ページビューの合計

2012年8月28日火曜日

年金事務所に行く

以前、このブログで、匿名の方に、末期がん患者で働けない場合には、厚生障害年金の3級に認定される可能性があると教えて頂いたので、図書館で本を借りて勉強してみたら、その通りだった。国民障害年金は要件が厳しく、2級以上でないと受給の対象とならないが、厚生障害年金は3級まであって、3級には末期がんで働けない場合も認定される可能性がある、と書いてあった。

7月上旬に、痛み、麻痺で殆ど歩くのが困難だったけれど、ネットで調べて、家の近くの年金事務所まで、とぼとぼと歩いて出向き、手続きについて聞いたところ、受給対象になるかどうかの判断は申請後医師が行うこと、却下される場合も多いこと(人工肛門など、明らかに働けない場合には対象になるが、末期がんというだけでは個別の判断となるらしい)、申請から結論が出るまで3ヶ月かかること、却下の場合には異議申し立ても手続き上可能であること、など色々親切に教えてもらった。

年金事務所は、数年前父親の相続の際にとても不親切だったのと、年金を調べに事務所まで出かけた人たちに聞いた評判があまりにも悪いのとで、恐らくは不愉快な一日になることを覚悟して行ったのだけれど、たまたまなのか、行った事務所は空いていて、対応者もとても親切だった。

一番肝心な書類は、主治医の診断書である。

主治医に、所定の申請書類に病状を書いてくれるように、7月中旬にお願いに行って、約3週間後、書類が自宅に送られて来た。開封して読んでみると、私の病状は、フルタイムで働くのに全く問題がないかのような診断書になっていた。「抗がん剤の目立った副作用なし」とある。6クール目までなら、自宅勤務なら、働けたかもしれない。1クール目から下痢が激しく、家の外で何度か失禁したこともあり、外出にはものすごく気を使っていたので、通勤できる状態ではなかった。また10クール目あたりから腰痛が出るようになり、歩行障害、麻痺もあった。客観的に見て、私の場合は、毎日混雑する通勤電車で1時間半かけて都心の事務所へ通い、フルタイムで働けたとは思えないのだが、診断書はそうなっていないので少々びっくりした。副作用は主治医も見ていたはずで、薬も出してもらい、検査も色々やった筈だけれど、医師と患者とで、感じ方がずいぶんと異なるものだと思う。

診断書の予後の欄に、「余命は数ヶ月」と書かれていたのには、一番びっくりした。使っている薬(ドセタキセル)が効いていないからなんだろうけれど、何だか釈然としない。

これを持って、年金事務所に申請に行ったのだが、書類は受理されなかった。全ての書類は揃っていたのだけれど、主治医の診断書に、一箇所だけ訂正印なしに数値を変えたところがあり、受理できないとのこと。重要なところではなく、どうでも良さそうな箇所だったが、絶対にだめとのこと。歩くのが少々辛い体だったけれど、再び主治医の病院へ行き、訂正印を頼む。診察開始の時間なのに、主治医はおろか、看護士もまだ出勤していないとのことで、窓口に提出をお願いをしてきたが、大丈夫かな。

却下確実な診断書を何度も主治医に頼むという、少々情けない事態。

さるすべりの並木道。



2012年8月25日土曜日

お詫び

匿名さん せっかくのコメントでしたが、誠に申し訳ありませんが、削除させていただきました。

私の投稿が、少々言い過ぎだったかもしれず、反省しております。

ご理解下さい。

2012年8月23日木曜日

アビラテロンの治験開始

ようやくアビラテロンの治験が始まった。

6月にタキソテールの治療を中止して、8月上旬のスクリーニングに備えた。スクリーニングの4週間前には全ての前立腺癌の治療を止めておく必要がある。全ての治療を中止してしまうと、当然ながら、癌が憎悪する。PSAも上昇する。PSAは8月上旬には、72まで上昇していた。もっと上がっているかと思ったけど、なんとか二桁どまりだった。

この間辛かったのが、大腿骨に転移した癌の憎悪が原因と思われる、神経の痛みと足の痛み、麻痺だった。(前の主治医の病院では、癌ではなくヘルニアが痛みの原因と診断されてしまったけれど。)

左大腿骨に癌が転移していたので、麻痺が出たり、痛むのは専ら左の腰と足だったのだけれど、6月以降は、尾骶骨のあたりが強く痛みだし、7月末には、一日中痛さでうなるほどの状態になってしまった。ネットで調べると丁度坐骨神経痛のような症状で、とにかく痛い。8月には、寝込む日が多くなり、病院でもらった痛み止めだけでは痛みが治まらなかったので、病院の許可を得て、市販の痛み止めも買って、なんとか我慢したけれど、そのうちに右大腿骨への転移が悪化したのか、右の腰や足も痛むようになり、歩くのに不自由する状況になった。

暑かったこともあり、地獄のような日々だったが、治験開始でようやく一安心というところ。

治験の説明書によれば、アビラテロンは、アンドロゲンと呼ばれる男性ホルモンの生成を阻害する薬で、精巣や副腎にあるアンドロゲンを合成するCYP17というタンパク質の働きを阻害することで、アンドロゲンの合成を阻害するとのこと。既にアメリカや欧州32カ国でドセタキセルを含む化学療法既治療の転移性去勢抵抗性前立腺癌の治療薬として承認されていて、ZYTIGAという商品名で販売されている。

え、そうだったの。何で日本だけ承認されていないの、と思う。イレッサ訴訟や幾多の薬害訴訟もあり、厚生労働省が新しい薬の承認には慎重になっている、法的に正しい手続きを踏んでいるという見方もあるかもしれないけれど、一方で、これで救われる、或いは延命できる命のあることも考えると、単なる官僚機構の権限行使を目的とした承認の遅延か、または医療費抑制のための意図的な遅延なんじゃないの、と疑いたくなる。

医療費抑制が目的ならば、保険適応外で使用だけ許可すれば、自由診療の病院で、治療できれば良いという考え方もあると思うのだが、日本では混合診療は禁止されているから、結局は使えないだろう。

前立腺癌は患者組織が弱いそうなので、他の癌のような、役所へ早期承認のための圧力をかける患者組織が不在なことも、遅延の一因なのだろうか。

ドセタキセルは効かなくなったので、この治験に参加できなければ、ドセタキセルのきつい副作用に耐えながら、あまり効かないと分かっている化学療法で体をぼろぼろにしつつ、緩慢に最期を迎えることになっただろう。その時期が延びたので、とっても有りがたい。あとはいつまでこの薬が効くかどうかだ。




