、疲労感。眠い。だるい。外出が困難。歩行が難しい。足の裏が痛いからではなく、そもそも歩けない。運動は困難。食事の食材の買出しに頑張って近所のスーパーへ出かけるのがせいぜい。3日目に、ちょっと無理をして国立劇場に歌舞伎を見に行った。体を動かさないし、じっとしているだけだから大丈夫かと思ったが、無理で、殆ど寝てしまった。途中で退席。劇場への往復でぐったり。4、5日目も殆ど横になったまま。本も読めず、寝てばかり。これでも仕事に行けば、という主治医は、きついなあ。

下痢は殆どないが、下腹部が時々痛い。我慢できる範囲。

味覚障害はいつもどおり。甘みも良く分からなくなってきた。頻尿も続き、2時間毎に夜トイレへ。

苦しいけれど、これを乗り越えれば、普通に暮らせる日もあるので、頑張らなくては。

2011年11月5日土曜日

抗癌剤投与の帰り、小田急で席を譲られた

金曜は、主治医の病院で、タキソテール(ドセタキセル)、ゾメターの投与日。10時半頃に病院に行き、血液検査をしたのだが、投与開始は1時半。終わったのが、4時だった。一日仕事。腕の角度や位置で点滴の速度がまるで変わることに気がついた。本を読んだり、寝たりすると、点滴が流れなくなっていたようで、時間がやたら掛かった。次回からは気をつけよう。

帰り道、新宿駅で若い人から席を譲られた。生まれて初めての経験。まだ56歳なんだけれど。どうも70代くらいには見えるのかな。或いは病気ということが見え見えなんだろうか。有難く好意はお受けしたけれど、複雑な気分。疲れている時が多いので、そういう時は、優先席で、席を詰めてもらったり、おばさんが占拠している荷物をどかさせたりして座ることが多いけれど、普通席で席を譲ってもらったのは初めて。

自分の考える自分と、他の人から見えている自分のギャップに悩む。すごい病人に見えるのかな。その日は特に疲れていないし、副作用も出ていないのだけれど。主治医はできれば働けというスタンスだが、勤務先では、恐らく歓迎されないだろうな。

2011年11月3日木曜日

久留米大病院への行き方

東京から、日帰りが可能なのだけれど、そして地方から来ている人(関東、関西、四国、沖縄の人もいるらしい)の殆どは日帰りをしているようだ。仕事があれば、当然日帰りを選ぶだろうけれど、ぼくは余りにも疲れるので、福岡で泊まることにしている。

早朝の便で羽田から福岡空港に行き、ターミナル前の高速バスで久留米行き(20分に一本は出ている)に乗り、西鉄久留米駅か、市役所前か、JR久留米駅で下車。西鉄久留米からはバスが頻発。JRからは30分に1本程度。市役所前で降りれば、徒歩10分程度。医大通りという気持ちの良い並木道をそぞろ歩きしていると直ぐに着く。午後の診療なので、午前の便は遅い便でも構わないのだが、料金の関係でいつも早朝の便を選んでいる(スカイマークで最安値は8,800円、全日空で11,800円)。高速バスは1,300円。交通費がかなりかかる。確定申告で、旅費は医療費として控除が可能らしいけれど、重い負担となる。高速バスを使わず、博多駅か、天神駅から電車で行った方が安いけれど、時間はかかる。1時間強程度かかる感じ。駅から大学病院まで、バスで10分程度。

久留米市役所は立派で、見学する価値あり。てっぺんの喫茶からの眺めが素晴しい。筑後川、有明海、阿蘇、雲仙まで見渡せる。

大学付近には昼食の店はあまり無い。ないことは無いけれども。少ない。大学病院3階に食堂、パン屋、コンビニがあるので、通常はそこを利用することになる。大学の隣に、久留米城址があるけれど、特に見るべきものがないのは残念。あまり史跡を大事にするような町ではない様子。産業都市なのでかな。市役所の北に石橋邸があるが、非公開。一度中を拝見したいものですが。

いつも、福岡に泊まり、名所旧跡を回っているが、昔から仕事で通っていたこと、その都度名所も見たので、今や行き尽くしてしまった。下の写真は、福岡でいつも庭をぼっと眺めながらお茶を頂く楽水園のお庭。




