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2011年5月14日土曜日

ステロイド剤が少し効き、入院は数ヶ月延期に

13日の定期検査で、PSAがほんの少しだけ低下。前月の検査時に主治医は月末から入院、化学治療開始を宣言していたが、PSAが7.16→6.11に下がったので、学会で不在の主治医の代わりの先生が、様子をもう少し見てからで良いだろうとのこと。「ドセタキセルを使っても、治療開始時のPSAが20を超えていると、薬の効果は殆どの例では半年でPSAがあがってしまうので、今の薬が少しでも効いているのならば、開始は延ばしても良いのではないか」。その後は治験薬のみ、ということは緩和治療への移行ということか。

後寿命は1、2年と宣告されたに近い。予想されていたことだが、嬉し、悲し半々といった気分。

PSAは下がったが、ALP612→828に上昇し、骨転移が進んでいる可能性があり、要注意。痛みはないので、放射線治療(恐らく30グレイ程度)はまだまだ開始しなくても大丈夫とのこと。始めると毎日病院に通い、4週間続ける必要があるので、仕事は無理になる。

外には、白血球が8900と上がっていた。どうしてこんなに増えたのか、恐らく骨転移と関係があるんだろう。

また医者から、歯はゾメターも使うので、もう二度と歯科治療が出来ないから、折角薬が効いたのだから、今のうちに治しなさいと言われたため、懸案の親知らずを抜くことにした。ゾメターはその後に使用開始することになった。
体調は、肝機能が改善したためか、好調なので、不思議。ステロイド剤は後にもあるので、使えないのか、次回に聞いてみよう。主治医は化学療法は早い方が良いとの考えだったけれど。

中庭の石楠花が来年も再来年も見られますように。

2011年5月1日日曜日

発病、告知から9ヶ月、死ぬ前にしたいこと

余命が後何年か、半年か分からない。3年生きている人もいるよと主治医は言うが、それは最長記録だろうから、平均で2年以内、悪くするとタキソテールの効果が半年、その後緩和治療で半年が良い所かもしれない。悩むのは、今すぐ会社を辞めて治療に専念すべきかどうかということ。専念したからといって、余命が延びるとは思いにくい。辞めなくても、副作用で会社に行けなくなれば、傷病休暇になり、その後退職になるから、事態はどちらでも同じように思える。

仕事には執着はない。会社も必要としていないし。退職金も会社が傾いているため、余り出ないだろう。余命が数年なので、老後の問題がないから、お金は問題ではない(とはいえ、会社の保険が使える方が有難いが)。

会社を辞めても、ホルモン治療中のような健康体(健康じゃないが、普通に暮らせると言う意味)ではないだろうから、運動は出来ないし、旅行も難しいかもしれない。せめては本を読むくらいだろうか。

作家なら、本を残す。画家なら絶筆を描く。生きた記録を作品で残す。そうした可能性がサラリーマンにはない。死にかけの病人に任せる仕事はない。このままぼんやりと暮らすのだろうか。妻子はいないので、家族と思い出作りも出来ない。このまま誰からも忘れ去られるだけか。

できることならば、好きな能をもっと見たいけれど、最近は3時間近く能楽堂の椅子に座り続けることがしんどいので、抗癌剤治療を始めたら、我慢は難しいかもしれない。頻尿もひどいし。

立つ鳥、なんとかではないが、死ぬ時には、家がからっぽというのが望ましいか。父親が死んで、死んだ人の住む家の後片付けがいかに大変か、身にしみているので、姉にはあまり迷惑を掛けたくないので。
区役所前のマロニエ。ベルギー大使館前の並木と印象が違い、花が小さいのは剪定がいいかげんなせいか。川崎ならでは。

2011年4月28日木曜日

震災、スーちゃん、自分の癌と死を考えた

末期癌と告知された時、色々な本を漁り、自分の症状がとても重篤であり、治癒せず、余命は、恐らく数年ということを理解した。しかし、どうして自分だけ、こんな目に会うのだろうと、ずっと考えていた。何か悪いことをしたのだろうか。天罰なのだろうか。運命でそうなることが決まっていたのだろうか。