2012年8月13日月曜日

不思議な経験

人は死ぬ直前、走馬灯のように人生の場面場面が脳裏に浮かぶ、という。もっとも、誰もそんな経験は出来ないので、都市伝説かもしれない。

私は、子供から高校あたりまでの記憶が殆どない。通った学校の名前は覚えているが、担任の先生の名前とか、同級生の名前など、まるで覚えていない。高校の同窓会には入っているので、会報は毎年もらっているが、読んでいて懐かしさを覚えたことがない。生まれた町への郷愁も全くない。記憶がないのは、初期のアルツハイマーなのか、なんだろう、と思っていたが、あるきっかけで、高校自体のことを次から次へと思い出すことになり、無理やり忘れようとしていたのかもしれないと思うに至った。

昨日、家の近所で開かれた音楽会へ出かけた。痛み止めを大量に飲んでいるため、何とか外出は出来るが、痛みは完全になくなった訳ではない。大腿骨に転移した癌が神経を圧迫しているのが痛みの原因と思われるため、足が麻痺しており、上手く歩けない。階段の登り降りが難行で、エレベーターを専ら使っている。エスカレーターは動く速度が歩く早さよりも早過ぎるため、怖い。ということで、家から5分のところにあるコンサート会場へ、20分以上かけてよろよろとぼとぼ歩いていった。

演奏会での曲目の一つ、ショスタコービッチの交響曲5番が始まると、唐突に頭がぐるぐると回転し出し、高校時代のいろいろなことが突如思い出されてきた。高校に音楽部を作ったこと、人が集まらず大失敗だったこと、学校が遠くて通学が大変だったこと、一部のクラスメートと仲たがいし口をきかなくなったこと、成績が下がり続けたこと、教室のストーブ(石炭ストーブだった)を囲んで暖を取っていたこと、高校では紛争があり大変だったこと、高崎まで毎月音楽会に通い、帰りが遅くなったことなど、ランダムに、曲とともに思い出されて来た。そういえば、この曲を聞くのは、高校以来だったような。

どうも高校時代の色々な記憶とこの曲が不可分の関係にあるらしく、聞くと反射的に様々なことが思い出されるようだ。思い出の引き出しの鍵が、この曲になっているらしい。

実は高校時代はあまりいい思い出はない。進学校で、男子校で、楽しい学校ではなかった。友達と最近会うことは殆どない。年賀状のやり取り程度。同級生の殆どは郷里の町に住んでいるから、偶然に出会う機会もあまりない。

何故か、封印していた思い出が、曲とともに開封されてしまったようだ。それこそ走馬灯のように、次から次へと思い出される。変な経験。演奏はとても良く、大成功の演奏会だったのだけれども、もうこの曲を聴きに出かけることはもう多分ないだろうな、と思った次第。

もしかして、中学校や小学校についても、何かの曲を聞くと、色々思い出せるのだろうか。思い出したくはないけれど。




2012年8月3日金曜日

激痛に悶える日々

新たな前立腺癌の薬の治験を受けるための条件として、全ての治療を1ヶ月前に止めるというのがある。このため、6月でドセタキセルは中止した。ステロイド剤のプレドニゾロン等の飲み薬も全て中止した。

主治医に、次回のドセタキセル投与中止を申し出ると、やっかいな患者がいなくなるので、喜んでいたような感じだったが、いつ治験を中止されるか分からないから(もしPSAが上昇すると、治験は中止になる)、治験薬が効かなくなったら再び標準治療のためにお世話になる可能製もあるので、よろしくお願いしますと言うと、主治医はとても困惑した様子だった。

新たな診断書の作成もついでに頼んだのだが、主治医が郵送してきた書類には、予後の欄に、「余命は数ヶ月」と書いてあった。少々ショック。いくらなんでも、数ヶ月はないだろう。彼にとってはドセタキセルが効かなくなった患者の余命としては、率直なところなんだろうか。だから、せっかく他所の病院で引き受けてくれたのだから、帰って来て欲しくないんだろうか。

全ての治療を中止すると、当然ながら癌が憎悪してくる。前立腺癌の憎悪の速度は遅いとはいえ、私の場合、大腿骨に転移した部分が憎悪しているので、ここが悪化すると、神経を圧迫して痛みを生じる可能性があった。

それが直接の原因かどうかはまだ分からないのだけれど、2週間前から、強い筋肉痛と、尾骶骨周りが強く痛み出した。尾骶骨周りの痛みは鈍く、連続していて、昼も夜もなく続き、特に夜は痛みで寝られない。痛みは段々と強くなり、一番ひどいときには、一日中、痛さに涙が出る程で、何も出来ず、考えることも出来ず、歩けず、買物も料理も出来ず、唯一出来ることと言えば、トイレに行くことくらい。TVでさえ、ぼんやりとしか見ていられない。本などを読むのも無理で、インフルエンザで高熱が出た際、うなされて何も出来ない、あの辛い状態に近い。

治験先に頼んで痛み止めを貰うが、あまり効かなかったので、許可を得て、痛み止めを処方よりも増量して飲んでいる。痛い、痛いと唸る日々が続く。あまりの事態に、家族と知人にSOSを出し、知人には買物と掃除をお願いし、料理も作ってもらった。家族には差し入れをお願いした。これで食料品を買いに出る必要がなくなったので一安心なのだが、痛みは中々収まらない。

これがづっと続くのならば、長生きはしたくないと思った。調べると、骨に転移した癌の痛みはそれはそれはすごいものらしく、病院のベッドのカーテンを患者が苦痛で引き裂いた程などと書いてある資料もある。まだそこまでの痛みではないと思うけれど、寝られない痛みが2週間も続くと、体力も落ち、気力もなくなる。考えることも出来なくなった。

ただ、痛みというのは、段々と慣れるのか、2週間たった今では、夜は多少寝られるようになり、外出も近所ならば歩けるようになった。

もし、治験が受けられないとなると、残された選択肢は、効かないのを承知で、ドセタキセルの投与を続ける(PSAは上昇し、いずれ骨のがんが痛みだすだろう)か、余命数ヶ月の標準治療は諦め、代替治療を受けるか、あるいは両方を同時に受けるか否か。治療を受ける、選択するには、体力がないと無理で、骨の痛みでほぼ寝たきりの状態では、考えることさえ、出来そうにない。