2011年10月29日土曜日

ようやく告知から1年と2ヶ月

前立腺癌と告知を受けてから、11月でようやく14ヶ月目を迎える。1年で死ななくて良かったな。長生きはしたいものだ。

会社にも行けなくなり、話し相手があまりいない。鬱で、被害妄想的な症状も出たせいか、人と付き合うのが苦手になった。友達と会うのも、人にもよるが、楽しくない。同情されるのが、嫌だ。家でごろごろばかりしている。ドセタキセル+ゾメター投与後の1週間から10日は下痢と悪心と足の痺れで外出が難しい。仕事は在宅ならできそうだが、そういう会社の制度がなく、諦めざるを得ない。

癌を忘れないと、いわゆるキラー細胞、善玉白血球も増えないと思うので、笑うとか、適度な運動とか、娯楽も必要と思うけれど、投与後直ぐは体力が80代並みで、階段を上がるのさえ息が切れるし、骨折したら一大事なので(骨はスカスカらしい)、大したことはできない。ジョギング、ランニングは無理。できるのは水泳と、水中歩行くらいかな。骨折のリスクのあるスキーは捨てた。カヌーも早く処分しないと。家の中で粗大ごみ化している。自転車のロードレーサーはインテリア(ベランダの飾り)と化している。できるのは、じっとしていられる娯楽ばかりで、DVDとか映画とかになりがちだ。とはいえ、外出すると疲れるので、中々思い通りにはならない。お金も無いのでオペラとか能のような高額な娯楽はきつい(将来の失業状況+高額医療費を考えると、贅沢できず、外食はできず)。歩くのも、結構疲れるので、自分でも、とても50代とは思えなくなってきた。体力的な実質年齢は70代くらいかな。

副作用のひどい時には、湯治も無理で、寝てばかりでいいし、食事も作らなくていいので行きたいのだけれど、外出することがおっくうなので、行かなくなった。車の運転も長距離は無理。

家の窓から見える大山に一度お参りに行きたいとずっと思っているが、行けるだろうか。昔は馬鹿にして、登ることなど考えても見ないような山だったけれど。

どうして病気になったのか、何故検査が遅れたのか、色々後悔したり、考えたりしたこともあったけれど、そういう後ろ向きのことをいまさら考えても無意味なので、止めた。人を恨むのも、自分を恨むのも止めた。ストレスのたまる付き合いも止めた。後は、母親との和解だけが課題。

彼女はぼくの病気に全く興味がない。今年の正月に正直に病状を告げたが、その後一度も聞かれたことがない。アガリスクで治るはずよ、などと言っていたので、風邪か何か程度に思っているらしい。自分のことにしか興味がないようだった。でも今ではぼくも同じ状態になっている。病気治療で精一杯で、介護施設にいる親のことを心配している余裕がない。何てひどい子供だろう、と思う。

サプリメントは皆止めた。効果がない。高いし、気休めにもならない。食事制限はやっているが、外食で肉が出た場合には少量は食べるようにしている。人参ジュースは作るのは止めた。かすの処分が大変すぎるので。専ら缶入りジュースで対応。

後々のことを考え、服、食器、本を徐々に処分している。結構大量に持っているので。この一年で半分は捨てただろうか。来年の今頃にはがらんどうの家になっているのかな。

2011年10月22日土曜日

味覚障害

今回のクールの副作用で、いつもと違うのは、末端神経の痺れと味覚障害。1クール目は数日で治ったが、4クール目は2週間後の今も続いている。だんだんと副作用は累積するとは聞いていたけれど、これが結構辛いのだ。手足の痺れもまだ続いている。

味覚障害では、舌の味蕾がしびれるのか、どうかなのか、原理は良く分からないけれど、塩味を余り感じなくなり、苦味、うまみ(アミノ酸とか、グルタミン酸などの味)にとても敏感になる。砂を食べているみたいに感じるらしいと言うけれど(砂を食べたことはないから、本当にそうかは知らないが)、殆どのものについて、おいしく感じられない。ラーメンなどでグルタミン酸を使いすぎていると、気持ちが悪くなるくらいに強く感じる。これが天然由来の、自然な、完熟したぶどうのうまみでも駄目(だからワインも駄目)で、葱を煮たときのとろっとした甘みも駄目。鍋の葱が食べられない。うまみ成分凝縮されたところなんだろう、舌に触れただけで気持ちが悪くなる。ビールは苦すぎて飲めないし、ゴーヤーも駄目。とにかく苦い食べ物が駄目。我慢できないくらい。味の6要素の残りの三つ、即ち、甘み、酸味、辛味は大丈夫。