癌の最大の要因は遺伝子だそうだ。前立腺癌の教科書にそう書いてあった。僕の父親が死ぬ前、前立腺癌があったと言っていた(アガリスクで治ったみたい、などとおかしなことを言っていた。結局心臓麻痺で死んだので、癌治療は一切せず、天寿をまっとうしたから、いわゆるラテント癌だったのかな)。伯父も父と同じ年で死んだのだが、死因は前立腺癌だったらしい。80過ぎの平均寿命まで生きたのだから、両人の死因については余り考えたことはなかったが、自分が癌になって見て、我が家系は立派な前立腺癌の家系だったことになる。

ウィルス説もあるらしいが、その辺は分からない。

生活習慣は、僕は肥満でない。糖尿もないし、適度な運動をし、スリムで脂肪、塩分の摂りすぎにも気をつけていた。肉は殆ど食べなかった。鶏肉を少し食べる程度だった。

但し、仕事のストレスは4年前、自分の手がけたプロジェクトが極めて困難な状況にあり、会社では周囲とも上手くいかず、プライベート面も最悪だった。父親はごみ屋敷を残し急死、母親は精神を病んでいる、という辛い状況で、葬式の前後と遺産相続の手続きの頃は半年くらい殆ど寝られなかった。鬱になる手前だったと思う。その後、転勤で暇な職場に移ったため、のんびりし、環境が激変したのが、癌細胞を活発にしたのだろうか。

48歳の時のPSAは0.1だったので、安心したのが大間違いだった。これが55歳直前に、35になっていたのだから。

しかし、死ぬべき理由もないのに、死が目前に迫っていた。悪質な癌だから、予後が極めて悪いことが知られていたし、そう予想された。結局その通りの展開となった。骨転移があり、根治治療ができず、ホルモン療法も半年しか効かなかった。

天罰か。信心はないから、そんなことは信じない。恐らく、説明し難い、運というのか、天命とも違う、天の気まぐれなんだろう。震災で多くの人が死んだけれど、天罰で死んだ訳ではない。津波に逃げ遅れたのには、それなりの理由があったにせよ、殆どの人にとっては、たまたまそこにいて、ちょっとしたことが妨げとなって逃れられなかっただけだろう。運が悪いということで、予めそうなる運命だったとは思わない。偶然そうなった、というだけのことだろう。

スーちゃんの死についても、義妹の夏目雅子も白血病だったけど、それはたまたまで、特別な理由があった訳じゃないと思う。

自分の癌も、たまたま運が悪くて、不慮の交通事故か震災で死ぬように、癌で人より早めに死ぬのかな、と今では思うようにしている。そうでないと、悲しくて、辛くて、やっていけないだろう。震災の多くの死者も、死ぬ定めだった訳じゃなく、たまたま籤に当たってしまったように、その人には抗えない力で、でもその力は気まぐれでその人を選んだだけなんだろうと思う。

死を受け入れる気持ちが無いと、夜寝られない。これって、宗教に近い考え方なんだろうか。学が無くて、よく分からないけど。

2011年4月25日月曜日

スーちゃんの葬儀で流れた挨拶

7時のNHKニュースで田中好子の葬儀の模様を放送していた。驚かされたのは、本人が録音した、死を覚悟した葬儀の際に流すための参列者への挨拶のテープ。絶え絶えの声だったが、幸せな人生だった、と感謝の辞が述べられていた。芸能人だったからなのか、それとも、そういうことを特に本人が望んだのか。3月23日頃録音したとの解説があったので、その後は昏睡状態だったんだろう。真似の出来ない死に方に、感心するとともに、その勇気に、涙が出た。僕には出来ないだろうなあ。遺言くらいは書けるけれど、肉声での葬儀用の挨拶とは。