しかし、がんは痛い。緩和治療で痛みをとらないと、自分の治療の方針さえ、決められません。

2012年7月17日火曜日

タキソテール(ドセタキセル)の副作用

8月上旬に、新しい前立腺癌の薬の治験のスクリーニングを受けられることになった。色々な条件があり、例えば脳に転移があれば治験はだめなど、細かい規定があり、それに合致するかどうか、相当数の検査を受けなければならない。MRIも骨シンチも最近主治医の所で受けたばかりなのだけれども、それは流用できず、治験用に新たに受ける必要がある。

また、スクリーニングの1月前には、他の抗がん剤治療は全て止めていなければならないという条件があるため、ペプチドワクチンは一時中止、ドセタキセルは投与中止をお願いした。ステロイド剤もプレドニゾロンは急に止めると悪影響があるということなので、徐々に減らし止めることになった。一方、ゾメターは直接前立腺癌の治療に関係しないため、続けた方が良いのだそうだ。ややこしい。ドセタキセルは、前回の投与から、治験開始まで2ヶ月近く間があいてしまうので、無治療期間が出てくる。PSAは当然上昇するだろうが、治験薬のメリットの方が大きいと思ったので、気にしないことにした。

ドセタキセル投与から3週間たち、そろそろ副作用が終わる頃かと思って楽しみにしていた。ところが、副作用はひどくなる一方で、筋肉痛、歩行障害、手足の痺れが続いている。頭痛もある。しぶとい薬だ。効いてないのにさ。

がんサポートによると、ドセタキセルの副作用は、以下の3種類とのこと。

 もっとも一般的な副作用
・感染リスクの増加を伴う白血球の減少
・出血リスクの増加を伴う血小板の減少
・髪が薄くなるまたは抜ける
・足首や手のむくみ
・下痢
・食欲不振
・悪心・嘔吐
・発疹
・末梢神経の炎症またはダメージによる手足のしびれ及びうずき


それほど一般的でない副作用
・口や唇のただれ
・水分貯留による体重増加
・疲労
・筋肉痛
・間質性肺炎

まれな副作用
・深刻なアレルギー反応
・手足の赤み、腫れ及び痛み


クール毎の差、個人差が大きいので、あくまで私個人の経験ということになる。私の経験した、今も経験している副作用は以下のとおり。太字は私にとって、とっても深刻なもの。

白血球の減少→クール毎に見られた。ひどい感染症には今のところなっていない。
血小板の減少→徐々に影響が出て、内出血をしやすくなった。正座をすると、膝が内出血であざだらけ。肘を足につく(考える人のようなポーズ)と、足が内出血で赤くなる、など。
髪が抜ける→全身のあらゆる髪が抜けた。睫毛が抜けたため、目にゴミが入りやすく、毛穴がないため、油が溜まりやすい。
・手首や手のむくみ→それほどでない。

下痢→ひどい。投与後1~2週間続く。体重が5キロ程度落ちる、トイレから離れられない(外出できない)。
・食欲不振→経験していない。体重が落ちたら、その後沢山食べて戻している。
悪心・嘔吐→悪心はひどい。いつも気持ちが悪い。でも段々慣れた。嘔吐は、吐き気止めが効いているようだ。
・発疹→経験していない。
手足のしびれ及びうずき→歩行障害になるくらい痺れている。指先は細かい作業が出来ない。ボタンがはめられない。靴の紐を結べない、物を良く落とす、小銭を財布からだせない、スマホを上手く使えない、など。

・口や唇のただれ→経験していない。
・体重増加→経験していない。むしろ減少。
疲労→ひどい。いまもって階段を登れない。少し歩くと息切れがする。運動をした後は寝込む。50代後半だが、70代の感覚。
筋肉痛→徐々にひどくなった。このごろは、極度の疲労と筋肉痛が一緒にやって来て、一日二日寝込み、痛みで泣き喚きたくなる程に辛くて痛い。徐々に収まるが。
・肺炎→経験していない。

・アレルギー反応→経験していない。
・手足の腫れ及び痛み→痺れてはいるが、痛くはない。

がんサポートには書かれていないが、大変困った副作用としては、
爪が薄くなる、欠ける、剥がれる(冷却法で緩和された)
目や鼻や顔の脂分が固まる。目や顔ににきびが出来る、目脂で目が開かなくなる、目が目脂で炎症を起こす
味覚障害
・鼻の鼻腔の毛も抜けるため、鼻が炎症を起こしやすい、常に鼻水が出て止まらない
・咽喉の粘膜が再生されないため、咽喉が炎症を起こしやすい、咽喉が痛い
重い耳鳴り、難聴
指紋がなくなり、ものを落としやすくなる。

耳鳴りは初めての経験で、最初はびっくりした。今は慣れたが、当初は寝られなかった。


ご近所マンションの提供緑地に咲く、アガパンサス。ちょっとスカスカしている。


膝の青痣(内出血)









2012年7月12日木曜日

初診、治療開始から1年11ヶ月

なんだかんだで、初診、生検、治療開始から1年11ヶ月がたった。

文句ばっかり言っているけれど、初診ですぐに前立腺癌と見抜いてくれ、あっという間に治療を開始してくれた今の主治医には感謝している。あそこであの人に出会わなければ、どうなっていただろうか。病院に行ったきっかけは、ひどい腰痛で、整形外科ではヘルニアと診断されたし、確かに、きつい痛みは今もあるので、もしあの日に泌尿器科にも回らなければ、前立腺癌の発見と治療開始が大幅に遅れた可能性が高い。

久留米大は遠かったが、申し込んですぐに治療を受けることができ、費用と時間はとってもかかっているけれど、一応の効果もあった。化学療法、ドセタキセルは中々効いてくれずPSAは大幅に上昇してしまったものの、大腿骨以外への転移が無かったのは、ペプチドワクチンの効果なのだろうか。

もし8月から、某大学病院でアビラテロンの治験に参加できれば、その後の余命はともかくとして、精神的にはとっても良いことなので、とても有り難い。

病気と薬の効果には全く恵まれていないけれど、医者と治療に関しては、比較的恵まれてきたように思う。

当初は、どうして僕だけこんな目に会うのだろうか、と思ったし、ストレスが原因のひとつでもあるので、周囲を恨んだけれど、今では、ま、運命か、と諦めの気持ちになった。恨んでも、後悔しても、泣いても、愚痴をこぼしても、病気が良くなるものでもなし、治療に悪影響があるばかりで、何も良いことはない。ストレス・フリーで、笑って楽しく治療生活を送るのが一番と思う。