という訳で、味の濃い、食べ物のみ食べられる。カレー味、トマト味は大丈夫なので、カレーとパスタばかり食べているような。揚げ物、ソース味も大丈夫だから、殆ど子供と同じような味覚感覚なのかも。

子供の食い物ばっかり食べているというのも、悲しい現実。美味しい京料理とか、会席料理とかフランス料理を食べても、恐らくは舌が受け付けず、味わうのは困難でしょう。お菓子でも、高級な栗饅頭はうまみと苦味が邪魔して食べられず、安い甘いだけのお菓子は何とか食べられました。

2011年10月16日日曜日

前立腺癌治療で辛いこと

深作欣司監督(字が正しいかな)は治療を拒否したらしい。松田優作は、ハリウッド映画への出演を優先して、治療しなかった(時間がなくて、できなかった)らしい。ゴルフの杉原プロは治療をためらったらしい。というのは、前立腺癌の原因が男性ホルモンにあるから、これを止める、去勢することが前立腺癌治療の第一歩としてあるからで、男性的な作品の製作や、男性的であることが映画俳優としての魅力と本人が思っている場合や、ゴルフをする上で闘争心が不可欠と考える場合に、薬物的とはいえ、去勢しなければいけないというのがどういうことなのか、考えるまでもなく、本人の生き方そのものに影響するから、治療をしないという選択もあるのだろう。

私は、直ぐに死にたくなかったので、当然治療を優先させたが、やはり去勢(薬物的なものだけれど)は悲しかった。女性が乳癌や、子宮癌になり、こうした臓器を摘出しなければならないとしたら、やはり辛いだろうし、その辛さは女性じゃないと分からないだろうけれど、男にとっても、去勢をする、あるいは手術で前立腺を取ったために生殖機能が失われる、或いは勃起しなくなる、などということは男性であるということに関わる重大事(identityが一部失われる)なので、辛い選択だ。更には、エストラサイトのような薬物で女性化が進むと、外見的、つまりは乳房が大きくなるだけでなく、精神的にも女性化が進むので(闘争心はなくなったと思う。チャレンジする気持ちも失せた)、性格も変わるし、温和になるし、人格にも影響があるような気がする。こうしたことは、誰にも相談しようがないので、どうしても鬱屈することになると思う。少なくとも奥さんやパートナーに相談はしないだろうと思う。

また、膵臓癌のように直ぐには進行しない癌であるため、癌との付き合う期間が比較的長いことも、良いような悪いような、宙ぶらりんで、死刑宣告を受けたまま執行されないような、不安定な気持ちに当初なった。カズオ・イシグロの小説、Never Let Me Go(邦題は「私を放さないで」だったっけか)を読んだ時に、臓器提供のために人工的に生まれてきて、臓器を提供したら死んでいかなければならない子供たちが、そのあまりにも過酷な運命を受容し、死を引き伸ばそうと彼等なりに努力するものの、結局は報われず、定められた運命には抗えないまま、淡々と死を迎えていく、という普通ならば理解できないような彼らの物語、気持ちが、何故かとても良く分かったような気がした。変えられない運命が自分の運命であるのならば、どうすれば良いのか。抵抗するのか、嘆き悲しむのか。静かに過酷な運命を受け入れるのか。

3月の大震災で考えたことは、もし震災で死んでいたら、自分の死が予定されていることを知らないまま、あっさりと津波で死んだのだったら、どうだったんだろう、どっちが幸せか、不幸かということだった。勿論、家族にとっては、話は別だけれども。

今は、死ぬ準備をしつつ、一日でも長く、楽しく生きたいと考えている。でも周囲にはすごく迷惑を掛けている。幸い子供がいないので、自分が死んだ後の家族の金銭的な心配をしなくていいのは気が楽だ。(その代わり、忘れ形見もいないから、僕が存在したことを誰が記憶してくれるのだろうか。)家族がおり、扶養していれば、一家の大黒柱としての責任と役割があるから、そのストレスは大変だろうと思う。




