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2012年7月10日火曜日

冷却法の効果:爪の剥がれは改善

ドセタキセルは、長く使っていると、骨髄抑制と同じ効果で、つまり癌細胞を殺すだけでなく、どんどん成長する正常細胞も殺してしまう結果、粘膜や、毛や、爪を作る細胞までもが死んでしまうためか、副作用で爪が剥がれてくる。

爪が剥がれると、大変生活に影響する(こればっかりはなってみないとその不便さはわかりませんでした)ので、どうしていたら良いかと思っていたところ、アメリカには、ドセタキセルの投与中に、手足頭を冷やすがん患者向けのキットがあることを知り、アマゾンで買ってみた。しかし、使い勝手は悪かった。30分程度しか冷えない(投与には1時間はかかる)、重く持ち運びが大変である(歩くのが困難なことがあるので、重いものを持って病院に行くのは辛い)、値段が高い(手、足、頭の三点セットで300ドル)、販売店は何故か日本へは送ってくれない。

現在では、このキットに加えて、100円ショップで買った台所用ミトン、毛の靴下、毛の帽子等に、保冷剤を入れたものを使っている。効果は徐々に出つつあるけれど、期待したほどではなかった。しかし爪の剥がれは止まったので、一応効果はあったのだろうと思う。髪の毛は残念ながら生えてこないので、効果はなかったのかもしれない。指先の痺れはまだ残っている状態。



6 件のコメント:

  1. 爪もそうですが、指紋が消えるような症状はなかったのですか? 抗がん剤にもよるのでしょうが。

    前の投稿で、身辺整理のことなど拝見しましたが進んでいますか? 3.11後、エンディングノートを作成する人たちが増えたそうですね。明日生きている保証などないわけですから、元気なうちに整理しておこうと。
    自分も、余命宣告され始めたのですが、なぜ、こんな物や事にこだわっていたのかと一人笑いしながらやっていました。結構楽しいもの。しかし、期限を超え何年も過ぎてしまうと、ちょっと中だるみの今です。

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  2. Alainさん こんばんは。指紋は、今まで良く見たことがありませんでした。薄くなっていますが、指紋そのものは残っているようです。しかし、とても薄いので、滑り止めの効果はないようで、良く物を落とすのは、握力がなくなったのと、痺れているのと相まって、指紋が薄くなったせいでもあるような気がします。

    父親の遺産整理をした経験として、①財産目録作成、②本人以外には意味のない思い出の品(お土産、写真、絵、骨董、CD、DVDなど)を捨てる、③本を捨てる、④衣服を捨てる、ことが重要と思いました。衣服は半減しました。本はまだまだです。写真も大分捨てました。物を買うのを止めたので、家財は減る一方です。

    将来、狭い家(終の棲家)に引越ししたいので、荷物は最低限(トランク一個程度)にしたいと思っています。

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  4. 寅さんのトランクのように、「心」をいっぱい詰めて。
    「今度生まれ変わる予定は、ありません。最初で最後の、生きている。」だから。

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  5. aまさぞうさんへ

    以前にも書きましたか、身辺整理事。確かにきちんとして、誰にも迷惑をかけず事前に整理することも大切かも知れませんが、私自身は、賛同できません。(あくまでも私的な考えですが)
     私は、結構几帳面な性格で
    ①過去に事前に葬儀のために何気なく購入した お洋服が使う事になったり。
    ②母にパジャマを買ったあげた時にもすぐに入 院をし、それを使い亡くなった事。など。
    事前に事を起こすとロクなことが無かった経緯があります。

    ご自身が、何気なくされることが何か予感することかもしれませんが、あまり急ぐことはなさらないで下さい。もしもですが、何かあたら周りの者がやりますょ。私は、主人には、貪欲に生への執着を捨てずにいておしいと思ってます。うまく 表現できませんが何か淋しすぎます。
     それにもしも主人が、生まれかわれるチャンスがあれば、また この世に生を受けてもらいたいと思います。お互いに出会う事が無くても
    今度こそは、自由にのびのびとの生きて、同じ空の下で生きたいです。

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  6. 菜々子さん ありがとうございます。

    私が身辺整理をしているのは、父親の遺産整理をして、心の底から懲りたことがあったためです。父親は不精かつ記録魔で、ありとあらゆるものを整理、保存し、片端から箱に詰め込んでいました。銀行のステートメントなど、何十年分がみかん箱に何箱もあり、職員録も毎年の分が40冊以上あり、何でもかんでも保存しておいた結果、家の中は書類と箱と本で、ほぼごみ屋敷状態になっていました。そして何がどこにあるか、全く分かりませんでした。

    母親は精神を病み、家事、掃除を殆どせず、家の内外をゴミ屋敷にしただけでなく、買物依存症でもあり、毎日衣服を買いに行き、タグを付けたまま箪笥にしまい込み、そのまま忘れ、引き出しに何も入らなくなると、また箪笥を買い、箪笥の前に箪笥を並べる始末で、家中、廊下まで箪笥だらけでした。更には拾ってきたゴミで庭は一杯。壊れた洗濯機、TV、窓枠、荷車までありました。

    父親が死んで、家の財産がどうなっているか分からず、父も浪費癖のある母に財布を渡さなかったため、母親は経済観念ゼロのままで父親の口座が封鎖されたこともあり、その日の買物用の現金にも困るありさまでした。しかし、通帳が印鑑が一体どこにあるか、カードがどこにあるか全く分かりませんでした。今も知らない口座があるかもしれません。家中のゴミを、分類し、大型トラックで何台も往復し片付け、焼却場に持ち込み、捨て、漸く片付いた家の中から通帳(それもどれが生きているのか、わからないくらいの多数が出てきました)を発見するまで、実家が遠距離だったので、大変な時間と労力と、更にはゴミの処分費用が100万円近く掛かりました。

    加えて、母が家のリフォームを望んだため、大量の家具も処分しましたが、私はその時のストレスと心痛でがんを発祥したと思っています(会社など、他のストレスもありましたが)。母親は、リフォームの障害となる箪笥等を処分しようとすると大騒ぎし、リフォームを頼んだのに、邪魔ばかりしていました。

    親の大切にしていたものも、度がすぎると、全てゴミ、ガラクタと化し、整理している暇も気持ちの余裕もないため、写真、美術品、本、衣服など全てを捨てました。惜しいとも思えませんでした。物がありすぎると、どうでも良くなります。全ての遺品が処分費用に見えてきます。

    あんな苦労を残された人にさせられないと思ったのが、整理を始めた理由です。

    やはり、ものには限度があると思っています。代々の旧家で、倉がいくつもあるような家ならば、そうした問題はないのでしょうが。

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