2011年4月22日金曜日

今飲んでいる薬

来月から始まる化学療法(抗癌剤治療)の前に、ゾメターを使うと歯科治療ができなくなるため、歯科医へ行き、かねてから勧められていた親知らずを抜くことと、主治医から聞くように言われていた、抜歯からゾメターの使用までどのくらいの間隔を空けるべきかを聞いた。

歯科医は、病院内の口腔外科医に聞いてきたといって、3ヶ月空けよとのこと。来月からの治療なので、困ったなと思ったが、親知らずは抜く必要はなく、観察で良いだろうとの診断。別の医者は抜けと言っていたが、同じ病院でも先生によって見立てが異なるらしい。でも将来的に治療が不可能になるので、リスクを取った判断になった。もっと前に抜いておくべきだった。しかし、前の先生の時には癌との診断を受ける前だったので、直ぐに抜くべき理由もなかったのだが。

歯科医で、今飲んでいる薬を聞かれた。

エストラサイトカプセル156.7mg 一日4錠(朝夕に2錠)(女性ホルモン、窒素マスタードという抗癌剤を含む)
プレドニゾロン錠5mg 一日2錠(朝昼に1錠) (ステロイド) 
ウルソ 50mg 一日3錠 (ホルモン療法薬の副作用である肝臓障害の改善)
タケプロンOD錠 15mg 一日1錠 (同じく副作用である胃腸障害の改善)

このほかに、内科で貰った

アムロジピン錠2.5mg 一日1錠 (高血圧の薬)

耳鼻科で貰った

アレグラ 一日2錠 (朝、夕1錠) (花粉症の薬)

眼科で貰った

トラバタンズ (点眼薬)(緑内障の進行を防止)


プレドニゾロンは緑内障に悪い影響があるとのことだが、失明のリスクより、前立腺で死ぬリスクの方が切迫しているため、緑内障は諦め。右目の視野は左の半分程度になってしまった。

「がんサポート4月号」によると、抗癌剤が効いていると、副作用も強くでるものらしい。今は悪心もなくなり、健康に過ごしている。ということは効いていないということなのだろうか。唯一、乳首が痛いが、これはエストラサイト特有の副作用。副作用は慣れはなく、累積的に影響があるらしいけれど。乳首はどんどん大きくなっている。見苦しい寸前てところ。

2011年4月15日金曜日

エストラサイトもあまり効果なく、化学療法へ

今日の検査で、PSAがまた上昇し、7.16に。主治医は、エストラサイトの効果でこの程度なのかもしれないと言う。骨転移に関係するALPも上昇し612になってしまい、化学療法を直ぐに始めた方が良いだろうとの宣告。

もしエストラサイトがもっと効いて、PSAが下がれば、或いは横ばいならば、エストラサイトのみ続ける選択肢もあったと思うが、タキソテールはPSAがあまり高くない段階で始める方が良いことが知られているので、来月から入院治療となる。今歯科の治療中であり、ゾメタも併用するので、歯科の治療完了後、2週間程度入院となる予定。

タキソテールの効き目は様々で、一般にホルモン療法が効かない場合には、タキソテールも効かない。3週間で1クールというらしい。タキソテールを10クール以上続けられれば、ということは30週ということになるが、210日ということだが、生存率の中央値は600日。365日が1年なので、2年弱。3年の生存率が3割。

まだ、治療開始から7ヶ月である。良く行って、後3年しか生きられないかもしれないという事実は結構辛い。

会社勤めどころではないのだ、と実感。傷病休暇も考えようかと思っている。

2011年4月6日水曜日

エストラサイトの副作用

悪心については、慣れてきた。気持ちがいつも悪かったが、半月たち我慢できるようになってきた。おなかが空くと気持ち悪さが増すので、間食している。甘いお菓子を食べる。太るが、副作用克服を優先。匂いのする食品がだめなのは変わらず。匂いは我慢して食べれば食べられる。神経がやられているためらしいので、胃ではないから、食べられる。味覚が変になりつつあるのかもしれないと思うことは、今のところなし。