ドセタキセル(タキソテール)の4クール目

現在、抗癌剤ドセタキセル(タキソテール)+ゾメター(ビスフォスフォネート)を3週間に一度、ペプチドワクチンも併用して投与を開始中。

ペプチドワクチンには殆ど副作用はないが、ドセタキセルとゾメターには強い副作用が出ているので、その整理を。

ドセタキセルの初回(このときはゾメターはなし)の投与の際には、初日から10日目くらいまで、下痢がひどく、食事後1時間ほどで水状の下痢が続き、下腹部が差し込む痛みを伴い、外出など怖くてできない状況だった。悪心、不安、頭痛も伴い、精神にも若干の影響が出たため、抗鬱剤を同じ病院の神経科で処方してもらい、飲んだ。

2クール目は慣れたのか、強い副作用はなかったが、下痢対策で強めの下痢止めを服用。下痢はある程度我慢できるほどに収まった。但し、歩行障害が3、4日出た。足がむくんだためか、或いは足が麻痺したためか、良く分からないが、兎に角歩くのが若干困難に。

3クール目からゾメターを併用。ゾメターのせいか、筋肉痛で全身が痛い。歯も悪くないのに痛い。6日目から9日まで立ち上がれないほどの倦怠感。外出は一切せず、家に籠もる。下痢は軽め。抗鬱剤は服用を停止。精神的には立ち直ったみたい。

4クール目は、3日目から軽い下痢。とはいえ、頻繁に下痢。下痢止めの強い薬を飲んでいるが、完全にはコントロールできていない。

今までの経験では、投与から10日間程度は辛い。外出を控える必要がある日も数日ある。後の10日程度は比較的元気に過せるが、運動は元のようには行かない。というのも、赤血球が激減しているため、直ぐに息が上がってしまう。階段の登りが辛い。山登りなど、夢のまた夢のよう。1年前までの体力とは全く異なる。一年前なら百名山級も登ったのだが、今では家の前の坂道でさえやっとだから、他人が登っているのをTVで見るのもシンドイ感じ。白血球も7日目から14日まで激減するため、感染症にかかりやすい。主治医は満員電車には乗るな、と言う。東京で通勤はこれでは無理。

とはいえ、治療を何もせずでは、余命は1年程度かもしれないと思うため、治療を苦に思うことはなくなった。また元気な日には生きていることを実感できるため、人生を短く太く生きているような気分。仕事は休業中で、そのうち失業してしまうため、医療費が不安なのと、万一長生きしたら(そんなことはないのだが)どうなるのか、という一抹の不安がある。

ホルモン療法をやっているときは、水泳教室で激しく泳いでいると癌患者だということを忘れられたが、今では無理なので、癌のことはお能を見たり、映画を見たり本を読んだりして時々忘れることにしている。とはいえ、お金がかかること(例えば、能)はだんだんとしにくくなっている。

外見が大きく変化し、髪はなくなり、表情も乏しくなり、一見して癌患者風になったような気がしている。自分に対する自信がなくなりつつあるような気もしている。電車に乗ると、いじめられそうな気がして怖いことがある。弱気になっているような。

2011年10月6日木曜日

久留米大病院での治療1クール目ワクチン投与1回目

久留米大病院でのペプチドワクチンの治療に応募したところ、なんとか基準にひっかかったようで、治療可能との連絡を受けたため、1回目のワクチン投与に久留米まで行ってきた。日帰りも可能だけれど、体調次第ではきついかなと思ったのと、天候で飛行機が飛ばないリスク、安いチケットだと変更が効かない、等々も考え、余裕をもって出かけてきた。ついでに、博多の名所巡りもしたが、殆どの名所旧跡へは行ったことがあるので、次回以降は行く場所がなくなりそう。

ワクチンの注射は4箇所。とても痛いです、と言われたので、覚悟したが、本当に痛かった。普通注射で痛いと思うことはないのだけれど。

注射後は特に腫れもなく、風呂も普通に入ることが出来、痛みもない。痕も特に目立たない。

効果については、1割程度の人に効く可能性があるとのことなので、何とかその1割に入りたいと思うが、どうだろう。右足のふとともに打ちました。

保険が効くと良いのだけれど。交通費を合わせると、1回のワクチン投与が11万円以上になってしまう。これを1クール8回繰り返す予定。もし効果があればもう1クール8回投与することになる。命には代えられないものの、効かなかったときには、経済的な痛みが大きいなあと実感。