後悔があるとすれば、ホルモン療法のうちに、海外旅行をしておきたかった。今では体力的に絶対に無理。スポーツは散々やったので、あまり後悔はない。久留米にももっと早期に行くべきだった。

自宅療養をしているので、本を沢山読めるかと思ったが、具合が悪い時に本は読めなかった。勉強も無理。寝ているばかり。TVのお笑い番組か、教育TVあたりが適当。歩けないため、展覧会などは厳しい。行くと、ぐったりしてしまう。80代でなく、50代の体力が欲しい。

体が動かなくなったため、今まで興味があまりなかった体を使う古典芸能(能のこと)に興味が出てきた。身体に障害があると、できないものに興味が湧いてくるのだろうか。


熊本電鉄は、東急玉川線の緑の芋虫みたいな車両を今も使っていて、社内には東急百貨店の広告。熊本なので、東急はないんだが。。



2012年7月10日火曜日

冷却法の効果:爪の剥がれは改善

ドセタキセルは、長く使っていると、骨髄抑制と同じ効果で、つまり癌細胞を殺すだけでなく、どんどん成長する正常細胞も殺してしまう結果、粘膜や、毛や、爪を作る細胞までもが死んでしまうためか、副作用で爪が剥がれてくる。

爪が剥がれると、大変生活に影響する(こればっかりはなってみないとその不便さはわかりませんでした)ので、どうしていたら良いかと思っていたところ、アメリカには、ドセタキセルの投与中に、手足頭を冷やすがん患者向けのキットがあることを知り、アマゾンで買ってみた。しかし、使い勝手は悪かった。30分程度しか冷えない(投与には1時間はかかる)、重く持ち運びが大変である(歩くのが困難なことがあるので、重いものを持って病院に行くのは辛い)、値段が高い(手、足、頭の三点セットで300ドル)、販売店は何故か日本へは送ってくれない。

現在では、このキットに加えて、100円ショップで買った台所用ミトン、毛の靴下、毛の帽子等に、保冷剤を入れたものを使っている。効果は徐々に出つつあるけれど、期待したほどではなかった。しかし爪の剥がれは止まったので、一応効果はあったのだろうと思う。髪の毛は残念ながら生えてこないので、効果はなかったのかもしれない。指先の痺れはまだ残っている状態。



2012年6月29日金曜日

ドセタキセル16クール目

PSAの上昇で他臓器への転移が心配されたため、先日主治医に骨シンチを撮るように言われ、一日がかりで撮影した。その結果を聞くのと、ドセタキセルの投与のため、予約日に病院へ行ったところ、主治医が薬の手配を忘れていたようで、その日の投与はキャンセルになった。おかしな理由を並べていたが、単に忘れていたのだと思う。ドセタキセルは高いのと、有効期限があるので、病院では在庫は持たない方針なんだそうだ。だから翌日以降にならないと、そして薬屋が配達してくれないと投与できないらしい。もし地震が来たら、この病院では助からないかもしれないな、と思った。管理がいいかげんで、薬の在庫もない。閉鎖も噂されているし。

骨シンチの結果は、大腿骨へ転移した癌は憎悪しているが、心配されていた脊髄への転移はなく、他臓器への転移もなかったとのことで、脳への転移も見つからず、安心した。

その日は、ドセタキセルの投与が無くなったため、主治医から、整形外科へ回るように言われ、MRIを撮り、レントゲンを撮る。写真を見ての放射線医と整形外科医の共通の判断としては、私の腰痛、左足の一部麻痺(これが原因で歩行が困難になった)は、がんが原因ではなく、ヘルニアだとのこと。写真を見せてもらうが、脊髄が大きく歪んでいて、神経を圧迫していた。先日「試してガッテン」で見たような写真だった。

がんの発見も、そもそも、極度の腰痛で整形外科に駆け込み、ヘルニアと診断され、ついでに行った泌尿器科でがんが発見されたのだった。ホルモン療法開始で腰痛は止んだので、今回もほんまかいなとも思ったが、間違いないとのこと。整形外科としては、手術をしないと治らない可能性が高いが、ドセタキセルを止めないと手術はできないし、泌尿器科を手術は勧めないとの意見でもあり、当面は様子を見ましょうとのこと。ドセタキセルを止めたら、PSAがどこまで上がるか予想がつかない。QOLを考えると手術はしたいが、まだまだ長生きしたいし、できると思うのでリスクは取りたくない。

主治医からは、痛みの原因がヘルニアなので、放射線治療は不要と宣言される。確かに、原因が明確にヘルニアと診断された以上、主治医の紹介による治療は難しいだろう。少々がっかり。

翌日がドセタキセルの投与日となる。翌々日が主治医としては都合が良かったみたいだが、それだとPSAが上昇しかねない。心配だったので、翌日にしてもらう。薬屋の配達もOKだった。飲み薬が無くなったので、処方を頼んだが、主治医は、私が整形外科の診断を受けているうちに、不在となり、薬の処方を忘れていた。再度がっかり。

翌日、再度病院へ。PSAは41に上昇しており、ドセタキセルもオダインも効いていないことが(予想通りだが)判明。医師はもう手はないとの一点張りで、オダインがだめだから、エストラサイトに戻しましょう、と言う。確かに、最早標準治療で使える薬は残っていない。色々聞きたいことがあったが、話す気力もなくなり、また先方も薬についての知識があまり豊富でない様子でもあり、出直すことにした。

もし某大学病院の治験がだめだったら。代替治療か。他の治験も探さなくては。

知人から、お見舞いに佐藤錦を貰う。また別の人から、花を貰う。今まで一度もこういうことはなかったので、驚いた。相当悪いという噂になっているのだろうな。その通りなんだけどね。


2012年6月25日月曜日

ペプチドワクチンの2クール目終了

久留米大病院で受けているペプチドワクチンは、1クールが8セット(4種類のワクチンをまとめて注射するのが1セット)、2クールも8回注射することになっている。途中で止めるのは自由。

今回2クールの最後まで受けるかどうか、少々悩んだ。前回の投与後、腰痛で歩けなくなった。おそらく原因は、大腿骨に転移している癌の憎悪だろうが、憎悪の要因として、PSAの上昇の他に、久留米までの往復で相当体力的に消耗することも考えられたので、今回は止めようかどうしようか、迷った。ところが直ぐに腰痛も治まったので、当面最後の投与になるかもしれないという思いもあり、出かけることにした。