乳首の腫れは、結構きつく、痛い。乳首が飛び出しているので、ちょっとしたことで痛い。良く女の子が乳房を庇うしぐさをする訳がわかった。恥ずかしいからじゃなくて、痛いから、とっさに守るのね。初老になって、思春期の女の子の気持ちが分かるなんて、素敵なのか、どうなのか。乳房までは腫れていない。まだまだ半月だからかな。

効いているのか、どうかが一番の不安。もし効き目がないとすると、抗癌剤治療になる。抗癌剤の効力も数年か。一年か。

電車から見る桜を見て、春がまたやってきた、地震があろうと、原発が爆発しようと、植物の強さを感じる。自然には勝てない。

2011年4月1日金曜日

同病の方の存在を知る

紅葉さんのブログではD2患者のブログは少なく、情報も少ないとのことだったので、この先がどうなるか不安ばかりなのだが、幸い(という言い方は不謹慎か)、同じ症状の方がいらっしゃったので、私一人でないということが確認できた(コメントがスパム扱いされてしまっており、表示方法が素人の悲しさで分からず、あべるっちさん、失礼しました)。

エストラサイトに変えて半月、腰の痛みはなくなりつつあり、オダインよりも効いているような気はするのだけれど、4月中旬のSPA検査を見てみないことには分からない。

今の仕事が続けられるのだったら、良いのだけれど。化学療法開始に当たっては、入院も必要なので、会社に告知せざるをえず、来年停年なので、再就職はまずもって不可能になると思うが、震災で会社が倒産しつつあり、その可能性もなくなりつつあるので、治療一本になるかもしれない。収入は別として、悩まずに済むので、すっきりして良いかもしれないと思う。

2011年3月31日木曜日

断捨離しなかった食器が役に立ったかも

福島の原発避難民が大勢着の身着のままで関東圏に来ている。会社の人の知人の家族が千葉の公団に定住することになったが、食器も布団も衣類も何もないとのこと。お金よりも、物が直ぐに必要というので、家の中の使っていない食器類をスーツケースに詰めて、会社に持っていった。重い。がさばる。満員電車では迷惑だったろうが、朝いつもより早く出て、2時間もかかったけれど、何とか会社まで持って行った。10キロ分くらいあったかな。どうしてこんなに食器を溜めたのか。益子、笠間、美濃。ノリタケ。今はこうしたものは趣味じゃない。今は殆どが有田の磁器。

しかし、自分が被災して同じ目にあったなら、どうするんだろう。他人に貰った食器は趣味じゃないなあ、と毎日思いながら暮らすんだろうか。難民生活は贅沢は言えないにせよ、仮の宿りで一生を過ごすのは辛い。

福島の人たちが幸せでありますように。

2011年3月30日水曜日

エストラサイトの副作用

エストラサイトにオダインから切り替えて約2週間。4日目から、気分が悪くなり、これが悪心というものか、と思った。食後2時間くらいから(ということは服用後ということだが)、気持ちが悪くなる。食事があまり食べたくなくなる。今まで平気だった玄米の匂いがたまらなく嫌、切干大根も嫌、焼さばも嫌と、匂いのするものが食べたくない。ただ胃がもたれている訳ではないので、食欲はあり、食事が困難ということではないが、メニューに困る。結局、うどんとか蕎麦とかばかり食べている。

頻尿は、オダインの時より良くなった。オダインの時は、夜2時間おきに起きてトイレに行っていたが、今は大丈夫。駅では必ずトイレには行くけれど、オダインの時は電車を降りてトイレに行き、通勤途上で3回も行ったこともあるから、頻度は大きく減った。オダインの時はバス旅行は無理。今も自信がないけれども。