箱崎宮の花園をお参りのついでに見学しました。箱崎宮は初めて。16世紀に大内氏が建てた本殿と拝殿があり、立派。国宝ではなく、重要文化財。福岡には16世紀の建物が結構あるせいなのか。立派な参道の先は海で、砂浜が残されており、例の山笠の時の禊をわざわざここまで来てするらしい。花園は彼岸花の真っ盛りで、白と赤と黄の彼岸花が咲き誇っていました。


2011年9月30日金曜日

苦しい副作用の3クール目

3クール目は、ゾメターが追加となった。台風が関東に来た日に治療。早く帰らないと電車がなくなるので、気が気でない。手際の悪い病院なので、看護士は皆暇にしているのに点滴の用意がなかなかできず、焦る。

2時にとにかく点滴を終え、急いで帰ろうとするが、乗った電車は途中で運転打ち切りとのアナウンス。たまたま打ち切りの駅が自宅の最寄り駅だったので、なんとかセーフだったが、ちょっと遅かったら、帰宅困難者になった筈。

投薬6日目から8日目まできつい副作用が出て、手足が若干しびれ、悪心、節々が痛む。歯にも影響があるような感じで痛い。味覚障害等で、歩行も困難。結局何もできず、外出もせず、家で寝ていた。ここまでひどいのは初めて。その代わりいつも悩まされていたひどい下痢は今回はなく、軽い下痢で済んだ。下痢止めを出してもらったが、結局使わず。

抗鬱剤も、もう大丈夫と思うので、医者に相談し、服用を止めた。止めても問題はなさそうだ。

3日間、買物もままならないので、家にある買い置きで対応。冷凍したもの、買い置きの缶詰など、整理になって良かったかも。

味覚障害がきつくなり、味が殆ど分からない。苦味ばかりが感じられ、他の塩味、甘み、うまみ、辛味、酸味のバランスが崩れ、何を食べても上手く感じられない。唯一、トマトソースと、カレーは大丈夫で、影響がないようだ。

3クール目で副作用がきつく感じたのは、ゾメターを追加したせいなのか、累積した抗癌剤のせいなのか。どっちだろう。4クール目以降、この3日間は注意しよう。

2011年9月17日土曜日

久留米大にペプチドワクチンの可能性を試しに行く

タキソテールの効き目は半年程度との予測をK大病院の医師にされているため、何とか他の新しい治療法も探したいと考えていたが、残された選択肢は、久留米大のペプチドワクチンと丸山ワクチン程度。どちらも保険適用ではない。久留米大のペプチドワクチンは誰でも自由診療(保険外診療)として受けられるが、遠く、時間がかかるので躊躇していた。しかし、今となってはそうも言っておられず、受診して来た。

まだ受診可能かどうかは分からない(白血球の型に制限があるため)。検査費用も交通費も保険適用外なので、かなりの負担。また受診にどのくらいの時間がかかるかも分からなかったので、余裕を見て、太宰府天満宮へのお参りも兼ねて(とはいえ、大学受験をするわけではないのだけれど)久留米へ行って来た。

久留米の町と、久留米大については、関東者なので、知識は皆無。ブリジストンで有名な有馬氏の城下町、絣で有名な町という程度。行って見たら、大都市でした。産業の町。鳥栖、小郡と一体化しており、一大産業都市。浜松とか、太田のような町かな。

大学病院も、立派で、大きくて、びっくり。患者やバスの中の市民は皆ほとんどが福岡弁らしき言葉を話すので、どぎまぎしたけれど、病院は受付から看護士、医師の全員が標準語でした(当然のことながら)。

