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2012年10月19日金曜日

何もしない毎日

アビラテロンの治験開始から約二月経過した。PSAは通っている病院では直ぐに検査結果が出ないため、どうなっているのか分からないのだが、体調は良くなったり悪くなったりを繰り返している。大腿骨への転移を原因とする神経の痛みは治まったものの、腰痛は完全に無くならず、ヘルニアの痛みが時々出る。また疲労感があり、先週末は二日間寝込んでしまった。何の運動もしていないのだけれど、むやみに疲れる。肝機能は正常値なので、肝臓ではないらしい。化学療法を始めたばかりの頃は水泳のドリルなんかが出来ていたから、その時よりずっと運動機能は低下している。筋肉はほぼ無い状況。男性ホルモンもないので、足が浮腫み、痛くて寝られないことがある。冷え性にもなり、ホットフラッシュもかなりきつい。更年期障害のきつさを味わう毎日。

毎日が暇だ。でも好きな運動は無理だし、長距離を歩くと疲れるので、出来ることは限られる。本も集中すると疲れる。ビデオも同様。

先週母親に会いに行った。普段あまり会話はしないのだけれど、「最近はなにをしているの?」と珍しく聞かれた。「何もしていない。」と答えると、「勉強はしていないの?」と聞く。何も勉強してないなあ、と考えているうちに、気分が落ち込んでしまった。

私の母親は、家事を「馬鹿な女のする事」と定義しているらしい。そうはっきりと言ったことがあるのを覚えている。彼女には、家事よりも、もっと崇高な仕事があるので、家事に割く時間はもったいないのだそうだ。彼女の家は、その結果ゴミ屋敷状態となり、じゅうたんの埃を隠すため、別のじゅうたんをその上に敷き、買物依存の彼女が買った衣服を入れる場所がないため、家中に箪笥を置いたため、まともに歩けず、彼女と父親の溢れ帰る物で家の中は座る場所がないほどだった。片付ける才能ゼロ。発達障害なのではないか、と私は睨んでいるのだが、整理整頓が全くできない人だった。あるときから家事はしないと宣言し、掃除を含め、最低限のことしかやらなくなった。そういう考えの人なので、「毎日病気療養で暇だろうから、当然何か勉強でもしているんだろう」というつもりで聞いているようだった。何もしていないのは事実だが、話していて、何もしていないことに自分でも驚いた。恐らく病気の原因にも関係しているようにも思う。

私は仕事の計画を作るのが好きだった。勉強も好きだったし、論文も書いた。勉強をすることは、毎日の積み重ねだ。まず研究の目標を立て、そこに近づくための予定を立て、調査をし、メモをとり、考えをまとめ、成果物を作りあげていく。仕事も同じで、目標を決め、そのための段取り、計画、予定を作り、毎日実施、チェック、フィードバックを繰り返すから、勉強とあまり変わらない。毎日こつこつと何か考えていないと仕事は達成できない。勉強も研究も同じと思う。だから、朝から晩まで勉強漬け、仕事漬けでも問題はなかったし、そういうものだと思っていた。

だから、今何もしていないし、考えていない自分がとても不思議だ。それを母親から言われると、嫌な気持ちになった。癌になったのも、仕事ばかりで、休みなしに猪突猛進に、色々なことを切捨ててきたことへの報いなんだろうか。

とにかく、ドセタキセルを機会に、会社を休職し病気療養に入ると決めた段階で、何もしない、考えないことにしたのだった。とはいえ、それでも毎日何かしないと不安で、癌について調べたり、水泳で体力をつけようとしたりしていたのだったが、今ではそれも止めて、ぶらぶらしている。将来のことを考えても、将来はないし、幸い妻子もいないので、その面の不安も心配も不要だし。

家事は、一人分だとあっという間に終わってしまう。病人でも出来る。でも、これでいいのかな、と時々考える。「生きてきた証はね、何もないね。それでも良いのかな?」

美術館の喫茶室で、ケーキを食べた。クリームたっぷりで、食事療法的に問題なのだけれど、たまには眼をつぶろう。

4 件のコメント:

  1. のんびりと穏やかな日々を過ごすまさぞうさまへ
    私の30数年前の古漬けの梅干のような思い出話をひとつ

    私の二十歳のお正月 元旦の朝の出来事
    祖父は初孫の私に振袖を揃えてくれ そのお披露目をしてほしいということで私は朝4時に起こされて美容院に行き髪を結い着付けをして家に戻ると祖父と父が杯を交わしながらめずらしく仕事の話をしていました
    私が二人の前に座ると祖父はご満悦(*^_^*)でした
    祖父と父は同じ職種で 仕事では後輩になる父は祖父にたちうちできるはずもなく会話はどんどん険悪になり
    振袖姿の私の前で父は持っていた杯をテーブルにたたきつけ・・・・家を出て行ってしまいました(ーー;)

    そういう時我が家ではその瞬間をなかったことにするのです誰も大声を出したり泣いたりお行儀の悪いことはしないのです テレビでいうと カットしてねー(^^)というとこでしょうか・・で何事も無かったように父ぬきで元旦のお膳は終わり父も何も無かったように帰ってきて・・おわりでした
    今思えば あの時泣いてわめけばよかったのです
    正月元旦に4時からたたき起こされてこうやってここに座ってる私の立場をどうしてくれるの!!!!?って(T_T)
    そうすれば後々ちょっと苦い笑い話になったかも・・と思います  まあ何年か後に父にチクリと言ったときは そんな前の話をいつまでも!だから女はイヤなんだ! と言ってましたがねー
    こーんな思い出話がいーっぱいあります
    たまにはうれしいこともありますけど(~_~;)
    もうどうでもいいことではあるけれど しっかり覚えてますよーたぶん死ぬまでね(^_^)v

    私も家事はキライです
    とくに掃除と洗濯がキライです
    だって 料理は出来上がるものがあって成功と失敗があって
    おいしそうに食べてくれる人がいて満足感が味わえるのですが・・
    掃除と洗濯は もとに戻っておしまいなんですもの・・・
    でもやりますけどね・・・・
    ちょっとくらい散らかってても人は死なないよ(^_^)v派です
    でも主人は死ぬ!って言います(笑)

    ではまた(^_^)/~

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  2. 磯つぶさん ご実家のお話、あんまり面白いので、不謹慎ながら笑ってしまいました。ごめんなさい。でも、向田邦子のテレビドラマのようなお話なので。ドラマのある家ですね。これからもどんどん吐き出して、トラウマを解消して下さい。

    私が結婚しなかった理由のひとつが、両親の不仲だったような気がします。あんな家庭じゃいやだな、ということと、自分も恐らくああいうふうになってしまうんじゃないか、という恐怖でした。でも、たぶんそんなことはなかったんでしょうが。

    私は、仕事至上主義で家事が全くできず、整理整頓のできない母親が不思議で、子供のころから家に帰ると、整理整頓を毎日していました。母親はそうするとあれがない、これがない、と騒いでいましたが。

    父親も、家族的でない人で、家でほとんど会話をしたことがありませんでした。高校など、送ってもらったので、毎日通学で1時間以上一緒に車内にいたのに、話をした記憶がありません。後で、彼が社交的で結構おしゃべりな人と知ってびっくりした覚えがあります。

    家族は、かけがえのないありがたい存在ですが、不可解なものでもありますね。

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  3. こんばんは。首を長くして待っていましたがようやく正式にデガレリクス(ゴナックス)の発売開始のお知らせがアステラス製薬に掲載されました。http://www.astellas.com/jp/corporate/news/detail/gnrh-2.html

    これで一つ新しく選択肢が加わりました。後は後発の薬が早く申請→承認→発売と流れていって欲しいと思います。

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    1. じろうさん 情報ありがとうございます。治験中で、前立腺癌治療の一切の新しい薬が禁止されている私は残念ながら使えませんが、効き目の良い薬のようなので、恩恵を受ける人が多いのではないでしょうか。

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