女性ホルモンのせいか、血圧が上がっているのか、耳鳴りがする。また乳首が腫れて痛い。女性みたいに乳首が立っている。これが結構触ると痛い。

薬が効いてくれれば、こんな程度の副作用はどうってことないんだが。

2011年3月25日金曜日

気落ちしたら、湯治

医学的な効果は無さそうだが、精神的な効果を期待して、又もや新潟の栃尾又温泉に湯治に。温いため、寝てばかりで死を忘れる。ぼんやりしている。痛みも和らぐし。癌には効かなくても、精神には良さそう。ただ、食事が単調で飽きるのと、雪でどこへも行けないため、運動不足でフラストレーションがたまる。おばあさんばかりなのは、おばあさんに効く何かがあるのかな。体にラジウムの泡がつくので、細胞の活性化には良い影響があるらしいが。

花粉症の緩和を期待したが、花粉は雪国の上空も覆っているらしく、喘息症状は改善せず。

前回、マーラーの交響曲全集を持っていって退屈したので、今回は、そうでもしないと聞かないブルックナーとベートーベン。前者は眠くなるので正解。次回は指輪の全曲かな。

2011年3月18日金曜日

PSA再上昇でオダインからエストラサイトに切り替え

とうとう、オダインも効かなかった。特に自覚症状はないのだが、今日の検診でPSAが5.45に上昇してしまい、オダインも効いていないことが明らかになった。となると、次は主治医はプロスタールはもっと効き目が弱いから、エストラサイトにしますとの予告どおり、女性ホルモン剤であるエストラサイトに切り替えることになった。

副作用が強いので心配で、特に循環器系に影響があるかもしれない。肝臓の調子は良いのだが、悪影響があるかもしれない。女性化は、死と比べるならばたいした問題ではないけれど、更年期障害は、結構生きる勇気や元気を阻害するもので、やるきが無くなるかもしれない。

「生きようとする意志が萎れている」とは診断の際に同席していた姉の言葉。確かに、意気消沈しているかもしれない。元気を出そうというより、挫けないようにしているので今や精一杯。泣かない、悲しまない。でも笑うことはまだできない。

「来月、エストラサイトが効いているか、確かめましょう、でも効かない可能性が大きいと思う」と主治医は言っていた。抗がん剤が効く場合もあり、5年程度生きている方もいるらしい。どんな人に効くかは分かっていないとのこと。全てはトライアンドエラー。

2011年3月17日木曜日

暖房の無い会社

節電のため、会社が暖房を切っている。寒い。とはいえ、状況が状況なだけに、我慢の毎日。

以前、知り合いの原子力学者から、福島第一原発のリスク、特に大津波が来た時の脆弱性について何度か聞いた。恐らく東電の幹部もこのことは認識していた筈だが、残念ながら、コストダウン優先だったようだ。外部電源が万一の時に機能しないリスクについては、広瀬隆氏も指摘していたが、反対派と同じ意見ということで、顧みられなかったのだろうか。

2011年3月13日日曜日

歩いて友人宅に避難

会社で地震に会い、家には帰れないので、比較的近くの知人宅に避難した。徒歩で2時間。癌のせいなのか、体力の衰えを感じた。歩く早さが遅く、どんどん追い抜かれる。エレベーターが動かないため、7階の知人の部屋まで登るのが一番辛かった。手すりがあったから良かったけれど、無かったら、休み休みだっただろう。

翌朝、動き出した電車で家に戻るが、気力が衰えている。TVを見て、生きているだけ幸せだと思った。しかし、もし病院が被災したら、癌患者はどうなるのだろう。トリアージュ上は後回しだろうなあ。

これから東京は計画停電になるらしい。日本経済の行く末と、病院の電源が心配。

2011年3月11日金曜日

オダイン錠の副作用

ホルモン療法を始めて、カソデックスはたった半年で効かなくなったため、2月からオダインに切り替えている。飲む回数が一日三回なので、昼の分が飲めなかったり、飲むのを忘れたりして、苦労している。薬を飲むのを忘れることは多い。

薬を貰うと、尿が黄色くなると注意書き。確かに白いパンツが黄色く汚れている。カソデックスではそうしたことはなかった。何のせいだろう。オダインの包装もオレンジ色をしている。