久留米への往復は、今までは1泊2日の日程だったのを、疲れないように2泊3日に変更した。それでも結構疲れた。最近は、近所の散歩くらいでもかなり疲労感があるから、長時間飛行場までのバス、電車、福岡までの飛行機に座りっぱなしの行程は体に悪いのかもしれない。台風が日本を縦断中だったのも多少影響したかも。

久留米大病院では、ドセタキセルが効かなくなっていることから、積極的に治験に参加することを勧められた。精神的に参っていることを伝えると、先生から「それが普通で、誰でもそうなるものですよ」と慰められた。とはいえ、薬が効かないという事実には心が折れる。

ペプチドの投与は大学病院だから、TVの梅ちゃんせんせいのように、新人の先生がするのだけれど、今回は技術的に難があったのか、4本のうちの1本がまるで体内に入らず、投与直後から、血とともに噴出してしまった。注射をした後、絆創膏のようなものですぐに看護士が血止めをするのだけれど、なかなか止まらない。一応収まったので、会計に行こうとして歩いているうちにズボンが汚れ出した。どうしたんだろうと思い、洗面所で確認すると、血止めが剥がれ、血と白いワクチンが流れ出しており、ズボンが真っ赤になっていた。

慌てて戻り看護士に見てもらう。当然ながら、看護士は何も言わなかったけれど、ズボンの汚れをアルコールで落としてくれた。血まみれのズボンでは確かに不気味。某大学病院の不親切な看護士とはずいぶん違うな、と感心したものの、やはり医師によって注射の上手い下手はあるんだなと思った。

気が動転したため、台風対策で持っていた傘を病院に忘れたことを後で気付いたが、既に久留米駅まで戻っていたため、後の祭。雨に濡れる方が血まみれよりもマシかなと思うことにした。

帰りの福岡空港の展望室からの眺め。台風一過だが、曇り、雨。関東には来ていないピーチ機を写した積もりが、遠すぎた。昔あの展望室で、良く時間潰しをしたことを思いだす。


2012年6月14日木曜日

今日は骨シンチ検査

主治医がPSAの上昇を心配して、骨シンチ検査を再びやることになった。骨シンチは4月に受けたばかり。その時は、大腿骨への転移していた部分が憎悪していたが、他臓器への転移はなかった。もし今回の検査で、脳や、他の臓器への転移が見つかったら大変だ。とっても不安。

駅前の本屋で、アイソトープの注射と、骨シンチの検査の間の長い空き時間(5時間もある)を潰すために、放射線治療についての本を探していたら、流石に病院前の本屋、癌についての本が沢山ある。前立腺癌の本も結構あった。殆どは昔読んだ本だけれど、読んでいなかった読売新聞社の新刊を立ち読みしていたら、ドセタキセル無効になった場合の患者のことにも触れてあり、読まなければよかったかなと後悔した。その場合、緩和治療しか選択がないから、当然ながら、その患者は直ぐに死んでしまったか、がん死を前提に緩和治療に臨んだという記述になっていた。やはり、死を待つだけか。

とはいえ、ぼくは、まだまだ元気だし、歩けるし、食欲もあるし、ということで、くよくよ悩まないことにした。昼食には、健康に悪いフライ物を沢山食べ、いつもは食べないホットケーキに、バターとメープルシロップを沢山掛けてデザートにした。ゲルソン式は今日だけは忘れることにする。

結果は再来週のドセタキセルの投与時に分かると思うけれど、少々不安な毎日。でも楽観しようかと思っている。自分でコントロールできないことは悩むのは辞めた。

日野正平が出ている自転車番組を良く見ている。あのお年で、自転車であの距離を旅するなんて、すごいと思う。ぼくも病気でなければ自転車で東北一周をして見たかったな。昔、旅行で、気仙沼へは良く通ったから、陸前高田も、大船渡も、南三陸町も細かいところまで良く知っている。でも、もう行けないだろうな。だから、TVで、かつて旅した町が出てくるととても嬉しい。


2012年6月7日木曜日

ドセタキセル15クール目。腰痛で歩けない。

ドセタキセルも15クール目になった。あと2ヶ月で告知から2年。化学療法を始めてから1年になる。2年は生きていそうだが、3年、5年目はどうなるだろうか。

実は、直前の週末にひどい腰痛になった。理由は分からないが、ドセタキセルが効かなくなったことから、骨盤に転移した癌が進行しているのだろう。突然痛み出し、土曜と日曜は部屋の中さえ歩けず、トイレに行くのも壁伝いという有り様。リフォームの時、廊下に手摺をつけるかどうかで悩み、結局構造的な問題で諦めたのだが、やっておくべきだった。有ると無しでは全く異なる世界なので。バリアフリーにしたのだけは良かったけれど、手摺も必要だった。寝ていても痛いが、気力がないので、一日中寝て過した。

月曜になると、突然痛みが治まったのが不思議。歩くフォームはぎこちないけれど、ゆっくり歩けば痛みはなく、移動にも問題はない。

ドセタキセルの投与は水曜日。PSAは35に急増していた。痛みから、大幅な上昇を予想はしていたが、35とは。治療開始時に戻ってしまい、言葉も出ない。主治医も慌てていた。何故なら最早効く薬は残っていないのだ。後は、ドセタキセルと併用している飲み薬を変えるだけ。エストラサイトをカソデックスに前回変えたけれど、全く効いていない。それ故の大幅上昇なので、オダインに変えると言う。この薬は前回全く効かなかった。恐らく次回の検査時のPSAはいくつになるのだろうか。3年生存は危うくなりつつあるように思え、病院内を歩いていて、お先真っ暗で、めまいがしてきた。来年はもう此処には来れないのかもしれない。帰宅後の夜は、目が冴えて全く寝られなかった。覚悟を決めないといけないのだろうか。

治験にもし参加できなければ、来年で人生に幕となる可能性が増してきているようだ。

主治医に腰痛の件を話し、放射線による緩和治療の希望を話すと、どうぞと言う。今までは放射線については乗り気でなかったが、全く手がないのだから、彼も宗旨替えのようだ。とはいえ、どこも紹介してくれないので、自分で探すことになる。有明の専門医がネットでヒットしたので、後で研究してみよう。治験をお願いしている大学病院は、そもそも治験のみとの話なので、無理だろう。医者に会うだけで2ヶ月かかる病院である。近所の病院にも伝手はない。また治験の条件には、「放射線治療の経験がないこと」というのが結構あるようだ。7月には治験の医師と会うので聞いてみる機会はあるが、それまでに痛みが再発した場合、放射線治療を延期すべきか、開始していいものか、悩む。