交通費が5万円近く、検査費用も8万円ほどで、痛いが、命には代えられず。

2011年9月6日火曜日

ドセタキセル(タキソテール)副作用

2クール目を経験して、タキソテールの副作用のパターンがだんだんと分かってきた。勿論個人差が多いそうなので、僕に関してはこうだったということになるけれど。

投与した日を1日目として、7日目あたりから12日目頃まで、白血球が激減する。骨髄抑制の効果らしく、リンパ球も赤血球も減る。このため、細菌、ウィルスに感染しやすく、治りにくいため、風邪であっても重篤になりやすい。しかし、この間は、体調上の不快感などの実感はない。生活実感は普通。

逆に、生活上影響が大きいのが、投与直ぐに表れる、味覚障害と胃腸障害。味覚障害は直ぐに現れ、7日目頃まで続く。食欲はあるけれど、何を食べても苦く感じる。味雷の神経が影響を受けるせいなんだろうか。渋み、苦味を感じる神経は生きているのに、他の甘み、塩味、辛味、旨みを感じる神経が死んだような感じがする。料理をする気にならなくなる。味が分からないから、味付けが出来ない。胃腸障害は、3日目頃から6日目まで続き、ひどい下痢になった。吐き気はしない(人によっては吐き気が出るらしい)。これが一番辛かった。食べて30分から1時間後に下痢になった。毎食後、下痢。脱水症状も伴う。

不安感が胃腸障害と同じ日程で出た。鬱の症状で、人間関係に影響が出る。何もかも嫌になる。前向きに物事を捉えられず、引きこもりがちになり、僻みっぽくなる。胃腸障害の影響なのか、直接の影響なのかは不明。このため、抗鬱剤を飲んでいる。だから、抗鬱剤の副作用で、眠くなり、ぼうっとしてしまい、運転は禁止。

ということから、投与後、3日目から6日頃までは会社勤めには向かない。下痢なので電車などは要注意だ。その後の週は、マスクをする、手を常に洗う、うがいをする、消毒をする、など自己防衛をすれば会社勤めは出来そうな気がする。但し、白血球の減少中は満員電車に乗ってはいけないとの医師の指示なので、時差出勤が必要になる。3週間目は普通に暮らせる。

2011年8月31日水曜日

ドセタキセル(タキソテール)投与2クール目

今日は、タキソテールの2クール目。10時40分頃に病院へ行き、血液検査に並び、その後神経科へ行き、引き続きの抗鬱剤(リフレックス)を貰い、昼食を院内で食べ、泌尿器科へ12時半に行くと、病室で投与するので病室へ行くように指示される。

病室では、相変わらずの主治医が突然今日はゾメターはやらないと言い出すが、説明する気がなさそうなので、次回聞くことにする。この人はまるで患者の意思や意見に耳を傾けない。一方的に発言をして終わり。困ったので、看護士に血液検査の結果を貰い、次回(9月9日に血液検査で来ることになったので、その時に)ゾメターについて聞くことにする。投与すべきだと思うが、何か理由があるんだろうが。そのために、親知らずを2本も抜いたのに。

結局12時半に開始した点滴(水分→吐き気防止剤(ステロイド剤、胃腸薬)→タキソテールの順で、終了は3時。一日仕事になってしまった。

薬局で薬を貰ったら、4時頃でした。

2011年8月23日火曜日

1クールをようやく終了、退院

入院期間が15日にもなってしまった。初日は尿の量の検査。二日目に骨シンチ、MRI。三日目にしてようやく抗癌剤という悠長なもの。

副作用は抗癌剤ドセタキセル投入の初日から激しく、下痢が続く。続いて徐々に味覚障害、胃腸障害、悪心(気持ち悪い)、吐き気(これは大したことなし)、めまい(これも大したことなし)、精神的不安(これが一番問題)に苛まれる。あまりの辛さに、抗鬱剤を処方してもらう。流石に、7日目頃から副作用は緩和された。

問題の骨髄抑制は、6日目に白血球が3,200に低下(普通の人はその2~3倍はあるらしい)、11日目に2,700にまで低下。13日目に3,900に戻った。この間、外出禁止、部屋からも出ないよう勧められ、部屋からでるときはマスク着用、手洗い嗽。

特に自覚症状はないのだが、満員電車に乗るな、人ごみへ行くなとのこと。風邪をうつされやすく、治りにくい、重篤な症状になりやすいらしい。またこの間は、生ものも避けたほうが無難とのこと。食べても大丈夫だが、当たりやすいらしい。