問題は頻尿。夜はほぼ1時間か2時間おきに起きないといけない。熟睡できない。花粉もひどいので、熟睡出来ない度はすごい。

でも、薬が効かないと分かったときの衝撃に比べれば、何の問題もない。効いてくれることを祈るばかり。抗癌剤の副作用に比べれば、どうってことないだろう。

カソデックスの副作用より、頻尿を除けば、副作用の程度は弱いと思う。

2011年2月28日月曜日

気分転換に箱根へ

湯治が癌に効かないことは承知だが、気分が余りにも鬱々としたため、会社の補助金(カフェテリアプラン)を使って、箱根の高級旅館へ行ってきた。一泊3万円もする。一生もう行くことはないだろう旅館。昭和天皇が泊った旅館として有名で、昔岩崎家の別荘だったもの。今はファン○ルの会長がやっているらしい。

広大な庭の手入れと建物の手入れにお金が掛かるし、人件費も嵩むし、余り儲からないだろうと思う。部屋に鍵もなく、トイレもなく、それでいて3万円。夢のような旅館。とはいえ、料理は最高の部類で、他の部屋の客に殆ど会わず、静かで、のんびりして、建物も懐かしさに溢れていて、静養にはとても良かった。しかし、三泊で10万円も使ってしまった。

食事には牛、豚は避けてもらい、玄米も出してもらった。コーヒーも、みかんも飲み放題。ゆっくりできたので、精神が病む寸前だったのが、何とか持ち直したような気がする。

いわゆる冥土の土産かな。

再燃、ホルモン療法の薬を変更

1月末のPSAが0.46に上昇し、不安に苛まれていたが、2月末のPSAは急上昇し、2.86になってしまった。主治医は、再燃だよ、とのこと。こうしば場合には、普通であれば一度カソデックスを止める中止療法を行うが、上昇幅が大きいので、危険なため、即時にオダイン錠に変更するとのこと。カソデックスの増量も効果は無く、カソデックスが悪い作用をしている可能性があるとのことなので、まだ錠剤は沢山あるが、中止。

オダインが効かない場合には、標準治療では、昔の薬のプロスタールにさらに変える手があるが、効かないだろうから、プロスタールでなく、即抗癌剤の使用を検討することになるだろうと言う。

半年しかカソデックスは効かなかった。となると、それより弱いオダインの命も半年がせいぜいか。抗癌剤も長くは効かない。効いている人もいるが、低分化、Gスコア9の悪性ながん細胞には効力の程は分からない。

不安で、この日はとても気がめいってしまった。

2011年2月13日日曜日

雪の中、一日湯治へ

湯治で癌が良くなるかどうかは不明。玉川温泉は効くというが、何が効いているのか不明。放射線なのか、強酸性の湯なのか。前者だろうと思うが、証明はされていない。長岡温泉の弘法の湯は、北投石を配置して、ラドンを発生させているとしているが、これも見えないものだから、良く分からない。

今回は、一泊で伊東へ。ここの湯量は豊富なこと、熱いことから、湯治向きではないのだけれど(熱いと長く入れず、芯まで温まらない。汗は沢山でるが)。一泊一人、土日でも7,200円の旅館を発見し、試しに行ってみる。近くて、楽だったが、湯が熱く、部屋は寒く、風情はなく、長居は難しいと感じた。湯治は最低でも三泊はしたいので、伊東では無理っぽかった。食事は満足したが、食べすぎてしまった。

今まで関東周辺で、湯治目的で行った温泉場の良し悪しを比較。

伊東  良いところ 安い(一泊一万円以下)。近い(片道2時間)。暖かい。庶民的。便利。
悪いところ 湯が熱い。市街地なので、気分転換に余りならない。

箱根  良いところ 近い(片道1時間強)、山の中なので気分転換になる。買物に不便。
悪いところ 湯が熱い。高い(一泊一万円以下は殆どない)。寒い。湯治場の風情なし。