とはいえ、PSAだけじゃない、と自ら言い聞かせる。PSAが高くても生きている人は大勢いる。転移がどうなるかだろう。脳へ転移すれば、PSAが低くても、生存は厳しい。

隣のマンションの公開緑地がとってもきれいだ。毎日庭師が入っている。それで管理費は特に高くないようなので、驚異。



2012年5月22日火曜日

歯の治療をする

ゾメターを使っていると歯科治療は全くできないのかと思っていた。定期的に通っている歯科大の病院で、メンテナンスのために見てもらったところ、右奥歯に小さな虫歯が出来ているとのこと。ゾメターを使っているので、治療で上顎壊死の可能性がある、と話すと、先方も当然了解しており、ごく小さいので、大丈夫とのこと。おっかなびっくりだったが、早いうちが良いだろうと覚悟を決め、治療してもらう。

削り出すと、先生、「あれ、結構奥深くまで入っている」との恐ろしいお告げ。しかし、痛みなく、神経にも触らず、大きな歯である奥歯だったが良かったのか(磨きにくい奥歯だから虫歯になったのでもあるけれど)、痛みなく、30分で治療終了。その後も何ともないので、大丈夫だったようだ。

奥深くまで達していたらどうなるのだろう。ゾメターを一時中断しないと治療できないのか、と尋ねると、「ゾメターは骨にくっつくので、薬が消えるわけではないから、止めてもだめだろう」とのこと。骨粗しょう症治療にも使われる薬なので、歯科医としてはゾメターについては慎重になるようだ。

他の副作用として、咽喉が痛み出した。風邪かと思ったが、熱は出ず、他の症状も出ないので、典型的な副作用が出たらしい。味雷細胞が壊れ、味覚障害の出ている舌と同様、咽喉の表面の細胞組織が破壊されていることから痛むのだろうか。それはばい菌やウィルスに感染しやすいということでもあるので、要注意だ。外出時は殆どマスクをしているが、大丈夫だろうか。

瞼が腫れたので、これまた眼科へ行くと、目の汗腺から出る油が固まって詰まって炎症を起こしているとのこと。「切開してうみを出すと直ぐ治るよ」と告げられたが、白血球も血小板も大幅に減っているし、自己治癒能力があまりないので、切開は断る。代わりに薬を出してもらう。ステロイド剤の塗る目薬を処方され、塗ると目の腫れ、赤みは直ぐに取れた。但し、この薬は長期使用禁止と書いてあった。危ない薬のようだ。プレドニゾロンと同じステロイド剤。


どうも体内の油が固まっているようで、顔にもにきびのような吹き出物が沢山出来る。眼科の先生のよれば、対策としては、「石鹸による目の回り、顔の洗顔」「蒸しタオルで暖め、油を流動化させる」などが有効だそうだ。

体中の毛が無くなったが、睫、眉毛、鼻毛など、ばい菌やゴミが体内へ入り込むのを防いでいるものがないから、目、鼻、咽喉が痛む。これに加えて白血球が大幅減少では、感染しやすいのも当然と思う。


2012年5月17日木曜日

ドセタキセル14クール目、PSAは大幅上昇。がっくりくる。

14クール目を迎えた。ある程度は効き目を見せてくれたドセタキセルも、等々という感じなのか、力尽きたのか、PSAは10を最低値としたまま、今回は22に上昇。発病時、ホルモン剤の開始時が30だったので、あと2クールもしたら、30を超えてしまうかもしれない。この何ともやり切れない状況に、困惑し、がっかりし、疲れた。悲しいと、いうのが本当の気持ちか。

以前、K大病院の先生が、あなたの症状ではドセタキセルが効いても半年程度だろう、と予言し、やはりそうなんだろうか、と思ったことがあったが、それよりは若干長かったが(ペプチドワクチンの効力もあるのかもしれない)、1年経たないのに、効かないことはほぼ確実になってきた。

これからは、可能ならば、治験薬をつないで、生き延び、それも無効になったら、ある程度ドセタキセルも休薬できれば体調も回復するので、再度ドセタキセルを使い、徐々に他の臓器へ転移し、緩和治療を受けながら死ぬまで、数年程度の時間を稼げるかもしれない。それでも、長くて何年かだろう。早ければ来年にはだめかもしれない。10年もドセタキセルで生きられたならば良いかな、という甘い期待は全く手に届かない願望ということになった。

主治医は、併用しているホルモン剤を、女性ホルモン剤のエストラサイトから、カソデックスに変えた。カソデックスは副作用は比較的少ない。エストラサイトのような女性化(乳房が膨らむなど)は無かった記憶がある。これもあまり効果があるとは思えないが、とにかく他に手は無いので、併用する薬をできるだけ変えて行きましょうとのこと。加えて、いつものゾラデックス(90日分)を注射した(この薬がとても高い)。

当日はがっくり落ち込んだが、今は何とか回復し、PSAだけじゃないし、まだまだ外出できる程度には体は動くし、副作用は別にしても、癌そのものは全く痛くもないし、と前向きに考えることにした。落ち込むのも早いが、回復も早くなった。副作用など、薬の効かないことに比べれば、全く大した問題ではないと実感。死が確実に近づいていることが一番の問題だ。

家の隣のマンションは周囲に公開の広い散歩道がある。庭師が常に入っていて、手入れが非常に良い。今年も石楠花が見事。花を見ていると、何故か元気になる。どうしてだろう。生命力のせいだろうか。できるだけ、花を見て過したい。




2012年5月14日月曜日

転院には失敗、何日か寝込むようになる

居住地の比較的近い病院に転院したいと思い、県内の某大学病院に、受診を申し込んでから1ヵ月以上過ぎた後に、漸く予約の日となり、予約時間の4時間後に担当医に会うことができた。大変混んでいた。いつも通りの混み方のようだった。

先方の先生から、当院は非常に混んでいるため、どこでも治療が可能な標準治療の患者の転院は受けていないこと、治験目的なら受けることもあり得るが、ドセタキセル無効の患者の治験は制限項目がかなり色々とあるため、対象となるかは別途確認しないと分からないとの答えだった。

後日主治医に転院を断られたことを告げるとともに、治験についての先方の真意について聞いてみたところ、治験については可能性はありそうなので、もし受けられるのであれば受けた方が良い、治験の対象になるかどうかは後日通知があると言っているので、それを待った方が良いとのこと。