会社に行くのはまず無理ではないか。東京で通勤電車に乗れないと、会社へどうやって行くのか。昼間行けと言っていたが、無理な相談。

結局、最初の1週間は体がだるく、辛く、寝てばかり。次の1週間は体の症状はないが、白血球の大幅減少で行動に制約。

最後の1週のみ、普通の生活ができる感じ。


2011年8月14日日曜日

ドセタキセル(タキソテール)の副作用

主治医によれば、ドセタキセルの激しい副作用、特に骨髄抑制が出るのは、点滴後7~14日頃とのこと。

今の薬は吐き気が抑えられるようになり、以前よりずいぶんと楽になったのだそうだ。それでも、10日にドセタキセルを点滴して、翌日はひどい下痢、その後は収まりつつあるが、4日目もおなかは緩い状態。また翌日から口内が腫れたような、口内炎のような味が感じられないような状態。食欲はあるが。3日目から風邪のような症状で、体中の関節が痛いというか、腫れたような、風邪のとき節々が痛いような状況。また4日目から足の裏が腫れ、歩くのが辛い。きつい靴は全部捨てたが、確かにスニーカー以外の革靴で歩くのは辛そう。体がだるく、階段の上り下りがしんどい。

これらは、ごく軽い副作用らしい。

7日目頃から、骨髄抑制で、白血球、赤血球が大きく減るので、重篤な副作用が現れる可能性があるとのこと。

今回は、6月に親知らずを抜いたため、歯科医師の勧めで、ゾメターは9月から使用するようにとされているため、ゾメターは使用せず。

点滴した薬は、

ドセタキセル150mg
ブラニセトロン 3mg
デカトロン  6.6mg
ガスター   20mg

でした。終わるまで、4時間半かかりました。結構長くかかった。

2011年8月11日木曜日

入院4日目で退屈

入院先の病院は空いていた。理由は不明。お陰で、4人部屋に独り。夜のトイレに気を使うので、ラッキー。話し相手はいないけど、問題なし。本を読み、cd、ラジオを聞き、漫画を読んでいる。若干退屈。オペラも何曲も聴いてしまった。ネットにはオペラ専門のラジオ局が沢山ある。でも近頃はまっている謡曲、能をやる局はない。京劇の局は沢山あったが。能の観客数と京劇では桁が違うのね。きっと。

一日目は小水を溜めるのみ。投薬量を決めるとのこと。二日目はレントゲンのみ。三日目に化学療法開始。何故か、院長、婦長の巡回があった。余程悪いのかな。そりゃ、そうだろうけどね。その夜に下痢。早速の予告通りの副作用。全く寝られないので、明日からは睡眠薬を貰おう。

2011年8月8日月曜日

今日から入院

55歳にして、初めての長期入院。生検は2泊3日だったし、子供の頃の怪我で入院したのも、数日なので、初めての体験だ。生命保険の特約の医療保険の入院医療費が貰える。

ドセタキセルの副作用で9割程度の人は、毛が抜けるとのこと。これを一生(死ぬまで)続けるのか、と思うと辛い。薬が効かなくなれば使わなくなるが、それはもう生きていないだろうということでもあり、困ったものだ。

生ものが食べられなくなるようなので、最後の夕食は手巻き寿司にした。刺身が食べられなくなるのは辛いだろうか。多分生牡蠣が食べられないのが辛いだろうな。三陸の牡蠣復興ファンドに小額寄付したので、数年後に生牡蠣を若干個貰えるはずなのだけれど、生きているか、食べられるか。

髪が抜ける前に家族写真を撮ったら、とのある方のお勧めに従い、近所の写真館で記念写真を撮った。六つ切り1枚で1万5千円+税金。高いような、そうでもないような。仕上がりは見ていない。退院後取りに行く予定。1枚の写真のために、5枚程度取ったのだろうか。もっとかな。見合い写真程度しか需要がないようで、布張りの立派な台紙に張ってくれるようだ。台紙は要らないのだけれど、セットなので仕方がない。

母親が入居する予定の有料介護付老人ホームを見学に行く。車で10分程度。電車でも同じ。駅前に何もない新開地でびっくり。隣の駅はすごく開けた町なのに、エアポケットのような郊外の造成地だった。退屈しそう。母親は満足するのだろうか。しないだろうなあ。