湯河原 良いところ 安い(一万円以下もある)。近い(1時間半程度)。便利。
悪いところ 湯が熱い。

長岡  良いところ 近い(2時間半程度)。安い(一泊一万円以下あり)。スーパーあり、便利。
悪いところ 湯が熱い。市街地。

湯本  良いところ 近い(2時間)。便利。
悪いところ 湯が熱い。市街地で風情がない。高い(一泊一万円以下は平日だけ)。


とどれも似たりよったり。結局のところ、湯が熱いのが難点。癌に効くかもしれないラジウム温泉の増富は温すぎ。35度だと、冬場は厳しい。
湯の温度的には、同じくラジウム温泉の栃尾又が長湯向きの温泉で良いかも。川治も同じく、温くて結構だけれども、湯治向きの旅館が無いのが難点か。

次に試すべきは、どこの温泉かな。姉は玉川を勧めるが、遠くて高いので、勤めていては無理と思う。

2011年2月12日土曜日

「切らずに治すがん治療」中川恵一著を読む

東大の放射線科の中川先生が書いた本を読む。癌に対する放射線治療の効果は、悪質とされる低分化癌に良く効き、上皮癌、腺癌の順で効くとのこと。ちなみに、前立腺癌は腺癌なので、まあまあ効くらしい。僕は低分化癌で、グリソンスコアが9なので、まさにぴったりなのだが、癌細胞が既に全身に転移しているD2なので、標準治療では、放射線はまず受けられないのかと思っていた。

実はそうでもないようで、癌細胞は全身に散っているため、根治はできないが、大きな腫瘍は抑えられるらしい。でもなぜ、D2では放射線治療をしてくれないのだろう。治らないのだから、治る人を優先したいということか。それも理屈として分るが、大きくなった病巣を小さくできるのであれば、試みるべきとも思うのだが。医療費抑制の面の問題なのだろうか。

良く分からない。一度放射線医のセカンドオピニオンを貰って見たいと思った。

2011年1月25日火曜日

元気を出すには

他の癌患者の書いた闘病記を、姉から貰い読んでいる。彼女が膨大なブログを整理し、焼いて届けてくれる。他の方がどう悩んでいるのか、特に余命がどうなのか、知りたい。参考になるものは少ないと思っていたが、それは検索が不十分だったせいかもしれない。

紅葉さんのブログによれば、病期D2(リンパ腺ではない、他の臓器への転移癌あり)の方のブログは少なく、またあっても途中で終わっていることが多い(亡くなられたのだろう)らしい。

色々読み進むうちに、病期Dでも結構長く生きていられる方もあり、今拝見している四国の方のブログなどは、奥様が不幸にして急性の白血病で先立たれるなど、病期発見当初予想していたのとは全く異なる展開に、戸惑われている例もあり、様々。一般化は難しいと思った。当然ながら、グリソンスコア9でD2 の僕の余命も、どうなるかは治療して見ないと分らないのだけれど。

悩んでもしょうがないので、楽しいことを考える。旅行は海外は諦め、国内もバスツアーはトイレが心配で諦め、最近は湯治ばかりだけれども。湯治は、一時でも癌のことを忘れさせてくれる(そもそも湯治に行く理由が癌なので変ですね)。また、水泳教室でも、自分が癌ということを忘れられる。でも、一番は、最近は仕事かも、と思えるようになってきた。ストレスのあまりない職場なら、仕事を続けた方が良いのではないか、と最近思っている。収入面の不安もあり、健康(とはいえないが、頻繁に病院とトイレに行くことを除けば、今の状態ならば普通に通勤、勤務はできるので)が許せば、仕事を続けたい。

先月までは、早く退職して治療に専念と思ったり、母親の介護を、とか考えたが、暇だと癌のことばかり考えてしまうし、所得ゼロも困る。年金は出ないし。母親は、気が会わない、同居は苦痛だし、転居も治療を考えると難しい、今のところ母親も一人でなんとかなっている、などで今は諦めつつある。