転院が出来ないとなると、緩和治療目的の放射線照射は将来どこか別の病院を探さないといけない。また治験は同時に二つは受けられないため、久留米大のペプチドワクチン治療は即時中止しないといけない。治験の新薬も恐らくはいつまでも効く訳ではない。あくまでも延命効果が認められているというだけなので、いずれは効かなくなる。投与が打ち切られた後の治療はどうなるのか、不安が残る。

もし新薬の治験が駄目だとすると、ドセタキセルを引き続き続けることになる。副作用はどんどん悪化しており、薬も効かなくなり(とはいえ、ドセタキセルを完全に止めてしまうとPSAはあっという間に急上昇するだろうとのこと)、期待余命はかなり短くなりそうだ。

今回のクールでは運動は全くしていない。散歩程度、30分程度を数回した程度だが、散歩の翌日に寝込んでしまった。疲労感から動けない。歩けない。ずっと寝ていたら、何とか回復したが、投薬後2週間は安静にしていないといけないようだ。

久留米大病院で、PSAの上昇が不安であること、ドセタキセルの副作用がどんどんきつくなっていること、主治医からドセタキセル無効後の治験を勧められていること等を話したら、ペプチドワクチンの効果とPSAの相関性は必ずしもないのだそうで、ペプチドワクチンの効果が確認できていれば、延命効果はある程度あることが確認されているので、PSAの増減にあまり過度に悩むべきではない、との説明を受けた。一安心したが、「とはいえ、泌尿器科医としての立場からは、PSAも無視できないけれど」とのこと。

今後新薬の治験がもし可能だとなった場合には、どういう治療方針で行くのかを決めなければ行けない状況になりそうだ。自分の命に関わることだから、自分で決め、後で後悔しないようにしたい。

体調の悪化は心にも影響する。余命があとどのくらいなのだろうか、随分と思い悩んでしまった。

区役所通りのマロニエ(栃の木)が今年も満開になったが、通行人は誰も気にしていない様子。来年もまた見られると良いな。


2012年4月26日木曜日

ドセタキセル13クール(発症、告知から1年9ヶ月)

ようやくドセタキセルが14クール目になった。

月刊誌がんサポートの2009年2月号の千葉大の鈴木医師監修の記事によると、タキソテール(ドセタキセル)が効く人と効かない人が分かりつつあり、PSA値が30パーセント以上下がった人は2年以上延命するが、下がらなかった人は効かないので別の治療を検討する、とある。私の場合は、投与前のPSA16が投与後10台まで下がったから、3割下がったけれど、その後上昇してしまい、今回は17と投与前よりも上昇してしまった。他の治療法を考える時期なのだろうか。とはいえ、今は死ぬまではドセタキセルと言われているのだけれど。他に治療法とは、まだ開発されていない筈なのだ。

主治医は、併用している薬物、エストラサイトを他の女性ホルモンに変えるしか残された手はないだろうと言う。だが、千葉大では併用はしていないらしい。2年以上延命する組に是非とも入りたいのだけれど、どうすれば良いのだろう。

通っている病院が閉鎖を噂されている、主治医も他の病院へ移る予定などのこともあり、5月からようやく近所のある大学病院へ移る準備が整った。但し、とても混んでいる病院であった。どんな治療方針なのか、申し込んでから1月後にならないと初診にまでも辿り着かないという超混雑病院なので、まだ担当医にも会えていない。どうなるやら。

なんだか先行きが真っ暗になってしまった。まだ3年生存率30%の壁さえクリアできていない。今年の夏あたりが正念場なんだろうか。

できることと言ったら、新たな治験を探すくらい。後は骨折しないこと、歯を悪くしないこと、適度な運動をすること(適度をどう判断するかが難しいけれど)、ストレスを貯めないこと。過度に悩まないこと。そういう付き合いをしないこと。

爪がはがれるのを防止するキットをアメリカのアマゾンで購入し、米国の友人宅へ送ってもらい、転送してもらったものを初めて使ったが、失敗だった。家を出るのが、大体9時。キットは冷凍庫で長く冷やしていたのだけれども、病院は電車で1時間以上かかり、更にPSAのための血液検査を午前中受け、午後2時頃からようやく投薬開始なので、キットを使うのは5時間後になる。100円ショップで買った保冷剤は5時間後も凍ったままだったが、キットは5時間も持たないことが判明。使い始めた頃にはもう冷たくなかった。ピクニック用の保冷庫を持っていく必要があるかもしれない。夏になれば、持ちはもっと悪くなるだろうし。

写真は久留米の石橋文化センター。石橋家(というか、ブリジストン社)が久留米市に寄付した公園と文化施設群がある。

石橋美術館のコレクションは市の持ち物ではなく、石橋財団が持っているらしく、東京のブリジストン美術館と共通らしい。今月は東京から持ってきた絵と、久留米の絵を並べる展示をしていた。今東京には久留米の宝である青木繁の絵が来ているようだ。

最近は、先行きのこともあるので、家族には頻繁に会うようにしている。母親にも、会話は進まないが、進んで会いにいくようにしている。友達とも会っておいた方が心残りがなくて良いのかもしれない。



2012年4月13日金曜日

ドセタキセル12クール目、PSAは上昇

ドセタキセル12クールの副作用は今までで一番きつかった。13クール目はどうなんだろうと思う。以前聞いた話では、一般に8、9クールあたりが一番きつく感じるとのことだったのだが。

投与後、7日目に、比較的元気だったので、軽い運動をした(水泳をした)のが間違いだったように思う。副作用を甘く見ていた。プールへ行き、いつものプログラムだと疲労するのが分かっていたので、半分程度のプログラムにして、ゆっくりと泳いだのだが、戻ると体がだるい。その日の夜は食事もできたが、翌日、翌々日は食事もできず、起きられない。頭も痛く(転移かとびくびくした)、熱もあり、だるく、歩けない。結局二日間寝っぱなしとなった。一人暮らしなので、助けもいない。流石に死ぬことまではないだろう、そのうち治るだろうと思ったので、家族を呼ぶことはしなかったが、一歩手前という感じだった。

3日後にようやく回復し、食事も歩くことも可能になった。10日目になっても体力は普段並みとは言えない。回復がとても遅い感じ。

原因は何だったんだろう。体力が70歳並みとは思っていたけれど、軽い運動で、あれほど疲れるとは。肝臓に問題はない。リンパ腺かな。

投与時のPSAは、15台に上昇していた。投与開始時とほぼ同じ。結局、ドセタキセルはそろそろ無効ということなんだろうか。とはいえ、死ぬまで止めることはできない。緩やかな上昇にとどまることを期待するのみ。