2011年8月5日金曜日

発病、告知から12ヶ月目で、抗癌剤治療で入院

来週から、2週間程度入院して抗癌剤治療を受けることになった。心配なのは、いつまでドセタキセルが効くのか(効かなくなったら、後は緩和治療、死を待つだけ)、副作用がどの程度なのか、の二点。あまり良い話はないようなので、考えないようにしているが、NHK Eテレの健康番組などを見ていると、ついつい自分のことを考えてしまい、落ち込む。明るく生きるには、見ない、聞かないが良いかな。

母親は姉の奮闘で、実家ではなく、南関東の、われわれ子供たちが住む町の民間の老人介護施設に入居することになった。介護保険の認定が受けられる見込みなので、多少の補助が出るのだろうが、入居の一時金が数百万かかる。その立替を姉がすることになったが、毎月の年金では月々の負担は足らないので、貯金を取り崩していくことになりそう。とはいえ、一人暮らしでは不安なので、良かったかもしれない。リハビリの成果か、歩けるし、障害はあまりなさそうに見える。医師は、但し入院治療で改善された訳ではなく、いつ脳梗塞が再発してもおかしくなく、その時は死ぬだろうとのきつい宣告。

会社からは全ての私物を持ち帰り、いつ辞めても良いように整理して来た。短い人生をどう有意義に使うかの選択肢の中では、会社勤めは低い順位になりそうだ。問題は、治療費。会社の保険が使えなくなると、治療費が月々相当高額なので、厳しい。

2011年7月17日日曜日

悪いことは重なる

不幸は、同時に起こるものらしい。金曜の朝、実家の町の救急病院の医師 から電話があり、母親が脳梗塞で倒れ、入院したとのこと。直ぐに家に戻り、姉と車で(電車の方が早く着くのだが、現地で身動きが出来ないので)駆けつけたが、ICUに入院していた。脳外科の主治医によれば、水分不足等で、血栓が首の静脈に詰まり、右の小脳の一部が死んでいるとのこと。MRIの画像を見ながら説明を受ける。左脳は生きているので、運動障害や言語障害はないが、小脳は平衡感覚を司る能で、恐らく正しくは歩けないし、歩けても直ぐに転び、そうなると寝たきりになる可能性が高いとのこと。退院後、一人暮らしは無理で、施設に入るべきとの診断。またボケの症状が出ているとのこと。また、入院していても、再発の恐れはあり、最悪の場合は、死亡、手術をしても合併症で植物化のリスクも高いとの説明を受ける。誰にもそのリスクを説明するのだ、とのことで、万一の場合の手術の承諾も求められた。

83歳の老人の一人暮らしのリスクが出てしまった。金曜は特に暑かったので、電話しようと思ったのだが、恐らくはいつものように固定にも携帯にも出ないだろうし、最近掃除のため家に戻っても、口をきかないから、連絡のないのは良い便りと思ったのが間違いだった。

老人は冷房をしたがらないこと、昼間に水を飲んでも、夜寝ている間に水分補給が出来ないため、朝方脳梗塞になりやすいらしい。彼女も朝起きて、めまいで立てず、救急車を呼んだという。電話が掛けられたのは幸いだったが、前日に注意するように電話をしていればと悔やまれる。

姉は僕が面倒を見るべきと思っているので、僕の癌のこともあり、二重に病人を背負ったためか、口をきこうとしない。ICUは、面会時間も1時間だけで、実家に泊まるのも嫌だったので、直ぐに帰宅したが、姉と僕とは見舞いには一緒に行くのは当分避けようということになった。一緒に行くより、二人で別々に通った方が頻繁に行けること、二人の関係が非常に気まずいので、単独の方が気楽なことから、当分は別に実家に行くことにした。しかし、交通費だけで一回1万円以上かかるし、時間も片道3時間程度かかるので、これから大変だ。僕の入院中、入院後は帰省できないだろうし。

重病人が二人一軒の家に暮らすのは可能なのだろうか。気も会わない、相手に合わせる気もない人と暮らすのは大変だ。彼女は料理はしないし(できないだろうし)、外出されるのは困る。恐らく常時監視していないといけないのだろうが、それは可能なんだろうか。ストレスで癌が悪化することだけは間違いないような気がするのだが。