2012年3月29日木曜日

福岡で桜を見る

久留米大病院に通うために、羽田でなく、成田から飛行機で福岡へ通うようになった。理由は、交通費の節約のため。JRで往復すると、久留米まで川崎から交通費だけで4万5千円程度かかる。成田経由福岡だと、大手航空会社の半額、往復2万円程度、場合によってはもっと安くなる。飛行場までの時間は結構かかるが、飛行場が空いている、機内も空いているので、意外に快適。ほぼ失業状態なので、交通費はできるだけ節約したい。羽田発でも、日によっては安い会社もあるけれど、選択幅は小さい。福岡でなく、熊本や長崎へ飛んで久留米に行く手もあるが、福岡空港がやはり便利だ。ピーチが成田にも来ないかな。

成田は出張、旅行で数え切れない程利用したのに、飛行場についての記憶はあまりない。私の父母は、父が死ぬ前の年まで、ほぼ毎年二人で2週間程度海外旅行に出かけていた。当時私は空港近くに住んでいたので、その際には、見送りか、出迎えに必ず行っていた。成田空港に行くと、その時のことばかりを何故か、思い出す。母親が私が里帰りをすることを好まなかったこと、私も里帰りは嫌だった(家がゴミ屋敷だった)ので、家から近い成田で彼らに会うのは都合が良かった。私の父母の世代は、戦争で青春はなく、空襲あり、食料難で、貧しく、農地解放で財産も全くなくすなど、大変なことばかりを経験したようだが、高度成長の時代ゆえ、田舎に大きな自宅を建て、子供二人を大学に出すだけの余裕があった。おそらく彼らの同世代は皆同じような生活が出来たのだろうと思う。年金も手厚く、子供に相続させるだけの財産も作ることが出来たし、毎年海外旅行に行けたなど、これからの老人にはほぼ不可能と思える豊かな生活を送っていたように思える。私の世代が年金を貰う頃、ほんの数年後だけれど、貧しくなるばかりの日本経済はどうなっているだろうか。年金も父母の半分さえ貰えるかどうか怪しい。私は既に半失業状態。医療費もかかるから、海外旅行どころでもない。ま、体力もないので、あっても行けないだろうが。私は早く死んでしまうだろうから、大地震が来ようと、日本経済が没落しようと、あまり悩まなくて済むので、少々気楽なのだけれど。

ペプチドワクチンは副作用は殆どないが、脚の付け根に打ち続けるため、その部分が硬化してくる。だから注射時はとても痛い。また筋肉痛のような痛みが時々出ることがある。とはいえ、癌による腰痛に比べれば、何でもない。

今回は久留米へ行く前に、福岡城(舞鶴公園)へ行き、桜を拝見。ソメイヨシノは全く咲いていなかったが、一本だけエドヒガンと思われる桜が咲いていた。いつも訪れるたびに、コンパクトで、気候が良く、食べ物がおいしく、自然に溢れ、文化的で都会的で、物価の安い福岡は良い町だなと思う。福岡の人が羨ましい限り。



2012年3月21日水曜日

ドセタキセル11クール目(治療開始から1年8ヶ月)

11クールめで、PSAは13.9に上昇。微増だったので、誤差の範囲か。ドセタキセルと併用している薬(エストラサイト)について、主治医はもしPSAが上昇したら、他のものに変更すると言っていたが、今回は見送り、再度エストラサイトを続けることになった。

また、4月以降、家の近くの病院に移りたいと申し出たところ、大歓迎のようで、それなら早速MRと骨シンチも撮ってから、4月下旬に移って下さいとのことで、検査をすることになった。

病院を替わる理由としては、①今の病院は経営状態が悪化していて、患者数が少ないだけが取り得になっており、いつ閉鎖されるか分からないこと、②放射線科や緩和治療の設備がないため、骨に痛みが出たときの対策が取れないこと(結局他の病院に移るか、他の病院を紹介してもらわないと出来ない)、③家から遠いこと、の三つなのだけれど、主治医からは特に理由も聞かれなかった。

エストラサイトの点滴時には、冷却法で手と足とを冷やしたが、爪の悪化傾向は止まらなかった。効かないか。あるいは100円ショップで買った材料に問題があったのか。

アマゾンで売っている冷却手袋、ソックスは日本へは送付してくれないので、米国在住の知人に頼み、米国で受け取ってもらい、転送してもらうことになった。早く着かないかな。学会報告では効く例が多いとされているけれど、実践してみないことには分からない。300ドルもしたけれど、もし爪が守られるならば、安い買物かもしれない。

移る先の病院は、大学病院で、混んでいた。あまりの混雑にうんざりだけれど、医師数が多く、前立腺癌の専門医もいるので、期待しているが、どうなるか。がっかりという可能性もある。

ドセタキセル投与後、4日目に、近所の温泉施設に行き、温い湯に1時間半程度浸かったら、湯疲れが出て、寝込んでしまった。体力がないので、温泉は危険なのかもしれない。以前はその程度の時間浸かっていても、湯温は38度程度で体力を消耗することはなかったのだが、どうも湯が強いのと体力が70代並みなのとが相まって、気分が悪くなった、湯あたりとなったようだ。

治療の一環で、湯治にでも行こうかとのんびり考えていたが、投与の後1週間以内は無理ということが分かった。運動も出来ないし、外出もままならないから、湯治なら大丈夫かなと漠然と思っていたが、そんなに甘くないようだ。


2012年2月28日火曜日

医療費は結構な負担でした

癌になって驚いたことのひとつは、薬が高額なこと。とっても高い。去年の医療費控除を計算したら、保険診療の自己負担部分だけで、100万円近い。3割負担で100万円だから、実際に掛かった医療費は330万円強にもなる。これに、全額自己負担のペプチド・ワクチン代と交通費が追加でかかっている。今は何とか収入があるから良いけれど、長生きすると、大変だ。年金生活だと恐らくは暮らして行けないだろう。いつから貰えるかも分からないし。68歳まで支給開始時期が引き延ばされるように改悪されると、本当に大変だ。退職金もどうなることやら。

生活設計なんて、生きているかどうか分からないから意味ないのだが、病気であるってことは経済的に大変だなと実感している。

医療費控除で戻ってくる税金は払った額の1割程度なので、少々がっかりだった。ま、そんなものかな。